番外編 【Spin‐off】俺と彼女と彼女の話 ―後編―





02




* * *



それからほんの数日後の事だった。

夜も深くなった11時過ぎ、俺のスマホが鳴った。画面を見れば「父さん」の文字。
父さんがこんな時間になんの用だ?

「もしもし?」
「ああ、ファーラン……起きていたか?」
「うん、起きてたけど、何?」
「……今から言う場所に来れるか?いや……来い。来るべきだ」
「……はあ?」

父さんに指定されたのは市内の病院だった。
大病院という訳では無いが、夜間対応もしている中型の病院。
俺のアパートから自転車を飛ばして15分の距離だ。



夜間入り口の前で父さんは立っていた。
自転車に跨がった俺を見つけると、片手をあげて合図する。俺は端の方に適当に自転車を止めた。

「何、父さん。どういうこと?」

呼び出されたのが病院だったので一瞬焦ったが、母さんや親戚の誰かに何かがあったわけではないと聞いていた。

「説明する。あのな、ファーラン。落ち着いて聞いてくれ。
俺の携帯にここの病院の医師から連絡が入ったんだ。
俺と懇意にしてもらっている先生でな。俺が仕事で出会った、経済的に困窮していてずっと病院に通えていなかった人とか、保険証なんかが無くて受診できなかった人とか、グレて喧嘩して怪我した子供とかな、まあ訳ありの患者を良く診てもらっているんだ。
逆に、先生がこれは弁護士の介入の必要があると判断した患者が来たときは、俺に連絡が来て俺が駆けつけることがある。
今回はそれだ」

俺は黙って父さんの話を聞いていた。
父さんがそういう社会的弱者を助ける仕事をしているのは知っている。
だが今それが俺にどう繋がるのか、俺は父さんの次の言葉を待つしか無かった。

「さっき連絡があった。
あるデリヘル嬢が客とトラブったらしい。接客中に揉めて、女の子の方が抵抗してその弾みで客の男が転倒して怪我をしたと。
それで客の男が騒いで、今その客の男とデリヘル嬢と、デリヘル嬢の所属している店の店長、この三人がこの病院に来ているということなんだが……客は一方的に女の子を攻撃するし、店側もどうやら女の子の味方をせずに客の肩を持っているらしいんだ。
客は治療費と慰謝料を払え、弁護士を呼ぶと女の子に詰め寄っていて、女の子の分が圧倒的に悪いとのことで……とりあえず俺に来てくれと」
「……」

嫌な予感がする。
何故父さんが俺をこの場に呼んだか。

正義の味方になるところを見せたいわけじゃないはずだ。
父さんは自分の仕事に誇りを持っているが、仕事のスタンスのことで俺に何かを押しつけるようなことは今まで一度もなかった。「俺が弱者を救うところを目に焼き付けろ」などと言うような父親ではない。

「……入ろう」

父さんはそう言い、夜間入り口から病院の中に入っていった。
俺は黙ってその後ろについて行った。



病院の二階がナースステーションで、その周辺に関係者は集まっていた。
ナースステーションの奥の方では、二人のナースが静かに何かしらの仕事をしている。なるべく関わりたくないといった空気がナースステーション内に充満していた。

ナースステーションの外側には、昼間なら外来患者や見舞いに来た者達が座る長椅子が並べられている。四名がそこにいた。
父さんに連絡をしてきたと思われる中年の医師が一人、おそらく客であろう、スウェットにサンダルというラフすぎる格好でしかも泥酔している男性が一人、そして店の責任者と思われる黒スーツの強面の男性が一人。男性はそれで全部だ。
そして、もう一人。女性がいる。

嫌な予感は当たってしまった。
安っぽい、衣装と分かるセーラー服を着た女性。
彼女は父さんと俺の顔を見ると、目を見開いた。

彼女の顔色はみるみるうちに青くなる。
俺の顔色もきっと、青くなった。

「……何で?……ナマエさん……」

そんな無意味な台詞がこぼれ出てしまった。

何で、なんて、そんなのどうでも良い。
今この場から、彼女を助けてあげなくてはいけない。
助けてあげたい。

だが、彼女がデリヘル嬢をしていたという事実が大きな衝撃となって俺の胸に穴を作った。



「この女がなあ、俺に暴力を振るったんだよ!見ろこの怪我あ!」

スウェットの男が大声を上げる。
脚を見れば、確かに広範囲に軽度の擦傷が認められるが、言ってみればただの擦り傷だ。別に骨折しているわけではなさそうだし、歩行に問題があるとは思えない。
ナマエさんは男の出した大声にびくっと肩を震わせると、黙り込んだ。

「どうしてこういう経緯になったか、教えてくれますか?」

父さんは穏やかな声でナマエさんに語りかける。
ナマエさんは父さんを見て、それからちらりと俺の方を見た。
一瞬ナマエさんの視線を捉えたかと思ったが、彼女はすぐに下を向いてしまった。

「……」

無言のままでいる彼女に、男はまくし立てる。

「まさかデリヘル嬢に怪我させられるとは思ってなかったぜ!
俺はなあ、車運転する仕事なんだよ。脚が痛くてアクセル踏むのもしんどいんだ、治療費と慰謝料、それと治るまでの給料分ちゃんと払ってくれよなあ!?
安かったからババアでも良いかと思ってわざわざ指名して呼んでやったのによ!!」

その言葉に彼女は羞恥で顔を更に赤くし、身体をわなわなと震わせた。

俺はかああっと頭に血が上るのが自分で分かった。今きっと、こめかみの血管が浮き出ている。
思わず男の胸ぐらを掴もうと手を伸ばしたが、ぐっと強い力でその腕を掴まれた。
父さんだった。
俺の方を見て、小さく首を振る。「手は出すな」と、そういうことだ。
殴りたくて仕方が無かったが、ナマエさんの不利に働くようなことがあってはいけないと、俺は伸ばした手を下ろす。

「……どうしてこういうことになったか、経緯を教えてください」

父さんは再び穏やかな声を出し、そっとナマエさんの背中に自分の手を回した。
小さな背中をさする。

「……あの、……私の勤務内容は……その、本番行為は……無いはずです」

ナマエさんは俯いて顔を真っ赤にしたまま、それでもなんとか声を出した。

「そう契約をしました……。
ですが、お客様が、その……本番行為を、要求されましたので……抵抗を、しました……その弾みで、お客様の身体を突き飛ばしてしまいました」

小さかったが、その声は俺にも、もちろんナマエさんの背中をさすっている父さんにも届いた。
泥酔している客は、更に大声を上げる。

「何言ってんだてめえ!?てめえみてえなババアをわざわざ指名してやったのに、やらせねえってどういう了見だ!?
手でも口でも散々やっといて、素股もしといて、本番だけはダメだあ!?お高く止まってんじゃねーぞ!!お前は新人だから知らないかもしれねえけどなあ、お前んとこの店はみんな本番OKで……」
「ちょっ、お客様!!」

店の責任者が慌てて客の口を塞ぐ。
酔っ払いは自滅した。

「ほお、お宅で働いている女性達は皆様『本番OK』なんですか?」

父さんは穏やかな声色のまま、黒いスーツの男に視線を向ける。

「この国には、売春防止法というものがありましてな。金銭のやり取りをして性行為をすることは禁じられているんですよ。
もちろん、風俗業界にお勤めのあなたがご存じないわけないでしょうが……。
ご自身の店の従業員にきちんとそれを教育せず、容認してきたと知れたら警察は動かないわけにはいかないでしょうな?」

父さんは、今度は客の男に目をやる。

「金銭の授受を前提に性行為を要求することそのものが違法なのですから、これまでに違法行為を犯してきたあなたも当然罰せられます。
私は知ってしまったからには、あなた方を通報しないわけにはいきません。さあ、警察へ行きましょうか?」
「えっ……!?」

客の男は目を白黒させ動揺をあらわにすると、自分の口を塞いでいた黒スーツの責任者に縋るような視線を投げた。
だが、黒スーツも客の男を助けられるわけはない。犯した行為が消えるわけはないし、今さっき男は自白したのだ。
もちろんこの会話は父さんが録音しているはずだ。しらばっくれよう物なら物的証拠が出てくるまでだ。

客の男は結局、もう良いよとかなんとかよく分からない捨て台詞を吐いて、店の責任者と共に走り去っていった。
軽やかに動く彼の脚を見れば、やはり怪我は大したことなかったことがわかる。

後に残されたのは、医者と父さんと俺とナマエさんだ。

「ファーラン、ナマエさんをご自宅まで送ってあげなさい。私は先生と話があるから」

父さんはナマエさんの背中をさすっていた手にそっと力を入れ、俺のほうにナマエさんを押し出した。
ナマエさんは真っ赤な顔で俯いたまま顔を上げない。
俺は父さんの声に頷くと、俯き続けているナマエさんの手を取った。




   

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