第二章 五月





04




「どこに行くんだ?」

人混みの廊下を縫うように歩くナマエに、俺は後ろから声をかけた。

「文化祭の定番、コスプレ喫茶行きましょうよ!
1年4組の喫茶がなんか人気みたいで……コスプレのクオリティが高いらしいです。私の友達もいるクラスなんですけど」
「友達?」
「そう、この間店長に言った全国模試1位のアルミン。今いるかなあ」

俺とエルヴィンは黙ったまま顔を見合わせた。



エルヴィンには、この文化祭に誘う際にアルミンのことを報告していた。
アルミンが本当にあのアルミン・アルレルトなら、是非とも会いたかった。
もちろん、記憶がない可能性の方が高いのは承知している。だが過酷なあの世界を共に生きた仲間が、今世では幸せに過ごしていると確認したかったのだ。
それは俺とエルヴィンの勝手な自己満足だが――それでも、その自己満足は確かに俺達の心を温かく満たしてくれる。

ミケやナナバ、ゲルガーの時もそうだった。
あいつらが今世を穏やかに生きていることを知り、俺とエルヴィンは人知れずささやかな幸せを共有した。もちろん、ナマエの時もそうだ。
――俺の場合は、ナマエの時は幸せを感じると共に、記憶のないこいつに対し絶望も感じたが。

運が良ければアルミンに会えるかもしれない。この文化祭に来た目的の一つが叶えられるかもしれない。
コスプレに興味は無かったが、ナマエの提案は俺達にとって願ったり叶ったりだった。



ナマエは1年4組と学級表札の出ている教室の前で止まり、ココですと指差すと、俺達を連れて教室の中へと進んだ。

「いらっしゃいませー!」

学校教室特有の引き戸を開けると、中から生徒達の声がした。
色紙や布で飾り付けられた教室。そこに様々な衣装を来た店員役の生徒達が、俺達を出迎えた。

教室の壁や窓は鮮やかに彩られていたが、少し拙さが垣間見られる。
生徒達の衣装にもだ。既成のコスチュームを全員分買う予算などないだろうから、きっと各家庭のあり物を集めながら、親の手を借りつつ自作したのだろう。
高校の学園祭の喫茶店としては極々一般的な光景だ。

中にいる生徒達の顔を一つ一つ素早く見て確認していく。
――俺とエルヴィンは声を失った。

アルミンがいた。
それは、ナマエから聞いていた話で想定できていた。
だがそれだけではなかった。
他に、エレン、ミカサ、ジャンまでいたのだ。
どいつもこいつもそれぞれ変な衣装を着ているが、顔はあの世界でみたものと全く同じだ。

こいつらに揃って会えるなんて。
俺とエルヴィンは立ち尽くし、身体の震えを抑えるのに必死だった。

「あ、ナマエ先輩!来てくれたんですね!」
「お好きなお席にどうぞ!」

ナマエに声を掛けてきたのは、店員役のアルミンとジャンだ。
少し離れたところから、エレンとミカサもナマエを見て笑顔で会釈をしている。
何の因果か知らないが、こいつら4人とナマエは今世でも既に知人と言うことか。

俺達はナマエに促されて、空いている席に座る。
俺もエルヴィンも動揺と喜びを必死に押し隠し、何でもないふりをした。

「店長、この子がこの間話したアルミンです。
あと、アルミンを通じて友達になったジャン。あっちにいる二人……エレンとミカサって言うんですけど、あの子達もアルミンに紹介されて知り合ったんです。
あ、アルミンはこんなに可愛いし今日はこのカッコだけど、男の子ですよ!」

ナマエは俺達の動揺など何も知らず、ペラペラとアルミンとジャンを俺達に紹介した。
ジャンは軍人のコスプレのつもりなのか、迷彩服を着ていた。
アルミンに関しては、フリルのついたブラウスに編上げのベスト、ふんわりとしたロングスカート……こいつは今世でも女装をしている。
エレンは某黄色い電気モンスターのキャラクターつなぎを、ミカサは和服を着ていた。

「……ああ、初めまして、アルミン、ジャン」

エルヴィンは流石に動揺を完璧に隠し通し、爽やかな笑顔を二人に向けた。
俺はボロが出るのを恐れ、軽く会釈するに留めた。

「アルミン、ジャン、こちらは私が通っている喫茶店の店長さんと、そのお友達のエルヴィンさん」

今度は逆に俺達をアルミンとジャンに紹介する。
二人は俺達に向かって初めまして、と会釈した。

――『初めまして』か。やはり記憶はないのだろうか。

「本物の喫茶店の店長さんかあ、そんな方にお出しするのは緊張するな」

アルミンはナマエに向かって苦笑した。

「いいじゃない、学園祭なんだから。高校生は高校生なりにね」

そう言ってナマエはアルミンのブラウスのフリルを抓んでうふふと笑う。アルミンは、もー、と拗ねたような顔をしてナマエの手を払いのけた。
そこへジャンが、ナマエとアルミン、二人の間に割り込む。

「ご注文何にしますか?
ナマエさん、これ……このチーズケーキ、お勧めです。きっとナマエさん好きだと思います」

そう言ってジャンはメニューを手にナマエの顔と自身の顔を接近させた。
アルミン、ジャンとナマエの他愛もないやり取りに、俺はちりっとした刺激を感じてしまう。

「じゃあ、それにしようかな。あと……オレンジジュース。店長とエルヴィンさんはどうしますか?」

俺とエルヴィンは、それぞれ無難に紅茶とコーヒーを注文した。

俺は注文するとすぐに席を立つ。

「どこに行くんだ?」
「便所だ」

エルヴィンの問いにそう簡潔に答え、俺は教室を出た。



トイレの個室に入り鍵を閉めると、俺はドアに凭れた。
ふうっと大きく息を吐き、動悸を鎮めようと何度か深呼吸する。

俺はエルヴィンのように器用じゃない。この動揺をある程度消化するまで一人でいたかったのだ。それでトイレに逃げ込んだ。
エルヴィンには申し訳ないが、あいつは一人でも上手くやるだろう。



あの世界から転生した奴らに、一度に4人も会えた。

辛すぎる運命を背負ってしまった奴らだった。
15歳というまだ年端もいかぬ子供時代から刃を振るわせ、槍を突かせ、何人も何人も殺させた。それどころか、巨人化などという現代ではもはや伝説と化してしまった力も背負わせた。
あいつらも、俺も、エルヴィンも、そしてナマエも、あの世界で戦争の道具となったのだ。

今日出会った顔は四人とも血色良く、あいつらは普通の高校生活を送っているように見えた。
それが俺にとっては、本当に喜ばしい。

一つだけ――
まるで魚の小骨が喉に刺さったように、俺にちくちくと小さな刺激を与えることが一つだけあった。

ナマエと104期の面々は、今世では年が近いせいか、あの世界と比較して距離が近いように感じる。
別に前世で仲が悪かったというわけではなかったが、あいつは104期よりだいぶ年上だったし、分隊長という役職についていた。
104期達から見れば明らかに上官に当たっていたから、もっとナマエとあいつらの間には明確に上下を分ける空気があったように感じる。

今は同じ高校生だ。学年も2つしか違わない。
俺なんかよりあいつらのほうが、距離が近いのは当然だ。

さっき見た、ナマエとアルミン、ジャンとの距離感に嫉妬を感じている。
自分でそれに気づいていた。

だが、この嫉妬も無かったことにする他ない。
今の俺はナマエの恋人でもなんでもないし、だいたい交際の申し込みを断っているのは、他でもないこの俺だった。



* * *



「エルヴィンさん、店長の名前ってやっぱり教えてもらえませんか?」

私は、店長がお手洗いで席を外した隙にエルヴィンさんに尋ねた。
エルヴィンさんは困ったような顔をして、テーブルの上に肘をつく。
テーブルと言っても、教室で生徒が使っている学校机を4つ組み合わせてその上にテーブルクロスが掛けられているだけのものだ。もちろん椅子も学校の物である。

「あいつが教えないんだろう?本人が教えないものを私が勝手に教えるわけにはいかないな」
「……」

そりゃそうだ。エルヴィンさんのことはまだ良く知らないが、この人はきっときちんとした人なのだろうと思った。

「ナマエはあいつの事が好きなのか?」

エルヴィンさんはその爽やかな顔で核心をつく質問をしてきた。
なんと答えようか迷ったが、隠したところでどうせ私の気持ちなんてもうばれているのだろう。
私は声こそ出さなかったが、こくりと頷いてそれを返事にした。

「……そうか」

そこへ、頼んでいたコーヒーと紅茶とオレンジジュース、そして私のチーズケーキが運ばれてきた。
店長はまだお手洗いから戻ってこないが、エルヴィンさんに先に食べようと言われ、私達は先に手を付けることにした。
私は机上のケーキをフォークでつつきながら口を開く。

「なんか……店長には子ども扱いされてばかりですけど……
私、全く脈が無いわけじゃないって思ってるんです」

そう言って顔を上げ、エルヴィンさんと視線を合わせる。
エルヴィンさんは変わらず爽やかな笑顔を浮かべていた。私を優しい瞳で見つめ、続きをどうぞと目だけで促してきた。

「なんか……私、店長の昔の恋人に似てるんですよね?」
「……あいつがそう言ったのか?」
「いえ、恋人に似ているとは言われていません。店長は『仲間』としか言っていません。
でも……恋人の事を指しているのは私にもわかりました」

そうか、とエルヴィンさんは静かにコーヒーに口をつけた。

「なかなか旨いな、こういうところで飲むコーヒーも。美女と飲んでいるからかもしれないな」

そう言って、はは、と声を出して笑った。私もつられてふふ、と笑う。

私はコーヒーが飲めないから味の事なんて全然わからないが、あの喫茶店で店長の淹れるコーヒーを飲んでいる人が、高校生の淹れたインスタントのコーヒーを本気で美味しいと思うはずもなかった。
さらりと上手い事を言って、私達高校生を尊重してくれたのだろう。

ああ、大人だな。
この人たちから見たら、やっぱり私なんて子供にしか見えないのだろうか。

エルヴィンさんは私の問いに答えていない。だが、否定もしていない。

「……私、その人と名前まで一緒なんでしょう?
そのせいだと思いますけど……店長の私の事を見る目に、ちょっと熱が籠っていることがあるっていうか……そう思うんです」

私はオレンジジュースの入ったグラスにささっているストローをカラカラと回した。

「もちろん、その目は私に向けられているものではない。そんなことは分かっています。
それでも、最初はその人の代わりでも良いから……店長の特別になりたいんです」

そこで私は言葉を切った。二人の間に沈黙が流れた。
エルヴィンさんは穏やかな顔を崩さず私を見つめていたが、コーヒーを一口啜ってから、やはり穏やかな顔で言った。

「一生懸命なんだね。若さ故かな?」

その「若さ」が指し示すところが、「幼さ」と紙一重であることに気づかないほど馬鹿ではない。
多少なりとも傷ついた。

恋愛の仕方が子供なのだろうか。恐らくそうなのだろう。
だが、それは認めざるを得ない。
こんな風に相手の事を考えるだけで胸が苦しくなるような恋愛をしたのは多分初めてで、私はどうしたら良いのかわからないのだ。
伝える以外の方法をしらない。伝えることしかできない。

「……エルヴィンさんって結構辛辣ですね。それとも、エルヴィンさんも店長のこと好きなんですか?」

せいぜい皮肉のつもりで、笑顔のままそう言ってやる。
エルヴィンさんはきょとんとした顔をしたが、すぐに破顔し、はははと大声を上げて笑った。

「ナマエ、面白い事を言うな。……以前にも同じことを言われたことがあるが」
「え?」
「いや、なんでもない。こちらの話だ」

そう言ってエルヴィンさんは笑ったまま、またコーヒーを啜った。




   

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