番外編 【Spin‐off】俺と彼女と彼女の話 ―前編―





【ご注意】

『メランコリック・ココア』本編終了後のお話です。
こちらはスピンオフ作品になります。
お相手はファーランです。リヴァイではありません。

夢主は、『メランコリック・ココア』本編に登場する
リヴァイの夢主とは別の人物になります。
夢主は子持ちです。子供は名有りです。
(子供の名前変換はできません)

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当スピンオフ夢主(お相手:ファーラン)の名前

メランコリック・ココア本編夢主(お相手:リヴァイ)の名前


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01




ナマエちゃんが渡米してから一年。
また春がやって来た。



渡米したナマエちゃんとは、メッセージのやりとりを時々している。
彼女は異国での留学生活を存分に楽しんでいる様子だった。俺も、そんな彼女の様子をスマホの画面から読み取り、微笑ましく思っていた。

ナマエちゃんとはメッセージのやり取りだけで、会ってはいない。彼女は今まで一時帰国をしたことが一回あるが、その時も会わなかった。
互いの都合が合わなかったのだが、仮に都合が合ったとしても、俺は会う勇気は出なかっただろう。
彼女を「ただの友達」として認識できるかどうか、自分自身に自信が無かった。



ナマエちゃんはこの国を出国する直前で、とうとうあのリヴァイさんとかいうおにーさんとくっついてしまった。
15も年が離れているらしいが、多分あの二人は上手くいく。
だってあの二人はすれ違いと遠慮で付き合うに至らなかっただけで、ずっと思い合っていたんだから。

ナマエちゃんからその報告を聞いたときには、ああ本当に他の人のものになってしまったという落胆が半分、でもこれでやっと俺もナマエちゃんを本当に諦められるという安堵が半分。
ナマエちゃんを友達だとは未だ思えない。でも、その準備は整った。
もうだいぶ小さくなって腹の奥底で燃えかすのようになっていた恋心は、そのうち体内に吸収され跡形もなくなるのだろう。
そんな気がやっとしてきていた頃だった。



* * *



ナマエちゃんが渡米したのと同時に、俺も彼女同様新生活を始めていた。
シーナ大の法学部を無事卒業し、シーナ大法科大学院へ進学したのだ。

俺の親父は弁護士で、ここから電車で小一時間ほどのところにある地元で小さな法律事務所を開いている。
特別弁護士になりたいわけじゃなかった。
でも、なんとなく親父の跡を継ぐんだろうな、と思っていた。

息子は俺だけだ。妹はいる。
もちろん法律事務所は妹が継いだっていいのだが、妹はまあその、学校の成績があまり良くなかった。司法試験を通るどころか、大学進学も危うい。というか、大学への進学自体興味がないようだった。
妹が弁護士になることは難しいだろう。本人も全くその気がなさそうだ。

大学で法学部だった俺は、法科大学院では既修者課程となる。
法科大学院には既修者課程と未修者課程があり、一般的な大学で法学を学んだ者(俺のように大学の法学部を卒業した者)は、既修者課程を履修するのが一般的だ。
既修者課程は二年コースだ。今一年終わって、残り一年。
このまま無事に修了すれば、司法試験の受験資格を手にできる。

まあ一発で司法試験に合格できるとは思っていないが、司法試験の受験資格は法科大学院修了から5年間有効だ。しばらくは親の臑を囓らせてもらいながら、5年間のうちになんとか合格すればいいだろう。
最悪5年で司法試験に合格できなかった場合でも、臑齧りを継続しながら予備試験(合格すれば司法試験の受験資格が与えられる試験)を受けて、一からまた司法試験を目指したっていい。

とにかく、のんびりいけばいい。俺はまだ若いのだから。
俺はまだ23歳、人生は長い。
まあ、大人になるのはできれば先延ばしにしたいというのが本音だ。



卒業が危うくならない程度に学業は真面目にやっていたが、友人と遊びもするし、バイトもしている。
バイトは、パチンコ屋のホールだ。大学生の時から、随分長いことこの仕事をしている。
パチンコ屋のホールを選んだのは、仕事内容の割に時給がいい。これに尽きる。
タバコの匂いも気にしないクチだ。俺は愛煙家である。



ある日、パチンコ屋からのバイトの帰りだった。

川に沿って、緩やかな堤防の下にある遊歩道を歩いていた。
桜の木が川に沿って何本も植えられたこの広い広く緩やかな堤防は、この街の民の憩いの場であり、桜が咲けば花見スポットとしても有名だ。人々は昼夜を問わずレジャーシートの上で花を愛でる。
夜になれば花を愛でているのか酒を楽しんでいるのかわからないどんちゃん騒ぎが繰り広げられるのが常だった。
もっとも、今年の桜は半月ほど前に散ってしまい、今は静かなものだが。

すっかり葉桜となった桜の木の下を、家路に向かって歩いた。
そこへ、聞こえた。

「くしゅん」

まるで猫がくしゃみをしたかのような小さな音。
あたりには誰もいないと思っていたから驚いた。

誰かいたかと思い辺りを見回すが、人影は見えない。
やはり猫だったろうかと思い足を進めようとすると、前方にある橋の下に人影が見えた。

――恐らくホームレスだろう。
橋の下は雨もしのげるから、この川沿いには少なくなかった。
だがしかし、ホームレスというのは、中年以上の男性が大半かと思っていたが、先ほどのくしゃみの主は明らかに男性ではない。中年以上でもない。

橋の下に近づく。
決してその人影が気になったから近づいているのではない。
家路がこっちなのだ、今から方向転換して橋の下を避けて歩くなどは、余計にわざとらしくてできない。
気まずいが、足を止めたらもっと気まずい。俺の足は橋の下にどんどんと近づいていった。

住所不定になるということはあまり恵まれた環境ではないのだろうが、うっかり憐憫の視線など投げかければ、却って失礼だ。
俺は橋の下の人影と視線を合わさないよう、まっすぐ前だけを見て歩いた。

「くしゅん」

だが、再びくしゃみの音がした。
反射で思わず人影の方を向いてしまう。

そこにいたのは、やはり男性ではなかった。中年でもなかった。



若い――いや、若すぎる。
おそらく自分より若いのではないだろうか。
橋の下で蹲っていたのは、中年とはとても言えない、うら若い女性だった。
さらに驚くことに、その懐には年端もいかない子供を抱えていた。小学生よりもまだ幼い。

若い女性が幼女を抱きしめて橋の下で震えているなんて。
現代のこの国では考えられないような光景に、俺は思わずぎょっとして立ち止まってしまったのだ。

立ち止まってしまったからには、無視はできなかった。

「……えっ、あの……大丈夫ですか……?
なんでこんなところに……?」

我ながら愚問だ。
子供を抱えて橋の下で震えていることが大丈夫なわけはないし、なんでこんなところにいるかなど、何らかの事情で住処がないからに決まっている。

「……あ、……ア、アパートを追い出されて……」

女性は固く幼女を抱きしめながら、上目遣いで俺を見ていった。その声は寒さのためかわずかに震えている。

「……でも、子供もいるのに橋の下は……あの、危険だし、夜はまだかなり寒いし……ネットカフェとか、行った方が良いんじゃないですか?あ、そっか、子供はネカフェ入れないんだっけ……」

言ってから、俺は何を阿呆なことを言っているんだと自分に呆れた。
ネカフェに子供が入れるかどうかが問題なのではない。
多分この人たちにはネカフェに入る金すらない。

「……お金、ないんです」

予想通りの回答が女性の口から出て、俺はそんな台詞を言わせたことに自己嫌悪した。



夜空に浮かぶ雲が動いた。
雲の陰に隠れていた満月が顔をのぞかせる。

橋の下の女性の顔はちょうど月光に照らされた。



若いと思っていたが、その顔は若いというより、幼い。
もしかしたら10代だ。
大きくて丸い目、焦げ茶色のロングヘア。身体の線は細く、痛々しいほどに痩せている。
その瞳はつぶらで、まるでいつかのCMに出てきたチワワのようだと思った。
てっきり抱きしめている幼女はこの女性の娘だと思っていたが、そうじゃない可能性が出てきた。例えば姉妹とか。

この状態で放っておくわけにはいかない。
俺は尻ポケットの財布を取り出し、中を見た。ちょうど給料日後で多少の潤いはある。
とりあえずこれでネカフェに泊まらせ――いやだめだ、子連れじゃこの時間入れない。
じゃあどこかビジネスホテルを探して――いや、待て。一泊させたところでなんの解決にもならないんじゃないか?
明日の夜を過ごす場所がこの二人にあるとは思えない。橋の下で眠るのが一日遅れただけになる。
だからって、この親子が何泊もできるほどの金は俺だって持ち合わせていない。

「……」

俺達は無言になった。



俺は、この二人を見捨てられない。



「あの、俺、ファーラン・チャーチって言います。シーナ大法科大学院の学生です。」

財布から学生証を出し、見せる。
これから言うことが常識から外れていることは百も承知だ。
少しでも真っ当に見えれば良いと、何か身分を証明する物と思い学生証を出したのだ。

「俺のアパート……近いので、来ませんか?」

女性の丸い目は、更に丸く見開いた。あまりに驚いているのか、返事もない。
自分で分かっていたことだが、俺の口に出した台詞はなんとも胡散臭くて、初対面の人間が言うようなものではなかった。
自分自身の発したその台詞が抱える後ろめたさが少しでもましになれば良いと、俺はぺらぺらと続けた。

「あの、俺一人暮らしです、申し訳ないけど……。初対面の男がこんなこと言うなんて下心と思われても仕方がないけど、そういうつもりじゃなくて。
こんなところに子供を眠らせるわけにはいかないし……」
「……良いんですか!?」

女性がうとうとした子供を抱きしめながら発した言葉は、思いがけないものだった。

警戒されるかと思っていたが、しかし彼女は心底ありがたそうな顔をした。
その声色には安堵がありありと表れている。
先ほどから俺と彼女が繰り広げている会話は、現代のこの国の情景からはおよそ離れている物だが、彼女は今確かに有り難がっている顔をしているのだ。

はい、と俺は橋の下の彼女に手を差し出した。
彼女は片手で子供を肩に担ぐように抱くと、空いた片腕で俺の手を取った。

ぐっと引っ張り上げ、子を抱えた彼女を立たせる。
彼女の身体は軽かった。まるで腕は鶏ガラのように細い。
彼女が着ているのはお世辞にもきれいとは言えない黒の長袖Tシャツとブルーのデニム、足下はボロボロのスニーカーだった。
担がれた子供のほうも、華美な装飾の一切ない服を着ている。肩に担がれたまますうすうと寝息を立てていた。

「こっちです」

俺は家路を指して歩みを進めると、彼女はその後ろにおずおずと着いてきた。




   

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