第十四章 いつかの四月





01




冷蔵庫からミルクとバター、棚からココアパウダーを出す。俺は小鍋を火にかけた。
ここはフライハイトじゃない。フライハイト二階の俺の自宅だ。



もうどこからどうみてもガキじゃなくなったナマエは、舌もそれなりに成長した。
特別好むというわけではないが、コーヒーも紅茶も無理せずに飲めるようにはなった。好んで飲むのはハーブティー。色々な茶葉を買って一人で試している。
だが、朝だけはココア一択だ。糖分が欲しいらしい。
俺は、ナマエにココアを淹れてやる毎朝の習慣を結構気に入っていた。
まるでナマエがガキに戻ったようで、愛しくてたまらなくなる。そんなことはまあ、滅多に言ってやらないのだが。

「おい、ナマエ、起きろ」
「んー……」

昨日と言うか日付が変わって今日なのだが、深夜3時くらいまで執筆していたのを知っている。
だが時計を見れば現在の時刻は既に8時を回っていた。可哀想だが起こさねばならない。

「おはようございます、リヴァイさん……」

もそ、と布団から頭だけ軽く擡げたナマエは、ベッドに腰掛けた俺の腰に擦り寄ってきた。
まだ頭は全然働いていないのにそうして俺に擦り寄るところが、無意識にやっているようで庇護欲をそそる。俺は左手で変わらず美しいナマエの金髪を梳いた。

「ああおはよう、ミョウジ先生」

作家デビューしたナマエを、俺は時々ミョウジ先生と呼んでやる。
その度ナマエはむずがゆそうな顔で「……やめてよ……」と弱々しく抵抗するのだが、その顔が見たくてやっている節もある。今も寝ぼけ眼のまま「……もう……」とだけ、力なく抵抗の言葉だけを呟いた。

「眠いだろうが、今日は出かけなきゃならねえだろ?」
「……そうですね……」
「顔洗ってこい。卵はスクランブルか目玉焼きか?」
「スクランブル……」
「わかった」

俺は梳いていたナマエの髪に軽くキスをすると、ベッドから腰を上げキッチンへ向かった。

夕食はだいたいナマエが作ることが多いが、朝食は俺が作ることが多い。元々料理は苦手ではないから苦にならない。
掃除も俺がすることが多いが、これも苦手ではないから苦ではなかった。



* * *



ナマエは宣言通り、留年することもなくストレートで大学を卒業した。
在学中は勉学に励む傍ら、日本語講師のアルバイトもしていたらしい。長期休暇時にはこの国に帰国することもあったし、俺がワシントンへ向かい、二人でアメリカ中の様々な都市を旅行したこともあった。
ナマエは文学を専攻するのかとてっきり思い込んでいたのだが、予想外なことにナマエはソシオロジーで学士を取って帰国した。もっとも、社会学は執筆に大いに役立っているらしい。

帰国後すぐにナマエはエルヴィンの会社で事務員として働き始めたが、それと同時に同棲を始めた。
四年なんて短い、そう思っていたが、やはり離れているよりも近くにいたほうが良いに決まっている。それは四年間で俺達が身に染みて実感したことだった。
四年間遠い地で離ればなれに暮らしていた俺達にとって、ナマエの帰国後すぐに同棲するというのは、至極自然な選択だった。

ナマエは会社員として働きながら執筆を続けた。
出版社へ持ち込んだり、新人賞へ応募したりしていたが、会社員三年目の時にとある出版社が主催した新人賞でグランプリを受賞した。それを切っ掛けに会社を退職し、念願の専業作家としての道を歩み始めたのだ。それがつい一年前のことである。
有言実行。夢を本当に手にしてしまうのだから、自分の恋人ながら大したもんだと思う。

ナマエの父親は最初こそ俺に対して良い顔をしなかったものの、ナマエがアメリカに旅立って数か月経った頃から交際に反対する節が見られなくなった。
それは母親の説得もあったのだろうが、何より大きかったのはナイルの援護だと思っている。あのうすら髭は、俺の車で言っていたことを守ってくれたのだ。
流石に「二人は前世から恋人云々」とは言わなかったようだが、それとなく俺が父親によく映るよう周到な根回しをしてくれた。正直言って、かなり感謝している。



* * *



「んー……美味しそう。リヴァイさんってスパダリですね」

洗面と着替えを終えたナマエが、フライパンで卵をかき回していた俺に後ろから抱きついた。

「……すぱだり?おい、若者言葉を使うんじゃねえ。俺が意味わかんねえだろうが」
「……若者言葉って言うか……」

ナマエは笑いながら言葉を濁した。俺からするっと離れると、食器棚からカチャカチャと食器を出し始める。
時々ナマエは俺の分からない言葉を使う。それはジェネレーションギャップによるものだったりもするし、俺が疎いネットスラングだったり、色々だ。
多種多様の本に埋もれて生きるナマエの語彙力は、俺の5倍はあるだろう。元来俺は口下手だし、ナマエはやはり作家先生なだけのことはあるのだ。



あまり大きくないダイニングテーブルに向かい合って座り、二人揃って朝食を取る。
スクランブルエッグ、サラダ、トースト。ナマエはココア、俺は紅茶だ。

出会った頃は、まさかこの家でこんな風にナマエと向かい合って穏やかに食事をとるのが当たり前の日常になるとは思いもしなかった。
高校生のナマエ相手に同棲はとても想像できなかったし、前世では、俺達の食事といったらもっぱら兵舎の食堂で、もちろん二人きりなどではなかった。
食事もこんなに豊かな物ではなかった。現代から考えればかなり質素な内容だったと記憶している。
二人で向かい合って豊かな食事をとる。こんなに有難くて幸せなことはない。

「……今日何の日か覚えてますか?」

パンをちぎりながらナマエは上目使いで尋ねてきた。

「ああ?……わからねえ」

一応は考えたのだがわからなかったので、正直にそう答える。ナマエはパンを手にしたまま悪戯っぽく笑った。

「今世で、私とリヴァイさんが初めて会った日」

ナマエの大きな瞳は笑ったことで横に潰れる。ふふ、と口からこぼれる笑みは嬉しそうだ。

「……知らねえ、覚えてねえな」
「ですよね」

さらりと返した俺に怒るわけでもなく、笑ったままでいる。
こういう記念日の類にナマエは寛容だった。俺達が二人揃って祝うのは互いの誕生日とクリスマスやら季節の行事だけで、それだって毎回豪華なプレゼントやサプライズを用意しているわけではない。ナマエも俺もそれで十分だと思っていた。

「高校の制服を来た私がフライハイトに初めて足を踏み入れて、リヴァイさんに『ナマエ!』って抱きしめられた記念すべき日なのに……
あーあ、覚えてたのは私だけかあ〜〜」

ナマエはわざとらしく残念そうな声を出す。

「仕方ねえだろ、こっちは何千年もお前と一緒にいるんだ。記念日も多すぎて俺の頭じゃ覚えるのは無理だな」

俺が言い返すと、ナマエは「それもそうですね」と、くふふと笑った。



こんな朝が、毎日……永遠に続けば良い。
いや、永遠に続くのだ。

人間の命に永遠はない。
いつかは俺も死ぬ。ナマエも死ぬ。
それは人間だから免れないことだ。
でも死んだって生まれ変わったって一緒にいられることを、俺達は身を以って証明した。

俺はナマエから永遠に離れられない。
ナマエも俺から永遠に離れられない。

――なんて幸せな拘束なのだろう。



「ドレスの試着は10時半の予約だろ?」
「はい」

食事を終えた俺はカップを煽り、紅茶を最後の一滴まで飲み干した。
ナマエの更にはまだサラダとパンが残っている。口ももぐもぐと動いていた。

今日は天気が良い、駅まで歩いて行こう。
ナマエと手を繋いで、互いの指を絡めて歩こう。
その指だって、俺達を離さない鎖になる。

「食べたらすぐ支度しろよ、ミョウジ先生」

俺はナマエより一足先に椅子から立ち上がり、まだ食事をしているナマエを見下ろして言った。
すると、ナマエはサラダの上のトマトをもぐもぐと咀嚼しながら、俺を見上げる。

「リヴァイさん、それは違う」
「何だ」

ごっくんとトマトを飲みこむと、ナマエは上目使いでにっと笑い、俺を見据えて言った。

「もうすぐ、アッカーマン先生」
「……そうだったな」



また俺達を繋ぐ拘束具が一つ増えるのだ。
婚姻と言う名の拘束具が。

一生離れない、俺達は拘束されているのだから。
来世も、そのまた来世も、そのまた来世だって、俺達は拘束されている。

――なんて、なんて幸せな拘束。



くっ、と笑って、ナマエの髪をぐしゃりと撫でてやった。





【メランコリック・ココア Fin.】




   

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