第十三章 また、四月





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ナマエが渡米する日。
この国で一番でかい空港に来た。
ナマエを見送るためだ。



前日、ナマエから電話があった。

『明日の見送りは……来なくていいです……てか来ないほうが良いかも』
『あ?なんでだよ』
『……パパが……きっと明日空港にリヴァイさんが来るだろうって……
それで、リヴァイさんが私にふさわしい人間かどうか見極めさせるって、親戚の伯父さんを呼んじゃってるの……』
『……あ!?』
『伯父さん、パパのお兄さんなんですけど……なぜかパパ、伯父さんに絶対の信頼を置いてるんですよね。警察官だからかな……?
見世物じゃないからやめてってもちろん言いましたよ!?でもパパ頑固だから聞いてくれなくて……』

俺は思わず、ふはっ、と電話口で声を出して笑ってしまった。

『いいじゃねえか、お前が頑固なのは父親譲りか』
『もう、笑い事じゃない……』
『俺は構わねえ、そんなこと。
お前の親戚だろ?どうせいつかお前と結婚する時には挨拶しなくちゃならねえんだ。ちょっと会うのが早まっただけだろうが』

そう言うと、受話器の向こうのナマエは黙った。
黙ったが、きっとその口元はほころんでいる。スマホの向こうの顔は見えないが、電話口から流れてくる気配でわかった。



広い空港だが、事前に航空会社と便名は聞いていたから迷うことはない。
指定されたターミナルの国際線チェックインカウンターを目指せば、すぐにナマエを見つけられた。見目麗しいガキはやはり人目を引く。
ナマエのすぐ横には両親が立っていた。百貨店で一緒に買ったでかいスーツケースはもう預けたのだろう、ナマエはショルダーバッグ一つの身軽な格好だった。
ナマエのほうも俺の姿を見つけるのは早かった。まだ俺達の距離が数十メートルも離れているうちから、ナマエは手を上げ俺にむかってぶんぶんと振った。俺はナマエの父母に会釈しながら近づく。

「ありがとう、来てくれて」

ナマエは少し緊張しているのか、頬をやや上気させていた。

「ああ。こんにちは、ご無沙汰しております」

俺はナマエの父母に向かって頭を下げて挨拶した。
父親のほうは「……ああ、どうも」と仏頂面だ。母親のほうは俺を悪くは思っていないようで愛想が良い。

「本当にねえ、1か月前挨拶に来てくれた以来じゃない。この人がいるからって遠慮しないでうちに来てくれて良かったのに」

そうニコニコしながら父親の肩をバンバンと叩いている。父親の顔はますます仏頂面になった。

「お前、友達も来るんじゃねえのか?」

ナマエの方を向いて尋ねると、ナマエは笑顔で答える。

「ううん、友達みんなに空港まで来てもらうのは大変だからお見送りは遠慮したの。その代わり、昨日の夜から今朝までずーっと夜通し遊んでました。卒業おめでとう&進学おめでとう&お別れパーティーってことで」
「そうか」

ナマエは笑顔だったが、確かに目の下にうっすら隈ができている。まあこの後12時間飛行機に缶詰めなのだから、機内でゆっくり寝られればいい。

「……あっ、来た!」

ナマエの父親が空港入り口の大きな回転扉に向かって手を振った。そして俺の方を見てふふふと意地悪気に笑みを浮かべる。

「アッカーマン君、ナマエの伯父を紹介するよ。私の兄で警察幹部の人間なんだ」

はあ、と曖昧に返事をした。
ナマエの父親は俺の事を「リヴァイ君」とは呼ばずに「アッカーマン君」と姓で呼ぶ。まあ、娘をこんなおっさんに取られてショックを受ける気持ちは想像に難くない。

「おーい!こっちだ!」

ナマエの父に呼ばれてやってきた、ナマエの伯父。それは――

「アッカーマン君、こちらは私の兄の……」

「……ナイル!?」
「リ、リヴァイ!?」

ナマエの伯父として現れたのは、うすら髭の憲兵団師団長、ナイル・ドークだった。



「「お、お前……」」

二人で声が揃った。
震える声も、互いを指す人差し指も一緒だ。
こんなにこのうすら髭と気が合ったことがあっただろうか。
いや、ない。この何千年間、こんなにこいつと気が合ったことはない。

「え……?リヴァイさんとナイル伯父さん、知り合い?」

ナマエがきょとんとする。ナマエの母も不思議そうな顔だ。父親に至っては、なんだ知り合いか、と思惑が外れて悔しそうな顔であった。

「あ、ああ……まあ……その、古い知り合いってところだ」

ナイルの取り繕った声に、ナマエはピンときたようだった。
元来ナマエは敏い。ナイルも「前世」で関わりのある人物なのだと勘付いただろう、ちらりと俺の顔を見た。俺も頷いてそれに応えた。

それよりも、ナイルが記憶を持っている。俺の顔を見て俺の名前が出てきたということは、そういうことだろう。

「おい……まあ、その……後で話そう」
「……ああ……」

ナイルと俺は気まずいというか照れくさいと言うか、妙な空気でそう言うにとどまった。



『AOT航空から出発便のご案内をいたします。
AOTワシントンD.C.行き、11時発7028便はこれより皆様を機内へとご案内いたします。
ご利用のお客様は保安検査場をお通りになり……』

ターミナル内にグランドスタッフのアナウンスが響いた。ナマエの乗る便だ。

「ナマエ、そろそろ行かないと」

母親がとんとナマエの肩に手を置く。うん、とナマエが頷いた。

「じゃあ、行ってきます。しっかり勉強してきます」
「ああ、行ってらっしゃい」
「身体に気を付けてね」

父母たちは口々にナマエに声を掛ける。

ナマエと目があった。

「……頑張れよ、待ってるから」
「うん」

俺の簡潔な激励に、ナマエは頷いて応えた。

四年は短い。それに長期休暇時には一時帰国もする。
だがそれでも、しばらく会えないと思えば離れ難かった。
本当は抱きしめてキスでもしたいところだが、この公衆の面前で、更に言えば父母とナイルの面前でとてもとてもできない。
俺は片手を軽く上げるにとどめ、ナマエを送りだした。
ナマエはしっかりとした足取りで、保安検査場へ向かっていく。

――と思ったら、保安検査場のゲート直前でナマエは突然停止した。ぐるりと勢いよく振り向き逆走し始める。

「ナマエ!?」

ナマエの父母は驚いた声を出したが、ナマエは父母を無視し、まっしぐらに俺に向かって突進してきた。

「おい、」

ナマエ、と声を掛ける間もなく、その白く小さな両手で俺は胸ぐらをぐっと引き寄せられ、唇を唇に押し付けられる。

「!?」

突然過ぎて歯がカチッとナマエに当たってしまった。
唇を力強く押しつけられたまま、俺は固まった。

ナマエの父親の視線が痛い。いや、母親の視線もナイルの視線も、公衆の視線も痛い。

しかし俺は無理にナマエを剥がすことはしなかった。しばらくこの唇の感触ももう味わえないかと思えば、勿体なくて剥がせなかった。
俺達はそのまま余りにも雑なキスをしていたが、数秒経ったところでナマエはようやく俺の胸ぐらを解放する。

「……おいてめえ」
「約束!」

自分が卒業式の日に学校の正門前でナマエにキスしたことは棚に上げ、恥ずかしいだろうがと文句の一つでもいってやろうかと思ったのだ。
だがナマエは、俺が言いかけた言葉に被せて大声を張り上げた。

「約束、守ってくださいよね!
私も守るから……絶対に、守りますから!」

そう言ったナマエはまるで怒っているかのように眉を吊り上げていた。
だが瞳には涙が浮かんでいる。
怒っているのではない、寂しさと不安を打ち消して強がっているのだというのはすぐに分かった。

ナマエとは真逆に、俺の頬は緩んでしまった。
こんな可愛い恋人が強がって涙を堪えているのを見て、頬の一つや二つ緩むのは致し方ない。

「ああ、俺は約束を守る。絶対だ」

そう言ってナマエを抱きしめる。安心してアメリカへ行けるように。

俺は命が尽きるまで、お前の事だけを愛していよう。
命が尽きても、あの世でもお前を想っていよう
約束だ、ナマエ。

うん、と頷いたナマエの目尻から涙がつっとこぼれたが、俺の着ていたシャツがその涙を吸い取った。

しばらくそうしていたが、ナマエは今度こそ俺から離れた。
胴体から順にゆっくりと離れ、最後にゆっくりと手が離れる。胴体から掌へ、掌から指先へ、俺達が互いに触れる面積はだんだんと小さくなっていく。
最後、中指の指先と指先が離れる時には、さすがに名残惜しかった。
真っ赤な目のナマエは俺に向かってにっこり微笑む。



ナマエは前を向いて歩き出した。
その背中はどんどん小さくなっていく。

安心して行って来い、ナマエ。
俺は約束を守る。



保安検査場に入るとナマエはとうとう見えなくなった。

ナマエが保安検査場に消えた後、俺とナマエの両親、そしてナイルは見学デッキに上がってナマエの乗った飛行機が離陸するまで眺めていた。



* * *



空港まで電車で来たというナイルを、俺の車で自宅まで送ってやることになった。

「……」
「……」

助手席に座ったナイルと運転席に座った俺は、しばらく無言だった。カーステレオから流れるFMの音だけが車内に響く。

「記憶があるってことだな……?」

先に口を開いたのはナイルだった。

「……ああ。てめえもだな、うすら髭」
「おいよせ、仮にも今世ではナマエの父の兄だ、俺は」
「は、そうだったな」

話したいことはたくさんある。だが何から話せばいいかわからない。きっとナイルもそうなのだろう。

前世では所属兵団が違ったこともあり、折り合いがつかないことも多かった。
だが、俺はナイルを敵だとは思ってはいなかった。エルヴィンを救ってくれたことも、ナマエを救ってくれたこともある。

「……エルヴィンに会わせてやる。なんの因果か知らねえが、あいつにも前世の記憶がある」
「エルヴィンが!?そうか……」

ナイルは嬉しそうな声を出した。

「リヴァイ……エルヴィンは……今世では幸せに暮らしているのか?」

ナイルの声色が、喜びからすこし憂いを含んだものに変わった。

前世での記憶があればそうだろう。俺達の前世を知っていれば、あの世界で共に生きた者が今世で幸せに過ごしているかがどうしたって気になる。
特にエルヴィン、あいつの前世を知っていれば尚更だ。

「……それは……てめえで確かめるんだな。直接会って、あいつに訊けば良い」
「そうか……それも、そうだな……」

ナイルは助手席に沈み、片手で髪の毛をくしゃりとした。
安堵の表情だ。

こいつはこいつで、エルヴィンの仲間だったのだ。
俺とエルヴィンとの関係とは違うが、確かにエルヴィンの仲間だった。

「……リヴァイ」

ナイルは俺に顔を向ける。

「何だ」
「お前は今、幸せか?」



幸せか?
少し前の俺ならなんと答えていたかわからない。
だが、今ならすぐに答えられる。
答えは一択だ。

「……当たり前だろ。幸せだ。クソみてえにな」
「はは……そうだな……ナマエに会えたお前が幸せじゃないわけがないな」

ナイルは苦笑した。ちらりと視線だけを向ければ、笑って顎が動くのに伴って、うすら髭も一緒に動く。

「安心しろ、ナマエの父親には俺から言っておく。
『リヴァイとナマエを離そうとしても無駄だ、どうやったって離れられない。あいつらは前世からずっと恋人同士なんだ』ってな」

ナイルの冗談めかした言葉を、俺はフンと鼻で笑った。




   

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