第二章 五月





01




「店長、好きです。付き合ってください」
「断る」
「どうして?彼女いるんですか?」
「いない」
「じゃあ何でダメなんですか?私のダメなところ教えてください。直します」
「別にお前に悪いところがあるわけじゃない」
「じゃあ、お試しでもいいです。付き合ってみてください」

ふう、と俺は呆れた目をナマエにやりながら、ため息をつく。
ナマエは、俺のため息など慣れた物だと全く意に介さない様子で、にこにこと人好きのする笑顔を向けている。
そして俺は、最後に悪態づくのだ。

「……てめえは何回も同じことを言ってんじゃねえ」

――ここまでの一連の流れがデフォルトだ。



ナマエが俺の店に通い始めて半月を過ぎたあたりから、2回に1回くらいの頻度で、俺に好意を伝えてくるようになった。
若く、俺から見ればまだ少し幼いナマエは、まるでブルドーザーのように好意をぶつけてくる。
その想いに応えて、こいつを精神的にも肉体的にも自分のものにしてしまえればどんなに楽かと思う。
だが、それはできない。



何回も「付き合ってください」「断る」のやり取りを繰り返し、ナマエがこの店に通い始めてから一月以上経ったある日のことだ。

「お試しでもいいです。付き合ってみてください」

いつも通りのナマエの台詞の後、通常だったらここで悪態づいて終わりだが、俺はいつもとは違う台詞を口にしてみた。

「お前は、俺みたいな年齢の男に触れ合う機会がねえだろ。せいぜいガッコのセンセくらいか?
おっさんが物珍しいから興味が湧く。その興味を恋愛と勘違いしているだけだ」

俺の言葉にナマエは少しむっとした顔をした。明らかに気分を害している。

「そんなんじゃありません。恋愛がどういう感情かなんて、私にもわかります」

食い下がるナマエに、俺はもう一つ新たな流れをぶっこんだ。

「……てめえは淫行条例ってのを知らねえのか」
「……は?」
「俺みたいな立派な成人男性がだな、18歳未満の青少年に手を出せばお縄になっちまうんだよ」

ナマエの眉毛はその台詞を聞いた途端下がり始め、不安気な顔になる。
その顔を見て俺は追い打ちを掛けた。これが止めになるだろうか。

「そもそもな、俺はガキは好みじゃねえ。好みでもないガキに手を出して逮捕されるなんざまっぴらだ」
「……」

ナマエは俯いて黙り込んだ。

もう言い返す言葉もないようだと思い――これでいいんだという安堵感と、自分自身の想いの芽を摘んでしまったという遣る瀬無さとが綯い交ぜになる。
だが沈黙の後、ナマエは俯いていた顔をぱっと上げた。カッターシャツの襟元に結ばれていた赤いリボンが揺れる。

「……わかりました!じゃあ、私、来月18歳になりますから!そしたらもう一回言います」

強く言ったつもりだったが、ナマエは堪えていないのだろうか。
また笑顔を浮かべて食い下がってくる。

「言わんでいい、無駄だ」
「何度断られても言いますから」

その笑顔での破壊力はなかなかのものだ。
俺の複雑な気持ちを「そんなもんは知りません!」と言わんばかりに蹴り飛ばす。

前世でもナマエは頑ななところがあったが、今世でもその傾向はあるようだ。
だが前世より幼いせいか、頑なになる方向が前とは少し違う。
とにかく、今世でもこいつは一徹な奴だった。



前世と今世のナマエは、同じ点ももちろんあるが、違う点もそれなりにあった。

前世と違う点で俺にとって大きかったのは、今世では両親に恵まれたようだ、ということだ。これには安堵した。

あの世界でのナマエは地下街に生まれ、幼少時に親に娼館に売られた。
だが今世では両親揃っていて、父親は聞けば一流企業の幹部らしい。母親は看護師をしているとか。
両親とも仕事が忙しく留守がちらしいが、きちんと愛情はもらっている片鱗は見える。
身だしなみも整っているし、所作もきちんとしており行儀が悪くない。
今どきの高校生らしく化粧はしているようだが、下品なものじゃない。きっときちんと大切に育てられた娘なのだろう。

前世と同じ点としては、その頭の出来の良さが挙げられる。あの世界ではエルヴィンと対等にやりあうくらいに頭がキレた。
学校での成績については、以前学年首席だと言っていたことがある。
そもそもマリア大付属高はこの辺じゃ一番の進学校だ。そこの学年トップだというのだから相当なもんだろう。
学業以外の面においても、気の利いた言い回しやそつのないやり取り、理解の速さなど、地頭の良さと対人スキルの高さを感じさせる場面が時々見られた。

だが、今世での恵まれた環境のせいだろうか。
17歳という年齢を考えれば自然なのだが、年相応に無邪気で純粋なところもある。そこが前世のナマエとは違うところだった。

至極当然だ。あの残酷な世界と、今世の平和な世界で育った人間の性格が全く一緒だなんてありえない。
今まで出会ったミケ、ナナバ、ゲルガー、そして記憶を持つエルヴィンでさえも、あの世界を生きていた時と比較すれば随分丸くなったと感じる。
自分自身のことはよくわからないが、きっと俺もそうなのだろう。

しかし俺は、前世で出会えなかったナマエの少女時代に会えたような気がして嬉しかったのだ。
前世でナマエと出会った時もナマエは17か18歳だったかと思うが、あの世界ではナマエは早く大人にならざるを得なかった。

「大人は辛い」のは、いつの時代もどんな場所でも同様である。
きっとこの平和な世界でも、こいつは成長していくにつれ何度も辛酸を舐める経験をしなくてはいけない。
そうすれば否が応でも前世で見たような聡明で狡猾なナマエになっていくのだろう。
そう思えば、無邪気で純粋な今のナマエが、愛しくて愛しくて堪らないのだ。



* * *



店長には、想いをぶつけるたびに軽くあしらわれていた。
それでも脈が全くないとは、どうしても思えなかった。

店長は私をよく見つめている。
話す時は素っ気ない声を出し無愛想な態度だが、私が勉強道具やタブレットに向かっている時にはこちらをじっと凝視している事、そしてその瞳に熱がこもっている事に、私は気づいていた。

もちろん、その瞳に込められた熱が私自身に向けられているものではないことぐらいわかっている。
私を通して『ナマエ』さんを見ているのだ。
誰かの代わりにされることに傷つかないわけではなかったが、最初は『ナマエ』さんの代わりでも良いと思った。
理由はどうあれ、店長が私のことを気になっているのはきっと事実なのだから。



いつものようにカランカランとドアベルの音を鳴らしフライハイトのドアを開ける。
中に入ると同じくいつものように店長の声がした。

「いらっしゃい」
「店長、こんにち……」

私はそこで声を止めてしまった。

珍しく――ここに通うようになってから初めてのことだが、他に客がいた。
カウンターの中の店長は、その客と話していたようだった。

がたいの良い金髪碧眼の男性だった。仕立ての良さそうなスーツをカッチリと着こなしており、髪の毛は横分けで整えられている。なんともお金持ちそうな雰囲気だ。
そう思った瞬間、ガタガタっと大きな音がした。
その男性がカウンターから音を立てて勢いよく立ち上がり、私を凝視したのだ。

初対面の男性から急に見つめられ、居心地の悪さを感じた。だがその男性がカウンターの真ん中に座り店長と会話していたらしいことから、店長の友人かもしれないと思い、笑顔を作って会釈をした。
私の会釈を見て金髪の男性ははっと我に返った様子で、すぐに笑顔で私に会釈を返した。

いつもカウンターに座っていたのだが、今日はこの金髪の男性がいる。
私がカウンターに座るべきかテーブル席に座るべきか迷いまごまごしていると、店長が声をかけてきた。

「何ぼーっと突っ立ってんだ。座れ」

そう言って、私がいつも座っているカウンターの端の席を顎でしゃくった。

「あ、はい……」

私は返事をしカウンターに向かう。金髪の男性は静かに椅子に座りなおした。

「いつもガラガラで人がいることほとんどないから、驚いちゃいました」

カウンター席に座った私が店長に向かってそう言うと、店長はふん、と鼻で笑った。

「失礼な奴だな、てめえ以外にも客はいる。ココアか?」
「はい」

以前ガキ扱いされてから、コーヒーも紅茶も飲む練習をしている。だが、まだ店長の前で美味しい顔をして飲めるほどには、その苦味に慣れていなかった。

金髪の男性は、私の注文が一段落するのを見計らって話しかけてきた。

「……初対面だというのに、不躾に見つめて申し訳なかったね。
彼から、この店の常連に高校生がいると君の事を聞いていたんだが、あまりに可愛らしいお嬢さんでびっくりしてしまったんだ」

そう言って親指で店長の事を指した。

「あ、いえ……可愛らしいだなんて……そんな」

金髪の男性は完璧な笑顔を私に向けてきたので、私も笑顔を作って答えた。
男性は大きな手を私に差し出す。

「私はエルヴィン・スミス。この店の近くの会社に勤めている。
彼とは……大昔からの友人なんだ」

私はエルヴィンさんの大きな手に自分のあまり大きくない手を重ね、握手した。

「初めまして、ナマエ・ミョウジです。マリア大付属高校三年です」
「ナマエ・ミョウジさん……ナマエとお呼びしても?」
「はい」
「ナマエ、よろしくな」

エルヴィンさんはそう言って再び笑顔を向けてきた。

初対面の男性にいきなりファーストネームで呼び捨てにされるなんてあまり経験がないが、不思議とエルヴィンさんに呼ばれるのは嫌な気持ちはしなかった。

それにしても、なんとも爽やかな笑顔である。
店長と全くタイプは違うが、この人も相当な色男だ。




   

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