第十章 一月、二月





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12月26日未明、店長の自宅を一人去った後のことだ。

タクシーを路地に止めてあるなんて、もちろん嘘だ。寧ろ私は、渋滞にはまったタクシーを乗り捨てて、走って店長の家まで行ったのだ。
私は店長が財布を取りに部屋の中へ戻った隙に、全速力でその場を去った。

あんな深い時間に自宅を訪れたのは私だ。
でも、『ナマエ』さんを想って私を抱きしめた店長とこれ以上二人っきりでいるのはごめんだった。



最寄駅までまたブーツで走り、駅に着くと既に0時半を回っていた。
22時前からダイヤが乱れていたはずだが、運転再開後はきっとかなり間引いて運転したのだろう。終電までには時刻表通りの運転に持ち直したようで、ダイヤ通りの0時25分を以って、私の自宅方面へと向かう終電は発車してしまっていた。反対方面への電車は、もっと早くに終了している。

電車がもう発着することのない駅は閑散としており、駅構内にもほんの数人しかいない。
私がほぼ毎日使っている駅は、いつも私が見ているものとは全く違う、深夜の表情だった。

電車がないなら仕方がない。
またタクシー乗り場へ並ぶと、今度はほとんど待たずにタクシーに乗れた。

雪の中を傘も差さずに30分ほど走り続け、汗を掻き、更に何度もやってきた頭痛と吐き気に耐えているうちに、すっかり疲弊し体力を奪われてしまっていたようである。
私は後部座席でピクリとも動かず、ただ無言で座席に沈み込んでいた。
タクシーの運転手が私に何か話しかけていたようだが、会話に応じる気力もなかった。
はあ、とか、そうですねえ、とか当たり障りのない生返事を数回返した記憶はあるが、運転手が何を話していたのかは全く覚えていない。

家に着き、玄関で濡れたブーツと吐瀉物で汚れたコートを脱ぐ。
普段なら絶対にこんなことはしないが、ブーツは揃えることもせず脱ぎ散らかしたまま、コートもハンガーに掛けず廊下に放り投げたままだ。
私は手も洗わないまま二階の自室へ這うように移動し、なんとかスウェットの上下に着替えるとベッドに潜り込んだ。



疲れた。

でも、多分、良い日だったのだろう。



店長の誕生日に、『ナマエ』さんの思っていることを伝えられた。
――そして、『ナマエ』さんではなく、私自身の口からもおめでとうを伝えられた。



一つ、心に刺さっている棘がある。
ファーランさんのことだ。

いつから私に好意を抱いていてくれていたのかは分からないが、私を友人としてではなく、女性として認識してくれていたというのならば。
店長を好きな私がそうであったように、私を好きなジャンがそうであったように、ファーランさんは辛かったはずだ。
私はファーランさんを大いに傷つけていてしまっていたはずだ。
申し訳ないことした。

どうして私は、自分を好きになってくれる人を好きになれないんだろう。
でももう一生、店長以外の人を好きになるのは無理だろうな。

ベッドの中でとろとろと微睡み、数分後、私は意識を手放した。



頭を雪で濡らしたまま、そして汗を掻いたまま長時間放置していたことが悪かったのだろう。
朝、起床してあまりの体調の悪さに気づいたのだが、私は発熱していた。

私は両親がハワイから帰国するまでの3日間を、トイレ以外はほとんど自室のベッドで過ごした。シャワーもなんとか一回、まるで行水のように簡単に浴びただけだ。
食事はほとんど喉を通らなかったが、キッチンの収納庫には運良くスポーツドリンクの買い置きがあったのでそれを飲んだり、パンを少しだけかじったりして3日間をやり過ごした。



不思議なのは、12月25日には何回も私の前に現れた前世の記憶が、翌日以降ぴたりと姿を見せなくなったことだ。吐き気もない。
頭痛はある。が、これは風邪によるものだ。流石にそれは区別がついた。

前世を知りたい。過去を知りたい。
何を見せられたって耐えてみせると思っているのに、それは全くやって来ない。
こちらから向かう術を知らないから、先方からやってこない事には打つ手がない。

この18年間、全然、全く、影すら見せなかった前世の記憶。
今年の……店長と出会った年の12月25日に突然姿を見せ、私を衝き動かしたのだ。
そして用が済んだら……26日になってしまえば、もう必要ないと言わんばかりに再びどこかへ引っ込んでいった。
私の願いとは裏腹に姿を見せる気配もない。私の脳もなかなか傲慢である。

私は前世を思い出す術もなく、もちろん『ナマエ』さんになれることもなく、『ナマエ』さんに近づくことすらできず。
ただ3日間、ベッドで頭痛と悪寒と倦怠感に耐えていた。

12月29日に帰宅した両親は、憔悴しきった私を見て、慌てて病院に駆け込んだのだった。



* * *



年が明けて、新学期。
友人たちと交わす挨拶が「おはよー」ではなく「あけおめー」である点以外は、昨年と何も変わらない教室の風景だ。
ただ、私の心持ちだけが昨年と違う。

年末に引いた大風邪は、帰国した母親の看病もあり何とか旧年中に完治させた。
新年が明けて体調が戻った私は、両親と真剣に進路の相談をした。
私はそこで初めて、エルヴィンさん以外の人に「作家になりたい」という夢を打ち明けた。
両親は私の夢に驚きはしたようだったが、非現実的だと頭ごなしに否定することはなかった。

そして私は進路を決めた。

マリア大には、行かない。



「本当にいいのか?ミョウジ。
まあ……お前の成績ならどこの国だって進学には問題ないだろうが……ずっとマリア大文学部が志望だったんだろ?」

放課後、職員室で進路変更の申し出をした私に、初老の担任はそう声を掛けた。
教師にとっては、生徒はマリア大に内部進学させてしまうのが一番楽だろう。手っ取り早いし、余計な手間も発生しない。
だがこの初老の担任は、そういった利己的な理由で私に問うているのではない。

担任についてだが、以前夏休み明けに成績を急激に落として呼び出された時には「上っ面な正論を吐いて」と忌ま忌ましく思っていた。
だが、今はそうは思わない。
この人はこの人なりに、私よりもいくらか多く生きている人生の先輩として、アドバイスをしてくれているのだろうと素直に思えるのだ。
担任の態度が変わったわけではない。私が変わったのだ。
以前の私は人のことをあまりに穿った見方をしていたのだろう。もしくは、私が色眼鏡をかけて人を見ていたのだろう。



あのころの自分はあまりに自暴自棄だった。
人をたくさん傷つけて、自分自身の心と身体もたくさん傷つけた。でもそれを全て通り過ぎた今、人の善意を素直に信じることができる。

「先生、ご心配ありがとうございます。でも私良く考えたんです、自分の将来のことを。
私、どうしても今……若いうちに視野と見聞を広めておきたくて」

将来作家になる夢は諦めていない。
寧ろ、両親に打ち明けたことで更にやる気が出た。

夏の文芸誌に載せた小説をかき上げた後は、ずっと書く気が起きずにしばらく執筆から離れていた。
だが、冬になったころからだろうか。やはりどうしても書きたいという欲がむくむくと湧いてきて、今はまた勉強の合間を縫って少しだけ書いている。
文芸部も引退した今、どこにも掲載する予定のない物語だが、いつかどこかで発表出来たら良い。

だが書けば書くほど痛感するのだ。
今の私では、見聞が足りな過ぎる。



有難くも比較的裕福な家庭に生まれ、18年間ずっと親の庇護の下生きてきた。
両親との旅行以外では、国外に出た事もない。それどころか、一人暮らししたこともない。アルバイトの経験すらない。
今私が知っている世界は、家と、学校と、この町。それだけだ。
私は、もっともっと広い世界を知りたい。
知識はそのまま書くことに繋がる。私は実経験からそう信じていた。

別にこのままマリア大に進学したって悪くはない。
きっと国内の大学でも色々な経験はできるだろう。大学を卒業してから大学院に進んだって良い、違う大学に入りなおしても良い。国外の大学だってもちろん可能だ。
何歳になったって学ぶことはできる。学ぶことに年齢制限はないのだから。
でも、今。
10代はもうすぐ終わる。10代はきっと、特別だ。
きっともう子供じゃない。でもまだ大人でもない。
私は、完全に大人になってしまう前の残り僅かな時間を、悔いの無いように自分のできる精一杯で、思いっきり知識を吸収したいと思ったのだ。
知識と経験を求めて新しい環境に身を置く。それには、高校卒業というのは申し分ないタイミングだった。



「そうか……まあ、ご両親も応援してくださっているなら問題ないな。
きっとミョウジにとって良い経験になるはずだ」

担任は優しい笑みを浮かべる。
白いワイシャツ、グレーのスラックス。夏休み明けに職員室へ呼び出された時と大差ない服装だ。夏休み明けと違うのは、ワイシャツの上にグレーのジャケットが羽織られている事ぐらいで。

あの頃、洋服に意味なんてないのかもしれないと思っていた。
大人はすぐに洋服を脱ぐと思っていた。そして私もすぐに洋服を脱いでいた。
今となっては支離滅裂な思考だと思う。

洋服にはきっと意味はある。
だって、この担任の纏っているグレーの地味なジャケットとスラックスは、この人の顔をこんなにも穏やかに見せている。
こんなことにすら、あの頃の私は気づかなかったのだ。

「ナマエ・ミョウジ、4月に渡米、語学研修。9月より正規学部生としてジェラルド・マスターズ大学に進学予定、と……」

担任はそう言いながら、個人指導用ファイルにすらすらと書きこんでいく。

「先生、急な変更で申し訳ありません。お手数お掛けします」

頭を下げた私に、担任は椅子の肘掛けに肘を置いてハハハと笑った。

「いやいや、生徒の進路のことだからね、なんてことはない。
まあ学年首席がマリア大に進学しないというのは、学園的にはかなり痛手だろうがな。君自身の将来だ、君自身が決めた道に突き進みなさい」

60代の担任は、こうやって何度も生徒を様々な進路に送り出してきたのだろう。
私は失礼しますと告げて、退室しようと出入り口の方へ向いた。

「ミョウジ」
「はい?」

担任に呼び止められ、私は足を止めてもう一度彼のほうを向く。

「何かあったのか?長い事調子悪かったみたいだが……冬前くらいから調子を取り戻したようだな」

この人にはお見通しなのだ、私が心身ともにめちゃくちゃに乱れていたことなど。
何百人、何千人と高校生を見てきたこの人にしてみれば、私の変化はとてもわかりやすかったのかもしれない。
私は体ごと担任の方に向き直り、姿勢を正した。

「……大切な友人や後輩が私のことを支えてくれました。
だから立ち直れたのだと思います」
「そうか」

皺だらけの目尻がゆっくりと下がる。嬉しそうに。

「今のお前なら、どんな進路に進んでも安心だよ」

担任は、もう行っていいぞと私に優しい声を投げる。
私は今度こそ、失礼します、と職員室を後にした。



* * *



マリア大への内部進学は、普段の定期テストの成績と、年明けすぐに校内で行われた統一試験の成績を合算し、その数値で合否が決まる。

1月下旬、マリア大を内部受験した者の合否が発表された。
私の友人達は全員無事に合格を勝ち取っていた。
合格した者は、ここでマリア大への進学を最終決定する。それを以って進路決定となるわけだ。
私も統一試験は受けたから、一応合否は判定された。もちろん合格していたが、進路を変更した私はその合格を蹴ることとなったわけである。
突如進路を変更した私に友人たちは驚いていたが、皆応援してくれた。



2月頭。
この国には米国への留学を斡旋する財団法人があり、私はそこを通して書類審査と筆記試験を受けた。
結果は見事合格。まあどうやら、希望する大学がよほど自分のレベルとかけ離れたものでなければ、大抵は合格できるようになっているらしい。
しばらくすると合格証が発行され、それを以って諸々の手続きを行う。2月中は煩雑な手続きを漏れなく進めることに必死になった。
無事に手続きが完了したとの知らせが来たのが2月末日。
友人たちから約1ヶ月遅れで、私の進路は正式に決定した。



4月から、アメリカだ。




   

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