第九章 十二月





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午後7時。現れたファーランさんはデニムにモッズコートという、こちらも至極カジュアルな格好だった。
私はあまりにカジュアル過ぎる(というか適当過ぎる)格好をしてきたことに内心小さな不安を抱えていたから、心の中だけでほっと安堵の息を吐く。
だがファーランさんは、まるでモデル張りの端正な顔立ちとスタイルの良さの持ち主だ。カジュアルな格好であっても、敢えてラフに着崩しているかのようなおしゃれ上級者に見えてしまっていた。

二人でも何度か行ったことのあるファミレスで食事をし、私は約束していたケーキをデザートに頼んだ。
ファーランさんは、デザートは注文しなかったが、ドリンクバーのジュースを飲みながらにこにこと私が食べる様子を見ている。

ファミレスの中は閑散としていた。
いつもはこんな食事時であれば、家族連れやカップル、友人同士で混み合っているものだ。今日は大学生と見られる若者が数組だけである。
ファミリーでクリスマスを祝うのであればホームパーティーをするだろうし、カップルがクリスマスにデートするならばこういうファミレスはあまり相応しくはない。
それに、クリスマスのイベント自体はイブである24日に済ませてしまって、散財した後の今日は自宅へ引きこもっている、という者も多いだろう。

「ね、美味しい?」

満足そうにケーキをつつく私に、頬杖をついたファーランさんが訊いた。

「美味しいです、食べに来れて良かった。
このケーキ、クリスマス仕様だから今日までなんですよ。明日からはお正月バージョンの和菓子になるの」
「そっか。じゃあ、そのお正月バージョンもまた食べに来たら良い。奢ってあげるよ」

ファーランさんはにこにこと笑顔を浮かべたまま言う。

「……あんまり、毎回奢られるのは……」

口に入っていたケーキをごくんと飲み込んで、私はもごもごと抵抗した。

今までだって、ファーランさんに食事をご馳走されそうになったことは何度もあるが、だいたい私が遠慮していた。今日はファーランさんの頼みに応えた対価として奢る、ということなので、ありがたくご馳走になっているが。
ご馳走されてばかりでは対等な友人でいられない気がしたからだ。

「気が進まない?じゃあ割り勘で」

端正な顔がケラケラと笑う。

「……」

ファーランさんは優しすぎる。
私は黙り込んでしまい、ただただケーキをつついていた。

「ね、この後予定無いよね?」
「え?はい」
「夜何時が門限?」
「ちょうど今、両親が結婚20周年記念の旅行に行っていて、29日まで帰ってこないんです。門限を咎める人はいないから、まあ終電で帰れれば大丈夫」
「えっ、本当!?」

「終電」のワードに、ファーランさんの顔がぱっと輝く。

「じゃあさ、これから海浜公園のツリー見に行かない?イルミネーション、今夜いっぱいなんだ。明日の朝になるとイルミネーションは消えて、昼にはツリーも撤去されちゃうんだよ」

海浜公園のツリーはこのあたりでは多分一番立派なツリーだ。
朝の情報番組やワイドショーなんかにも度々取り上げられており、この町の人間なら知らない者はいない。毎年12月頭には、芸能人を呼んで盛大に点灯式をしている。

「ね、良いでしょ?俺何にもクリスマスらしいことしてないしさ、何かしときたいんだよね。ナマエちゃんも模試終わったんでしょ、後は冬休みじゃない。
……ていうか、マリア大に内部進学なら普段の成績でほぼ合格決まるようなもんなんでしょ?一般受験するわけじゃなし、慌てて勉強しなくても大丈夫なんじゃないの」
「うん……それはそうなんだけど」

わたしはフォークを握ったまま、曖昧に返事をした。

マリア大への内部進学は、普段の定期テストの成績と、年明けすぐに行われる統一試験の成績が半分ずつで合否が決まる。
はっきり言って、確かに慌てて勉強せずとも私の成績なら間違いなく合格だ。
だが私は、12月に入ったあたりから違う進路を考え始めていた。まだ親以外、誰にも言ってはいない。

「……ファーランさんのほうは良いの?卒論。忙しいんじゃ?」
「俺は年明け8日が提出締切なんだけど、もう書き終わったようなもんだよ。教授のお墨付きももらったし、あとはプリントして製本して提出するだけだから余裕」

俺結構要領いい方だから、とケラケラ笑い、ドリンクバーのジュースをストローで啜る。
白い喉仏がごくりと動くと、ファーランさんはグラスをタンとテーブルに置いた。

「ね?決まり!行こう!」
「う、うん」

ファーランさんに半ば押し切られるような形で、私達はファミレスを後にした。



* * *



クリスマスツリーのある海浜公園は、ファミレスから電車で数駅だ。

海浜公園のツリーは、毎年北国のとある村から生木が寄贈されているらしい。12月の頭、朝の情報番組で紹介していたのを覚えている。
今年のツリーは高さ15m弱、樹齢は35年だと、確か女子アナウンサーが可愛らしい声で言っていた。

駅から海浜公園までの道は、ごった返した……というほどではないが、ツリーを見に行く者、あるいはもう見てきて駅へ戻る者で、そこそこに混んでいた。
私とファーランさんは公園に向かって歩く人の波に混じり、その波のペースに合わせゆっくりと歩いた。
道路に面している小売店や飲食店からはBGMとしてクリスマスソングが流れており、否が応でもクリスマス気分に浸れてしまう。

海浜公園に着くと、入口の時点で巨大なツリーの姿が遠目にもわかった。絢爛豪華な装飾とその巨体は、全力で自身を主張している。
私とファーランさんは、ツリー目指して人の波に乗りながら進み、ツリーの周りをぐるりと取り囲んでいる人垣の一番後ろに立った。二人で並んで煌びやかなツリーを見上げる。

15mのクリスマスツリーは、てっぺんからつま先まで、色とりどりのLEDライトで覆い尽くされ、LEDライトの隙間を金色と銀色のオーナメントが埋めていた。球体のオーナメントの他に、プレゼントを模した立方体の形の物、雪の結晶の形の物もある。

今日がこのクリスマスツリーに灯りが点る最終日ということもあり、ツリーの周りは見物客でごった返していた。
辟易してしまうような人混みだったが、このツリーの美しさは、その人混みの分を差し引いても見る価値がある。
今年も例年の姿に負けず劣らず美しい。
中学生くらいまでは両親と一緒に見に来たこともあるが、ここ数年は実際に見に来ることも無かった。
久しぶりに肉眼でこのツリーを見たということもあるのかもしれないが、その華麗さと艶やかさ、そして存在感は圧倒的だ。

「……すっごいなあ……」

すっかりツリーに心を奪われた私は、思わず感嘆の声を漏らす。

「ね、すごいよね……」

隣でファーランさんも呟いた。

ずっとツリーを見上げていた私がふと隣に目をやると、ファーランさんはツリーではなく私を見ていた。

「ん?……何?」
「俺、ナマエちゃんと見に来れて良かった」

笑顔を浮かべたファーランさんは、ツリーに顔を向け直す。



大きなツリー。絢爛豪華な、立派なツリー。
こんな大きなツリーは兵舎には無かった。そもそも確か、ツリーを飾る風習なんてなかったはず。
それを……なんだか掘り返した木を持ってきて……
兵舎の談話室に置いて……



ヘイシャ?
ヘイシャって何だっけ?
……兵舎?

ツリーを見上げていた私の頭がずきんと痛んだ。
視界がぐらりと歪む。

「……っ」

突然の襲ってきた頭痛。思わず額を右手で押さえつける。

「……ナマエちゃん?どうしたの?」

気づいたファーランさんが、訝しげな声を出した。



『――さん、何ですか?この木は』
『北の方の風習でさ、こうやって木に飾り付けをして冬の到来をお祝いするんだって。このトロスト区じゃあまり見ない習わしだけど、ユトピア区なんかではみんなやっているらしいよ。
この木は――が運んでくれたんだけど』
『ああ、流石に骨が折れたぞナマエ。髭と髪の毛がこの木の葉っぱに絡まってな……数本抜けた』
『まったく分隊長は……言い出したら聞かないんですから』
『良いじゃないか!冬は――調査もない、犠牲が出ない季節なんだし……私は今年も生き残ったことを、皆でお祝いしたいんだよね』
『もう……――さん、団長の許可は取ったんですか?』
『そんな物は事後報告しておけばいいさ。それに、12月25日は――の誕生日じゃないか。冬の到来と――の誕生日、一緒にこれで祝えば良いだろう?』

おかしな服を纏った数人。
メガネを掛けた女性と、その女性にくっついている優男と、髭の大柄な男性。
この光景は、どこで見た?こんな場所、私は知らない。
でも確かに「ナマエ」と私の名を呼んでいる。



「うっ……っ!」

ガツンと頭を鈍器で殴られたような衝撃が走った。ズキズキと頭は激しく痛み続ける。
なにこれ、こんな頭痛知らない。こんな風になったことない。

「ナマエちゃん?どうしたの!?」

ファーランさんがそう言っているのが、遠くの方でわずかに聞こえる。おかしい、ファーランさんはすぐ隣にいるはずなのに。



『まったく分隊長は……言い出したら聞かないんですから』

ブンタイチョウ?ブンタイチョウって何……?

『冬は――調査もない、犠牲が出ない季節なんだし……』

……よく、聞こえない……何の調査?
私達……何を調査していたの?

『団長の許可は取ったんですか?』

ダンチョウって……団長?
この声……この台詞、私が言ってるの?
何の団なの……?



頭の中が、まるで脳みそ中のありとあらゆる引き出しをひっくり返したようだった。
私の記憶は散らかり、収拾がつかない。

私は、何を思い出しているの?
これはいつのことなの?



ザザッと視界が乱れ、場面が切り替わる。

『――人類に、大きな敵のいる世界だった』

この声は知っている。店長だ。
この場所も知っている。フライハイトだ。

『今でいう……軍隊に、所属していたんだ。
俺は兵士だった。
ナマエも兵士だった。
俺達は同じ兵団に所属し……共に戦った。
――仲間だった。
人類は自由と平和を手に入れるため、大きな敵に立ち向かったんだ』

春の頃、フライハイトで店長から聞いた話だ。
覚えている。

最初は信じていいのかよくわからなかったが、今ならわかる。
店長の持っている記憶は全て真実で、前世の私は店長と共に兵士として戦ったんだ。



現代の記憶と、きっと現代じゃないであろう記憶が混じりあい、私は混乱した。
頭痛がひどい。両のこめかみが、ガンガンと響く。



これ、私の前世の記憶だ。

自然とそう思い至った。




   

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