第九章 十二月





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12月に入り、世間が一気に年末の気配を増したある日曜日。
俺は店を休業にして、郊外の大型ショッピングセンターに来た。
もともと土日は店を開けたり開けなかったりだ。周辺のオフィスが休みだから、ランチに来る客もほとんどいない。

家族連れやカップルで賑わうショッピングセンター。12月の日曜日はとにかく混んでいる。
クリスマス、そしてその後にやってくる年末年始に向けてこの大商戦を勝ち抜こうと、ショッピングセンターに入っているテナントはどこも必死の形相だ。
あまりの混雑ぶりに、平日に来るんだったと後悔した。

今日の目的は、ショッピングセンター内に入っている大型のインテリアショップだ。
フライハイトでは毎年11月の中旬くらいから、120cmの中型ツリーを店内に置いている。しかし昨日、ツリーに巻いていたLEDライトが壊れてしまったようで突然点灯しなくなった。
光らないツリーというのもどうにも恰好がつかなかったため、買い出しに出てきたのだった。



目的の物を無事に調達すると、まっすぐ帰るべく俺は屋上の駐車場へ向かおうとした。
時刻は午前11時。これから昼飯を食う客がやってきて更に混むだろう。その前に退散するべきだ。
だが、ふと思い立ち、俺は駐車場へ向かっていた足を方向転換させた。帰る前に行っておこうと便所に立ち寄った。

用を足し、手を洗っていたところで、視線を感じた。不審に思い蛇口を閉め、顔を上げる。
鏡越しに目があった。前世での大切な仲間の顔を見たくないと言ったら嘘になる、だが決して見たかったわけでもない顔。
ファーランだった。

「おにーさん、久しぶり」

ファーランは鏡越しに目を合わせたまま、俺に声を掛けてきた。
俺は洗った手をハンカチで拭くと、ファーランの方を向き直る。相変わらずの色男だ。

「こんなところで会うなんて偶然ですね」
「……全くだ」
「今日俺、ナマエちゃんと一緒に来てるんです。ナマエちゃんも今トイレ」

ファーランから発せられた言葉に反応してしまった。
目を見開きファーランを凝視する。

「やだな、怖い顔」

俺の顔を見て、ファーランは苦笑した。

ナマエがファーランと一緒に来ている?
日曜日に、こんなショッピングセンターに、それはデートということか?
ジャンと付き合っていたんじゃなかったのか?
俺の脳内では疑問がぐるんぐるんと回った。

「まあ、まだ付き合ってるわけじゃないんだけどね」

まだ?まだとはどういうことだ?
俺の脳内には疑問がまた一つ増えたが、ファーランはそんなことにはお構いなしに次の言葉を紡ぐ。

「俺、ナマエちゃんと友達になりました」
「……は……?友達……?」
「そう、友達。セフレじゃなくてね。ちゃんとした友達。悔しいけど……今のナマエちゃんは、俺と付き合う気はないみたいだから。
なんか、同じ高校の彼氏とも別れたみたいだよ。ナマエちゃんのほうから振ったみたいだけど。……あっ、ここまで教えてあげることなかったかな」

一人で勝手にペラペラ喋った後に、ファーランはしまった、という顔をした。

同じ高校の彼氏と別れた……つまり、ジャンと別れたということだろう。
ジャンはナマエのことが本気で好きだったと聞いている。それに、ナマエのほうから振ったということは、上手くいかなかったのだろうか。
「友達」とわざわざファーランが言うということは、ジャンと別れてファーランと付き合い始めた、というわけでもなさそうだ。しかし、二人で出かける仲ではある、ということなのだろう。

「俺ね、まずは真っ当な友達として、ナマエちゃん支えてあげようと思って。今日も、昨日校内模試が終わったっていうから息抜きに連れだしたんだ。
最初っから彼氏ポジション狙って攻めても、ちょっと難しそうだったからさ」
「……なぜ、俺にそんな事を言う?」

俺の声から出たのは、どすの利いた低い声。ファーランの軽やかなそれとは対照的だ。
ファーランのことは前世での大切な仲間として認識しているが、ナマエとの関係を嬉々として応援できるほど達観してはいない。

「あれ?知りたいかと思って。
俺が何でナマエちゃんとこんなデートみたいなことしているか、気にならなかった?」

美しい顔が微笑んだ。
ファーランは、男の俺から見ても、整った顔立ちだと思う。長身でスラリとしていて、流行の服を着こなしている。
こいつなら女なんて選びたい放題だろうに、何でよりによってナマエなんだ。

「お兄さんがナマエちゃんのこと大切に想ってるのはきっと本当だと思うから、教えてあげただけ。
俺だってナマエちゃんのこと本気で想ってるから、お兄さんの気持ちはまあ分かるよ」

黙りこくって一言も発しない俺に、ファーランはその端正な顔を向けた。俺の目を見据える。

「宣戦布告だよ。俺はナマエちゃんの気持ちを必ず俺に向ける」

はっきりと、意志を持ったその瞳。
本気だとわかった。

「……」

答えることができない。

何と答えれば良いのか。自分じゃナマエを幸せにできないと分かっているのに、そのくせナマエがジャンと別れたと知れば、喜んでいる自分が確かにここにいる。
何度も何度も潰したはずのナマエへの想いは、ちょっとしたことで簡単に息を吹き返してしまう。

「ああ、戦う意志の無い相手に宣戦布告は必要なかったか」

ファーランは、黙りつづけている俺に向かって笑う。
さぞかし腰抜けだと思われているのだろう。実際、腰抜けだ。

「じゃね」

ファーランはそう言って、トイレの奥へと進んで行った。



トイレを出て、屋上の駐車場へ向かってエスカレーターを上っていた時だ。
ふと、エスカレーターの上から吹き抜けの店内を見下ろせば、先ほどのトイレの前あたりの通路でファーランとナマエが合流しているのが見える。
遠目だが、ナマエの姿ははっきりと目に入った。
ニットのワンピースに、黒いタイツ。手にはコートを抱えて持っている。
ファーランと合流したその顔を見れば、笑みが浮かんでいた。

一目で分かった。以前のナマエと全く違う。
顔色が良い。そして、目にも生気がある。
俺が最後に見た、あのまるでヤク中ではないかと見紛うようなナマエではなかった。
春の頃に見ていたような、生き生きとした若者らしいナマエだった。

『まずは真っ当な友達として、ナマエちゃん支えてあげようと思って』

さっきのファーランの台詞が蘇る。

ファーランがナマエを支えて、元の健康的な姿に戻したのだろうか。
だとしたら。
ファーランがナマエの隣にいれば、ナマエは幸せになれるのだろうか。

そこで俺は思考を止める。
思考を止めたところではっと気づいた。いつの間にか、買ったはずのLEDライトを持っていない。恐らくトイレの洗面台に置いてきた。

チッと舌打ちをし、踵を返す。
俺はいちいちナマエのことで動揺している自分に辟易としながら、ファーランもナマエもいなくなったトイレへと向かった。



* * *



エルヴィンがフライハイトに顔を出したのは、クリスマスの数日前のことだった。前回から約1ヶ月間が空いている。

「久しぶりだな、今日は一人か」

俺はカウンターの中からエルヴィンにコーヒーを出しながらそう声を掛ける。今回はアルミンを連れてこなかった。

「アルミンにはアルミンの生活があるさ。いつも私に付き合わせるわけにもいかない。それに」

エルヴィンはそこで言葉を途切るとコーヒーの湯気の香りを堪能した。一しきり鼻から香りを吸い込むと、再び口を開く。

「またアルミンがお前に怒鳴られたんじゃ、アルミンに申し訳ないからな」
「……」

前回、アルミンの口からナマエとジャンが付き合い始めたことを聞いた俺が、動揺のあまりにアルミンに大声を出したことを指している。

「……あれは悪かった」
「いや、アルミンは色々と事情もわかっているから、気にしてはいなかった」

エルヴィンはコーヒーを啜る。ず、という小さな音が聞こえた。




   

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