第七章 十月





03




* * *



ファーランさんと連絡先を交換して以来、時々メッセージアプリで連絡が来る。
内容は他愛もない会話だったり、会わないかという誘いだったりした。誘いがくれば、自分の都合が付けば会うこともあった。
だが、もうそれもしてはいけない。
今日、私は初めて自分からファーランさんに連絡を取る。



ファーランさんを、以前一緒に行ったことのあるチェーンのコーヒーショップへ呼び出した。学校へ突然やって来たファーランさんとその足で入ったコーヒーショップである。

「ナマエちゃんから連絡くれるの初めてだね?」

ファーランさんの声色は明るい。微笑んでいるその顔はやはり端正だ。ソファに腰掛けた彼は、やや前かがみの姿勢で肘を両膝の上に載せ、両手を組んだ。

「はい、すみません。卒論でお忙しいのにお呼び出しして」

私が改まって答えると、ただ身体を重ねるために呼び出したわけではないと気付いたのだろう。ファーランさんの顔から笑顔が消えた。

「……何かあったの?」
「はい、個人的なことなんですけど、きちんとお伝えしておかなければならないことがあります」

ファーランさんは、うん、と小さく相槌をして聞く体勢に入った。
私はキャラメルフラペチーノを一口だけ飲むと、プラスチックのカップをテーブルの上にとんと置いた。背筋を伸ばし姿勢を正す。

「私、彼氏ができました。だからもう、ファーランさんとは会えません。連絡もしません。」

私がそう言うと、ファーランさんの涼しげな目はみるみるうちに丸くなった。

「……は?はあ!?……彼氏!?」
「はい」
「え、あのおにーさんと付き合うことになったの……?」

俺焚き付けちゃったかな、とファーランさんは口に手を当てて何やらぶつぶつと言っている。

「違います。あの人には全く相手にされていませんから。同じ学校の後輩です」
「……えー……や……まじで……」

ファーランさんは口に当てていた右手を今度は頭部に当て、自身の髪の毛をぐしゃりと掴んだ。無造作に、でも計算してセットされていただろう髪の毛が崩れる。

ファーランさんの反応は思ってもみない物だった。
もっとさらっと、例えば「そっか、じゃあ最後に一回やっとく?」とか言われるものかと思っていた(もちろんジャンときちんと交際を始めた今、そのつもりは無かったが)。なんなら、「良かったじゃん!おめでとう!」などと喜んでくれるかもしれないなんて思っていたのだ。
このように狼狽した反応はまったく予想外で、こちらも戸惑ってしまう。

「えー……でもさ……ナマエちゃんが好きなのは、あのおにーさんでしょ?
好きじゃないのに付き合うの?大丈夫、それ?」

ファーランさんは引き攣ったような笑顔で、私にそう問いかける。

好きじゃないのに付き合う、と言っても、ファーランさんにも付き合おうと言われたことがあったはずだ。ファーランさんだってその時私のことが好きだったわけではなく、惨めな私を可哀想に思ってくれただけだった。
最初はそれほど好きじゃなかったけど、付き合ってみてその中で恋心を育んでいく。そんなのは良く聞く話だし、私が目指しているのは正にそれだ。付き合っていくうちに、だんだんジャンを好きになれたらいい。

「大丈夫。相手の人は私のこと真剣に想ってくれているみたいだし……私もそれに応えて、普通で正しい恋愛をしようと思うんです。高校生らしい恋愛を」

私はファーランさんの目を見据えた。口調は明瞭だったと思う。

「私、彼のこときっと好きになれると思う。自分にベクトルが向いてくれている人の事を好きになるのって、とっても合理的で無駄がないし」

うん、と自身で納得して頷く。言葉にしたら、より一層そう思えた。

「……そうか、わかったよ」

しばらく無言だったファーランさんはそう言うと、両手で顔を覆い、ソファの背もたれに大きく凭れた。

「まさか……横から掻っ攫われるとはね……」

顔を覆う両手の隙間から零れた言葉の真意はよく理解できなかったが、もう理解する必要もないだろう。
この人に会うこともきっともうないのだ。私は彼に対してきちんと感謝を伝えなければいけない。

「ファーランさん、今までどうもありがとうございました」

ソファに座ったままだが、深々と頭を下げた。

「ファーランさんには、出会ったその日から面倒くさい事いっぱいお願いしてしまって……。親切にしてくれて、本当に嬉しかったです」
「……もう会えないみたいに言わないでくれる?」

ファーランさんは両手で顔を覆い背もたれに凭れたまま、そう言った。手で顔を覆っているせいで声がくぐもっている。

「もう会いません。ファーランさんと一緒にいるのは心地よかったし、ファーランさんには感謝しかないけど。
私、きちんと一人の人と交際してみようって……誰にも後ろめたくない堂々とした恋愛をしてみようって思うから」
「いや」

ファーランさんの声が私の声を遮った。
顔を覆っていた両手を外し、背もたれからゆっくりと起き上がる。両手の指を膝の上で組んで、私を見据えた。

「ナマエちゃん、多分俺達また会うよ」
「……は?」
「これ言うの二回目だけど、覚えてて。
ナマエちゃん、もし駄目になったら俺のところにおいで」
「……」

私は返事ができなかった。
なんだかジャンと私は上手く行かないと予言されているみたいで、愉快な気分ではなかった。
だが、ファーランさんの声は何かを確信したように、とても明瞭だった。

彼の予言なんて、気にしない。
私は健全な恋愛を、高校生らしい恋愛を、普通の恋愛をするんだ。

「ファーランさん、本当に今までどうもありがとうございました。
さよなら。元気でいてくださいね」

そのままソファから立ち上がり、ファーランさんに改めて一礼した。
出口に向かって歩き出す。だが店を出る手前で、後ろから大きな声が飛んできた。

「ナマエちゃん!」

私は足を止め振り向き、彼を見る。

彼と目があった。
――笑っている。

「またね」

私は彼の言葉には返事をせず、そのままコーヒーショップを後にした。




   

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