言えずのハッピーバースデー




 一月三日。
 私は一人、予備校の自習室でスマホと睨めっこしていた。
 今日は龍也くんの十八歳の誕生日。
 幼なじみの彼には毎年「お誕生日おめでとう」のメッセージを送っているが、今年は送るか送るまいか、かれこれ一時間以上悩んでいた。

 メッセージを送れずにいる理由がある。
 昨日――一月二日だが、日本の某所で大きな地震があった。



 年明け早々の災害は大変な騒ぎとなった。昨日のテレビは、正月特番を返上しての緊急報道番組ばかり。
 震源地は高知(ここ)から離れた場所だったが、テレビが映すのは瓦礫と煙の非日常で、この日本で災害が起こっているという現実をまざまざと思い知らされた。
 地震発生から二十四時間以上経った今では、テレビも少し落ち着いている。震源地付近では違うのだろうが、高知では正月特番も復活し、地震関連の報道は画面上にL字で表示されるだけになった。

 地震そのものが、龍也くんにメッセージを送れない理由ではない。高知では電波も問題なく通じているのだから。

 今朝、龍也くんちの前を通ったら駐車場の車がなかった。だが空なのは駐車場だけで、家の中には人の気配がある。
 恐らく龍也くんのお父さんが地震の対応で出動したのだ。
 車に乗って基地に向かったのだろう。誕生日の龍也くんを一人残して。



 彼のお父さんは自衛官で、そして彼も自衛官を目指している。龍也くんは仲間内でただ一人、進学先に防衛大学校を選んだ。

 彼が防大を目指すと知ったのは夏のことだ。それまで彼が防大に行くだなんて思いもしなかった。
 小学校の時からずっと、十年以上も一緒にいたのに。
 自衛官についてほとんど知らなかった私は、防大についても全然知らなかった。
 調べて愕然とした。
 偏差値以前に、あそこは志と覚悟がないと入れない。私が入れる学校ではない。
 あの夏から、私と龍也くんの距離は、ほんの少し遠くなっている。



 防大の入試は十二月中に終わっているけれど、私達のように一般大を受験する者は、これからが入試本番である。センター試験は来週末だ。
 そんな状態で龍也くんが友達に声を掛けるとも思えない。多分彼は今、家で一人きりのはずだ。
 もう私も龍也くんも十八歳で、誕生日に一人で寂しいなんて口に出す年齢じゃないけれど、きっとこういうのは理屈じゃない。
 誕生日の息子を一人にさせるほうだって辛いに違いない。親になったことはないがそれくらいは想像がつく。

 その上で彼は、父親と同じ道を目指している。
 残されるほうの感情を全て理解して尚、残すほうになるというのだ。

 だから彼を祝うことに躊躇した。何も理解していない私が今の龍也くんを祝うなんて、なんだか烏滸がましい気さえしていて。
 自衛官のことも自衛官の家族のことも当事者として理解している一人きりの彼を、部外者の私が祝うだなんて。



 でも、わかりたいと思っているのだ。龍也くんのことも、龍也くんが進む道のことも。
 この先私達の道は分かれる。それでもだ。

 行こう。そう決めて、私は予備校を飛び出した。



 * * *



 龍也くんちは、私の家から徒歩で十分くらいのところにある。
 古ぼけたチャイムを押すと、ガラガラと玄関の引き戸が開き、厚手のパーカーを着た龍也くんが現れた。

「どういたが?」
「あけましておめでとう」
「ああ……おめでとう。だからどういたがよ」

 吐く息が白い。二人の吐いた白が、かわるがわるに玄関先に浮かんで消えた。

「ねえ、上がってもええ? 冬季講習の帰りなんやけど、通りがかったきなんとのう声かけてみた」
「はあ? おんし余裕やな? センター試験直前だっていうがに、俺んちで遊んじゅう暇なんてあるがか?」

 龍也くんは思いっきり眉間に皺を寄せる。

「うち今親父がおらんで一人なんやけど……」

 そのまま渋い顔で言い淀むから、家に上がるのを拒否されているのかと胸が痛む。
 だが一拍おいて、龍也くんはぽりっと頬を一つ掻いた。

「……それでも良ければ上がれよ」

 そう言って、玄関の引き戸を大きく開けてくれた。



 * * *



 広い居間のこたつに潜り込むと、途端に二人の距離が縮まったみたいな気になる。まるで、何も考えていなかった小学校の頃に戻れたような。

(わり)いけんどうち何にもねえぞ……みかんしか」

 襖が開いて、台所にいた龍也くんがお盆にカゴ盛りのみかんと湯飲みを二つ載せてきた。

「ありがと。みかんもええけんどこれも食べよ、()うてきたき」

 私が差し出したコンビニ袋の中を見て、彼の目が瞠られる。

「……」

 黙ったままの龍也くんから目を逸らすように、私はテレビのチャンネルをパチパチと変えた。敢えて賑やかなお笑い番組にする。まだ震災報道のL字は出ているが、画面中央では漫才師が掛け合っていた。

 コンビニ袋の中身は、大量のスイーツだ。ショートケーキはもちろん、シュークリーム、プリン、大福、棚で目についた物を片っ端から買った。
 だってこんな田舎じゃ、三が日はケーキ屋も休みである。バースデーケーキの代わりのつもりだった。

「なんか……なんとのう甘いもんが食べたくなって。お年玉もろうたし気が大きゅうなって、色々()うてしもうた」



「なんとのう」だなんて。口に出してから後悔した。
 何を取り繕っているんだろう。素直に「お誕生日おめでとう、ケーキの代わりだよ」と言えば良かったのに。
 素っ気ないふりをしたって、頭の良い彼にはバースデーケーキの代わりだとバレているに決まっている。

 黙ったままの龍也くんが静かにこたつに足を入れた。
 彼の靴下が偶然私の靴下にちょんとぶつかって、足がわずかにピクリと跳ねる。必死に何食わぬ顔を取り繕った。



 どうしてお誕生日おめでとうって言えなかったの。
 どうしてメッセージだけにしておかなかったの。
 どうして彼のテリトリーに土足で入るようなことをしたの。
 どうして。どうして。

 沈黙が重くて、後悔が押し寄せてきた。テレビ画面から目が離せない。
 画面の向こうでは爆笑が起こっているのに、私は一つも笑えず、頑なにテレビ画面を睨み付けていた。



「……ありがとうな」

 長く長く感じた沈黙を破った、ぽつりと呟くような声。
 反射で龍也くんに振り向くと、彼は照れくさそうに笑って、コンビニ袋からイチゴのショートケーキを取り出す。

「やっぱこれがえいな」

 コンビニ袋の中で、一番誕生日のケーキらしいそれを選んでくれた。



 きっと伝わっている。
 自分でも理解しきれないぐちゃぐちゃな私の気持ちの全ては伝わるはずもないけれど、それでも一番大切な部分はきっと伝わっている。
 どうやったら違う道を進む彼の隣に立てるのかはまだわからない。でも、彼を想う気持ちだけは確かだ。



 龍也くんに「おんしはどれを食べるがよ」と促され、シュークリームを一つとる。
 テレビからはやっぱり大爆笑が聞こえてきたけど、もうテレビに目は向けず、向かい合っておやつを食べた。
 私達が互いに目を合わせておやつを食べたのはとても久しぶりで、きっとあの夏以来のことだった。





【言えずのハッピーバースデー Fin.】
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