サンドリヨンの憂鬱 01




・このお話はネームレスです。
・付き合っているNONAMEリヴァイ×社会人夢主。
・作中でNONAMEの曲名をお借りしています。曲名に著作権はございませんが、作者や作品に著作権を侵害する意図はございません。





サンドリヨンの憂鬱





 珍しく都心にも雪がちらついたその夜。
 12月25日、クリスマスだった。

 予約していたスーパーのクリスマスケーキと、ファーストフードのパーティーチキンを引き取りに行った帰り道。彼と並んで歩いていると、ある一点に目が奪われた。
 歩道に面しているチェーン店の靴屋、その道路側へせり出している最前面の棚に飾られているハイヒール。
 私は歩道の上で思わず足を止め、そのまま棚へと吸い寄せられた。

 黒いエナメルのハイヒール。
 ポインテッドトゥが美しく、八センチのヒールが凜と佇んでいる。思わず手にとってみればアウトソールは薔薇のような真紅だった。

 頬が紅潮したのがわかった。
 一目惚れ、だったのだろう。



「……欲しいのか?」

 その声に、我に返る。
 ハッとリヴァイさんを振り返れば、ちらちらと舞う雪が彼の頭の上で溶け、艶やかな黒髪の上に水滴がキラキラと光っていた。
 私は彼にケーキとチキンを持たせたままハイヒールに夢中になってしまっていたのだ。

「あ、ごめんごめん! 早く帰ろう、雪降ってきたね」
「珍しいじゃねえか、お前が靴を見て立ち止まるなんて」

 うん、と曖昧に頷き、ハイヒールを棚に戻す。

 普段から服や靴にお金はかけていない。新調することもあるが、それは使っている物が痛んだからという理由であり、流行のデザインを手に入れるために服や靴を買うということはほとんどなかった。
 着飾ることが特別嫌いというわけじゃないが、衣食住のうち衣ばかりにお金をかけてはいられない。
 零細企業の事務職である私は、お給料がそんなにいいわけでもない。一人で食べる分にはなんとか足りるのだが、自分の物を買うよりもリヴァイさんを支えたいという気持ちが大きかった。



 学生時代の先輩であり、恋人でもあるリヴァイさんは、NONAMEというバンドのボーカルをしている。
 音楽活動をしていても、学生の終了と共に活動からは距離を置き企業に就職する者が多い中で、NONAMEはそうではなかった。プロのミュージシャンを目指すと決めた彼らは、フルタイムでの就職をしなかったのだ。

 NONAMEは古参ファンも多く、ライブハウスが埋まる程の人気はあった。だが未だデビューはしていない。
 レーベルからいくつか話はきているらしいが、まとまっていないようだ。デビューしていないということは、いくら界隈での人気があっても「アマチュアバンド」である。
 当然、音楽活動での収入は多くない。チケット代のバックや物販での収入があっても、アマチュアだから必要経費は全て自分達持ちだ。結局収支にしてみると大した稼ぎにはならない。だからリヴァイさんは、音楽活動の傍らアルバイトをして生計を立てていた。

 リヴァイさんはどんなに経済的に厳しくても、決して私に金の無心なんてしない。同棲しているが生活費は折半だ。
 だが私が勝手に彼を支えたくて、自分の財布から二人分の食材や消耗品を買ったりしていた。彼が、金銭的な不安に脅かされることが少しでも減るように。安心して音楽活動に勤しめるように。
 今日のケーキとチキンも私が勝手に予約したもので、でもこれは恋人として当然のことだ。今日12月25日はクリスマスだが、彼の誕生日でもあるのだから。ケーキの上のプレートは、「Merry Xmas」ではなく「Happy Birthday」である。



「その靴、欲しいんだな」
「あ、いいの本当に……ちょっと見てただけで」
「履いてみろよ」

 リヴァイさんは棚からハイヒールを手に取ると、スタスタと店内に入り試着用のマットの上へと置く。そこまでされて拒否するのも気まずくて、私も店内に入り試着用椅子に腰掛けた。
 履いていたぺたんこのパンプスを脱ぐと、ストッキングを纏った足に彼の手がそっと触れる。

「……っ」

 くすぐったいようなむず痒いような。
 跪いて黒いハイヒールを履かせるリヴァイさんは、モッズコートとデニムというごくカジュアルな格好だったけれど、私には王子様に見えた。

「どうだ?」

 黒いハイヒールは、するりとはまった。
 まるで足に吸い付くようで。

「……すごい、ぴったり」

 サイズは合っていた。驚くほど丁度良く。
 椅子から立ち上がりコツコツとマットの上で足踏みをしてみても、踵が浮くこともなく足も痛くはない。インソールのクッションはよく効いているし、ヒールも細さの割に安定していた。
 タグを見ればMADE IN CHINAと記載がある。値段を見ても間違いなくチェーン店向けの大量生産品だろうが、そもそもの造りが悪くないのだろう。

「じゃあ買ってやる」
「えっ!? いや、いいよ!」

 椅子に座ってハイヒールを脱ぐやいなや、リヴァイさんはそれをレジへと持っていってしまった。
 チェーン店向けの大量生産品といっても、一万円弱。ハイヒールとしては安い部類に入るけれども、今の私達にとってはそんなに安い買い物ではない。
 何より今日はリヴァイさんの誕生日だ。私へのプレゼントを買わせるのはおかしい。

「本当にいいって、リヴァイさん……」

 慌てて追いかけレジの彼に耳打ちするが、結局リヴァイさんは自分の財布を出して買ってしまった。



 会計を終えると、先ほどちらつき始めた雪が少し大きくなっていた。

 リヴァイさんの手には、ケーキとチキンの他に、靴屋の黄色いビニール袋が追加された。
 申し訳なさのほうが勝り眉尻が下がってしまう私を見て、彼は苦笑する。

「笑えよ。喜んで欲しくて買ったんじゃねえか」
「でも……今日はリヴァイさんの誕生日なのに」
「いつも支えてくれてありがとうな。今の俺にはこんな安物が精一杯で悪いが」

 精一杯なのはよく知っている。
 彼が昔から優しいことも、心から私を想っていてくれることも。

「……ありがとうリヴァイさん。すごくすごく嬉しい。大切に履くね」

 差し出された黄色いビニール袋を両手で受け取ると、リヴァイさんは満足げに口角を上げる。
 そのまま私はチキンを持つ逞しい腕にひっつき、二人並んで小さなアパートへと帰った。
 雪片はやがて大きくなり、家に着く頃にはぼたん雪となっていた。



 それが、二年前のクリスマス。
 一番幸せな、12月25日の記憶だ。



 * * *



『それでは歌っていただきましょう! NO NAMEで『跪け 豚共が』です! どうぞ!』



 テレビから流れてくるのは派手なドラムとギターの音、そして――

『跪け、豚共が』

 聞き慣れた彼の声の直後に、割れんばかりの黄色い歓声が被さる。



 12月25日。テレビ欄はクリスマス特番で埋まっている。

 しんと冷えるリビングに佇む大型テレビに映るのは、『ヒットミュージッククリスマスライブ2021』。今日クリスマスの夜、夜七時から三時間ぶっ通しで放送される音楽特番だ。
 今年の音楽シーンを彩ったアーティスト達が一堂に会する、年末ならではの豪華な音楽番組。
 リヴァイさんのバンドNO NAMEは、昨年に続いて二回目の出演である。

 今年も、去年も、リヴァイさんの年末年始は慌ただしい。とにかくクリスマスから年末年始にかけては音楽特番が多いのだ。それも生放送が多い。
 この時期は家にもほとんど帰ってこない。いつ寝ているのだろうかと不安になるが、私にできることは何もない。せいぜいメッセージアプリで体調を気遣うことくらいだ。

 テレビの向こうの彼は、何千人という聴衆の声援を受けている。
 私はそれをぼんやりと眺めながら、一人ケーキとチキンをつついていた。スーパーのケーキと、ファーストフードのチキンだ。

 ケーキとチキンと、そして私だけが、二年前から取り残されている。



 二年前の12月25日、ハイヒールを買ってもらった後二人でアパートへ帰り、クリスマスとリヴァイさんの誕生日を一緒に祝った。
 その後年を越したのだが、年を越すと同時に突然物事がスムーズに回り始めたのだ。
 老舗のメジャーレーベルから連絡があり、好条件での契約を持ち掛けられた。そしてその1月のうちに契約が結ばれ、NONAMEのメジャーデビューが決まった。それはもうトントン拍子に。
 まるで錆び付いていた歯車に、大量の油をぶち込んだみたいだった。

 もともと根強いファンを持っていたNONAMEは古参のファンに支えられ、その上テレビ出演を果たすと新規ファンも大量に獲得した。所属した事務所も力を入れてプロモーションしていたようである。
 そして彼らは、あれよあれよという間に全国ツアーを果たし、ヒットチャートを賑わせた。この二年間でNONAMEは急斜面を駆け上がるようにビッグになっていった。
 もうNONAMEは「無名(NO NAME)」ではなかった。

 もちろん私も、メジャーデビューは喜んだ。テレビ出演も全国ツアーも喜んだ。
 NONAMEが今までやってきたことがやっと報われたのだ。リヴァイさんの歌声がやっと世間に認められたのだ。嬉しい気持ちに嘘はない。
 だがその一方で、急すぎる環境の変化についていけない自分もいた。



『こんな狭いアパートじゃなくて、もっと広いマンションに引っ越そう』
『セキュリティもしっかりしていないといけない』
『お前も忙しいだろうし、家電は最新の物に』
『もう決めてきた』
『マスコミに見つかるとうるせえから、外で会うのはしばらく控えたい』
『悪いな、今は忙しい。これで美味い物でも食ってくれ』



 リヴァイさんは有名人になった。
 喜ばしいことだ。音楽で食べていくという彼の夢が叶ったのだから。

 彼の愛が消えたとは思わない。今までと変わらず私を愛してくれているのだと思う。
 だからこれは、私の本当に勝手な、ただの我儘なのだが。

 心にぽっかりと穴があいたみたいだ。







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