------------------------------
俺の誕生日を祝うという名目の宴席は、21時頃お開きとなった。
散々騒いで食い散らかした奴らには掃除を命じたが、一応明日の朝掃除の具合をチェックしないといけないかもしれない。
それにしても、今年も贈り物やらなんやらたくさん貰ってしまった。まあとにかく、仲間が盛大に祝ってくれるというのはむず痒いが、幸せなことだとは認識している。
明日の命が保証されていない調査兵団だ。だからこそ、誕生日は目出度い。生を与えられたことと、その生をまた一年繋げられたこと。この壁の中で、生に対する有り難みを一番理解しているのは調査兵団かもしれない。
「彼女が間に合わなかったのは、残念だったな」
俺の隣で廊下を歩くエルヴィンが含んだ口調で言う。
「彼女」が誰のことを指しているのかはもちろんわかる。エルヴィンの代わりに、今日王都に行かせられたナマエのことだ。
実際には俺とナマエは、ただの「兵士長と分隊長」というだけの関係で特別なものは何もない。だが、エルヴィンを始めとしてミケもハンジも、なんだか俺とあいつの関係を面白がっている節がある。
「ナマエのことなら、宴席には間に合わないかもしれないが、今日中には必ず帰ると言っていたぞ。そのうち帰ってくるだろ」
「……え?」
俺は前を向いたまま言うと、エルヴィンは少々驚いた声を出した。滅多にそんな声は聞かないので、俺もついエルヴィンを見上げる。エルヴィンは目を丸くしていた。
「リヴァイ、それは恐らく無理だろう。お前外見ていないのか?」
「……あ? 外?」
見ていない。なんせずっと兵舎の中にいた。色んな奴らが取っ替え引っ替え俺を取り囲むもんだから、窓すらほとんど見ていない。
廊下の窓から外を覗くと――
「……なんだこりゃあ……」
もう真っ暗で視界が悪いが、それでも分かる。外はとんでもない吹雪だ。地面も真っ白だ、一体何センチ積もったのだろう。
こんなに雪が降るのは珍しいことだし、南のトロストでこれなら王都側はもっと降っているかもしれない。
「この天候では帰ってこられないだろう。残念だが、彼女との逢瀬は明日以降になるな。私が王都へ行かせておいて申し訳ないが」
にやついたエルヴィンの顔を睨み付け「逢瀬ってなんだ逢瀬って」と毒づけば、涼しそうな顔で笑うのみだ。
------------------------------
居室に戻り、灯りを点す。
今日は特に冷える。薪代が勿体ないからあまり暖房はつけないが、今夜ばかりは暖房が無くては凍えてしまう。俺は暖炉に火をくべた。
――今日ナマエに会えないことに、ひどく落胆している自分がいた。
正直、自分で自分に驚いている。
宴席は楽しませてもらったし、もちろん有り難かった。たくさんの奴らに祝われて、俺みたいな人間に勿体ないくらいだとも思っている。
だが、今日はあいつに会いたかった。
あいつが俺のために見繕ってくるという贈り物が楽しみだった。いや、贈り物そのものが楽しみだったわけじゃない。
俺を思って物を選んでいるあいつを想像すれば、俺の胸は温かくなった。どんな顔をして俺に贈り物を渡すのか想像すれば、楽しみで仕方なかった。
しかし、確かにこの天候では無理だ。王都でもう一泊したか、もしくは途中で足止めを食らってどこかの町で宿を取っているかもしれない。
宴も終わった。ナマエが帰ってこないならもう起きている理由もない。
風呂にでも入って久しぶりにゆっくり寝るかと、引き出しのタオルを取り出し――そこで、はたと思い至った。
あいつは、本当に帰ってこないのか?
俺の知るナマエは、優秀な兵士だ。
兵士の基本、上意下達を忠実に守る。今まであいつは、命令に背いたことも約束を破ったこともない。
「お誕生日中に必ずお渡ししますね」
数日前の台詞が、頭をよぎる。
俺はタオルを仕舞うと、ハンガーに掛かっているロングコートを引っ掴んだ。
------------------------------
「お願い、もう少し……頑張って…… 」
私はだいぶ速度の遅くなった馬を必死になだめすかし、なんとかトロスト区までたどり着いた。
ここから兵舎まで馬を走らせれば、通常時で20分もかからないが、この天候と馬の疲労度では30分は軽く越えてしまいそうだ。
悴んだ手でポケットの懐中時計を取り出す。23時10分。本当にギリギリに兵舎に戻ることになりそうだ。
ここに辿り着くまでに、一回落馬した。馬が雪に足を取られ、バランスを崩したのだ。
この足場の悪さでは馬もスピードを出すことができないため、それが幸いした。鐙から上手く足を外すことができ、馬も私も大事に至らず済んだ。
落馬のせいで、私のコートは雪と泥でぐちゃぐちゃに汚れている。兵長が褒めてくれた白いストールも、すっかり汚れてしまった。
だがそんなことはどうでも良かった。今は早く兵舎に帰って兵長の顔が見たかった。
綺麗好きな兵長だから、お部屋へ向かう前に一先ず着替えだけして行こう。プレゼント、喜んでくれるだろうか。いや、兵長ならきっと喜んでくれる。きっと無愛想な、でも優しい目をしてくれる。あの穏やかな顔をしてくれる。私は、兵長のあの顔が見たいのだ。
彼を想えばどうしても早く兵舎に着きたくて、私は再度馬の腹を蹴った。もう疲労困憊の馬だが、それでも多少速度が上がる。
やっと兵舎が見えてきた。雪が睫毛の上に積もっているせいで視界が悪いが、見紛うはずもない。あれは調査兵団兵舎の正門だ。
思わずほっとため息をつき、瞼を一度閉じる。瞼を開くと睫毛の上の雪が少しだけ解け、視野が少々拡がった。
が、私はぎょっと目を見開いた。
正門前に、人影がある。この吹雪の中何をしているのだろうか。というか誰だろうか。
ザシュ、ザシュ、という雪を踏みしめる、リズミカルでしかし重々しい馬の蹄の音と共に私は正門へ近づき、そして、人影も大きくなってきた。
――兵長だ。
「……てめえ!! 何やってんだ!!」
吹雪の正門前、腕組みをして縮こまるように立っていた兵長は、騎乗しているのが私だと認識すると雪の上を駆け寄ってきた。
「へいちょ、どして、こんなとこ」
兵長、どうしてこんなところに立っていらっしゃるのですかと言いたかったのだ。だが寒さで唇が上手く動かない。
馬から下りようとしたが、身体も上手く動かなかった。きっと安心して気が抜けてしまったのだろう。今までどうやって騎乗していたのか、不思議なくらいだ。馬上から転げ落ちそうになった私を、兵長は走り寄って支えてくれた。
吹雪の中、兵長は私を支え手綱を引く。借りてきた馬は厩舎の空きスペースに繋いでくれた。
私は兵長に半ば抱えられるようになりながら、なんとか兵舎の玄関までたどり着いた。
バタンと正面玄関の両開き扉を閉めると、やっと風の音が耳から離れ、実に数時間ぶりに私の耳に静寂が訪れた。ずっとビュウビュウという風の音で、耳がおかしくなりそうだった。もっとも音以前に、耳は冷たさのあまりに付け根から取れそうに痛い。
「……なんつう無茶をしてるんだてめえは……」
怒気を含んだ兵長の声に上手く反応できず、私は抱えられたような姿勢のまま、兵長の居室に連れ込まれる。兵長の部屋は暖炉が赤々と燃えていた。
「いいから座れ」と暖炉の前に座り込まされる。
身体が上手く動かないし、口も上手くきけない。ああ自分は凍傷寸前だったんだろうか、とぼんやり思い至った。
兵長も私の前にどすんと座り込んだ。どのくらい正門前に立っていたのだろう。彼の唇も紫色だった。
こんな日は月明かりも入らない。灯りを節約した薄暗い部屋を、暖炉の炎が橙で照らしている。
ぱちぱちという薪の音と、ガタガタという強風が窓を叩く音だけが部屋を満たす。
なんだか切なくて、私はどうしてか目の奥がじんわりと熱くなった。
「……お前、なんだこの雪と泥は?」
私の頭をタオルでわしゃわしゃと拭いていた兵長は、私のコートがどろどろに汚れていることに今気がついたのか、目を見張る。
「……すみません、お部屋汚れちゃいますね……」
暖炉の前で少しだけ温まってきた私の唇は、徐々に意のままに動くようになってきた。
「掃除は後できちんとしますから……ご容赦ください。この雪で馬がバランスを崩し、落馬してしまって」
「落馬!?」
兵長は深夜に似つかわしくない大声で怒鳴った。
「馬鹿野郎!! 何やってんだ、一歩間違えれば命がねえんだぞ!! 無理して帰ってくることねえだろうが!!」
兵長の仰ることは至極当然だった。
こんな日に無理に兵舎に帰ってくるなんて、普通であればしない。
普通であれば。
「すみません……判断ミスです。どうかしてました、私……」
俯いて謝れば、ふうと大きな溜め息をつかれたが、兵長はもうそれ以上は怒らなかった。
――この人はもしかして、私がどうしてこんなにも帰ってきたかったか、なんとなく気づいているのかもしれない。
「……まあ……ご苦労だったな」
そう言って、私のコートの上の雪と泥を上から順に払う。左胸の紋章も雪にまみれていたが、兵長の手によって雪が払われると、自由の翼が覗いた。
私ばかり払ってもらっていたが、兵長だって雪まみれだ。あの吹雪の中立っていれば当然だが――
何のために立っていたのだろうか。誰を待って立っていたのだろうか。
少しだけ自惚れることは、許されるだろうか。
そ、と私も兵長のコートに手を触れた。肩から順に、さっ、さっ、と優しく雪を払っていく。兵長はそれを拒否しなかった。
彼の胸の紋章もまた白を被っていたので、ゆっくりと払う。
雪やら霜やらで隠れていた私達の象徴が、そっと顔を出した。
「そうだ兵長、お渡ししたい物があります。ギリギリ、今日に間に合いました」
私は兵長にストールをプレゼントしようと、鞄を引き寄せ手を突っ込んだ。
だが。
「……えっ!? 無い!?」
「あ?」
確かに鞄に入れたはずのプレゼントが無いのだ。荷物をまとめたときに、間違いなく入れた。私はこの鞄一つしか持って行ってないし、この鞄は馬に乗るときにしっかりと括り付け――
「あ……」
落馬した際だろう。鞄は馬の胴に括りつけられたままだったが、鞄の蓋が開いて中身が飛び出した。
全部拾ったつもりで、一番大事なプレゼントを雪の上に置いてきてしまったのかもしれない。
「嘘……。
私、兵長へのプレゼント、落としてきたかもしれません……落馬した時……」
「あ……?
まあ、そんなもんは良い。お前が無事に帰ってきただけで」
「良くないです!」
兵長の言葉を遮って叫んだ。
だって一生懸命選んだのだ、兵長に似合う物を。
少しでも喜んで欲しくて。喜ぶ顔が見たくて。そのために必死に帰ってきたのに。
「――本当に、そんなもんは良いんだ。
だがもしお前の気が済まねえっていうなら」
がっくりと肩を落とす私に、兵長は手を伸ばす。
俯いていた顔を上げると、彼の右手が私の首元に近づいた。
「これ、貸してくれよ」
汚れた白いストールを私の首からそっと外し、広げる。
兵長はそれを自身の首に巻き、半分を私の首に巻いた。首と首が白いカシミヤで繋がれる。
「お前のこれ、気に入ってるんだ。だから時々貸してくれ。
半分は……お前が使ったままで良いから」
私は目を丸くして、兵長を凝視した。
彼は視線が居心地悪かったのか照れくさかったのか、ふいとそっぽを向き、だがストールを首から外そうとはしない。
明々と暖炉は燃える。私達の髪からは時々雪が溶けた雫が滴った。
薪の音と風が窓を叩く音。
それから、心臓の音。
暖炉の炎が、橙の部屋の中に私達の黒い影を映し続けている。
二つの影は、黒い帯で繋がっていた。
【凍えるエンブレム fin.】