第三章 家について





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 * * *



 夫婦二人の部屋へ戻ると、リヴァイは深く頭を下げた。

「父がすまなかった」
「や、やだ、頭を上げてください! 私は大丈夫ですから」

 90度近く腰を折るリヴァイに、ナマエは慌てて両手を胸の前で振る。
 ナマエに促されて頭を上げたリヴァイは、大きなため息を吐いた。それでも夫婦の部屋は、先ほどの執務室と比べれば随分と空気が軽い。開け放たれた窓から入ってくる空気は同じはずなのに。

「ああいう人間なんだ。許せとは言わない」

 ナマエは首を横に振ることも縦に頷くこともせず、ただ曖昧に俯いた。
 当主にされた行為を許せるかといったら、それはできない。だがリヴァイがナマエを本気で守ろうとしてくれたことはきちんと伝わっている。

「……なんと言うか……父は、スミス家を守ることに必死なんだ。その全てを否定するわけじゃねえが……」

 黒髪を掻き上げながら、リヴァイはベッドへと腰かけた。
 ぎし、と音を立てて、ベッドの端が一人分沈む。リヴァイが腕を伸ばしてナマエを呼び寄せると、ナマエは従順に従った。ベッドは再び軋んだ音を立て、リヴァイの隣も一人分沈む。
 二人が並ぶと、ナマエの腰にリヴァイの手が回された。手つきに性の匂いはまったくない。

「エルヴィンと俺が異母兄弟って話はしたな?」

 ナマエが頷くと同時、窓から風が入り込む。カーテンがふわりと膨らんだ。
 トロストの風は、夕方の匂いになっていた。



 * * *



 金髪碧眼でガタイの良いエルヴィンと、黒髪チビの俺。まったく似てねえだろう。
 見りゃあわかるだろうが、父はエルヴィン似……いや、エルヴィンが父に似ているのか。俺の父親も間違いなくあの人なんだが、俺はどちらかというと母親似なんだと思う。
 俺とエルヴィン、性格も違うしな。ああ、あいつはいつだって紳士的で社交的だ。
 時たま食事が一緒になる時もそうだろう。きんきらきんの笑顔で、人を飽きさせないよう話題を次々繰り広げて……俺にはできねえ芸当だ。ああいう話術、どこで覚えてくるんだろうな。
 あ? ああ、もちろんそうだ。お前に気を遣っている、というよりかは、お前を歓迎しているんだろうよ。新しい家族としてな。うまくやりてえと思っている、そういうことだろ。



 俺が十歳の時、妾だった母親が病死して、この家に引き取られたってことは以前にも話したな。



 俺の母親は娼婦だった。
 父は、母の客だったそうだ。正妻がいる状態で遊んでいたわけだが、まあ、そんなことは誰も気にしちゃいない。スミス家の当主が女遊びの一つや二つしたところで、この町に咎める奴はいねえよ。
 だがガキができたとなったら話は別だ。面倒くせえことになる。その面倒くせえガキが、俺なんだが。
 母は天涯孤独で身元もしっかりしていなかった。その上娼婦だろう。なにより、父には既に正妻と、正妻との間にできた嫡男がいた。それがエルヴィンっつうわけだ。
 まあ当たり前だが、そんな状態で正妻と別れて妾を選ぶことなんてできねえだろう。
 ただでさえスミス家の血を守ることに必死な父だ。正妻もいいとこの娘で政略結婚だったし、その結婚を反故にするなんて、スミス家を担う者にできるわけがねえ。
 そういうわけで、母は父と一緒になれなかった。母は俺を一人で生んで、一人で育てた。
 南にきったねえスラム街があるだろう? 俺は十歳まで母親と二人、あそこに住んでいたんだ。

 多分、だが。
 父は父なりに、母のことを愛していた……とは、思う。
 スラム街の俺と母が住むぼろ家にな、父はたびたび来ていたんだ。俺の玩具やら服やらを山ほど抱えて。あんな小ぎれいな洋服もらったところで、スラム街でなんて着られるわけがねえのによ。カモにされちまう。
 それで父は、ぼろ家に来るたびに、結婚できなくて申し訳ないって母に頭を下げていた。スミス家の当主が頭を下げるんだぜ。
 養育費のつもりなのか、母に札束を押し付けているのも何度も見た。母はあまり積極的に受け取ろうとはしていなかったが……俺っつうガキがいたからな、背に腹は代えられなくて、受け取っている場面を見たこともある。

 母が死んですぐに、どこから聞きつけたのか、父が俺を迎えに来た。スミス家の次男にすると言って。
 正直、助かったと思った。十歳の俺は一人でどうやって生きていくか途方に暮れていたからな。
 スラム街の汚いガキをスミス家に迎え入れるなんて、周囲の声もうるさかっただろう。だがそれでも父は俺を息子にした。……俺は、母の形見みたいなもんだからな。
 父の涙を見たのは、俺を迎えにやってきた日、あの日が最初で最後だ。



 そういうわけで俺はスミス家にやって来たんだが、当時はまだ正妻が存命だった。まあ、疎まれた。当然だがな。
 妾の子ってだけで存在が憎いだろうし、しかもそれが男児なんだからな。嫡男のエルヴィンの立場を揺るがすんじゃねえかと心配にもなるだろう。実際俺にそんな気はなくともだ。
 正妻と、その取り巻きの女中から、大人気ない嫌がらせを受けたこともあった。
 だが、そういう時はいつもエルヴィンが助けてくれた。
 俺が蔵に閉じ込められてもこっそり出してくれて。その上自室に招いてお菓子を振舞ってくれたりしてな。
 エルヴィンが俺に優しくしているのを見て思うところがあったのか、正妻の嫌がらせが一時的に止んだりすることもあった。そういうのも、エルヴィンは全部計算尽くだったと思う。頭が良いんだ。
 エルヴィンは、良い兄だ。昔からずっと。
 お前にとっても良い義兄だと思っているが……そうか。お前もそう思ってくれているなら、良かった。



 そう、エルヴィンは良い奴で……だからこそ、何で二回も離婚しているのか俺にはよくわからなかったんだ。過去の妻たちはいずれも三年持たずに出て行ったからな。
 だが、今日なんとなくわかった。エルヴィンが妻を大事にしていたとしても、父の行き過ぎた行動が妻たちを追い詰めたのかもしれねえな。

 ……あ? 何言ってやがる。当然だろ、守るに決まってる。
 礼を言われることじゃねえ。俺はお前と夫婦でいたい、だからお前を守る。それだけの話だ。
 子ども? ……そうだな。仮に子どもができなくとも、その時はその時だ。また考えればいいじゃねえか。方法はいろいろある。
 そもそも、俺たちは結婚してまだ三か月だぞ。まだ夫婦だけの時間を楽しんだってバチは当たらねえよ。

 父は、エルヴィンの二度の離婚のことがあるから焦っているだけだ。もし今後嫡男のエルヴィンに子どもが生まれなければ、スミス家の血が途絶えてしまう。だから次男の俺にまで口酸っぱく言うんだ。
 気にする必要はない。エルヴィンにだって今後子供ができるかもしれないし、俺たちだって。

 気長に行けばいい。
 俺たちの夫婦生活は、本当に始まったばかりなんだから。




   

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