よこしま





02



* * *



 ナマエの成長ぶりは目覚ましく、同期とは一線を画していた。
 彼女には、兵士としての実力をつけることに明確な目的があったのだ。だから人よりも早く成長できた。



「私もリヴァイ班に入りたいんです。入れてください!」

 ナマエが入団して早二年。
 兵士長室の執務机前で直談判するほど、ナマエには実力と自負があった。



 正式名称、特別作戦班。通称、リヴァイ班。
 兵士長であるリヴァイが自ら班員を選抜する、調査兵団の中でも精鋭中の精鋭である。

「……なぜ特別作戦班への配置を望む?」

 執務机に片肘で頬杖をつくリヴァイは、どこか醒めた心持ちでナマエの瞳を見据えた。
 燃えるような瞳。熱情に溢れた、冷静ではない瞳。

「リヴァイ班は精鋭です。調査兵団の中でも、重要度の高い任務を任されることが多いじゃないですか。
 私、調査兵団のためにできる限りのことをやりたいんです。そのための実力はつけたつもりです」

 リヴァイは静かに、机上についている肘を左右入れ替える。

「調査兵団のために? ……その後ろにある本当の意図は?
 誰かのために、と思っていないか?」
「えっ……」

 リヴァイからの返答は、思いもよらないものだった。
 ナマエは、わかりやすく動揺した。



 リヴァイにはわかっていたのだ。
 リヴァイはナマエを好きだから。ナマエをよく見ているから。
 ナマエがエルヴィンを好きになってからの月日は、リヴァイがナマエを好きになってからの月日と同じだけの長さである。
 ナマエがエルヴィンを好きなのと同じだけ、リヴァイもナマエが好きなのだ。二人の熱量は同じで、皮肉なことに方向だけがバラバラだ。

「もし……お前が特定の個人を想って特別作戦班への配置を望むのであれば、そういうやつを配置することはできない。
 お前の言う通り、特別作戦班に与えられる任務は難度が高い。よこしまな動機で任務に当たられちゃ、死人が増えるだけだ」

 それは、ナマエの想いを完全に見透かしての発言だった。

 リヴァイの言う「特定の個人」がエルヴィンを指していることは明白で、それはナマエにもしっかり伝わった。
 思わずグッと眉を顰めたナマエの顔が、みるみるうちに赤く染まっていく。指摘が事実であることの証左である。

 ナマエは、エルヴィンのために兵士として走り続けてきた。
 エルヴィンの助けになりたい。エルヴィンの力になりたい。それはエルヴィンが調査兵団の長だからではなく、エルヴィンがナマエの唯一だからだ。
 結局、ナマエが兵士として全力を尽くすのは、調査兵団のためでも人類のためでもない。自分の恋心のためだ。自分が兵士としてよい成績を収めれば、エルヴィンから評価されることもあるかもしれない。そんな打算もあった。

 若さゆえの直接的で浅慮な思考。それをよこしまな動機と呼ぶならば、そうなのだろう。
 想いを見透かされたナマエは、恥じた。目頭が熱くなる。
 そしてそのまま一言もきかずに、兵士長執務室を飛び出した。



 ナマエが中庭のベンチで項垂れていると、そっと隣に優しい温度が降ってくる。
 隣に腰掛けたのは、リヴァイ班のペトラ・ラルだった。

「ペトラさん……」
「ナマエごめんね。さっき兵士長室でのこと、実は私廊下にいてね。聞こえちゃってたの。ナマエ泣いていたみたいだったから」

 ナマエはグッと息を呑んだ。
 兵士長室から飛び出した半べそのナマエは、下を向いたまま全力疾走していてペトラに気がつかなかったのである。

「お、お恥ずかしい限りです……あの、どうか聞かなかったことに」
「聞いてナマエ」

 ペトラがナマエを遮り、身体をナマエのほうへと向けた。膝の上で震えていたナマエの両手に、自分の両手をぎゅっと重ねる。
 寒風が吹いて、名もなき冬花が揺れた。

「多分、そういう気持ちって誰にでもあると思う。それをよこしまと言ってしまうとアレだけど……私にだってあるわ、その、よこしまな気持ち」
「ペ、ペトラさんにも?」

 ペトラは力強く頷いた。ナマエは思わず目を瞠る。

 ペトラは、ナマエよりも二期上だった。
 リヴァイ班初の女性班員。ナマエにとってわかりやすい目標であり、わかりやすいロールモデルだ。
 そのペトラも、ナマエと同じような気持ちを?

「……私だって、リヴァイ班に入りたくて頑張ったのよ。頑張ったその動機が純粋に人類のためだけだったかというと……多分違うわね」

 そう言ったペトラは、俯いて苦笑する。

「ペトラさんも、誰かを?」
「私はエルヴィン団長じゃなかったけど」

 ナマエの顔が再びかあっと染まる。ナマエの気持ちは、大して近くにいたわけでもないペトラにすらバレバレだったのだ。リヴァイにもバレていて当然だ。

「それにね、これは多分だけど……リヴァイ兵長にもよこしまな気持ちはあるんじゃないかしら」
「え?」

 ナマエは、見開いていた目を今度は眇めた。眉が怪訝そうに寄る。

 いつもいつも顰め面で、決して表情を崩さない兵長に? 私やペトラさんのような、よこしまな気持ちが?
 俄には信じがたいことだった。
 だがペトラは、俯いていた顔を上げると柔らかく笑う。美しい唇の隙間から白い歯が覗いた。

「私、兵長のことをよく見ているからわかるの」

 寒空の下のペトラの笑顔は、少しだけ寂しそうで。
――ああ、そうなのか。

 ペトラのよこしまな気持ちはリヴァイに向いているのだと、ナマエはそっと理解した。



 * * *



 それから一週間後、第五十七回壁外調査が行われた。
 入団して二年のナマエが知る限りで、最悪の壁外調査だった。

 リヴァイ班の班員が四名死亡。
 精鋭中の精鋭が四名も死んだ。ナマエにとっても、誰にとっても、受け入れ難い事実だった。
――あんなに強かったのに。

『……私だって、リヴァイ班に入りたくて頑張ったのよ。頑張ったその動機が純粋に人類のためだけだったかというと……多分違うわね』

帰 還時、トロスト区住民からの容赦ない罵声を浴びながら、ナマエはあの時のペトラの顔をぼんやりと思い出していた。



 悲しみの癒えないまま夜が来て、そして朝が来る。
 壁外調査後の調査兵団は事後処理に追われて忙しい。悲しみに浸る間もない。
 心にぽっかりと穴が開いたまま、ナマエは書類を届けるために兵士長室を訪れた。立っているものは猫も杓子も使われるのが、壁外調査後の調査兵団である。

 自らの直属の部下を四人も同時に失った兵長を思うと、ドアノックの音も控えめになった。だが、「入れ」という返事は、いつもと寸分も違わない声である。
……強い人だもんな。個人的な感情を抑え込むことなんて、きっと朝飯前なんだろう。
 そんな風にナマエは納得をし、「失礼します」と兵士長室のドアを押し開けた。



 リヴァイは執務机に向かっていた。
 姿勢もいつもとまったく変わらない。左手で頬杖をつき、右手で書き物をしている。
 こんな時でも、いやこんな時だからこそ役職持ちは忙しい。人が死にすぎているこんな時に、書類仕事をしなくてはならないのだ。

「書類をお持ちしました」
「ああ」

 そこに置けと視線だけで促され、ナマエは静かに机の隅に書類を置く。
 一礼をして踵を返すと、後ろからリヴァイの声が飛んできた。

「以前、特別作戦班への配置を望んだ事があったな」

 思わず、顔が引き攣った。

よこしまな動機」と指摘されたことが蘇る。
 ゆっくり振り返ると、先ほどとまったく同じ姿勢で書き物をしているリヴァイがいた。

「……配置、してくださるんですか? 特別作戦班に。……欠員が四人も出たから?」

 ペトラは死んだ。
 多分、リヴァイへの気持ちを抱えたままに。ナマエにはそれがわかっていた。
 オルオも、エルドも、グンタも死んだ。

「ナマエ、お前を特別作戦班へ配置するつもりはない。これからもだ」

 瞬間、顔に熱が集まる。ナマエに湧き上がったのは、羞恥のような怒りのような感情。
 よこしまな動機で動く私は、兵士として未熟だと、そんな私をリヴァイ班へ配置することはできないと、改めて突きつけられているのだろうか。
 ナマエは、ギリ、と歯を食いしばり、睨むようにリヴァイを見やった。
 対するリヴァイは顔色一つ変えずに、だが書き物をしていた手を止め、ペンをコトリと机上に置いた。書類に向けていた視線をゆっくりとナマエへと向ける。
 いつもと変わらない表情。いつもと変わらない瞳。

――強いこの人には、私の気持ちもペトラさんの気持ちもわかるわけがない。
 ペトラさんはああ言っていたけれど、やっぱりこの人にはよこしまな気持ちなんてわからないのだと思う。
 強いこの人には。



「ナマエ、お前は兵士として優秀だ。今までの討伐数も討伐補佐数も見事なもんだ。戦績で言えば、特別作戦班への配置に十分値する。……だが」

 リヴァイはそこで言葉を切り、小さく唾液を飲み込んだ。
 ナマエにも、誰にも聞こえないように、こっそりと。

「――俺はお前を特別作戦班へ配置しなくてよかったと、心底そう思っている。こんな状況になって尚更、そう思っている」

 言葉の最後は、まるで吐き捨てるようで。
 リヴァイの声色が初めて変わった。
 自分自身へナイフを刺しているような声色。

 思わずナマエは息を呑んだ。

「……リヴァイ班か、笑えるじゃねえか。俺に選ばれて配置された班員は、難度の高い任務を任され……そしてこのざまだ。
 こんな危険な班にお前を置きたくないっていうのは、俺の個人的な感情だ。お前には偉そうなことを言ったが、俺にだってよこしまな気持ちはあるっつうことだな」

 今まで微動だにしなかったリヴァイの瞳が、ゆらりと揺れる。



 ナマエの瞳からは、静かに涙があふれた。
 リヴァイの感情を今更知った。
 わけがわからなくて、涙を流すしかできなかった。

 仲間を失った悲しみとか、リヴァイへの気持ちを抱えて心臓を捧げたペトラのこととか、リヴァイがナマエを想うために配置に私情を挟んだこととか。
 ナマエの胸は、たくさんの思いと想いが溢れぎゅうぎゅうになった。
 声が出ない。ただ涙を流すしかできない。

 ベクトルは、どうして別々の方向ばかり向いているのだろう。
 一度もベクトルが向き合わないまま、とうとうペトラは心臓を捧げてしまったというのに。



「……今度お前に菓子をやった時にはな、できればエルヴィンの名なんて出さねえでお前一人で食ってくれ。結構堪えたんだ、あれは」

 突然菓子の話なんてされて、ナマエは一瞬なんのことかわからずに呆けた。
 一拍置いて、以前兵士長室で砂糖菓子を渡されたことだと思い至る。随分と前から自分のことを想っていてくれたのだとこの時知り、また胸がいっぱいになって涙が溢れた。

「まあ……別に従う必要はねえんだが。これは命令じゃねえ、よこしまな気持ちからきているただの願望なんだからな」

 俯いたリヴァイがぽつりと言うと、ナマエは静かに泣きながら、それでも何度も首を縦に振って頷いた。

 涙の向こうに見えた彼は、眉尻を下げ、自嘲するように笑っている。
 兵士長のよこしまな感情が出た表情を、その日ナマエは初めて見たのだった。





【よこしま Fin.】






   

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