小さな恋の話
【お題内容】
「車椅子生活を送るリヴァイ兵長に片想いする女性のお話が読みたいな、と……。たまにお節介を焼きに行く主人公ちゃんが、彼に惹かれていくのですが、彼には今も心にいる人がいるから叶わない。
少しだけ揺れ葛藤している2人を登場させてもらえたら、しあわせです。(1周年なのに、明るいお話じゃなくて、すみません……!)」
・原作終了後、マーレの山小屋に住むリヴァイ×マーレ人夢主
・拙宅にて公開中の長編『君に溺れる』と同じ世界線で書いたつもりですが、長編未読でもこの短編だけで読めます。
・天と地の戦いから三年後、リヴァイらはマーレで住んでいる設定です。
・夢主失恋します。
いただいたリクからなんとなく、『君に溺れる』の世界線が喜んでもらえるかしら……?と思って、同じ世界線で書かせていただきました。
いつも応援ありがとうございます!!
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
リクエストどうもありがとうございました!!
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01
マーレ国の、とある場所での、小さな恋の話だ。
* * *
街から離れた山の入り口に、古びた小さな家がある。
丸太を井桁状に組み上げて造られたその家に、リヴァイは一人きりで住んでいた。
エルディア人でありながら、そしてパラディ島の住人でありながら、エレン・イェーガーを討ったアルミン、ジャン、コニー、そしてリヴァイは、パラディ島には戻らなかった。
戻ったところで居場所があったかどうか怪しいものである。石を投げられる生活を送る可能性は低くない。
仮にパラディ島に戻ったとして、ヒストリア女王は恐らく彼らを保護しただろうが、女王の庇護がどこまで届くかは定かではないのだ。
もっとも、リヴァイをパラディ島に繋ぎとめるものはなかった。
家族も友人も、そして恋人も、すでにパラディ島にはいない。
パラディ島どころか、この世にいない者のほうが多いくらいだ。
人里離れた場所に住んでいるのはリヴァイだけで、同じくマーレに留まったアルミン、ジャン、コニーは街に住んでいる。オニャンコポンもだ。
アルミンたちは連合国大使としての務めがあるし、オニャンコポンもオニャンコポンで仕事がある。通うべき場所のある彼らは、こんな便の悪い山には住まない。
だがリヴァイは違う。調査兵団の兵士長は、天と地の戦いが終わると同時に役目を終えた。
彼にはもう、果たすべき社会的役割がない。
とにかく静かに暮らしたいと願ったリヴァイが住処に選んだのが、この人里離れた山小屋だったのだ。
ボーン、ボーン、ボーン、と、壁の時計が午後三時を知らせた。
そろそろだろうかと、リヴァイはちらりと壁時計を見上げる。と同時に、玄関の扉から軽やかなノック音が鳴った。
来た。予想通り過ぎてリヴァイの口から苦笑が漏れる。
扉を開けると、立っていたのは思った通り、ナマエだった。
「こんにちは、リヴァイさん」
「ああ、入れ」
いつも通りの流れるような挨拶。
ナマエはリヴァイの家へ毎日のように訪れている。
リヴァイにとってナマエの訪問は、既に生活の一部となっていた。
* * *
もう半年以上前のことになる。
雑貨店で買い物をしていたリヴァイを、店員のナマエが助けたことがきっかけだった。
その日リヴァイは、掃除用具を買おうとしていた。
目当ての商品は商品棚にあったが、陳列されていた場所がリヴァイにとっては高所だったのだ。通常大人が立って買い物をする分には問題ない場所なのだが、車椅子のリヴァイでは手を伸ばしても届かない位置だったのである。
そこでリヴァイは車椅子に左手をつき、それを支えにして無理やり腰を浮かせた。
当然のことだが、この時の彼の身体は、兵士長時代のそれとはまったく違う。
立つことすらままならない身体で、その上もう戦う必要のないリヴァイは、トレーニングもしていなかった。
結果、車椅子から無理やり腰を浮かせたリヴァイは、バランスを崩して派手にひっくり返ってしまったのである。
その時手を差し伸べたのが、店員であるナマエだった。
「大丈夫ですか? 言ってくだされば私が取ったのに」
「ああ、すまねえな……」
リヴァイの背中を支え車椅子へと座らせるところで、ナマエはハッと息を呑んだ。
助け起こした彼の前髪から、右目が覗いたのだ。
大きな傷跡に塞がれた右目。
もう二度とものを映すことのない目だと、一目でわかった。
ナマエは、痛々しい傷跡から無意識に目を背けようと俯いた。
すると今度は彼の右手が目に入る。
リヴァイの右手は、右目に負けず劣らず痛々しいものだった。中指と人差し指が欠損している。
車椅子に乗っていることから、足が不自由だという認識はもちろんあった。だが図らずも足以外の痛々しい痕を直視してしまい、ナマエの身体はぎくりと固まってしまった。
リヴァイはそういう反応にも慣れている。ナマエの反応を不快と思うこともなく、逆に自らが申し訳なさそうに口を開いた。
「気味悪いもんを見せちまったな」
「いえ、あの、そんな……いえ、全然」
しどろもどろに答えつつも、ナマエはきちんと理解した。
彼もまた、理不尽な動乱の犠牲者なのだと。
* * *
ナマエは若く善良な娘だった。
心根の優しい彼女は、店に時々やってくるリヴァイが実は山の入り口に住んでいると知ると、車椅子で山道を行き来するのは難儀だろうと引っ越しを提案した。完全なる親切心からである。
静かに暮らしたいが故に、敢えて不便な人里離れた場所に住んでいるのだ。そうリヴァイが丁重に釈明すると、次の日からナマエはリヴァイの家へと押しかけるようになった。
時にはリヴァイが店で買っていた消耗品を携えて。時には自らの焼いたパンを抱えて。また時には材料を持参し、彼の台所でスープを作ったこともある。
身体が不自由なリヴァイを、善良なナマエはどうしても放っておけなかったのだ。
リヴァイ自身も、ナマエの訪問には助けられていた。
自ら選んだ住処とはいえ、不自由な思いをしていたことは事実である。だからナマエの善意は素直にありがたいと思っていた。
最初は確かに親切心から始まった訪問だった。
だがリヴァイとの時間が積もるに比例して、ナマエの心持ちにも変化が起こる。
多分それは自然で、そして必然だったのだろう。
時間の経過とともに、リヴァイの人となりも徐々に明らかになっていった。
いつも不愛想な顔をしているのに、ナマエがこの家を訪れると茶やら菓子やらで最大限にもてなしてくれること。
粗暴な口調なのに、時々やってくるガビ、ファルコという子供達には随分と愛情をもって接していること。
アルミン・アルレルト、ジャン・キルシュタイン、コニー・スプリンガーという、新聞でも見たことのある連合国大使の面々が、なぜか時々この家を訪れること。そしてどういうわけだか彼らにとても慕われていること。
ギャップを発見してしまうことはすなわち、恋の始まりに直結する。
若く、そして素直なナマエは、リヴァイに次第に惹かれていった。
「ねえ、リヴァイさん」
恋心の募ったナマエが取った行動は、恋する乙女としてごく自然なものだった。
「リヴァイさんって何者?」
ティーカップを両手で支え上目遣いを向けるナマエに、リヴァイは新聞を捲りながら小さく苦笑する。
ソファで並びあって座る二人はいつもの定位置で、だが会話の内容だけがいつもとは違った。リヴァイがナマエに「何者?」なんて尋ねられたのは初めてだ。
隠すべきことなんて何もないはずなのに。だがナマエは、リヴァイがエルディア人であることすら知らない。
――何も知らないマーレ人のナマエは、自分の正体をどういう風に受け入れるのだろうか。
「……何者でもねえよ。ただの身体の不自由なおっさんだ」
「何者でもないはずないじゃないですか。だってこの家には、アルミンさんとかジャンさんとか、連合国大使の人達が来るじゃない。なんで新聞に載るような人達と仲良しなんですか?
リヴァイさんはいったい何のお仕事をしているの? もしかして政府の偉い人だったりしますか?」
「違う。俺は仕事をしていないし、政府と俺とは何の関係もねえ。」
言ったきり、リヴァイは言葉を続けなかった。
ナマエはティーカップを静かにソーサーへと戻すと、両手を膝の上にきちんと揃え、隣に座るリヴァイをじっと見つめた。
――はぐらかされているのだろうか?
そう思っても、ナマエに引く気は一つもない。
「……そんなことを聞いてどうする?」
視線を逸らさないナマエに根負けした形で、リヴァイのほうが先に口を開いた。
溜息を吐きながら新聞を畳み、テーブルへばさりと置く。
ナマエは、彼の目尻にほんのわずか小皺があることに気がついた。
いつも会っているのにこの小皺に気づいたのは初めてである。そのくらい小さな皺で、リヴァイは年齢不詳だった。
ナマエはリヴァイの年齢すら知らない。自分よりも年上だろうというのも勝手な予想で、証拠は何もない。
ナマエがリヴァイのことで知っているのは、たった二つ。一つは紅茶が好きだということ。もう一つは、決して多くない友人には随分と慕われているらしいということ。
それだけだ。それ以外、ナマエはリヴァイのことを何も知らない。
知らなければ、知りたくなる。惚れた男のことなら尚更だ。
「私、リヴァイさんのこと知りたいんです」
「だからどうして」
「だって好きだから」
瞬間、時が止まる。
リヴァイは思わずぎょっと目を見開いた。
ついでのように告白してしまったことをナマエは若干後悔し、それでもリヴァイから目を背けなかった。口にした言葉は取り消せないし、すべて偽りないものだから。
胸の中に秘めているだけでは、想いは伝わらない。
いつかは伝えたいと思っていたのだ。そのいつかが今日になったというだけだ。
「……冗談はよせ」
「冗談じゃないです」
秘めた想いを発露したナマエはもちろん緊張していたが、実のところ、リヴァイのほうが動揺していた。元々の表情が乏しいからわかりにくいが。
「……止めておけ。こんな中年、お前みたいな若い女には見合わない」
苦し紛れに、平静を精一杯取り繕って絞り出した台詞である。
だがそれがナマエの癇に障った。それはもう、モロに障った。
カチンと顔を強張らせた彼女を見て、リヴァイは瞬時にナマエの機嫌を害したことを悟った。
だが口から出た言葉が取り消せないのは、ナマエだけではない。リヴァイも一緒である。
時すでに遅しだ。
「……見合うか見合わないか、どうしてリヴァイさんが決めるの? 中年なんて言われても、そもそも私リヴァイさんの年齢も知りません。リヴァイさんだって私がいくつか知ってるんですか?」
「待て、俺は……」
「リヴァイさんのことが知りたいから聞いただけなのに! 好きな人のことを知りたいと思うのはいけないこと? リヴァイさんのこと好きになるのはダメなこと?
見合うとか見合わないとか、私の気持ちを無視して勝手に決めないで!」
ナマエが叫ぶと同時に、バンと乱暴な音が立った。
彼女が両手でテーブルを叩いた音だった。ティーカップの中の紅茶が波打ち、わずかにテーブルに飛び出す。
こぼれた紅茶にも気づかず、ナマエはソファの端に投げてあった鞄を引っ掴んで立ち上がった。
「今日はもう帰ります! また来るから!」
捨て台詞を吐いたナマエは、玄関の扉を勢いよく開けるとそのまま飛び出していった。
また来るのかよ、と、呆れと安堵が半々に混じりあったため息がリヴァイの口から漏れる。
こんな風に激高するナマエを見るのは初めてだった。
ナマエのいなくなった家は、台風の過ぎ去った後のようにシンと静まり返った。
リヴァイだってナマエのことを詳しく知っているわけじゃない。
彼女の言う通り正確な年齢は知らないし、知っていることといえば、雑貨屋の店員であるということと、心根の優しい女性だということ。それくらいだ。
一人で静かに暮らしていたはずなのに、それが心地良いとも思っていたはずなのに。
いつの間にかリヴァイにとって、ナマエと二人でいる時間が当たり前になっていた。
芯から善良なナマエはまるで無垢である。リヴァイのほうが世話を焼かれているはずなのに、ともすると子供のようにも思えるほどだ。
リヴァイにも、ナマエを可愛く思う気持ちはあった。
だがこの感情が恋愛かと問われれば、即答できてしまう。
この感情は、恋愛ではない。
リヴァイには、忘れられない女性がいる。
もう何年も前に――天と地との戦いよりももっと前に亡くなった。
それでも今なお、リヴァイの心には彼女が住み続けている。
恐らくリヴァイが生きている限り、一生彼の心に住み続けるのだろう。リヴァイは自分でそれをきちんと認識していた。
まるで鎖のような愛だ。死んでなおリヴァイを縛り、捉え、離さない。
だがリヴァイはその鎖を受け入れていたし、捉われていることを幸せだとも感じていた。
リヴァイは真の愛を知っている。
だから、自らのナマエに対する気持ちが恋愛ではないとわかるのだ。