かわいいひと
02
リヴァイ課長は有名人なのだ。
店舗管理部で
誠実な人柄で店舗からの受けもよく、SVとしても優秀だ。リヴァイ課長の担当店舗は全て、売上が昨対110〜120%で進捗している。
私が店舗で研修している時、リヴァイ課長が店舗の担当SVだったのだ。だから彼がSVとしてどんな風に仕事をしているか、私は半年間店舗スタッフとして間近で見ていた。
硬派で、面倒見が良くて、仏頂面なのに優しくて。店長も店舗スタッフもみんなリヴァイ課長が好きだったし、SVとして絶対の信頼を寄せていた。
リヴァイ課長の担当店舗はいくつもあるから、下っ端中の下っ端の私のことなんてきっと覚えていないだろうけれど、私は入社してからずっとリヴァイ課長に憧れている。
リヴァイ課長は、スキレットの段ボールを抱えたまま床の隙間をスイスイ進み、入り口へ付けてあった台車へボンと段ボールを乗せた。
「まったく、整理整頓がなってねえからこういうことになるんだ」
床を埋めている段ボールの海を見て心底嫌そうに舌打ちした課長は、転がっている段ボールを次々と積み上げてゆく。ほんのわずかしか隙間がなかった床に、徐々にスペースが出来ていった。
次に課長は荷物置きの棚を整理し、空きを作った。そこへテトリスのように段ボールを詰めていく。すると床を埋めていた段ボールの三分の一は減った。
そうだ、この人……5S(「整理・整頓・清掃・清潔・躾」の略。職場環境の改善や維持のために用いられる標語)にめちゃくちゃ厳しいんだった。
「おい、座れ」
宅配便置き場がどんどんと片付いていく様を呆然と見ていると、リヴァイ課長は脇に立て掛けてあったパイプ椅子を顎で指す。
何を指示されているのかよくわからないまま、だが言われたとおりパイプ椅子を開いて腰掛けた。
すると、課長は私の目の前で片膝をつく。
「えっ、!? あ、あの!?」
憧れの課長が突然跪くもんだから目を白黒させてしまった。だが課長はお構いなしで、私の左足に手を添える。
ふくらはぎにリヴァイ課長の白い手が触れた瞬間、身体中に電流が走ったようだった。
パカ、とヒールの折れた左足のパンプスを脱がされ、ストッキングの爪先が露になる。
何をされているのかまったく理解できない。
大混乱する頭の隅で、割と新しめのストッキングを履いていて本当に良かった、なんて、そんなことを考えていた。
課長は一言も喋らない。
いつの間に拾ってくれたのか、左手に折れたヒールを持っている。反対の右手でジャケットの内ポケットを
思わずポカンと見つめてしまった。何でそんなもんをジャケットの中にしまい込んでいるのだろう。
私の疑問を視線から読み取ったのか、リヴァイ課長は真顔でぽつりと言った。
「
「そう……なんですか……」
そうだ。リヴァイ課長は、そういう人だ。
私はよく知っている。
管理職だっていうのに、店舗巡回を
だからしょっちゅう本社を空けている。夜遅くに店舗巡回から帰ってきて、その後で管理職としての自分の仕事を捌いている。
管理職だけれど、現場のことを決して忘れない人なのだ。
だから尊敬しているし、憧れているのだ。
「ほら」
パンプスは瞬く間に元通りになった。再び課長の手がふくらはぎに触れ、電流が走る。
そうしてヒールのくっついたパンプスは、左足にパコンと嵌められた。
「あ、す、すみません……ありがとうございます」
一生懸命平然を装っているが、私の心臓はこれ以上ないくらいに爆走している。
まさか憧れのリヴァイ課長に、スキレットの下敷きになるところを間一髪助けられ、あまつさえ壊れたパンプスを直してもらって、その上履かせてもらうことになるなんて。
緊張が過ぎてブラウスの下は汗でびちゃびちゃだ。ジャケットを着ていて本当に良かった。
私のパンプスが嵌まったところで課長はようやく立ち上がり、パンパンとスーツの膝を払う。
私も慌てて立ち上がり、「本当にすみませんありがとうございました」と何度も何度も頭を下げた。
「お前、そんな細い踵の靴は危ねえぞ。
商品部はサンプルを扱うことも多いし、重いもんを持つことだってあるんだから……だがお前はゲルガーと一緒に取引先に行くことも多いから、スニーカーってわけにはいかねえか。内履きを用意して、せめて社内業務の時は履き替えるとかしてみてもいいかもしれねえな」
リヴァイ課長は、感情の乗らない声で淡々と言った。
顔に熱が集中する。
リヴァイ課長、私のこと、知ってるの?
私が商品部ってことも、ゲルガーさんの部下ってことも、知ってるの?
まさか存在を認識してくれていたなんて思っていなかった。顔が熱い。声が出ない。
黙りこくっている私を訝しんだのか、課長は怪訝そうに眉を顰める。何か言わなくちゃと、私は必死に声を絞り出した。
「あっ、えっと、すみません……えっと、まさかリヴァイ課長が、私のことを知っていてくださるなんて思わなくて。他部署だし、下っ端だし。
フロアも違いますし、課長は店舗巡回で本社にいらっしゃらないことも多いので」
やっとのことでしどろもどろに言うと、ブラウスの下でさらに汗が噴き出した。
ああ、もっと上手く話したいのに。
リヴァイ課長が、私を知っていてくれたなんて。
ブラウスの下だけじゃない、多分額にも汗を掻いている。なんだかもう、身体が上手く動かなくて、ポケットからハンカチを取り出して額を拭くこともできない。
もうそれ以上何も言えない私は、じっと俯いていた。
数秒後、ふっ、と息の漏れた音がした。
「何言ってんだ、ナマエ・ミョウジ。
お前だって、SVの俺が店舗巡回でしょっちゅう本社を空けていることを知ってるんだろう?」
反射的に顔を上げた。
顔を上げて気がついたのだが、多分私、緊張のあまりにちょっと涙目になっている。視界がほんの少しぼやけているから。
ぼんやりとする視界で、それでも、課長の唇の両端がクッと上がったのがわかった。
――リヴァイ課長が、笑った。初めて見た。
「ナマエ・ミョウジ、お前が俺のことを知っているんだから、当然俺だってお前のことを知っている。
お前が店舗研修の時にバックヤードの隅で悔し涙を流していたことも、入社わずか半年で商品部に抜擢されたことも、必死にゲルガーに食らいついて仕事を覚えようとしていることも、残業が過ぎてしょっちゅう守衛に早く帰るよう急かされていることも。
それから、いつも可愛い靴を履いていることもな」
私は今、どんな顔をしているんだろう。
もう何がなんだかわからない。視界はさらにぼやけ、汗がつうっと頬を伝う。
リヴァイ課長は、屈んで下から私を見上げた。
「どうしてか、入社当初からお前は目に入っちまう。なんでだろうな」
心臓がはち切れそうで耐えられなくなった私は、おもわず両手で顔を覆った。
これ以上視界にリヴァイ課長を映したら、多分鼻血を出して倒れてしまう。
そのまま顔を覆ったまま動けずにいると、「フハッ」という笑い声が降ってきた。
一拍置いて、優しい手がポンと私の頭に乗る。
コツコツと革靴の音が鳴り、そして音が去って行った。
リヴァイ課長がいなくなったところで、ようやく私は顔を覆っていた両手を外す。
ぼやけた視界に映った宅配便置き場は、まるでお花畑のように色鮮やかだった。
【かわいいひと Fin.】