第二十四章 拘束





06




* * *



私が牢の外に出られたのは、捕えられて四日目の午後だった。

夕方、城前の広場の階段で、処刑場がどんどん解体されていく様子をぼんやり見ていた。
ぼんやりしている暇などないはずなのだが、立体機動装置の到着待ちだ。

捕えられていた調査兵達は全員解放された。
これから全員で装備を整えて、レイス卿領地の礼拝堂へ行かなければならない。

数時間前、モブリットが伝令に来てくれたのだ。リヴァイ班とハンジさんは、エレンとヒストリアの行方を追ってレイス卿領地のあの礼拝堂に向かったとのことだった。
ハンジさんもリヴァイ兵長も、あの礼拝堂に関する報告書を読んで、あそこに行くべきだと判断したということである。
やはり私の掴んだ手がかりは確かだったのだ。
良かった。私の得た情報が調査兵団の役に立てたのなら、本望だ。

何より、兵長もハンジさんも無事だと聞いて本当にほっとした。
太陽と月への祈りは無駄じゃなかったのだろうか。――いや、私ごときの祈りが状況を変えられるなんておこがましい考えだろう。彼らの実力だ。

「届いたぞ! 全員装備しろ!」

調査兵の声が聞こえた。立体機動装置が届いたのだ。
私はすっくと立ち上がる。あとはエレンとヒストリアを奪還するだけだ。
そして、お互いその時まで無事であれば……無事に合流できれば、リヴァイ兵長の顔が見られる。
私はこんな時に、ひっそりと邪な想いを胸に抱いていた。

「ナマエ分隊長!」

ダミアン、エーリヒ、カールが走ってきた。私の立体機動装置を抱えている。

「……持ってきてくれたの?」
「はいっ!」

三人は並んで、嬉しそうな顔をしている。

思えば長いこと、彼らのこんな笑顔も見ていなかった。
牧場に潜入してからずっとだ。
ダミアンとは時々顔を合わせたが辛い話ばかりだった。エーリヒとカールには会えもしなかった。

中央憲兵に雌犬と呼ばれて立腹した私だが、彼らの事もまるで犬の様だと思った。
決して悪い意味ではない、忠誠を誓ったワンコ的な。
まるで私に向かって尻尾を振っているかのようだ。
彼らの命を預かっているのは上官の私だし、彼らを守りたいと心から思う。

「ありがとう! 行くわよ!」
「はいっ!」

立体機動を装着した私は三人に向かって声を出す。
久々に聞いた三人の明るい声が嬉しかった。

「時に、ナマエ分隊長」

歩きながらカールが言う。

「何?」
「その髪の毛はどうされたのですか? イメチェンですか?」

可愛らしく小首を傾げてそんなことを言ってのけた。

「……おまっ……」
「今、それ、言うところか!?」

天然カールは、ダミアンとエーリヒにバシィッと盛大に頭を叩かれ突っ込まれた。

――ああ、いいな。
いつまでもこのナマエ班が続けばいい。
皆、どうか無事で。最期まで生きよう。

「そう! イメチェンよイメチェン!」

私は、あははと声を出して笑った。



日もすっかり沈んだ頃、全員の装備と松明の準備が整った。

「総員整列!!」

エルヴィン団長の勇ましい声が響く。

「これよりエレン及びヒストリア奪還作戦を開始する!!
目標と思われるレイス領地礼拝堂を目指す!!」
「はっ!!」

私達調査兵約三十名は腹から声を出し、馬の腹を蹴って進み始めた。



エルヴィン団長率いる調査兵団と、リヴァイ班・ハンジさんは、ウォール・ローゼ北部、オルブド区付近でやっと合流できた。

――だがしかし。ロッド・レイスが巨人化したという、超・超大型巨人が出現。
そのお陰で、我々調査兵団の再会は非常に簡素且つあっけないものになった。
本来であれば、互いの無事に涙を流して喜びあう場面であって然るべきなのだが。

「リヴァイ」

合流の際、エルヴィン団長がそう呼びかけながらリヴァイ班の元へよる。
その団長の声色も非常に落ち着いたものであったが、兵長も端的に返事をしただけだった。

「エルヴィンか? ナマエはどこだ?」
「無事だ」
「ここです、兵長」

私も、馬上から兵長に向かって出した声はそれだけだった。
私の声も冷静な物であったし、私の返事を聞いた兵長も無言で頷いただけである。

リヴァイ班達も、私達本隊も、互いに伝えたいことはたくさんあったし、喜びも爆発させたかった。
だが、ロッド・レイス巨人のせいで、長々再会を喜び合っている状況ではなくなったのである。
エルヴィン団長もリヴァイ班とハンジさんの状態を確認すると、皆よくやったと非常に簡潔な賛辞を呈したのみだ。
まあ仕方ない、どう考えても緊急事態だった。再会を祝うのは緊急事態を脱してからだ。



夜が明けた頃、ロッド・レイス巨人は調査兵団の読み通り、オルブド区へ到着した。
エルヴィン団長の作戦通り、巨人化したエレンが爆薬をロッド・レイス巨人の口の中に突っ込み、項ごと吹き飛ばした。
数多の肉片となったロッド・レイス巨人の本体にとどめを刺したのは、何の因果か、実の娘であり次期女王でもあるヒストリアだった。
ヒストリアは実父をその手で殺し、名実ともに壁の真の女王になったのだった。



* * *



オルブド区を出発し、トロスト区の兵舎へついたのはその日の夜だった。

この数日は、長く、長く、長すぎた。一日という概念が消えてしまっていた。
この数日間私はずっと牢に捉えられていたため時計という物を見られず、更に日の光も浴びられないまま拷問に耐えていたため、日付がほぼわからなくなっていた。

自分の居室に戻った私は、ベッドに倒れ込む。
既に懐かしささえ覚える自分のベッドの匂いに、やっと日常が戻りつつあることを実感した。

今頃、生きている実感が湧いてきた。

良かった。兵長も無事で良かった。何よりだ。



そこへ、ノックがあった。
兵長だ。ノックの叩き方が兵長のそれだった。
返事をしてドアを開けるとやはり兵長で、私の手を引き、無言でずんずんと室内に侵入した。きつく抱きしめられる。

どのくらいそうしていただろうか。
少なくとも軽く三分はお互い無言だったが、兵長が先に口を開いた。

「……おい、久しぶりだな」
「……はは、そうですね……」

多分半月以上会っていなかった。
こんなに離れていたのは初めてで、しかもお互いの生死が不明な状況だった。
それなのに久しぶりの再会をした私達から出た言葉は、なんだかすごく素っ気なくて、ちょっと滑稽だ。

もっと伝えたい事がいっぱいある。生きててよかったです、とか、怪我はありませんか、とか、あなたの事が心配でした、とか。
でも、そんな言葉――そんな言葉じゃ伝えられない。
どんな言葉でも伝えられない。

あなたを失うかもしれないと思った時の恐怖。
自分のことなんかどうでもいい、自分よりあなたが大事だと気付いたこと。
例え自分が死んでもあなたには生きていて欲しいと思ったこと。

言葉にすると安っぽくてペラペラになってしまう気がした。
だから私は黙っていた。
兵長も最初に出した一言以来、ずっと黙っていた。

しばらく私達は黙り込みただただ抱き合うだけだったが、兵長はやっと口を開き、掠れた声を出す。

「お前の……お前とエルヴィンの名前を新聞で見て……焦った」

もともと、口が上手な人ではない。たどたどしく述べられたその言葉は却って深い情を感じさせ、私は胸がいっぱいになった。

「私も、兵長達やハンジさんが指名手配されているのを新聞で知って……心配でたまりませんでした」
「……そうか」

もう何分そうして抱き合っていたのかわからない。
次第にゆっくりと兵長の顔が傾き、私の唇に兵長の唇が触れた。

恋い焦がれた兵長の唇だった、はずなのに。

その瞬間に私はローゼマリーとしてレイス家に潜入していた際の事を思い出した。
ウッツさんと唇と身体を重ねたことがぶわっと蘇る。
脳内の引き出しがまたひっくり返され、十日間の潜入調査の記憶が頭中にすごい勢いで広がっていった。頭が割れそうになる。
私は思わず、兵長と重なった唇をばっと離してしまった。

「……あ?」

まずい、不自然なキスの止め方になってしまった。
焦る気持ちをなんとか落ち着かせようとするが、却って逆効果なのだろうか、どんどん焦ってしまう。疑問の声を出した兵長に私は曖昧な笑いを浮かべ、話題を変えようとした。

「兵長、紅茶でも飲まれますか? お疲れじゃないですか? 私甘い物食べたいんですけど、兵長もご一緒にいかがですか?」

……喋りすぎただろうか。喋る速度も速すぎたかもしれない。
スムーズに話したいのに上手くいってない気がする。

「ああ、もらう」

兵長は私の焦りに気づいていないのか、至って自然にそう返してきた。私はほっとしてお茶を淹れ始める。

牢でギリギリの生活をしていたため無意識に頭の隅に追いやられていたが、私はこの人を裏切って他の男に抱かれたのだ。
途端に巨大な罪悪感が私の両肩に圧し掛かり、その重さで膝が折れそうになる。
そんなことがあったとは露程も思っていないだろう兵長は、お茶と菓子を出した私に言った。

「そういえばお前……その頭どうしたんだ」
「……えっと、これは……」
「おい、まさか中央憲兵に切られたのか?」
「ちが、違います! それはないです! これは自分でやりました」

拷問の一環として切られたのかと言っているのだろう。髪を切られるよりもっと苦しいことはされたが。

「そうか、なら良いが……。レイス卿領地への潜入調査のためにやったのか?」
「……!」

レイス卿領地へ潜入したことがばれてる?
どこから? 誰から? というか、どこまで知っている!?
私は狼狽したが、それを顔に出さないよう必死に隠した。

「違うのか? 俺もハンジもあの報告書を読んで、てっきりお前が潜入したものだと思っていたんだが……あんな情報を掴んでくるのはお前くらいかと」
「……いえ、違います……」
「そうか」

……つい、本当につい、嘘をついてしまった。
疚しさがそうさせた。

多分、兵長は私がどんな手を使って情報を得たかまでは知らない。他の男と寝た事なんて知らない。
これだけは知られたくない。
でもいつまでも知らさないまま、このまま兵長と付き合い続けるのか? それとも一生墓場まで持っていけるのか? 

そんなことをぐるぐると考えている私をよそに、兵長は紅茶をテーブルに置くと、ゆっくりと私をソファに押し倒してきた。

どうしよう。
何も決めていない。何も覚悟できていない。
最低だ私は。

腹を括って情報を奪取したつもりが、本当のところは最後まで括りきれていなかったということだ。
他の男と寝るところまでは覚悟できても、兵長を失う覚悟はできていなかったということだ。
自分と兵長を最後まで騙し切る覚悟もできていなかったということだ。

ただ一つ言えることは、今、兵長に抱かれたくない。
この汚い体を彼に晒していいのか迷いがある。彼と自分を騙し切る自信もない。

「兵長、今日は……」

なるべく不自然にならないよう、やんわりと手で兵長の胸を押し返す。

「なんだ、だめなのか?」
「あの……すみません、月の物が……」

もちろん、嘘だ。

「……そうか、しょうがねえな」

兵長は私の腕を掴み引き起こすと、ソファに座り直させた。
私の顔を覗き込むと心配そうな声色を出す。

「……疲れた顔してるな。……まあ、そりゃそうか」
「……ええ……」
「ゆっくり休め、俺は部屋に戻る」

その言葉に私がこくりと頷くと、兵長は私だけがわかるような優しい目をした。

ドアの前で頬を撫でられた。
それもいつもの仕草だったが――いつも通りの仕草が尚のこと罪悪感を大きくさせる。

ぱたんとドアが閉じた瞬間、私はへなへなと座り込んだ。

最低だ、私。
これからどうしよう。




   

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