第二十四章 拘束





05




* * *



ザバンッ!

「ゲホゲホゲホッ、ゲホッ、ゲホゲホッ、ウエッ……」

浴槽の水から顔を上げられた私は派手に咳き込み、咳き込み過ぎて吐き気を催した。
また冷たい石の床の上に倒れこんでしまう。
はーはーと大きく呼吸をし、なんとか酸素を補給する。

「……しつこいな、お前も……」

拷問する方ももう疲れてきているようだ。

私はまだ生きている。
遠のく意識の中で会えた、皆のお陰だ。
ありがとうアメリー、ナナバさん、ミケさん、ペトラ。

「ミョウジよ、俺だってお前のそんな苦しそうな顔を見たいわけじゃねえんだ。
さっさと認めろよ、それで終わるんだぞ?」

私は床に転がったまま、そう言った中央憲兵を見上げた。

目に力を入れろ。身体は動かなくても。
昨日私の牢にやってきたアホ憲兵共にしたように、ぐっと力を入れて睨み付ける。

「……違います。やってません」
「はあ、またそれか? いい加減俺も疲れた……」
「違います違います違います!! 調査兵団は絶対にディモ・リーブスを殺していません!! エルヴィン団長も無実です!!
どんなに苦しくても、私は死ねないし、この事実も曲げられない!!」

私は床で横になったまま、腹に力を入れて大声で叫んだ。

ここに来てからこんな大声は出していなかった。無駄な体力を消耗しないためだ。
だが、叫ばずにはいられなかった。
皆が私を助けに来てくれた。それだけでまた頑張れる。

「……」

突然大声を出した私に中央憲兵は驚いたようだったが、すぐに冷酷な瞳に戻る。
そして黙り込んでしまった。

「……今日はこれで終わりだ」

そう言うと、拷問していた憲兵は部屋を出て行く。
私は他の憲兵に引っ立てられ、牢に戻された。



その晩、またナイル師団長が着替えと食事を持ってやってきた。
昨日と同じように毒見をさせ、スープにだけ口を付ける。昨日謀らなかったからといって、今日謀らない根拠はどこにもないのだから。
嫌味の一つも言われるかと思っていたが、師団長は言わなかった。
その代わり、絶望を口にした。

「エルヴィンの、王への謁見が決まった」
「……え?」
「明日だ」

私はスープを飲んでいたスプーンをカチャリと盆の上に置く。

「そこで、エルヴィンは処分されるだろう。調査兵団は解体だ。
今、外の広場には処刑台が設置されている。明日の朝には完成するだろう」

私は声も出ず、ナイル師団長を見つめた。

「……謁見で裁かれた後、まずはエルヴィンから処刑だろう。
班長や副長など……一定以上の役職者は順に処刑になると思われる。
逃亡せずに素直に拘束された調査兵のうち、新兵や若手なんかはもしかしたら免れるかもしれん。まぁ免れても、恐らく中央の忠犬にされるだろうがな。
お前は……幹部だが、処刑は免れるらしいな? どうやら尋問で正直に罪を認めたから赦免ということにされるらしい」

師団長のその言葉と表情は、私が処刑を免れてもその後どうなるのかはわかっているようだった。

「あの……リヴァイ兵長やハンジ・ゾエ分隊長は……今どうなっているのですか?」

師団長は私にまた新聞を手渡した。今度は今日の夕方の号外だ。

『リーブス商会の会長、ディモ・リーブスの殺害に組織ぐるみで関与していると思われる調査兵団。未だ逃亡中のその一部が野生化、ストヘス区の市民を襲撃。中央憲兵は襲撃された市民を守り、名誉の死を遂げた。
憲兵殺害の主犯はリヴァイ兵士長。他数名の関与が疑われる。
計画の首謀者は取り調べ中のエルヴィン・スミス団長とみられる』

死亡が確認された中央憲兵の名前が十二名、英雄のように記載されていた。
記事のすみっこに死亡した調査兵として、ニファ、ケイジ、アーベルの名前が、こちらは小さく記されていた。扱いは犯罪者のそれだった。
更に下の方には未だ逃亡中の残存調査兵として、リヴァイ班、ハンジさん、モブリットの名前が記載されている。

「……あなたはこの記事を信用しているのですか!? 調査兵団を、貶めて、潰して、どうなるっていうんですか!? 私達の仲間を、死して尚侮辱するのですか!?」

新聞を握る手が震え、新聞はぐしゃりと歪んだ。

「……俺に言うな。俺は何も言えん」

師団長はそう言って、私から新聞を取り上げ、牢から出て行く。

「……俺は、憲兵だ。
だがな……エルヴィン・スミスの同期でもある。……何にも感じてないとは思ってくれるなよ」

そうぽつりと言って、師団長は階段を上がっていった。



それから、多分夜を越え、朝が来たのだろう。
時計もない、日の光の入る窓もないこの部屋じゃ、時間の概念がなくなるが――まあ恐らくそんなところだと思う。

今日、エルヴィン団長が処刑される。
他の調査兵も処刑される。
私は貴族達に献上される。
調査兵団が解体される。

リヴァイ兵長とハンジさんは逃亡中らしいが、捕まれば命はないだろう。広場に建てられたという処刑台で吊るされるのだと思う。
エレンはどうなったのだろうか。ヒストリアもどうなったのだろうか。
ただもう、調査兵団が解体となれば彼らを保護するものもいない。中央に奪われて、それで終わりだ。

「兵長……無事ですか……?
あなたは、生きて……どうか……逃げて……」

私は声に出して願った。

あなたには生きていて欲しい。
あなたのことが何よりも大事。
どうか、貴族に辱められるであろう私の事を忘れて、幸せに暮らしてほしい。
あの時してくれた約束はなかったことにしてほしい。
あなたは生ある限り私を愛すると約束してくれたけど、もう良いのだ。
私に囚われず、どうか幸せになって。

私は無宗教だ。
もっとも、この壁の中にはウォール教くらいしか宗教がない。その他の宗教は規模も小さく私もよく知らない。
神など信じていない。お壁様は尚信じていない。
だが、もう何かに縋りたかった。

窓のない牢の中で、ずっと祈っていた。
縋る神を持たない私は、仕方がないから空の太陽と月に祈った。
きっと祈る時は両手を組んで祈るのが良いのだろうが、手枷で両手を拘束されている私はそれができない。ただ冷たい石の床に跪き、できる限り頭を垂れた。

どうか、あなたが無事に生き延びられますように。
あなたが無事なら、それでいい。
そのためならなんでもしよう。



コツコツと足音がする。
来た。私を迎えに来たのだろう。
中央憲兵か、それとも貴族か。多分三名だ。
もうエルヴィン団長の処刑が終わったのだろうか。

近づいてくる足音に怯えた。
この足音の主を見た時が、調査兵団の終わりだ。
コツコツ、コツコツ、と律動的なその音が、どんどん近づいてくる。

コツ。
牢の前で三つの足音が止まった。

私は怖くて震えながら目を閉じていた。
閉じた目から涙が流れそうだった。

「……兵長、どうぞご無事で……愛しています、ずっと」

目を閉じたまま、小さく声に出す。
身体が震えているせいか、声も震えた。

「ナマエ」

その声を聞き、閉じていた目を開く。
聞き覚えのある、低く心地よい声だった。

「エルヴィン、団長……」

牢の前に立っていたのは、無数の傷をつけられ、片目を紫色に腫らしたエルヴィン団長だった。
隣にはピクシス司令、ナイル師団長も。

「……なぜ……」

大きく見開いた私の目からは、行先を失った涙がぼろっとこぼれた。

「ナマエ、すまなかった。君を辛い目に遭わせたな」

団長はピクシス司令とナイル師団長と共に、鍵を開けて牢の中へ入ってきた。私の手枷を解錠する。

「クーデターは成功だ」



エルヴィン団長はピクシス司令と共謀し、王との謁見の間でウォール・ローゼ崩壊を騙った。
騙された議会は、民衆を見殺しにし自らの利権を必死に守る様を、ピクシス司令、ナイル師団長の面前で披露してしまったのだ。
それを目にしたピクシス司令、ナイル師団長、そしてザックレー総統もクーデターに加勢し、現王制は終焉を迎えた。

偽の王であるフリッツ王とその側近は捕えられ、王都の中央憲兵も制圧された。
現王制の崩壊と兵団が暫定政権を握ることが、広場の処刑台の上で宣言されたそうだ。
エルヴィン団長を吊るすために建てた処刑台が、現王政の終焉を宣言する場になるとは、なんとも皮肉な話である。

せっかく手枷を解いてもらったというのに、私は立ち上がることができなかった。
腰が抜けたのだ。腰が抜けるなんて、多分……調査兵団での初陣の時以来なのではないだろうか。

「ナマエよ、お主にも腰が抜けるなんてことがあるんじゃのう」

ピクシス司令が笑って言った。ナイル師団長が手を貸して立たせてくれる。

「大した女だよ、全く……あの水責めに耐えるとはな」

ああ、もうあの水に怯えなくていいのか。
そう思い至ると心底ほっとした。




   

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