第三章 屋上で





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分隊長になってからというもの、世の中も兵団を取り巻く状況も目まぐるしく変わっている。
調査兵団の壁外調査は、ウォール・マリア外の調査から、ウォール・マリア奪還のための行軍順路の開拓・補給物資の設置に目的が変化した。
私は日々、分隊長として訓練と指導に励み、壁外調査では部下を死なせないよう必死に戦い続けていた。
しかし、壁外調査の中で部下を失ったことがないわけではない。分隊長として遺族を訪問するのは、辛い仕事だった。



今日も遺族を訪問した。前回の壁外調査で出た、第三分隊から出た殉職者の最後の一人だ。
今日は遺族から怒りや悲しみの罵声を浴びせられることはなかったが、私にとっては遺品を届けたことにお礼を言われるより、感情をぶつけてくれたほうがよっぽど楽だった。

兵舎に戻った後、居室の戸棚から小ぶりの酒瓶――お気に入りの果実酒を取り出し部屋を出た。
向かうのは屋上。時々一人でここで飲んでいる。
もちろん一人部屋だから、部屋にいたって一人にはなれるのだが、落ち込んだ時はつい屋上に来てしまう。星が見えるからだ。
星空の下で酒を飲むことは、ささやかながら私を慰めてくれる。

「……あれ……」

珍しく先客がいた。珍しいというか、ここで誰かと鉢合わせるのは初めてだ。

一人で飲むつもりだったし、部屋に帰っても良かったのだが、今日はどうしても星の下で飲みたかった。どうしてもだ。
少し……疲れているのかもしれない、主に精神的に。

近づいていくと、先客の姿が良く見えてきた。

「……お前か」
「リヴァイ兵長でしたか……」

先客は、今や人類最強と称されるようになった小柄な男性。
私と同じように酒瓶を持っていた。
ウォール・マリアが突破されてからというもの、とにかく忙しく、業務では会議等で話すことも多かったが、個人的に二人で話す機会は今までなかった。

「何だ、お前……俺の特等席だぞここは」
「兵長こそ……この場所ご存じだったんですね。今までここでお会いしたこと、なかったですが」
「ああ、そうだな……俺は時々来ていたが」
「私もですよ」

私は兵長の隣に少しだけ距離を取り、腰を下ろし空を見上げた。
ああ、満天の星。今夜が晴れていて良かった。

酒瓶を直接口につけ、喉を潤した。
甘く苦い果実酒が喉を通る瞬間、目を閉じると、今日会った遺族の顔が浮かんできた。

「今日は、ご苦労だった」

リヴァイ兵長はこちらを見ないまま、労いの言葉をくれた。

「いえ……仕事ですから」
「だが誰にとっても辛い仕事には違いねえ。ナマエにとってもだ」

兵長に名前を呼ばれたことに少し驚いた。

「兵長……私の名前知ってたんですね」
「あ? 今更何言ってやがる。
今まで散々会議やなんやかんやで顔つき合わせてただろうが」
「だって、いつも『お前』とかだったじゃないですか。ハンジさんのことはハンジって名前で呼ぶのに」
「そりゃあれだ、あいつがやたら俺に構ってきやがるから、会話の中で名前を呼ぶ機会が多かったってだけだ」

兵長も直接酒瓶を口につけた。
長い睫毛、鋭い目……この人に惚れる女の子が多いのも無理はない。

「そもそも俺は、お前が分隊長になる前から名前を知ってた。お前はやたらと目立つからな」
「えっ! そうなんですね……私もリヴァイ兵長のことはもちろん知っていましたけど。
兵長有名でしたから。今も有名ですけど」
「……うるせえ奴が多くて敵わん。内野も外野もな」

私は星空に顔を向けたまま笑った。

無愛想な人だからとっつきにくいのかと思っていたが、二人で話すのも居心地は悪くない。
一人で飲もうとしていたが、兵長と話したら、重く沈んでいた心が思いがけず少し楽になった。

「兵長、今日はよく喋りますね」

私は兵長の方を向いて笑顔で言った。

「バカ言え……俺はもともと結構喋る……」



* * *



それからというもの、俺とナマエは時々、夜に屋上で酒を飲むようになった。
別に日時を決めて落ち合うというわけではない。互いに勝手に屋上を訪れ、いれば一緒に、いなければ一人で飲む、それだけだ。

ファーランとイザベルとの思い出のあるこの屋上で、他人と酒を飲む気にはなれなかったのだが、ナマエと一緒にいるのは嫌ではなかった。こいつと話すのはつまらないわけではなかったし、居心地も悪くない。

入団の日、壇上からこいつを見つけた時は、ただ顔が良いやつというだけの認識だったが、話すようになってからはそれだけではないと感じていた。
とにかく頭の回転が速い。少なくともエルヴィンと対等にやり合うくらいには。
そして、その美しい顔とは不似合いだが、技術も屈強な精神力も持ち合わせた優秀な兵士であり幹部だった。
誰が喰われようが、こいつは人前で泣くことはなかった。

誰とも分け隔てなく話すし、人当たりもいい。男女共に好感を持つやつは多い。
しかし、こいつ自身は誰にでも心を許しているわけではないようだ。
ハンジなんかは信用しているようだったが。決して純粋無垢な人間というわけではなさそうだった。
もっとも、人が死に過ぎるこの団内では、純粋無垢な人間の方が少ないのかもしれねえが。



「お前はどこに住んでいたんだ?」

ある夜の屋上、何がきっかけだったか、出身地の話題になった。

「シーナ内東区なんです。兵長は……王都の地下街でしたね」
「ああ……ファーランとイザベルと一緒に住んでいた」
「じゃあ、二人は家族ですね……」

ナマエは柔らかい顔で俺を見た。

「お前、家族はいるのか?」
「……いません。遠縁の親戚に引き取られて暮らしていまして……そこがシーナ内東区で、一応そこが出身地ということになっています。
その親戚も私が十二歳の時に亡くなりまして、家も処分されました。その後訓練兵団に入りました」
「そうか……」

なぜ親戚に引き取られたのかとか、両親は存命なのかとか、その親戚はなんで死んだのかとか疑問はあったが、ナマエはそれ以上話す様子がなかったので、相槌を打つに留めた。


「だから、帰る実家も故郷もないんです。十二歳の時から兵舎が私の家ですよ」

ナマエは湿っぽくなる様子もなく、からからと笑いながら酒を飲んだ。
そして二人で夜空を見上げる。

「……俺も帰る家も故郷もねえ。ここが家というのは同じだな」

俺は笑顔なんぞ出せないが、ナマエはふんわりと笑って俺に頷いた。



「あっ、無くなっちゃった」

ナマエはそう言って、空になった瓶を逆さまにして振る。

「お前も大概呑兵衛だよな」
「兵長だってそうじゃないですか」
「まあな。おい、そろそろ戻るぞ。雲が出てきた。降るかもしれねえ」
「そうですね」

そう言って二人で立ち上がった時、急に違和感を覚えた。

……これは、視線か? 
誰が? どっちに? 
とにかく好意的な物でないことだけは確かだ。

俺はそれとなく警戒しながら扉に向かって歩いていたが、ふっと違和感は消えた。
視線がなくなったのだろうか。
警戒は続けながらナマエに小声で言った。

「おい……気づいたか? 
こんな兵舎内で何もないとは思うが、身辺には気を付けろ。俺かお前かわからん」

ナマエは小声で「はい」とだけ言った。




   

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