第二十二章 団長と分隊長 2





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* * *



数日ぶりに兵舎へ戻った。

ナマエが手配した山奥の隠れ家は、隠れ家として完璧だった。人里からかなり離れていて、そう簡単に見つかる場所じゃない。
ずっとここでエレンとヒストリアを警護できればいいのだが、そうもいかない。
何かと用事もあるし、現状報告も兼ねてエルヴィンにも会う必要がある。ついでに言えば、ナマエは相変わらず俺に会いに来やしねえ。だから俺は時々兵舎に帰って来ていた。
隠れ家がばれないようこっそりと行動するのは面倒だったが、地下で毎日物を盗んでいたことを思い出せば、人目に着かないよう動くのはなんてことない。

兵舎に来るたびに、ナマエとエルヴィンの元へは顔を出すようにしていた。
ハンジは顔を出さなくても、大騒ぎしているからだいたいの動向が耳に入ってくる。だから割愛することもあった。

ナマエと会えば、毎回「兵長がいない分、私に書類仕事が回って来てるんですが」と文句を垂れられながら、もう俺がサインするだけに整えられた書類の山を渡される。
その後俺が「うるせえな、てめえが来ねえから俺が会いに来てやってんだ、ちっとは労ったらどうだ」と、ナマエの口を塞ぐ。ここまでの一連の流れがルーチンだった。

しかし、今日はナマエがいない。
執務室にも居室にも訓練場にもいない。
俺は訓練場にいたナマエ班の奴らに声をかけた。

「おい、ダミアン、エーリヒ、カール」
「リヴァイ兵長!」
「お久しぶりです」
「最近お見かけしませんでしたが、どちらにいらっしゃったんですか?」

ナマエ班は口々に俺に挨拶する。

「ああ……何かと忙しくてな」

隠れ家の事は、幹部と、実験にやってくる予定のハンジ班の人間にしか公開していない。
俺はどこにいたのかという質問からは微妙に外した答えを口にした。ナマエ班を信用していないわけではないが、どこから情報が漏れるかわからない。

「ナマエはどこだ?」
「ナマエ分隊長なら昨日から外出されています」

ダミアンが答える。

「外出? 昨日から? どこに?」
「いえ、僕達も詳しくは聞いていないです。明日か明後日には一旦戻ると聞いていますが」

怪訝の色が表れた俺の声に、エーリヒが答えた。

この間ナマエにあったのは五日前だったか? 六日前だったか? とにかく一週間は立ってなかったと思うが、特に外出するとかそんなことは言っていなかった。
もちろんナマエが行動を逐一俺に報告する必要はないし、今までだって別に全てを報告していたわけではない。急遽予定が決まることもあるだろう。
だから何も不思議なことはないのだが――なんとなく引っかかった。
しかし、ナマエがいない以上会うことはできないし、仕方がない。

「そうか、邪魔したな」

俺はそう言って訓練場を後にし、エルヴィンの執務室へ向かった。



「おいエルヴィン」

勝手にエルヴィンの執務室のドアを開ける。
数日前からベッドでの生活は止め、通常業務に戻っていると聞いていた。

「リヴァイ、ノックをしろと……いやもういい」

ノックをしろと再三言われているが、諦めたようだ。エルヴィンは椅子に座ったまま顔だけ俺に向け、ため息をついた。

「身体の方はどうだ?」

机の前まで進み、だらりと垂れたジャケットの右袖に目をやる。

「ああ、問題ない。傷口も化膿していないし、痛みもないよ。もう風呂も入り始めたんだ。
左手で物を書くのに慣れないから、仕事が捗らなくて困ってはいるが」
「てめえのその顔はどうした?」

俺はエルヴィンの顔を指さした。頬と顎のところを怪我したのかガーゼが当ててある。

「ははは……髭をね、剃ったのだが……左手では難しくてね」

剃刀で切ってしまったということか。ナマエから、エルヴィンの髭を剃っていると聞いていたが、昨日からナマエが外出しているから自分で剃ったのだろう。

「はっ……ざまあねえな。まあ左手でも剃れるように練習しとけ。いつまでもナマエを髭剃り係にしておけねえだろ」
「ふっ、ナマエが自分以外の男の肌に触れるのが面白くないか、リヴァイ」

エルヴィンは笑って俺を見る。

「……ああ、面白くねえな」

俺はギロリとエルヴィンを睨んだ。

以前ハンジに、ナマエが他の男に靡かないか心配じゃないかと聞かれて、心配していないと答えたことがある。
それはそうなのだが、エルヴィンだけは例外だ。
こいつの人心掌握術は半端なものじゃないし、ナマエ自身もエルヴィンを尊敬している。尊敬が愛に変わるなんてよく聞く話だ。

「ナマエは寧ろ、俺とお前の仲に焼きもちを焼いていたぞ」
「……はあ!?」

突拍子もない台詞に、遠慮会釈もない声が出た。

「俺が恋敵だったら勝てないと。くくっ……」

エルヴィンはおかしそうに声を上げて笑う。

「バカかあいつは。気持ちわりいな……」
「俺はストレートだから安心しろと言っておいた」
「そうかよ」

俺はため息をついた。

「どうでもいいが、あいつには手を出すなよ。俺のもんだ」

一応と思って、釘を刺す。ところがエルヴィンは軽薄な笑い顔を俺に向けた。

「……片腕を失って、欲の処理もままならない可哀そうな俺に、彼女を一晩だけ貸してくれないか?」

俺は自分の顔がみるみる強張っていくのがわかった。

「……数年顔を出してねえが、昔馴染みだった娼館に口の堅い娼婦がいる。そいつが現役かどうかわからねえが、とにかく信頼できる筋の女を呼び寄せてやる。今夜にでもだ。一人か? 二人か? 三人か?」

そこまで一気に言った。

「待て、そんな顔するなリヴァイ。冗談じゃないか」

そんな顔とは、どんな顔なのか。エルヴィンを睨んでいた気もするが、もしかしたら、それだけは勘弁してほしいと縋るような顔をしていたのかもしれない。
そう思い至りぞっとした。この俺が縋るような顔など。

俺はもう一度ため息をついた。
そのため息が呆れのものに聞こえればいい。実際は「冗談」という言葉に安堵したものであるが。

「もし、お前が……『兵団を維持するために必要だ』と言ったら、あいつは飲み下すんだ。
調査兵団のために必要だから寝ろ、と言われれば寝れる女だ、あいつは。
そこまで腹括ってる。だから冗談でそんなことを言うな」
「わかった、わかったよリヴァイ。からかっただけだ、すまない」

エルヴィンは眉毛を少し下げて笑った。

「俺がナマエと寝たら、ナマエもお前も使い物にならなくなる。それは避けなければならないからな」
「俺もあいつも、もちろんハンジも、お前の駒になる覚悟はできてんだ。上手に使ってくれよ」
「そうだな……俺はこんなナリになってしまったからな……。お前達の力が、今まで以上に必要だ」

そう言ってエルヴィンは失くした右腕に目を落とす。

「心配すんな、エルヴィン。お前の失くした右腕の分は、俺とナマエとハンジで補ってみせる。
残った左腕も入れたら、お前の手は七本だ。充分だろ? 足りないなんて思わせねえよ」
「……お前達を頼りにしているよ」

俺が腕を組んでエルヴィンを見つめると、ガーゼが二か所も当てられた間抜けな面が穏やかに微笑んだ。

「おい、ところでナマエはどこに行った? 外出しているらしいじゃねえか」
「ああ、ちょっと野暮用を頼んだ……王都へ行ってもらっている」

――少しだけ、ほんの少しだけだが、回答まで間が空いた気がする。
エルヴィンの顔から笑みが消えた気もするが、俺から視線を外し手元の書類に目をやったもんだからよくはわからない。

「……そうか」

俺はエルヴィンの返答に言いようのない違和感を覚えた。
胸騒ぎが少しだけする。

「顔を見れなくて残念だったな」

そう言ったエルヴィンはもう一度顔をあげ、その時にはもう笑顔だった。

「また来る」

端的に言い、俺はエルヴィンの執務室を出た。



ナマエが王都へ使いに行くなんて、初めてじゃない。よくあることだ。
なのに、何だこの違和感は。

俺はその違和感に答えを出せないまま、隠れ家へ戻るために馬を走らせた。





   

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