第二十一章 団長と分隊長





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* * *



日が暮れた。
本隊は夜までに森にたどり着きエレンを取り戻すことを前提としていたので、十分な松明を持って行かなかった。十分な量の松明を準備するだけの時間的余裕が無かったこともある。

俺はニック司祭と共に、トロスト区駐屯兵団に与えられた一室で待機していた。
本当はいつまででも外で待っていたかったが、老人に長時間の外気は堪えるだろうと配慮してやった。こいつは大事な情報源だ。

ハンジ達先遣隊の重傷者は、夕方リフトで降ろされ、トロスト区内の病院へ運ばれた。
病院内の医師も看護師もほとんどエルミハ区へ避難していたが、兵団の医療班の半数が病院内へ移動し対応している。
ハンジは、意識は戻ったようで喋りもしっかりしていたが、自力では歩行できない有様だった。

「チッ……」

もう何度目かわからない舌打ちをする。
ニック司祭は俺の舌打ちに、最初こそ何をされるのかと怯えていたようだが、もう意味のない相槌みたいなものだと思っているらしい。数回前から無視されている。
待つだけってのは、どうにも向いてない。もどかしい。

ミケが死んだ。
ゲルガー、ナナバ、リーネ、ヘニングも死んだ。
ハンジは重傷。他にも死者、重傷者多数。
本隊が無事に帰って来れる保証なんてどこにもない。それはまあ、今に始まったことではないが。

力になりたいやつがいる、守りたいものがある。
それなのに何もできない自分に、苛立って舌打ちをするしかなかったのだ。

俄かに外が騒がしくなった。

「おい!」
「帰って来たらしい!」

窓の外から駐屯兵達の声がする。俺は椅子から立ち上がった。
慌て過ぎて、ガタンと椅子が大きく音を立てる。

「い、行くのかね……」

ニック司祭が声を出した。

「ああ」

ドアを開け、廊下で待機中の残っていた三名の調査兵に声をかける。

「おい、司祭の見張りを頼む。お前ら三名全員だ。駐屯兵にも協力を仰いでドア外にも見張りを置け、絶対に逃げられるなよ」
「はっ」

調査兵達が返事をして部屋の中に入ってくると、俺は脱いでいたジャケットを羽織った。

「逃げようなんて思わねえことだ、無駄だからな」

ニック司祭に向けて言うと、ああわかっている、と素直な返事を寄越した。



なるべく冷静を保つよう自分に言い聞かせながら、部屋の外へ出た。
廊下をコツコツと歩いていたが、その足音は無意識のうちに早くなる。コツコツという足音が、ダッダッダッという走る時のそれに変化するのにそう時間はかからなかった。
知らず知らずのうちに走っていた俺は、壁の前まで辿り着くと上を見上げた。リフトが壁上で怪我人を待ち受けている。

「リヴァイ兵長!」

壁の上から立体機動で一足先に飛び降りてきた駐屯兵の伝令が、俺に声をかける。

「詳細はまだわかりかねますが、エルヴィン団長が重傷と思われます。分隊長のナマエ・ミョウジが隊を率いて帰還してきました。団長はミョウジの馬上に乗せられているようです」

……あ? 

「……エレンは?」
「恐らく奪還に成功した模様です。自分で騎乗し隊列にいたのを壁上の兵が目視で確認しております」
「……そうか、了解だ」

ぶわっと全身の毛穴から汗が噴き出したようだった。

ナマエは無事だ、エルヴィンは重傷、ということは、一先ず命はあるってことか。エレンも帰ってきた。

ナマエやエルヴィンが壁外に出るのなんて初めてじゃない。何度も一緒に死線をかいくぐってきた。エレンにおいては攫われるのも初めてじゃない。
だが、自分がただ待つことしかできないというのがこんなにも辛いとは思わなかった。
安堵で膝がぐらついたが、ぐっと踏ん張り、誰にもばれないよう姿勢を立て直す。

ざわざわ騒がしかった壁上が、叫び声や悲鳴で更に騒々しくなった。
壁までたどり着いた兵士達が、リフトで壁上に到着したらしい。

「わああ、エルヴィン団長―――!!」
「団長!? 聞こえますか団長!?」
「まずいぞ意識が!!」
「団長を通せ! 最優先だ!! 早く運べ!!」

そんな声が聞こえてくる。

最初のリフトが下りてきた。
ここにエルヴィンが乗っているのだろう。おそらくナマエも。

俺はドッドッと煩く鳴っている心臓をなんとか落ち着かせようと必死だった。
大丈夫だ、コントロールできる。
人に知られないよう、鼻だけで深呼吸した。すうっと心臓が落ち着いてくるのを感じると、リフトの前で待った。

リフトから降りてきたのはナマエと、壁上に待機していた駐屯兵二人に抱えられたエルヴィンだった。

結論から言って、心臓を一度落ち着かせた行為は無駄だった。
俺の心臓はこれ以上ないほど跳ねると、再びドッドッと高速で脈打ち始めた。
エルヴィンの――右腕が、ない。

「……なんってザマだ、てめえ、そりゃ……」

俺の喉から出た声は、干からびていた。

エルヴィンはそのまま担架に乗せられ医療班の元へ運ばれた。病院送りの手配はできている。
ナマエはナマエで、ひどいナリだった。五体満足だし自力でしっかりと歩いているが、頭から足まで血まみれだ。
蒸発せずに未だ血まみれということは、この血は巨人の物ではない。人血だ。

ナマエはしっかりとした足取りで俺の前に立つ。

「リヴァイ兵長、報告いたします!」

ドンと左胸に音を立てて敬礼し、声を張った。

「本作戦においては、エレン・イェーガーの奪還に成功いたしました! ヒストリア・レイスも生存、無事帰還いたしました!
死亡者数は不明、直ちに確認し生存者リストを作成します!
戦闘で、エルヴィン団長が右上腕より下部を欠損です! エレン及びヒストリアの警護が必要です、団長が動けませんので、ご指示をお願いいたします!」

それは見事な敬礼と完璧な報告だった。美しい敬礼だった。
――エルヴィンはもうあの敬礼はできないのか、と、ふと思った。

「……ああ、了解した」

俺はそう声を出すと、ナマエと見つめ合った。
俺達が見つめ合ったのはほんの数秒だっただろう。だが俺には、一分にも十分にも感じられた。

「エルヴィンの……息は、あるんだな?」
「あります」
「お前もすごいナリだな、血まみれじゃねえか」
「これは、エルヴィン団長や他の兵の血がほとんどで……自分の怪我は切り傷と擦り傷のみです。問題ありません」

切り傷と擦り傷と言うと軽く聞こえるが、こいつのは重度の創傷と擦傷だ。病院送りまではしなくてもいいが、医療班には連れて行かないとならない。

「復路はお前が兵を率いて帰還したらしいな。ご苦労だった」
「……いえ、私は……何も」

ナマエの声はだんだん小さくなり、少し震え始めた。気付けば肩も少し震えている。
俺はナマエの震えを抑えるように両肩に手を置き、言った。

「ハンジは無事に病院に運ばれた。今はまだ動けないが、数日で退院するだろう。大丈夫だ。
エレンとヒストリアは、駐屯兵に一室手配させるからそこで待機だ。全員揃ったら病院以外の奴は兵舎へ帰るぞ」
「……はっ」

ナマエはそう返事をすると再び敬礼し、後ろを振り返ると周囲の兵士に指示を出し始めた。俺よりも小柄な体がきびきびと動く。
リフトがどんどん降りてくる。一〇四期生や若手兵士も降りてきた。
――こいつらの前じゃ、どうしたって強がってなきゃならねえもんな。
俺はその小さな背中を見つめた。



* * *



夜がすっかり更けた頃、やっと調査兵団の兵舎に帰ったがすぐに事後処理に追われた。なんせ、今や動ける幹部は俺とナマエだけになってしまった。
大至急の業務だけとりあえず終わらせ、俺は執務室を出た。
ナマエには、怪我がひどいから今日はもう寝ろと指示を出してある。だがどうせ寝ずに仕事をしているだろうと思い、俺はナマエの居室ではなく執務室に向かった。
やはり執務室から明かりが漏れている。

「おい」

俺はノックもせずナマエの執務室のドアをバンと開けた。机に向かっていたナマエはビクッと肩を上げる。

「……っくりしたあ……」
「おいてめえ、今日は寝ろって言っただろうが」

そう言ってずかずかと執務室を進み、ナマエの机に腰かけた。

「これだけ……生存者リストがさっき上がってきたので、確認してから……ていうか、ノックはしてくださいよ」
「なんだ、俺に見られてまずいことでもあんのか?」
「もし私が見られてまずいことしてたら、どうするつもりなんですか?」

ナマエはリストに目をやりながら、軽口を返してきた。

「そういう生意気な口がきけるんなら大丈夫だな」

俺は机から降り、椅子に座っているナマエの前に立つ。

「立て」

右手でナマエの右手を引いて立たせる。生存者リストは机上にはらりと落ちた。

ナマエを抱きしめる。
ぎゅっときつく抱きしめた後、片手はそのままに、もう片手はナマエの頭にやって撫でた。

「よくやった」
「……」

ナマエは声を出さない。

「お前は俺の指示を完璧に守った。生きた状態でエルヴィンを連れ帰った。
満点だ、言うことねえ」
「……」

まだナマエは喋らない。
震えようとする体を必死に拳を握ることで抑えようとしているのがわかった。

「もう泣いても叫んでもかまわん。ここには俺とお前しかいねえ」
「……あなたが」

ナマエから発せられた声は掠れていた。

「あなたが泣かないのに、私が泣けません」
「……あ?」
「……兵長の……大事な人が……特別な人が、利き腕をなくして……あなたが泣かないのに」
「おい待て、誤解を招くような言い方をするな」

俺はナマエを抱きしめたまま、はっと乾いた笑いを口から出した。

「……でも、そうでしょう? エルヴィン団長は……兵長の、特別な人です」
「……まあな……特別じゃねえっつったら、そりゃあ嘘だな……」

俺の言葉は、最後のほうが少しだけ消えかかった。

ああ、クソが。
涙なんざ久しく流してねえから流し方もわからねえ。
最期に泣いたのは、一体いつだったか。ほんのガキの頃だったか。母さんが死んだと知った時だったか。
地下で殴られても、蹴られても、掘られたって、涙を流さなかった俺が。
俺の一番認めた男、俺の主は、右腕を喰われ
俺とナマエの関係を心配してくれた友は、死に
俺の理解を超越する思考の悪友は、重傷。

それでも、愛する女は体も心も傷だらけにはなったが、俺の元へ帰ってきた。
それだけは天に感謝をするしかない。失ったものは大きすぎるが。

「……は、全く……クソな状況だな……」

俺の出した声も、ナマエと同じく掠れていた。

自分の視界が滲んだことを認めたくなくて、ナマエの肩に顔を埋めた。
しかし、ジャケットを脱いで薄いシャツ一枚だったナマエには、俺の目から少しだけ溢れたものがシャツを通して肌に伝わってしまったらしい。ナマエはそれまで俺がやっていたのと同じように、片手で俺の頭を撫でた。

「……おい、ナマエ……てめえも泣けよ……俺一人で恥ずかしいだろうが……」

俺は耐え難い羞恥心を誤魔化すように、凄んで呻るように言った。

「……ふふ、もう、兵長……ったら……」

ナマエは小さな声でそう言って少しだけ笑う。
音もなくナマエの頬を涙が一筋つーっと流れ、俺の肩に落ちた。

お互いの肩をほんの少しずつ濡らしあった俺達は、その後はもう一言も発せず、しばらくそうして抱き合っていた。





   

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