第二十一章 団長と分隊長





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死に物狂いで馬を操り、巨人の間をすり抜け、なんとか巨人から距離を取った私達の眼前に繰り広げられていたのは、見たことのない光景だった。

夕焼けの広がる草原の中、鎧の巨人に、大小様々な多数の巨人が群がっている。鎧は動けず、その場に固まったままだ。
ユミルと思われる巨人は、鎧を守ろうとしているのか、群がっている巨人に喰いついているが、数で劣っており全く歯が立っていない。
地上には数多の兵士の亡骸、そして今まさに喰われようとしている兵士もいる。

その阿鼻叫喚の図を目の当たりにした私は、巨人のいる地で不覚にも、馬上で呆然としてしまった。

「なんだこりゃ? ……地獄か?」

ジャンが呟いた。

ああ、そうだ。地獄だ。
私達が目にしているのは地獄だ。
十五歳の少年の悲痛な呟きが私の胸に食い込んだ。

「いいや……」

エルヴィン団長はそんな呟きを一蹴し、

「これからだ!」

馬で先陣を切って駆けだした。

「総員!! 突撃!!」

それは、常人が聞けば気が触れたとしか思えない命令だった。
憲兵だけでなく、調査兵達も一瞬戸惑いと怯えを見せた。
しかしそんなことはこの男の前には関係ない。常に自らが先陣を切っていく。

「人類存亡の命運は今!! この瞬間に決定する!
エレンなくして人類がこの地上に生息できる将来など永遠に訪れない!!」

そう言って右手で剣を高々と天に向かって差した。

「エレンを奪い返し即帰還するぞ!! 心臓を捧げよ――っ!!」

エルヴィン団長は右手に剣を持ったまま、ドンと、左胸に拳を叩き当てた。
今まで見た中で、一番見事な敬礼だった。

「はっ!!」

私も馬上で敬礼を返すと、馬の腹を蹴り、嘶かせ、団長に続いて駆けだす。
すぐに追ってきたのはミカサだ。その後ろにも一〇四期生を始め、兵士達が続いた。

馬の嘶きと足音と、兵士達の雄叫びが草原に響いた。

地獄だ。ここは地獄だ。
壁の中も地獄だ。
この世は地獄だ。
でもこの地獄を変えてくれるのはエルヴィン団長だ。
私は、私達はそう信じ、自らの心臓を捧げる。

動けなくなった鎧はとうとう肩に置いていた自らの手を放し、群がっていた巨人達を引き剥がし始めた。鎧が肩の手を放したということは、エレンが剥き出しの状態になっているということだ。
――今なら! 

「進め!!」

エルヴィン団長はこの機を逃さなかった。鎧に向かって前進するよう喊声を上げる。
兵士達はその喊声に鼓舞され、恐怖の中全速力で巨人の群れをかいくぐり鎧に向かって走る。

その時だった。
馬上のエルヴィン団長が振り上げた右腕を、一体の巨人が咥えた。

「えっ!?」

団長の横にいた私は間抜けな声を上げた。思わず馬を止め後ろを振り返る。

そこには、巨人の歯に右腕を挟まれ、血をまき散らして巨人の口から振り回されているエルヴィン団長の姿があった。

「うわあああああ!!」
「エルヴィン団長――――っ!!」

悲鳴が上がった。
私も上げた。

兵は皆後ろを振り返った。
調査兵団の象徴、人類の希望の象徴であるエルヴィン団長が巨人に腕を喰われている。

叫び声の後に残ったのは静寂だった。
声を出せるものはいない。



「進めえっ!!」

その静寂を貫いたのは、他でもない、エルヴィン団長の声だった。

「エレンはすぐそこだ!! 進めえっ!!」

そう言って残された左手に握りしめた剣を、鎧の巨人に向かって指し示す。
自らの命を擲ったその言葉に覚悟を決め、兵士達は再び馬を走らせた。

「うおおおおおおおおっ!!」

雄叫びを上げながら巨人の群れに向かって、その先にいる鎧に向かって、エレンに向かって突進する。
その突進の間、何人もが掴まれ、踏まれ、喰いちぎられた。

私は団長の指示を初めて聞かなかった。
鎧に向かって進まず、団長の腕を咥えている巨人の項に向かって飛んだ。
いつもなら巨人の目を潰し、踵骨腱を削いで、と、巨人の足を止めてから討伐していただろう。しかし今そんな余裕はなかった。

「うわあああっ!!」

叫び声を上げながら、直接項に切りかかる。

「団長を、はなせえええっ!!」

怒りと動揺で無我夢中だったが、刃は項に深く突き刺さる。
エルヴィン団長の右腕を喰った巨人はズン……と音を立てて倒れた。すぐに蒸気を上げて蒸発を始める。

「エルヴィン団長!!」

私は地面に投げ出された団長に駆け寄った。

右腕は完全に喰いちぎられており、巨人の口の中だ。しかし、エルヴィン団長には意識があった。
急いで止血しようと、止血用の麻糸を取り出す。欠損している右上腕を直視した。――右腕だ。利き腕だ。

「ナマエ、ここはいい、エレンを」
「いいえ!! 良くありません!!」

私は初めて団長の言葉を遮って否定した。

「エレンなら、大丈夫です! 他の兵は皆鎧に向かいました! あのミカサも向かっています! アルミンも向かっています! だから大丈夫です!」

大声で捲し立てた。そうしていないと、涙声になってしまいそうだった。

「あなたは、人類の希望の象徴です! 象徴を失っては、調査兵団は動けません!!」

捲し立てながらもとにかく必死に麻糸を巻く。
腕が震えて上手く動かなかったため、私は自分の左手で右腕をピシリッと叩いた。

「ナマエ、聞け。もし俺に何かあった場合は、次の団長はハンジ・ゾエだ」
「そんな話は聞きません!!」

私は怒鳴った。

「あなたを生きて連れて帰ると、兵長と約束しました!
兵長は、約束を破りません!! だから私も約束を守らなくてはなりません!!」

なんとか麻糸を縛り終える。刃でジョキンと糸を切ると、エルヴィン団長はふっと笑った。

「……ああ、ナマエ。わかったよ。君が命令に背いたのは初めてだな」

そう言って無くなった右腕のあたりに目をやる。

「……リヴァイに見下ろされて笑われるのだけはごめんだ。まだ死ねないな」

エルヴィン団長は立ち上がり、左手だけで器用に馬に跨った。

「行くぞ!!」

そう喊声を上げると、隻腕となったエルヴィン団長は鎧に向かって走り始めた。私もその後を追った。
本当はもう団長だけ先に撤退してほしかったが、そのような進言はするだけ無駄だとわかっていたので口にもしなかった。



巨人と屍の中を鎧に向かって走り、辿り着いた時には、鎧の肩の上でエレンを背負ったベルトルトとアルミンが対峙していた。

「……アルミン!」

エルヴィン団長はベルトルトと対峙するアルミンを見つけ叫ぶ。アルミンなら、その知恵でなんとか隙を作ると判断したのだろうか。

「ナマエ、馬を頼む!」

そう言って飛び上がり、ベルトルトの一瞬の隙をついて、鎧の指ごとベルトルトを斬りつける。
エレンを負ぶっていた紐は、エルヴィン団長の左腕によって斬られたのだ。
エレンは落下するところを飛んできたミカサに助けられ、地上への落下は免れた。

エレンを、奪還した。

「やった!!」

私は叫びながらエルヴィン団長の落下地点に馬を走らせる。団長は片腕でバランスが取れないながらもなんとか立体機動から馬に移った。

「総員撤退!!」

団長の振り立てた指示に、全兵は一目散に撤退した。



その時だった。必死に馬を走らせ退却する私達の目の前に、巨人が降ってきた。
ドオッという音と共に、飛んできた巨人は地面に打ち付けられる。何人かは下敷きになったようだ。
何が起こったのかわからず辺りを見回すと、鎧が巨人を振り上げ、こちらに向かって狙いを定めているところだった。

「ライナーの野郎……!! 巨人を投げて寄越しやがった!!」

ジャンのその声とほぼ同時に次の巨人が投げ飛ばされてきた。運悪く飛んできた巨人がエレンとミカサの乗った馬に当たり、二人は地面に投げ飛ばされる。

「エレン!! ミカサ!!」

叫んだが、また次の巨人が降ってくる。次の巨人は、エルヴィン団長の馬の尻に当たり、団長も地面に投げ出された。

「エルヴィン団長!!」

私は団長に駆け寄った。

「私の代わりはいる! それより……エレンを連れて離脱しろ! 一刻も早く!」
「大丈夫です団長、エレンにはミカサがついて……」

そう言って私はエレンとミカサの方を見たが、ミカサの様子がおかしい。怪我をしたのだろうか、動けずにいる。

「ナマエ、後ろ!!」

エルヴィン団長の声にハッと後ろを振り返ると、やってきた巨人にすんでのところで掴まれるところだった。私はギリギリ立体機動で飛びかわし、巨人の項めがけて刃を立てた。

「うわあああっ!!」

叫び声と共に項を削ぎ落すと、巨人が蒸発を始めた。しかし、その後ろにはまだ何体もいる。
横にも何体もいる。そして巨人は休む間もなく降ってくる。

エルヴィン団長は荒い息で、呆然と座り込んでいた。
いや、立つ体力がもうないのだ。顔色が悪すぎる、出血量が多すぎるのだ。
止血はしたが、あんな麻糸など気休めの応急処置でしかない。

「エルヴィン団長! お気を確かに!!」

私は叫びながら、巨人を削いで、削いで、削ぎまくった。
エルヴィン団長の意識を飛ばしてはいけない。二度と意識が帰ってこなかったら事だ。
一刻も早くエレンと団長を馬に乗せてここから離れなくてはいけない。それなのに、周りには巨人が多すぎた。

――当たり前だ、ここは巨人の領域だ――。
私は、何体か巨人を討伐したところで、ふ、と我に返り立ち止まった。
そして、周りを見る。




   

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