第二十一章 団長と分隊長





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巨大樹の森で、エレンが女型に連れ去られようとした時は、ミカサとリヴァイ兵長がすぐに気づき追えたから、なんとか取り返せたのだ。
それだって、あの兵長とミカサの力を以ってしても女型を討伐するには至らず、おまけに兵長は負傷して帰ってきた。
今回は誰も追えていない、その上リヴァイ兵長は負傷で動けない。それに……。

「交戦後存命の兵士は待機中ってことは、存命でない兵士もいるってことね?」

私が早馬の彼に確認すると、彼はこくりと頷いた。

「正確な人数は把握できておりませんが、数名の死者がいることは確認しています。
他にも重症者多数、先遣隊を率いたハンジ・ゾエ分隊長は重体、私が出立した時点では意識不明です。
また、南区で一〇四期生の監視にあたっていたミケ・ザカリアス分隊長は、巨人の集団が確認された際に囮になるため単騎で別行動をとりましたが、未だ戻らず行方不明。
一〇四期生と共に行動していたリーネ、ヘニング、ゲルガー、ナナバは昨晩、死亡が確認されています」
「……! ミ、ミケさんが……!? ナナバさん達まで……」

無慈悲な報告に声を震わせてしまった。
信じたくない。

いや、ミケさんについては行方不明なだけであって、死亡が確認されたわけでは――そう一瞬思ったが、その思考は振り捨てた。
今まで「行方不明」とされた兵士が無事帰還したことが一度でもあったか? 少なくとも私が入団してからはない。希望的観測は後で傷口を化膿させるだけだ。

『そちらは頼んだぞ。今回はリヴァイが動けない。お前達に託した』

ミケさん、兵舎を出る時にそう言ってたじゃないですか。
私達女型を確保したんですよ。ハンジさんが女型の中身の顔を拝ませてやるって言ってたじゃないですか。

ミケさんのあの優しい目が脳裏に浮かぶ。
同時に思い出したのはナナバさんが私に肩を組んだ時の感触だ。よく、がっしと肩を一方的に組まれ体重をかけられた。その時必ずふわりといい匂いがした。

『ナマエが幸せで、その上団に残ってくれるなら言うことなしだよ』

前に酒場でハンジさんと三人で飲んだ時の声が頭に響いた。

だめだ、だめだだめだ。
今は感傷に浸っている場合じゃない。
割り切れ。飲み下せ。傷つくのは後だ。

私は手をぐっと握りしめ感情を押し殺した。

すると、その握りしめた拳を上から包む手の平があった。
リヴァイ兵長だった。
兵長はこちらを見ず、まっすぐ前を向いている。

私の右手の拳に兵長の左手が重なり、二人の手を合わせて大きな拳となっていた。



* * *



エルヴィン率いる本隊は、リフトで馬を上げ、馬で壁の上を走って先遣隊と合流することになった。
もともと先遣隊の元へリフトを届けなくてはいけなかったので、リフトと共に向かうらしい。

兵の目的は当初ローゼに開いていると思われる穴を塞ぐことだった。
しかし穴が開いていないということになり、そしてエレンが連れ去られた今、目的は超大型と鎧からのエレンの奪還となった。

俺は巨大樹の森で女型と交戦し、踏まれ、潰された調査兵のことを思い出していた。
もちろん、あいつら四人のことも。

知性のある巨人のなんと戦いづらいことか。無知性の巨人のそれとは比較にならない。
ただ項を削げばいいだけの普通の巨人だって、通常の兵士であれば討伐に四苦八苦するものだ。
知性のある巨人は、巨人の体をした人間だ。俺達生身の人間が通常に対峙して勝利できるものではない。

ミケが、死んだ。
いや、「死亡」という報告ではなかったが、そう受け止めざるを得ない状況だ。
それに、ゲルガーやナナバ達も。

ミケはこの調査兵団で、対巨人の討伐力だったら俺の次だっただろう。それにミケが連れて行ったゲルガーやナナバ達だってベテランの猛者だ。
これから相手にしようとしているのは、あいつらが敵わなかった敵なのだ。

続々と上がっていく馬と兵を、俺はただ見上げていた。
朝方少し降った雨はとうの昔に止んだが、今の人類の状況はその晴れわたった空に似つかわしくない。
快晴の空がなんだか滑稽だった。

ニック司祭は俺の後ろで項垂れて座っている。
ナマエはリフト前で兵に指示を出しながら、エルヴィンと何やら打ち合わせをしている。

俺は、何もできないのか。
負った左足の負傷がこの上なく恨めしい。
俺が怪我さえしなければ。
俺が行ければ。

「おい、そこのお前達、こいつの見張りを頼む」

俺はニック司祭の見張りをその場にいた三名の調査兵に任せ、立ち上がった。



「……おい、エルヴィン」

エルヴィンに声をかけると、丁度打ち合わせが済んだらしいエルヴィンとナマエがこちらを見た。

「だめだ」

俺が何も口にする前に却下の言葉だ。

「まだ何も言ってねえだろうが」
「言おうとしていることはわかる。だめだリヴァイ。
馬車の中でも言っただろう。今お前を失うわけにはいかない」
「……」

俺は黙り込んだ。ナマエも何も言わず、ただ俺とエルヴィンをじっと見ている。

「立体機動が使えないんじゃどの道無理だ。無駄死には嫌いだろ」
「……ああ、嫌いだ。するのもさせるのもな」

俺はじっとエルヴィンを見たが、翻意の可能性は無い。

「……了解だ、エルヴィン。俺は司祭と共にここで果報を待つ」

ミケを殺し、ゲルガーやナナバ達を殺し、ハンジを重体にさせた相手に向かって出陣するナマエとお前を見ながら、何もせずに待ってろとは――酷な命令だ。

「エルヴィン、俺が待ってるのは果報だけだ。情けねえ結果で帰ってきたら、そん時はお前を見下ろして鼻で笑ってやるよ」
「これ以上ない激励の言葉だ、ありがとう」

俺はしばしば「リヴァイの言葉には通訳がいるよねえ!」なんてハンジに揶揄されるが、エルヴィンとナマエには、通訳は要らない。
俺がエルヴィンを見下ろすということはつまり、エルヴィンの身に何かあって横たわっている時だ。
そんなことは許さない。

「ナマエ」
「はい」

俺が呼ぶと、ナマエはその顔をこちらに向ける。
強かな瞳だ。
これから向かう相手の強大さをよく理解している顔だ。

行くな、ここにいろ。
生きて帰って来れるかわからねえ場所にお前をやりたくねえ。
俺が代わりに行くから、お前はここにいてくれ。

――もちろんそんなことは言えるはずもない。

俺は兵士だ。
ナマエも兵士だ。
そして俺達はそのことに誇りを持っている。

「お前は必ずエルヴィンを連れて帰ってこい。
いいか、生きた状態でだ。人類の勝利には、このマジキチ野郎の頭が必要だ。
いいな、必ずお前が連れて帰ってくるんだ」

死ぬな、と言えない俺は、そうナマエに言った。

「はい、リヴァイ兵長。承知しました」

ナマエは胸に拳をどんと当て、力強い声を返す。

「ふっ……熱烈な愛の言葉じゃないか、リヴァイ」

エルヴィンは口角を上げて笑った。



* * *



私達本隊は、ウォール・ローゼの壁上を馬で駆け、トロスト区とクロルバ区の中間地点、先遣隊が鎧と超大型と交戦した地点へと向かった。

人影が見えてきた。こちらに向かって声を上げる人物がいる。

「エルヴィン団長!」
「ナマエ分隊長!」
「おお、憲兵団もいるぞ……」

先遣隊がほっとしたような声を出す。私達は到着すると馬から降りた。

「エルヴィン団長、間に合ったのですね!」

どうやら比較的軽症だったらしいモブリットが迎えてくれた。傷や火傷の跡があるが、大事なさそうだ。

「状況は変わりないか?」
「はい」

一〇四期生のほとんどは無事だが、ハンジ班はモブリット以外重症。他にも重症者多数だ。
確認したところ、ハンジさんは怪我はひどく動けないが、命に別状があるわけではないらしい。一先ずホッとした。

私は壁の上で横たわるハンジさんの傍にしゃがみ込み、額に手をかけ、前髪を梳いた。
火傷範囲は広いが、深さとしてはそうでもないように見える。きっと真皮深層までは達していないのではないだろうか。
そこへモブリットも隣へやって来て、しゃがみ込む。

「……守れなかった」

悔しそうにモブリットが呟いた。

どう言っていいかわからなかった。
下手に答えて変に慰めているように聞こえるのも嫌だ。
私が黙っていると、モブリットは続ける。

「超大型の熱風にやられたんだ、この火傷……。女性なのに、身体だけでなく顔にもこんな大火傷を負わせてしまった」

やっぱりハンジさんのこと、上官としてじゃなくて女性として大事にしてるんじゃないか。
そう思ったが、口には出さなかった。

「……でも、命に別状がなくて良かったわ。
火傷は、大丈夫……この状態ならきっと痕には残らない。最近の軟膏は性能良いし。リフトがあるから降ろして、すぐにトロスト区の病院に運べば、きっと」

そう私が言っていると、ハンジさんが呻き声と共に目を開けた。

「……ハンジさん!?」
「分隊長!!」

モブリットと私は喜びで大声を出した。

「……モブリット……」
「分隊長!! 心配かけないでください! 今すぐ病院に運びますから!」

叫ぶモブリットの目が潤んでいるのに気付いたが、誰にも言うまい。

「ナマエ……ごめん……エレン……」
「ええ、大丈夫! 私達がこれから連れ戻しに行きますから!!」

私はそう言ってハンジさんの手をぎゅっと握った。

「モブリット、ち、地図を……」
「ち、地図!? はいっ!」

ハンジさんは起き上がれず、俯せになったまま広げた地図を指さして説明を始めた。
エルヴィン団長を始め、私達兵士がその周りに群がっている。

「ここに……小規模だが巨大樹の森がある。そこを目指すべきだ……」

ハンジさんはいくらか意識がはっきりしてきたようで、口調もだんだんとしっかりした物になってきた。
群がった私達はしゃがみ込み一心に聞き入る。

「まぁ……鎧の巨人の足跡は隠しようがないと思うけど……多分……彼らはここに向かいたいだろう」
「なぜだ?」

エルヴィン団長の簡潔な問いに、ハンジさんは重傷にも関わらずその頭脳を存分に用いて説明した。

「賭けだけど……巨人化の力があっても壁外じゃ他の巨人の脅威に晒されるようだし、あれほど戦った後だからエレンほどじゃなくても……えらく消耗してるんじゃないか? アニも寝込んでたらしいよ」

弁舌を振るうハンジさんの目には、力が宿っている。まだ、可能性があるのだ。

「彼らの目的地をウォール・マリアの向こう側だと仮定しようか。さらに……その長大な距離を渡り進む体力が残ってないものと仮定してみよう。
どこか巨人の手の届かない所で休みたいと思うんじゃないか!? 巨人が動かなくなる夜まで!」

ハンジさんは大きく息を吐いて、吸った。
そして力を振り絞り声を張った。

「夜までだ!! 夜までにこの森に着けば、まだ間に合うかもしれない!!」




   

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