第二十一章 団長と分隊長





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ストヘス区の惨状を嘆く会議が行われていた議場へ飛び込んできたのは、「早馬のトーマ」だった。
馬術に長け、早馬を走らせれば右に出る者はいないと評価されている男だ。

曰く、ウォール・ローゼ内南方に大量の巨人の発生を確認。
ローゼ南区内に隔離していた一〇四期生と、監視にあたっていたミケさん率いる着任五年以上の武装兵を組み合わせ、四つの班を構成。周辺住民への情報拡散、避難誘導に当たった。同時に、ローゼに開いたと思われる穴の箇所の確認も行っているとのことだ。
ローゼ内に巨人が出現したなど、青天の霹靂だ。
もちろん会議は即刻中止。ストヘス区内にいた調査兵全兵は巨人の討伐と住民の救出のため、ローゼ内へ向かうことになった。

エルヴィン団長、私、ハンジさん、そしてそのハンジさんに引き連れられたニック司祭は揃って議場から出た。
移動しながらエルヴィン団長はてきぱきと指示を出す。

「ローゼ内の安全が確認できない以上、安全と言い切れるのはエルミハ区までだ。まずは全兵でエルミハ区へ向かい、そこから二手に分かれる。
ハンジはエレン、ミカサ、アルミンと共に臨時の班を構成。新兵三人と調査兵の半数を連れ、先遣隊として動け。人選は任せる。エルミハ区からローゼに開いたと思われる穴まで直行し、穴の封鎖に努めよ。
ナマエは私と共に本隊だ。エルミハ区からトロスト区へ向かい、駐屯兵団と落ち合う。ローゼ内の状況を確認後、先遣隊に合流する。
ニック司祭の監視はリヴァイに任せるとしよう。状況次第だが、一先ずトロスト区で待機とさせる」
「了解」

私とハンジさんは短く返事をした。エルヴィン団長は続けて私に指示を出す。

「ナマエ、全調査兵を広場へ集合させろ。私は憲兵も本隊として引き連れていけるよう掛け合ってくる」
「……憲兵団もですか?」
「緊急事態だ。先般の壁外調査で我々は多くの人員を失ったばかりだ。兵の補充もできていない。一人でも多くの人手が欲しい」
「もちろん、それはそうなのですが……」

憲兵団を巨人のいる地に向かわせるなどできるのですか、という言外の疑問を読み取られる。

「なぜリヴァイを私服で来させたと思うんだ」
「……!」

まさか、兵長の負傷を利用し、敢えて兵服ではなく私服で来させることで「人類最強」の不在を印象付けたと?
それによって憲兵を引きずり出す一助にすると? 
――恐ろしい。私の頭の中に浮かんだのはその単語である。

「いや、俺だってまさかこんな事態になるとは思っていなかったが」

エルヴィン団長はまたも私の心を読み取り、ふっと笑いながら言った。
一人称が「俺」になっている。

「何があるかわからないのが世の常だ。そうだろう?」

全く食えない男である。絶対に敵に回したくない。
私とハンジさんは多分同じことを考え、そして顔を見合わせた。



結局エルヴィン団長は憲兵団を引きずり出すことに成功し、ストヘス区憲兵団支部からかなりの数の憲兵が駆り出された。
内地での安全で優雅な暮らしを満喫していた彼らにとっては気の毒だが、それはもう昼間の騒ぎで洗礼を受けているはずだ。兵士の本分に務めてもらうこととする。

エルミハ区についてからは、まずハンジさん率いる先遣隊の出立準備を手伝った。
エレンは巨人化の後遺症で騎乗する力が残っていなかったため、ストヘス区からエルミハ区までの間は荷馬車に座らせた。少しは休めたようで、エルミハ区についた時にはなんとか騎乗できるくらいには回復したようだ。
先遣隊としてハンジさんに選抜された兵士達がバタバタと装備を整えている間、私は本隊となる調査兵に出立準備を手伝うよう指示した。
憲兵に手伝わせるのは控えた。憲兵様に指示をするのが恐れ多いわけではない、迅速な行動ができないことが目に見えていたためだ。忙しい出立準備に足手まといは必要ない。

「ナマエ」

他の兵と一緒に松明の準備をしていた私にハンジさんが声をかける。その顔は青い。

「どうしましたか? 顔色すごく悪い……」
「重要事項二点だ。エルヴィンに伝えてくれ」

そう言ってハンジさんは一息つき、意を決したように再び口を開いた。

「まず一点目。一〇四期生のクリスタ・レンズ。
ニック司祭によると、彼女は壁の秘密を知る血族の末裔らしい。本人が情報をどこまで知っているかはわからないけどね。
ただニック司祭は、自分は壁の秘密について話せないが、クリスタには話す権利があると言っている。クリスタ・レンズというのは偽名で、本名は『ヒストリア・レイス』というらしい」

重要事項どころではない。とんだ爆弾投下だ。
私は返事もできずに、ただ口を開けていた。
というか、また一〇四期生か? 胸に浮かんだ言葉を飲み込んだ。

クリスタ・レンズ……卒業時成績十位の子だったはずだ。
名前はわかるが容貌はわからない。今までの訓練や先般の壁外調査でも絡んだことはないはずだ。
本姓がレイスでそれを偽っているというのであれば、壁の秘密を知る血族というのはレイス家ということか。

「もう一点。アニの身辺調査の結果がさっき丁度届いたんだけど、それによると同じく一〇四期生のライナー・ブラウンとベルトルト・フーバーが、アニと同郷なんだ。
更に二人とも、この前の壁外調査で、エレンが『右翼側』に配置しているとされた作戦企画書を配布されていたグループだ。
これだけで二人を敵だと決定づけることはもちろんできないが、念のため地下で幽閉するよう動く」

――なんなんだ、一体。一〇四期生はどうなっているのか。

今日という一日であまりにも多くのことが起こりすぎている。
私はくらくらする頭を必死に奮い立たせた。ハンジさんの顔色が悪いのももっともだ。

「……承知しました、伝えます」

なんとかそう答えた私を見てハンジさんは力強く頷いた。
そして私を見つめると、ぎゅっときつく抱きしめてきた。

「ハンジさん……」
「ナマエ……本隊は頼んだよ。君自身と、エルヴィンを守れ」

ハンジさんの声はしっかりとしていたが、その肩は少しだけ震えていた。

ローゼ内に巨人が出たなど、今日は人類最悪の日が更新された日だ。
もう何が起こるかわからない。
モブリットが少し離れたところからこちらを見ているのが目に入った。彼もまた、ハンジさんを守ることに覚悟を決めているのだろう。

「生きて会おう」

生きて会おう、なんてハンジさんに言われたのは初めてだ。

私達調査兵は、この壁の中で多分一番死に近い位置に立っている。
でもハンジさんはいつも飄々としていて、こんなに生死を感じさせる言葉を吐いたことはなかった。
短い言葉だったが、彼女の心情を慮るには十分だった。

「はい、任せてください。ハンジさんも……ご武運を」

私もぎゅっとハンジさんを抱きしめ返す。大
好きな先輩へのありったけの想いを腕に込めた。

二つの身体はゆっくりと離れ、そしてハンジさんは先遣隊として出立へ、私は本隊の出立準備へ、互いに反対の方向へ駆けだした。
もう私達の瞳は交わらなかった。



* * *



夜通し馬を駆けさせ、日の出がやって来た。

エルヴィン団長が先頭になり、分隊長である私がその次だ。調査兵と憲兵で構成された本隊は、トロスト区へ到着した。

到着してすぐ、私とエルヴィン団長は壁の上にいる駐屯兵団・南側領土最高責任者、ピクシス司令の元へ向かった。
壁の上へ行くにはリフトでなければ立体機動で飛ぶしかない。私と団長はひゅんと飛ぶと、壁の上に静かに着地する。
そこにいた特徴的な禿げ頭の人物に向かって、団長は低い声をかけた。

「ピクシス司令」
「おおエルヴィンか、ナマエも」

ピクシス司令はそう私達に声をかけ、胡坐をかいて座り込んでいた姿勢から立ち上がる。
どうやらこの状況下で酒を飲んでいたらしい。司令の周りには酒瓶が数本転がっており、手の中にもまだもう一本ある。
司令にお会いする機会はなかなか無くかなり久しぶりに会ったが、生来の酒好きは相変わらずのようだ。まあ酒に縋りたくなる状況ではある。

「例のねずみっ子を一匹捕らえたらしいの」
「ええ……しかし……あと一歩及びませんでした」

そう言って、アニを捕らえたことを労って評価してくれるのも、司令が人類の未来を重んじており、且つ柔軟な思考の持ち主であることの証だ。
この人は机上で頭でっかちなことを便々と述べる類の人間ではない。

「しかしあれで中央の連中は考えるであろうぞ。古臭い慣習と心中する覚悟が自分にあるのかをの」
「ええ……そのようです。見てください。ついに憲兵団をこの巨人のいる領域まで引きずり下ろすことが叶いました」

そう言って、エルヴィン団長が壁の下の憲兵団に目線をやった時だ。

「ピクシス司令!! 先遣隊の早馬が帰って参りました!!」

立体機動で一人の兵士が大急ぎで飛んできた。私達三人は伝達に来た兵士と共に、壁の下へ飛び降りる。

大汗をかいて座り込んでいるのは、トロスト区から穴を探して壁沿いを走っていた駐屯兵団先遣隊の一人だ。
彼はゼエゼエと荒い呼吸をしながらなんとか息を整えると、ピクシス司令、そしてその後ろの私達に向かって報告をした。
ニック司祭を引き連れたまま兵長もやって来た。

「か……壁に穴などの異常は見当たりませんでした……」
「そうか……やはりのう……」

伝令の報告に、ピクシス司令はそう答えた。

が、壁に穴が開いてないとすれば、ローゼ内に出現した巨人の群れは、一体どこから入ってきたというのか?
報告を聞いた皆がその疑問を胸に抱いたが、次の瞬間、全く予期しなかった報告が伝令の口から紡がれる。

「し、しかし……大変な事態になりました!
我々はトロスト区に向かう帰路でハンジ率いる調査兵団と遭遇しました! その中に装備を着けてない一〇四期の新兵が数名いたのですが……」

彼はそこで、もう一度大きく息を吐いて吸った。

「その中の! 三名の正体は……巨人でした!!」

報告に、辺りは水を打ったように静まり返った。

しばらく静寂が続き、それを破ったのは三名の巨人と同期の一〇四期生、ジャン・キルシュタインだった。

「……何言ってんだあんた!? あいつらの中に……まだ!? さ、三人って……!? 誰が!?」

先輩兵士である伝令に対し随分と無礼な口ぶりではあったが、もうそんなこと誰も気にしてはいない。

「ジャン待つんだ」

興奮して捲し立てていたジャンを制したのは、エルヴィン団長だった。

「正体が判明して、どうなった?」

伝令は顔に流れる滝のような汗も拭わず、怯えたような眼でエルヴィン団長とピクシス司令を見つめ言った。

「調査兵団は超大型巨人・鎧の巨人と交戦。我々がその戦いに加わった時には既に決着がついておりました」

再び静寂が流れ、その場にいるすべての者が固唾を飲んで彼の次の言葉を待った。
しかし、待った先に用意されていたのは残酷な現実だ。

「超大型巨人の正体はベルトルト・フーバー、鎧の巨人の正体はライナー・ブラウンでした!
巨人化した彼ら二人に調査兵団は敗北、エレンと、同じく巨人化できると判明した一〇四期生のユミルが、彼らに連れ去られました!
巨人らはローゼの外に走っていきましたが、最終的な目的地は不明。リフトが無いため馬をローゼの外に下ろせず、交戦後存命の兵士は今トロスト区とクロルバ区の中間地点壁上で待機しています」
「……!!」

私、兵長、団長は息を呑んだ。

エレンが、連れ去られた。
そして誰もその後を追えていない。




   

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