第二十章 ストヘス区にて





02



私とハンジさんは途中で別れた。
ハンジさんは拘束兵器の元へ、私は女型の元へ。

街は大変な混乱状態で、既に死者、負傷者が溢れ返っていることは一見してわかった。
女型の動きを少し離れたところから観察していると、女型は走りながらも立体機動のワイヤーを掴み、兵士達を叩き潰している。
――こうやって、あの壁外調査でも多くの兵士を潰したのか。
遺体達の無残な姿を思いだし、毛が逆立つような怒りを覚えた。

そこへ、アルミンとジャンが飛んで女型を引き連れてきた。

「ジャン! アルミン! こっち!!」

私は怒りを胸にしまい立体機動で飛び立つと、二人に向かって手を上げる。ハンジさんのいる第三次作戦が発動するポイントまで、女型を連れて行かなければならない。

「了解!!」

アルミンとジャンが返事をし、私の後ろについてきた。女型の巨人もその後ろについてきている。
そのまま女型を引きつけ――ここだ! 
ハンジさん、頼みます! 

ガガガガガガッ!!

予定していたポイントに女型が足をかけた瞬間、捕獲兵器が発動された。
まるで大砲のような音と共に女型の巨人は無数のワイヤーで拘束され、さらにその上からネットが掛けられた。

「よーし!」

ハンジさんの歓声が上がる。

「三次作戦なんて出番はないと思ってたけど、とんでもない! さすがはエルヴィン団長ってとこか!
ナマエ、よく連れてきてくれた! サンキュー!」

ハンジさんはがっしと私の肩を組んだ。私も頷いて応える。

「さてと……」

女型の元へ降りるハンジさん。私もその後ろにつく。
女型の巨人をじっくりと眺め、見下ろす。

……憎い。
お前に、何十人もの調査兵が……リヴァイ班が……ペトラが……。

私は女型をギッと睨み付けた。
今すぐその顔をぐちゃぐちゃに切り刻んてやりたいが、それは私が今すべき仕事ではない。

「いい子だから……おとなしくするんだ……」

ハンジさんは、女型のその眼に刃を突き刺そうと剣を持ち上げた。

「ここじゃあこの間みたいに、お前を食い尽くす巨人も呼べない」

その瞳が怪しくギラリと光る。

「でも大丈夫……代わりに私が喰ってあげるよ。お前からほじくり返した情報をね……」

そう言って女型を見下ろすハンジさんの眼は、完全にイってしまっている。
これは科学者の持つ狂気の瞳か、それとも犠牲となった調査兵への仇討の瞳か。恐らく両方だ。

だがわずかな隙を狙って、女型の巨人は腕を動かし拘束を解いてしまった。

「振りほどいた!?」

勢いよく横に払われた女型の腕に、多数の兵士が吹っ飛ばされる。

「くそっ、さすがに罠の数が足りなかったか!」

ハンジさんは叫んだ。突貫工事だと言っていたハンジさんの心配は的中してしまった。
次の瞬間、また巨人化する際の発光があった。
――エレンだ。

発光と爆発の中から現れた巨人化したエレンが、アニめがけて走り出してくる。
エレンは凄まじい勢いで、その右手の拳を女型に食らわせた。
エレンに殴り飛ばされた女型はウォール教の教会に吹っ飛んだ。ドガーン、ガラガラ、ガシャーンと派手な音が鳴り響く。
教会はめちゃくちゃに崩れた。おそらく中にいた信者も潰されてしまっているだろう。
教会だけではない。女型とエレンが動き回ったことで、ストヘス区内は極度の混乱と無秩序に陥っていた。

エレンに殴り飛ばされ倒れた女型はその巨体を起こすと、走り出しエレンから逃げ出した。
走っているその間も、女型の周りを飛ぶ私達を捕らえようと大きな腕を振り回し続けている。そのたびに家屋の屋根や外壁が破壊され、塵を立てながらガラガラと崩れ落ちていく。
逃げる女型が向かっているのは、壁だ。

「ヤツは壁を越える気だぞ!」
「ここを逃せば人類の敗北だ!!」

壁に向かって走る女型は、周りに建造物がない広場――平地へ逃げ込んだ。

「平地だ!」
「女型が平地へ入るぞ!」
「あれじゃあ立体機動が使えない!」

兵士達が口々に叫ぶ中、エレンはズシンズシンと足音を立てながら女型を追っていた。
その走る様子は、極めて冷静に見える。

「……今回はうまく自分を保っているようだね。エレンが時間を稼いでくれると信じよう」

ハンジさんが、心配そうな顔をしているミカサに呼びかけた。
ミカサのエレンに対する執着は尋常でない。それはミカサを知ってからまだ日が浅い私達にも十分伝わっていた。

「二手に分かれて迂回しろ! 何としても女型を確保せよ!」

大声でハンジさんが指示を出し、兵士達は平地を回り込んで女型を取り囲む。

逃げることを諦めたのか、それともこれがエレンを連れ去る最後のチャンスだと思ったのか。女型は走るのを止め、エレンと女型は平地の真ん中で向かい合って対峙した。
エレンは、再び拳で女型を吹っ飛ばし、女型もそれに応戦し足技を繰り出す。
二体の巨人は互いに倒れては起き、倒れては起きを繰り返した。
双方移動しながらのため、舞台はだんだんと広場ではなく周囲に家屋がある道路に移っていく。二体が腕を動かすたびに家屋の壁や窓が崩され、足を動かすたびに道路は陥没し、兵士や民間人が踏み潰された。

区内の惨状がどんどん塗り替えられていくその様に、モブリットはハンジさんに向かって震える声を出した。

「分隊長……ここで女型を捕獲できても、これじゃあ街が廃墟になるんじゃ……」
「それでもやるんだよ。それがエルヴィンの判断だ」

ハンジさんの声は冷静で、冷徹だった。

女型はなんとかエレンを蹴り飛ばし地に伏せさせると、再び壁に向かって逃げた。
壁に辿り着くと、なんと巨人の姿のままよじ登り始めたのだ。女型の爪が壁に食い込み、傷ついた壁がボロボロと崩落していく。
女型は巨人とは思えないスピードで壁をよじ登っていた。

そうだ、こいつは最初から吃驚のスピードを出せる巨人だった。
先日の壁外調査でもそうだったじゃないか。あの巨大樹の森を高速で駆けて私達に大打撃を与えたじゃないか。

「このままじゃ、逃げられる!!」

私はそう叫ぶと壁にアンカーを刺し立体機動で追いかけた。
他の兵士もそれに続くが、巨人のコンパスは長いなんてもんじゃない。立体機動でも追いつかない。

そこへ、

「行かせない!」

ミカサの怒りのこもった叫び声。彼女はものすごい速さで私達を追い抜いて行った。
巨人化したエレンがやっと立ち上がったところで、ミカサはそのエレンの手を台にしてそこから飛び上がったのだ。

女型に追いついたミカサは、バシュッ、バシュッと、女型の右手、左手、の順に、指を切り落とした。
それは――人類最強と冠せられた男を彷彿とさせる――人間離れした鮮やかな身のこなしだった。

額をミカサの足に蹴られた女型が絶望の表情と共に落ちていく様は、私の眼にスローモーションのように映る。

壁から落ちた女型にエレンが馬乗りになり、ついに拘束された。
エレンの手で女型の項を引き裂き、私たちはとうとう女型の本体に手を掛けた。

そこからの記憶は断片的だ。

なんとか項から出した女型の本体、アニ・レオンハート。
彼女は項からほじくりだされる直前で、その身体を強固な――少なくとも私達の刃では歯が立たないほどには固い水晶体で覆ってしまった。
瞼と口を閉ざしたまま水晶体の中で眠るアニの顔は美しく、まるで眠り姫のようだったことは覚えている。
あれはジャンだったか、それともケイジだったか。激昂してアニの水晶体を刃でメッタ刺しにしようとしていたが、ハンジさんに止められていた。
私達は高質ワイヤーでネットを作り、アニを縛り上げた。アニを地下へ幽閉するのだ。
私は水晶体で覆われた引くための馬を呼び、地下への移動を指示していたようだ。
絶望で朦朧としていたのだろうか、実はよく覚えていない。



* * *



アニの当面の保管場所として提供された地下室は、薄暗く、湿気ていた。カビの臭いがする。
私はリヴァイ兵長と共に、ワイヤーで縛り付けられた水晶体の中の女を見つめていた。

――壁外調査だけではなく、このストヘス区でも、数多の犠牲を出した。
その結果がこれだ。何も聞きだせなかった。何もだ。
アニがこれから起きて口を開くとは到底思えない。

私は地下室の冷たい床にがくんと膝を付き、呆然として彼女を見続けた。
兵長も口を開かない。ただただ、アニをその眼で見続けている。

「……お前は、何だ?」

私が膝を折ったまま知らず知らずのうちに出した声は震えていた。

「……どんな大義があって人を殺せた? 何故壁を破壊した?
何故エレンを狙う? お前は……お前達の、目的は……何なんだ……?」

兵長は私の肩に手を置きグッと力をいれたが、だがやはり何も喋らなかった。



その夜、ストヘス区内の憲兵団支部の施設で、この日を総括する会議が開かれた。
私はエルヴィン団長、ハンジさんと共にその会議に参加した。

会議の前にハンジさんから聞いた話によると、女型が逃げようとした際についたウォール・シーナの傷から壁の一部が崩落し、そこから生きた巨人の顔が覗いたらしい。
ウォール教のニック司祭はどうやらそのことを知っていたようで、だが何故壁の中に巨人がいるのか、そして何故それを黙っていたのかについては、ハンジさんが激昂して脅しても口を割ることはなかったという。
この一件によって、ニック司祭は我々調査兵団の管理下に置かれることになった。
――今日一日であまりにたくさんのことが起こりすぎて、頭が痛くなる。

「エルヴィン、本作戦においていくつか疑問がある。
目標の目星がついていたのならなぜ憲兵団の協力を依頼しなかった?」

ストヘス区長は、私が至急作成した報告書に目を通しながら口を開いた。

「区長、それは、女型の仲間が潜んでいる可能性がある以上、潔白を証明できるもののみで行う必要があったからです」
「壁内に潜伏していた『女型の巨人』……アニ・レオンハートを特定したことは評価する。
だが、それによってストヘス区が受けた被害についてはどうお考えか?」

あまりの事態に、ストヘス区長もおそらく怒りとか驚きとかはとうに通り越している。
エルヴィン団長の口調が落ち着いているのはわかるが、区長の声も落ち着き払っていた。不自然なほどに。

「我々の実力が至らなかったからです。深く陳謝します」

エルヴィン団長は低い声で謝罪した。

「その一方で、奴らをこのままにしていれば壁は破壊され、被害はこれだけではすまなかった……そういう天秤を踏まえて実行に移したのも事実です」
「……で、多大な犠牲を払った本作戦において、人類の終焉を阻止できたとの確証はあるのか? 今のアニ・レオンハートから何か聞きだせるとも思えんが」
「はい、不可能でしょう」

エルヴィン団長の絶望的な台詞に、議場はざわめいた。

「つまり……無駄骨なのか?」

ストヘス区長の顔は下を向いている。

「しかし」

そう発したエルヴィン団長は、区長とは対照的に堂々と前を向いている。

「私は人類が生き残るための、大きな可能性を掴んだと考えます」

周囲が絶望している中で、この人は絶望していないのだ。
これだけの被害を出して、この人はそれをハナから承知なのだ。

「人間が巨人化するなど、想像さえしていなかったころと比較すると、敵の一人を拘束したことは、大きな前進です」

この人が絶望していないのであれば、私達はそれについていく他ない。

「そう、奴らは必ずいるのです。一人残らず追い詰めましょう。
壁の中にいる巨人を、全て……」

会議に同席していたニック司祭が震えているのを、私も、ハンジさんも、もちろんエルヴィン団長も、見逃さなかった。



その日はその会議で終わりかと思っていた私は、まだまだ甘かった。
この世界の残酷さを真の意味でわかっていなかったのだ。

会議中、無作法にもノックなしでドアを開け飛び込んできたのは、調査兵団のトーマだった。

「エルヴィン団長!! 大変です! ウォール・ローゼが!!」

私達の長い長い一日は、まだ終わらない。




   

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