第二十章 ストヘス区にて





01




朝、憲兵団が馬車と共に、俺達幹部とエレンを迎えに来た。

昨夜、ただならぬ様子で俺を求めた上に、珍しく泣き言を言ったナマエは、朝起きるとすっかり通常営業に戻っていた。
俺も大層恥ずかしい泣き言を言ってしまったが、それも何も聞かなかったかのように振る舞っている。
もちろん、それは互いにだが。「忘れたことに」という約束は、双方守ったことになる。

俺が素直に感情を表現する性質でないことは自分で重々わかっているが、ナマエもなかなかだ。
他の奴の前では立場上無理なことも多いと思うが、少なくとも俺の前では、他の女子供のようにもう少し泣いたり喚いたりすればいいと思う。が、性格上なかなかできないのだろう。
だから昨日みたいに本音を漏らすことはごく稀だ。
触発されたのか、俺もつい言うつもりのなかった言葉が出てしまった。不覚だった。

自室に戻って兵服を着てきたナマエは、通常営業仕様の上に部下仕様が加わってやがる。
引き締まった顔で、兵舎入口にやって来た。全く可愛げのないやつだ。
俺は負傷中のため兵服ではなく私服だ。別にベルトを付けなければ兵服でも良いと思うのだが、私服で来いとエルヴィンの指示だ。――何か意味があるのだろうか。

憲兵団の馬車前には、ミケ以外の幹部とエレンが集まった。
エレンは一人で、ナマエはハンジと、俺はエルヴィンと馬車に乗りこむ。

これから行われる一大作戦を思い、俺達は言葉少なだった。
恐らく憲兵達は、ただ俺達が諦めてしおらしく言うことに従っていると思っているのだろう。この作戦が成功しようともそうでなかろうとも、お前達は度肝を抜かれることになるというのに。
憲兵団の御者が馬を動かし、馬車は静かに走り出した。



* * *



「アルミンは逸材だな」

馬車の中ではしばらく無言だったが、突然エルヴィンがそう口を開いた。

「……そうか」
「ああ、そうだ。ミカサといい、一〇四期には常人離れした人材が多いな」
「巨人化しちまう奴もいるしな。それも一人じゃねえときた」

ため息交じりに言う。

「だから言っているだろう、常人離れしていると」
「俺に言わせればお前も充分常人離れしてる。普通じゃねえ」
「その言葉、ブーメランで返って来るとは思わなかったか?」

エルヴィンの笑顔に俺は閉口した。

「安心しろ、リヴァイ。俺とお前だけではない。調査兵団は普通の人間では務まらない」

全くその通りだ。

馬車はストヘス区に入った。俺とエルヴィンは馬車の窓からこっそり様子を窺う。

「……おい、リヴァイ」

エルヴィンは俺を呼んだ。二人で窓に顔を近づける。

エルヴィンの視線の先にいたのは金髪の小柄な女だった。鼻が高く整っている顔立ちだ。
他の憲兵と一緒に歩いて移動していたが、誰かに呼び止められた様子で後ろを振り向くと、細い路地に入っていった。

「……あれか? アニってのは」

俺が小声で尋ねると、エルヴィンは答えた。

「ああ……恐らく、そうだろうな。金髪、小柄。エレン達から聞き出した特徴と合致する」
「路地に入っていったってことは、あいつら三人が接触開始したのか」
「多分な。上手くいくと良いが」

作戦通り進んでいるのであれば、既にエレンは馬車から抜け出し身代わりのジャンと入れ替わっているはずだ。
俺達はアニと思われる女性が見えなくなると、窓から離れて座りなおした。

「……ちょっと、ナマエに似ていると思わなかったか?」
「……ああ?」

エルヴィンの言葉は予想だにしなかった。思いっきり眉を顰めて睨んでやる。

「金髪だけだろ。あいつのほうがよっぽどいい女だ」
「そうか。まあ、同意だな。ナマエは、頭は切れるし気は利くし愛敬も振りまける、その上この上ない美人だ。かなり上等な女性だと思うよ」
「……おい、エルヴィン」

嫌な予感がした俺は剣呑な声を出した。

「はは、安心しろリヴァイ。私にとっては有能で失いたくない部下の一人だ」
「……」

否定の言葉を聞いて正直ホッとした。
こいつと正面切って張り合ったら勝てる気がしない。

「しかし、お前の口から惚気を聞くことになるとはな」

俺はもう一度眉を顰めて睨んでやった。こいつに全然効果がないことは承知だが。

「いや、いいんだ。寧ろ好ましいと思っているよ」

エルヴィンは片肘を馬車の窓台につく。

「お前が命を落とさずに自由に動き回れるのなら、それが一番良いことだ。
ナマエがいることでそれができるなら、それに越したことはない。今、死にたくないだろう?」

死にたくないという言葉に、昨夜のナマエとの会話を聞かれていたのかとぎょっとした。
いや、そんなはずはない。昨夜の秘め事は俺達二人だけの物だ。
喘ぎ声は壁に耳を貼り付ければもしかしたら聞こえるかもしれないが、あの泣き言はどうやったって聞こえるボリュームではない。

ああ、確かに死にたくない。俺は生きて、もう一度あいつを抱きたい。
昨日確かにそう言った。
エルヴィンの目はいつだって人を見透かしている。俺は平静を装った。

「お前の代わりはいない。人類最強を冠したからには、死なれては困るんだ。
ナマエがその一助となっているのであれば結構なことだ」
「……」

てめえ、そりゃナマエを駒にしてるってことじゃねえか。

俺は喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。

何を今更。こいつが全ての人物を駒にしているのなんて、わかりきっていることだ。
あいつも駒。俺だって駒だ。

「もちろん、ナマエが大事じゃないというわけではない。言っただろ? 有能で失いたくない部下だ。彼女は彼女で逸材だ。
だが、調査兵団の命には優先順位がある。それはお前も承知のはずだ」
「……ああ、承知だ」
「わかっているな、今日はお前は動くな、リヴァイ。
今お前を失うわけにはいかない。人類は剣ヶ峰に立たされている」

俺の一番愛しい女は、俺に死ぬなと言った。
俺が一番認めている男も、俺に死ぬなと言う。

――良いだろう、死なないように善処してやる。

「了解だ、エルヴィン」

俺もナマエも、心臓は既に自分の物ではないのだから。



* * *



馬車は、憲兵団のナイル・ドーク師団長に率いられた。

ナイル師団長は、エルヴィン団長の同期だ。エレンを裁いたあの兵法会議の時に、憲兵団代表としてエレンの解剖を主張していた人物である。
元々はエルヴィン団長と共に調査兵を目指していたという話を聞いたことがある。
どういう経緯で憲兵団になったかは、まだ私の知るところではない。

おそらく馬の足音や車輪の音なんかで外にいる人物には聞こえないはずだが、一応馬車の中では小声で話していた。

「三次作戦、ちょっと心配なんだよ……急遽決まった作戦だろ? 急いで拘束兵器を手配したけど、若干、突貫工事した部分があるんだ」

ハンジさんは懸念を顔に出した。

「いや、あの短時間でよく手配しましたよ……もうすでに兵器はストヘス区に?」
「ああ、昨日のうちにストヘス区に入っている団員達と一緒にね」
「……三次作戦まで行かずに終わればいいのですが……」
「ああ、そうなんだけど……うーん……私としては拘束兵器使いたい気も……」
「ちょっと! ハンジさん!」
「うそうそ! ごめん!」

悩ましげに言うハンジさんに、私は小声でツッこんだ。ハンジさんも小声で笑う。

馬車はストヘス区に入り、アニと思われる兵士が路地に入っていくところを確認した。ハンジさんと私は頷き合う。
アルミン達三人が接触しているはず。ここまでは予定通り作戦が進んでいる。

ストヘス区に入ったあたりから、私はだんだん緊張してきた。
おそらくハンジさんもだと思う。表情が少しだけ固くなっている。

しばらく馬車は進み、その間私達は緊張を振り切るかのように雑談を繰り広げていた。
昨日食べた夕食のこと、モブリットを昨日も徹夜させてしまったこと、最近兵長の紅茶の茶葉が変わったこと。
ただそのどれもが、上滑りの会話だ。
喋っていないと、私は緊張で口がカラカラになってしまいそうだった。ハンジさんは随分余裕のある表情を出していたが、それも多分努めて出しているものだろう。私も平静を保つよう尽力した。

突然、巨人が発生した際の爆発音があった。

「……!」

私とハンジさんは顔を見合わせ、ガバッと窓にしがみつく。
馬車の中なので良く見えなかったが発光らしきものもあった。馬車は馬の嘶きと共に一時停止する。
アニが巨人化したに違いない。巨人化させずに拘束するという一時作戦は失敗だ。
私達はガタガタと馬車から降りた。

私達が馬車から出ると、エルヴィン団長、リヴァイ兵長も馬車から降りていた。ナイル師団長も馬から降りてあたりを窺っている。

「妙だな……さっきの爆発のような音といい……」

事情を知らないので仕方がないが、ナイル師団長は何をのんきな事を言っているのか。
アニが巨人化したということは、間違いなく巨人化の際の爆発で怪我人が出ている。
アニを拘束するために、現場には調査兵が多数待機していたはずだ――怪我で済んでいればいいが。
それに調査兵だけではない、民間人に被害が出るのは時間の問題だ。

「ナイル、すぐに全兵を派兵しろ。巨人が出現したと考えるべきだ」

エルヴィン団長が言った。

「……何を言っている!? ここはウォール・シーナだぞ! 巨人など現れるわけがない!」

もう一度言う。事情を知らないので仕方がないが、ナイル師団長は何をのんきな事を言っているのか。

そこへ、護送の馬車からジャンが飛び出してきた。

「まて! 動くなイェーガー!」
「変装ごっこはもう終わりだ!」

ジャンは叫ぶと制止する憲兵を振り切り、エレンを模したかつらを投げ捨てた。

「二度とその名前で呼ぶなよ!? バカヤロー!!」

そう言い捨てると、ジャンは装備を受け取り女型捕獲班に合流するため駆け出して行った。

「エルヴィン!? あれはどういう……!?」

ナイル師団長が目を白黒させているうちに、他の調査兵が団長と私とハンジさんの立体起動装置を持って走ってきた。

「団長! ハンジ分隊長、ナマエ分隊長! これを!」
「ご苦労」

私達三人は、その場で立体機動装置を装着し始める。

「動ける者は全員続け! 女型捕獲班に合流する!」
「エルヴィン! 待て!」

ナイル師団長はあろうことか、エルヴィン団長に銃を向けた。

「なっ……!?」

私とハンジさんは合流するために駆け出そうとしていたが、団長に向けられた銃口に驚き、思わずその足を止めた。

「貴様のやっていることは、王政に対する明らかな反逆行為だ!」

ナイル師団長の声と銃は震えている。

「ハンジ、ナマエ。ここはいい、行け」

エルヴィン団長の静かな声で、私達はナイル師団長を横目に走り出した。




   

目次へ

小説TOPへ




- ナノ -