第二章 兵士長と分隊長
01
――八四五年――
友人だったアメリーが戦死してから半年以上が経った。
人前では涙は流さないが、寮のベッドの中で人知れず声を殺して泣いたことは数えきれない。アメリーの死から三か月くらいはそんな夜が多かったように感じる。
私は調査兵として四年目を迎えていた。
キース団長の辞任と、エルヴィン分隊長が第十三代団長に就任するという話は、正式に発表される前から耳に挟んでいた。
履歴書にはとても書けないが、私の特技は「情報収集」と言ってよいだろう。
特技というか、必要に迫られて身についてしまった習性、というのが正しい。
生い立ち上、うまく立ち回り、周囲の人間に可愛がってもらい、自分の身を守る必要があった。複雑な生い立ちは、アメリーも含めてこの団の人間には話したことはない。
アメリーは生前、「毎度あんたには驚かされるんだけど、そういう情報どこでどうやって手に入れてくるの?」なんて聞いてきたっけ……。
『知りたい?』
『……やめとく。その美貌と舌頭でどんな風に人を翻弄するか、具体的には知りたくないわね、友人としては』
在りし日のアメリーの声が脳内で響いた。
アメリー、情報収集にはね、コツがあるのよ。人脈を張り巡らせ、友達の友達の友達の話と、また違う友達の友達の友達の話をつなぎ合わせる。記憶力と想像力が物を言うわね。
もちろん、あんたがよく褒めてくれていたこの顔だって、使える時は存分に使う。まあ顔を使える相手はだいたい男性に限られるんだけど、男性比率が多い兵団内では捨てたもんじゃないの。
あまりに露骨に使いすぎると、同性の反感を買って同性からの情報が収集できなくなるから使い方には注意が必要だけどね。
アメリーに届くことはないが、心の中で語りかけた。
『ナマエ、あんたも大概えげつないわね』
アメリーの苦笑が聞こえるような気がした。
身につけたこの情報収集力が公私ともに役立っていることは間違いない。兵団内の人間関係や力関係を知ることは、物事を円滑に進めるのに便利だった。
団員達の精神面や肉体面に不穏な点があればそれとなく上官に進言することもあった。それで退団者が減るなら結構なことだ、調査兵団は慢性的に人材不足なのだから。
上官で埒が明かないと判断すれば、エルヴィン分隊長の耳に入れるよう動くこともあった。
エルヴィン分隊長であれば、大抵のことはうまく処理してくれた。
エルヴィン新団長の就任式が終わって数日後、訓練終わりに、団長室に呼ばれた。
この団長室に入ったことは初めてではないが、まだキース団長だった時に、書類を届けに入ったことが二回か三回あるくらい。
指名を受けて入るのは初めてだ。何かしでかした記憶はないが……。
ノックをして、ドア前で声を張る。
「失礼します。第二分隊二班、ナマエ・ミョウジです」
「入ってくれ」
エルヴィン団長の返事があってからドアを開けて入る。
広い団長室には、椅子に座り机に肘をついている団長の他に、ハンジさんとリヴァイもいた。
ハンジさんは仲が良いからよく話すけれど、リヴァイとは話したことはない。
リヴァイも恐らく私のことなんか知らないだろう。一体どういう面子を集めたのか?
「揃ったな。忙しいところすまない」
エルヴィン新団長が一番忙しいはずだが、私達にそのように声をかけてくれた。
「集まってもらったのは、新しい組織体系のことだ」
そう言って椅子から立ち上がった。
「私が団長になり、分隊長の椅子が空いた。また先の壁外調査での犠牲もあり、人事を一部異動することにした」
エルヴィン新団長は静かに私達を見つめる。
「まず、新規の役職として兵士長を設ける。全兵士を統括する責任者だ。
団長の直下に当たり、分隊長の上の地位となる。兵士長としてリヴァイを選任する」
驚きはなかった。
リヴァイはその入団経緯と粗暴な態度故に、当初は団内に軋轢が生じていたが、いつの間にかエルヴィン団長の腹心の部下となっていた。また、その圧倒的な実力は兵団内に知れ渡っていたし、団員の命を救ったことも数えきれない。
もうリヴァイのことを地下街出身のゴロツキと揶揄する者は団内にほとんどいなかったし、それどころか尊敬と羨望の眼差しを受ける存在となっていた。
今年入団した新兵達においては、入団経緯をよく知らないこともあるのか、リヴァイのその綺麗な顔立ちと他を凌駕する身のこなしに心酔する者も少なくない。女性においては恋慕の情を持つものも。
「……了解だ、エルヴィン」
感情の伴わない顔と声で、リヴァイは静かに返答した。
「次に、新第二分隊長としてハンジ・ゾエ。新第三分隊長としてナマエ・ミョウジを選任する」
リヴァイの選任には驚かなかったがこちらには驚いた。
自分が分隊長に選任されるなどという話は耳に入っていなかったし、想定外だ。私はまだ十八だ、慣例からいっても少し若すぎる気がする。
「はっ、拝命します!」
「拝命するよ、エルヴィン」
そうは思っても、任命されたものは拝命するしかない。私とハンジさんは右手の拳を左胸に当て敬礼した。
「団内への正式な発表は明日の朝礼時に行う。君達は本日から調査兵団幹部だ。部屋も幹部居住棟になる。部屋の手配は済んでいるから荷物をまとめて移動してくれ。
幹部棟の執務室もそれぞれ割り当てる。部下の配属については各人の意見を聞きながら明日以降に調整、決定することとする。以上だ」
エルヴィン新団長がそう言うと、リヴァイは黙って団長室を出て行く。ハンジさんは
「エルヴィンったら、ナマエを登用するなんて見る目あるねぇ〜」
と嬉しそうな声を出してドアへ向かう。
私は「失礼します」と部屋を出ようとして、思いとどまり、一人ドアの前で残った。
「あの……エルヴィン団長、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「何だ?」
「なぜ私を……選任していただいたのでしょうか」
エルヴィン団長の眼と私の眼が合った。オレンジ色の夕日が差し込む団長室内では、エルヴィン団長の碧眼はまるでアクアマリンのようだ。
「私は……入団してまだ四年目です。四年目というのが調査兵団の中では比較的古株に当たることは承知しておりますが、もっと経験の長い先輩方もいらっしゃいます。戦績も私より良い方がたくさん……」
「ナマエ、怖気づいているのか?
それとも若くてしかも女性である君が幹部となることで、団内に軋轢が生まれるのを心配しているのか?」
……どちらだろう。どちらもかもしれない。
「前者なら心配ない。君は今までと同じように仲間の命と自分の命を守って、戦果を上げることに努め、兵団の活動が途絶えないようにしてくれれば良い。何も変わらない。
後者についても心配ない。君の戦績は十分基準に達しているし、君より古参の団員も君を兵士として買っている。俺を含めてな。第一、ハンジと三年くらいしか違わないだろう?」
エルヴィン団長の一人称が「私」から「俺」に変わったのに気付いた。
「……質問に答えていただいておりませんが」
「なぜ君を選任したかと言えば、そうだな。戦績、後進への指導力……それから、その聡さだな」
「……」
「君だろう? 今まで団員達に何か問題が起こった時に、それとなく俺の耳に入るようにしてくれていたのは。
お陰で助けられたことが何度もあったよ。調査兵団を守るためにね」
「……お気づきになっていたんですね」
「ハンジも気づいていたんじゃないか? 君と一緒にいることも多いだろう。あいつはあれでよく見ているからな。どちらにしろ、君の聡さは群を抜いているよ」
「光栄です」
本音だった。
「それともう一つ。君、調査兵団に入団してから人前で泣いたことないだろう」
「えっ……?」
「少なくとも、私は見たことがない。同期や班員が巨人に喰い殺されてもそうだった。もちろん一人の時のことは知らないが」
思わず黙りこむ。
三百人いる調査兵団の中で、自分のことをそこまで見ているとは思わなかった。
「君の、兵士としての覚悟と誇りを買っている」
アクアマリンは変わらず私を見据えていた。
尊敬するエルヴィン団長にそのように言っていただいたことに、胸が震えた。自分が認めている人に認められたことは単純に嬉しい。
もう一度握り拳を心臓に当て、腹から声を出した。
「ナマエ・ミョウジ、拝命します! 人類のため、心臓を捧げます!」
エルヴィン団長はふっ、と笑った。