第十八章 恋敵と紅茶 2





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* * *



翌日、私と兵長、エレン、ニファの四人で、小型の荷馬車を一台引き、旧調査兵団本部へ向かった。荷馬車を引くのはニファだ。

森の中の古城。ここが、リヴァイ班の過ごした最後の地。
ほんの三日前まで、四人とエレン、兵長は、ここで生活していたのだ。

入口から中へ入るとそこは広間だ。
三日間人が入らなかった石造りの古城は、どこかひんやりとしている。実際の温度はわからないが、前に来た時よりもずっと寒く感じる。

広間に入った時点で、既にエレンの表情は暗く顔色も悪い。
顔が俯いている。ここに来るまでの間も言葉少なだった。
目的が目的なだけに楽しく賑やかな道中というわけにはいかないだろうが、時折口を開くのはニファと私がほとんど、次いで兵長で、エレンはほぼ無言だった。

遺品整理なんて決して楽しい仕事ではない。
が、こればかりは新兵だろうがなんだろうが、避けては通れない仕事だ。だいたい同室の兵士が亡くなれば、遺品整理の役目が回ってくるものだ。
そして、同室の兵士が亡くならないという保証はどこにもない。
自分が先か、友が先か。残酷だがそういうものだ。
先般のトロスト区攻防戦では、訓練兵団解散式を迎えたばかりのエレンの同期もたくさん亡くなった。他の同期はもう遺品整理を経験しているだろうが、あの後すぐに身柄を拘束されたエレンは今日が初めての遺品整理だろう。

エレンにおいては、巨大樹の森で巨人化するタイミングについて後悔していることもあり、四人の死に責任を多分に感じているのだと思う。
しかしそんなのは彼が後悔することではない。
兵長から話を聞く限り、彼は先輩兵士の指示に従っただけだし、選択の結果は結果が出てから初めてわかることであって、選ぶその時には誰にもわからない。
それは兵長からエレンにも言い聞かせているのだが、はいそうですねと頭を切り替えられるような図太い神経をしている十五歳はそうはいない。

「ナマエ、ニファ、女子棟は左側だ。ペトラは二階の一番南側を使っていたはずだ。頼むぞ」
「はっ、承知しました」
「エレン、お前は俺とエルド、グンタ、オルオの部屋だ。来い」
「はい……」

兵長は暗いエレンを引き連れて、男子棟のほうへ歩いて行った。
私はニファと一緒に、ペトラの部屋へ向かった。



ペトラの部屋のドアを開ける。
カーテンは開いていた。日の光が入り、整理整頓された部屋の中がよく見えた。

ニファと私は部屋の入口で立ち尽くした。
部屋の中に何か不自然なところがあったわけじゃない。ただ、ほんの三日前まで主がいたその部屋は、私達の傷口に塩を塗り込むのには十分すぎるほど生々しかった。
私達はこれから行われる辛い作業とこの部屋の主の面影を思い、入室を躊躇してしまったのだ。

「さ、やりましょう。ナマエさん、よろしくお願いします」

しばらくの沈黙の後、ニファは必死に明るく保った声色で私に笑顔を向け、先に部屋の中に進んだ。
ニファはベッド周りとクローゼット周りを、私は机周辺と分担して、荷物を持参した木箱に整理して入れていく。

私物は、身寄りのある者は遺族に全て引き渡される。遺族を訪問する際に死亡通知書と共に持参することが多い。身寄りのない者の私物は調査兵団にて処分される。
ペトラはご両親がご健在のため、この形見は全てご両親に渡されることになる。
明らかにゴミとして処分したほうがよい物は処分するが、それ以外の物はなるべく綺麗に整理し、畳み、丁寧に箱の中へ詰めていった。

私は机の上の書籍を箱に詰めながら、ニファに声をかけた。

「ねえ、ニファ……」
「はい?」
「何でペトラは、私に遺品整理を頼んだか、わかる……?」

クローゼットの中の洋服を一枚ずつ畳んでいたニファは手を止め、私の方を見た。赤髪が揺れる。

「そりゃ、自分の遺品は自分の好きな人や尊敬する人に片づけて欲しいじゃないですか?」
「……え?」

思いがけない言葉が来て、私も手を止めてしまう。

「ペトラは、ナマエさんのことすごく尊敬してましたよ」
「……」

私は驚き、ニファを見つめた。
ニファは止めていた手を再び動かし、ペトラの下着なんかを中身が一見してわからないよう、紙袋に詰めはじめた。手を動かしながら喋る。

「少なくとも、私にはそういう風に言っていました。
ナマエさんが兵士として優秀なのはもちろんだけど、それだけじゃない。頭の回転が速くて、人心掌握に長けている。部下の育成に秀でていて、調査兵団全体に利益をもたらしている。
ナマエさんのこと、尊敬しているし憧れてもいる、自分もああなりたいし、羨ましい。
でも、自分はあそこまで頭が切れないし、ああはなろうと思ってもなれないから、別のやり方で調査兵団の為になりたい。そのためには精鋭部隊に入り最前線で戦いたいって。そう言ってました」

私はすっかり手が止まってしまった。

正直言うと、ペトラは最後に何か恨み言の一つも言いたかったのではないかと、そして報復か何かをするために、何か仕込んだ上で私に遺品整理をさせたのではないかと、そんな穿った考え方をしていた。

「そうそう、私達の代の初陣の時、ペトラ粗相をしてしまって、それをナマエさんが助けてくれたって。そんなこともこっそり話してくれましたよ」

ペトラがニファに嘘や誤魔化しを言う理由もないだろう。
本当にそんな風に思っていてくれたのか。

止まっていた手を動かさねばならない。私は机の上の本棚にあった書籍を全て梱包し、次は机の引き出しを上から順に開けた。
すると、一番上の引き出しの中に本が三冊入っていた。

『紅茶の全て』
『基礎から学ぶ紅茶抽出法』
『茶葉事典』

以前兵長が言っていた言葉を思い出した。

『俺の班に配属になってから、あいつが持ってき始めたんだ。淹れ方がなかなか上手かったからまた頼むと言ったら、毎日午後に持ってくるようになった』

ペトラは、恐らく最初から紅茶の淹れ方が上手だったわけじゃない。
きっとこの本を読んで一生懸命勉強して練習したのだ。三冊全てに読み込まれた跡があり、線が引いてあったり書き込みがあったり付箋が貼ってあったりした。
この三冊は机上の本棚に他の書籍と一緒に並べず、引き出しの中に隠すように仕舞われていた。
他の人に知られないようにこっそり勉強したのだろう。ぎゅっと胸が苦しくなる。

引き出しの中には文房具や雑貨、少ないが化粧品なんかも入っていたので、それらを順に梱包する。
粗方梱包し終わって、さあこれが最後だと最下段に取り掛かろうとし、引き出しを開けた。
開けた瞬間引き出しが異様に軽く、他の段と比べて中身が少ないのが瞬時にわかった。予想は的中し、中にあったのは白い封筒のみである。

『お父さん お母さんへ』

封筒の表にはそう書かれている。

「……遺書だわ」

私が封筒を取り出しぽつりと言うと、ニファがこちらを見た。

「……覚悟してたってことでしょうね」

ニファも小さな声でそう言った。

「まあ……私達はいつでも覚悟してなければいけないんでしょうが」

片づけながら辛くなってしまったのだろう。ニファの目には涙が溜まっている。声も震えている。
私はその白い封筒を机上に置くと、それは一通ではなく二通だったと気付いた。重なっていて気付かなかった。『お父さん お母さんへ』の封筒の下にもう一通重なっている。
宛名を見て、自分の目が見開くのがわかった。

『ナマエさんへ』

「……え?」

私は思わず声を出してしまう。

「どうしたんですか?」

ニファはこぼれそうな涙を拭って、気丈な声を出すとこちらへ来る。
私の手元の封筒を覗き込むと、妙に納得したような声で言った。

「ナマエさん宛にも書いていたんですね。だから言ったじゃないですか、ペトラはナマエさんのこと尊敬していたって」

――ペトラ、私宛に最後に言いたいことがあったのね?
わかった、それがどんな言葉だろうと、しっかり読む。

しかし、封筒は二通だけだ。他に無いかと探したが見当たらない。私宛に遺書があるくらいだ、もう一通あって然るべきなのだが。

「ねえニファ、そっちに他に遺書らしき物はないかな?」

クローゼットの整理が終わってベッド周りを片付けていたニファに声をかける。

「え? ええ、そういう物は無さそうです」

きっとリヴァイ兵長に宛てた遺書もあるのではないか、そう思って辺りを必死に探す。
見落としがあってはいけない。特に、遺書なんて重要な物。
だが、結局全ての片づけが終わっても、それ以上遺書らしき物は出てこなかった。

「ねえニファ、これで全部よね? 見落としはないわよね?」
「ええ……ほら、空っぽですよ」

ニファはクローゼットや机の引き出しを順に開けた。確かに全ての箇所が空っぽで、もうペトラの私物は一つもなかった。残っているのは全て最初から備え付けの家具と兵団の備品ばかりだ。
これでペトラの遺品整理は終了ということになる。
リヴァイ兵長への遺書が出てこなかったことに釈然としなかったが、無い物はしょうがない。

「じゃあ私、荷物を一階に下ろしちゃいますね。ご家族宛の遺書は兵長に手渡ししてきます。
ナマエさん、良ければ少し休んでいてください」
「ええ、ありがとう……」

ニファの好意に素直に甘えることにした。
ニファも、もしかしたら一人になりたかったのかもしれない。私がいては思いっきり泣くこともしにくいのだろう。先ほど目に涙を浮かべていたニファの顔を思い浮かべた。

私はペトラが使っていたベッドに腰掛けた。

私宛の白い封筒を、ゆっくり開く。
最期にペトラが言いたかったこと。

何が書いてあるのか、恐ろしかった。
恐ろしかったが、あなたが伝えたかったことには、きちんと向き合わなければならないだろう。
命を賭して散った私達の仲間。最期に私に聞いてほしい言葉があるのなら。

私は震える手で便箋を開いた。




   

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