第十八章 恋敵と紅茶 2





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第五十七回壁外調査は、惨憺たる結果に終わった。

審議所であれだけ啖呵を切ったにも関わらず、大損害に対し実益は皆無。多数の兵士の命を失い、人類の敵である女型の巨人の情報も何も引き出せないまま終わった。
唯一、最悪の事態に至らなかったと言えるのは、エレンを連れ去られなかったことだ。
ただ、俺はエレンを女型から取り戻す際に左足を骨折した。完全骨折ではないが、ヒビが入っている。
石膏で固めてあるため松葉杖をつくことなく日常生活を過ごせるが、痛みはあるし、立体機動はしばらく無理だろう。

昨日帰還して、その日の夜に火葬を行った。遺体は放置しておけないため、いつも帰還後は速やかに火葬する。

今回はとにかく大量に死んだ。俺の班も壊滅だった。
ペトラの遺体は壁外へ置いてきてしまったが、エルド、グンタ、オルオの遺体はなんとか持ち帰ることができたため、俺の手で火の中へ入れた。
エレンは号泣していた。

ガキは素直に泣けて羨ましい。俺はもう涙も出ない。
こんな異常な状況に慣れてしまっている。
もちろん、俺達幹部は慣れてしまっているから泣けないだけというわけではない。エルヴィンも、ミケも、ハンジも、ナマエも、本当は泣きたいだろう。
ただ幹部がメソメソ泣いているような組織はクソだ。断言できる。

部下の涙は受け止めても、手前の涙は手前で片づけるしかないのだ。
俺を含めて調査兵団の幹部はそれがわかっているから、人前で必要以上にグズグズ泣く奴はいない。



執務室で山のような仕事に向かい合っていると、突然ノック音が響いた。

「誰だ」

端的に尋ねると

「兵長、ナマエ・ミョウジです」

と返事がある。

いつもは入れと言って勝手に入って来させるが、今日はドアまで迎えに行った。昨日の事を気に病んでいるだろうと思ったからだ。

「兵長……」

ドアを開けると、ナマエは気まずそうな表情でそう口にする。

昨日、ナマエの部下の失態でペトラを含む三体の遺体を放棄せざるを得なかった。
ナマエは間違いなく未だにそのことを気にしている。

今回は死者が大量で帰還後の業務がいつも以上に膨大だったため、昨夜火葬後に二人で会う時間もなかった。
本当は心を痛めているだろうナマエの元へ行ってやりたかった。

だが、ナマエの様子を見るとこいつも多分ほぼ徹夜だ。目の下の隈がひどい。白目も充血している。
俺はナマエの手を引いて執務室へ入れた。

「座れ、今茶を淹れてやるから少し休んでいけ。お前寝てねえんだろ」

執務室へ引き入れられたナマエは、俺の机上に遺族への死亡通知書をどさっと置いた。

「何だ?」
「死亡通知書です」
「それはわかる」
「エルヴィン団長が、王都へ今回の壁外調査の報告へ行ってらっしゃいますので……団長の代理で兵士長サインを」
「ああ……そうだったな」

そうだ、今朝早くにエルヴィンは王都へ報告に行ったのだった。
今回のほぼゼロに等しい収穫と多大な損失を報告するのだ。エレンや俺達の処遇はそこで決められるのだろう。
俺はナマエをソファに座らせ、喋りながら淹れた紅茶をナマエに手渡した。

「兵長……も、寝てませんね」

紅茶を持ったナマエは俺を見上げて言う。その表情はまだ少し固い。

「仕方ねえ、寝てる場合じゃなくなったからな」

俺もナマエの隣に座りズズッと紅茶を啜ると、ナマエもいただきますと少し口を付けた。だがすぐ紅茶をテーブルに置き、俺に向かい合う。

「昨日は本当に」
「もういい、ナマエ。謝るな」

俺はナマエの声に被せて遮った。

「……ですが……」
「遺体を持ち帰りたいと駄々を捏ねる奴は今までにもいた。昨日は運悪く巨人が来ちまって結果として遺体の放棄があっただけだ。
駄々を捏ねたやつが今回はたまたまお前の分隊の奴だった、それだけだ。そもそも遺体の放棄は俺の指示だ」
「……」

ナマエは黙った。

紅茶をテーブルに置き、俺はナマエを抱きしめた。ナマエの髪の匂いが鼻をくすぐる。
――落ち着く。もっと早くこうしていれば良かった。

「だからもう謝るな」

ナマエも俺の背中に手を回す。

「……じゃあ、お礼を言わせてください」
「礼?」
「ディターに……紋章をイヴァンの物だと言って渡してくださいましたね。あれ、本当は違いますよね……?」
「……ああ……」

やはりナマエだ。気づいていたか。

「ディターを救ってくださって、ありがとうございます」
「……生存している兵士は使える状態にしとかねえとな。これも兵士長の務めだ」

俺のつっけんどんな言い方(自覚はある)がおかしかったのか、ナマエはやっと柔らかく笑った。

「それにしても、大量だな。お前の分隊だけであれか」

ナマエを腕から解放して、俺は机上の死亡通知書に向かって顎をしゃくる。

「全く忙しいな」
「ええ。今、隊で分担して遺品整理をしています。死亡者のほとんどは男性ですし、女性もいますがとても私一人でできる人数じゃないので、部下総出です」
「ディターにもやらせてんのか」
「ディターには、ユルゲンとイヴァンの遺品整理を担当させました。さっき様子を見てきましたけど、昨日一発拳で殴ったから頬を腫らしながらやってましたよ」
「……そうか」

拳で殴ったのか。平手打ちやケツ蹴りは何度か見た事あるが、拳は初耳だ。

「……でも、兵長のおかげでディターも前を向いていました。きっと、乗り越えてくれたんだと思います」

そう言ってナマエはまた茶に口を付けた。

「俺の班のほうは、旧調査兵団本部へ行かなきゃならねえ……明日、エレンと一緒に行くつもりだ」
「そうですか……」

俺の班は旧調査兵団本部に拠点を移していたから、遺品も全てそこにある。

「……ペトラの物だけ、俺とエレンが勝手に触るわけにはいかねえ。
調べたら、旧本部に行く前はニファと同室だったらしいからニファに頼もうかと思うんだが問題ないか? 俺はお前みたいに他人の交友関係まではうまく把握できねえ」

これは褒めている。ナマエの情報屋としての性質は俺達幹部に、特にエルヴィンにかなり重宝されている。

「問題ないと思いますよ。ペトラとニファは同期ですし、仲良かったと思います。食堂でも良く一緒にいましたし」
「そうか」

そこへ、ノックがあった。

「誰だ?」
「リヴァイ兵長、第四分隊ニファです」

タイミングが良い。明日旧本部へ同行してもらい遺品整理に協力してもらおう。
俺が返事をしようとすると、ナマエは素早く立ち上がり机の前に移動した。俺と並んでソファに腰かけている様子を見られれば、また余計な憶測を生むと思ったのだろう。

「入れ」

ドアの外に声をかけると、ニファが入室してきた。

「ニファ、丁度良かった。お前に頼みたいことがある。ペトラの遺品整理をやってもらえねえか。旧本部まで行ってもらわなきゃならねえが」
「兵長、私もそのことでお話があって来たんです。ナマエさんも丁度いらっしゃって良かった」

ナマエも? どういうことだ?
俺とナマエは顔を見合わせた。

「生前、ペトラに伝言を頼まれていたんです。自分にもしもの事があったら、必ずナマエさんにも遺品整理をやってもらうよう頼んでくれって」
「……え?」
「……あ?」

俺とナマエはほぼ同時に声を出した。
ナマエは目を見開き驚いている。左手をこめかみに当てて、当惑した様子だ。俺だって驚いている。

こんなこと自分でいうのも変だが、ナマエとペトラは俺を挟んで恋敵の関係にあったはずだ。
ただ、本人達が実際にどういう関係だったのかは知らない。

ナマエは、ペトラに嫉妬していると初めて俺に告げたあの日から、ペトラについては何も言ってきていない。ただの一度もだ。
俺はあの日、どんな嫉妬も受け止めると言ったはずだが、結局こいつはあの日以来、悋気の欠片も俺には見せなかった。

「ニファ、それは何かの間違いじゃない? ペトラが、遺品整理を私に?」

ナマエが戸惑いながらニファに確認すると、ニファははっきりとした口調で答える。

「いえ、間違いではありません。確かにペトラに頼まれました。
ペトラは、自分に何かあった時には多分私に遺品整理の依頼が来るから、その時に必ず『ナマエさんにもして欲しい』と伝えて欲しいと言っていました」

ニファが嘘をつく理由もない。

「……そうか」

俺はペトラの顔を思い出した。
笑顔の似合う、優しい良い奴だった。紅茶を淹れるのも抜群に上手かった。
――お前が何を考えているか今の俺にはわからんが、それがお前の望みなら叶えてやらなきゃいけねえな。

「ニファ、明日俺とエレンで旧調査兵団本部に行って俺の班員達の遺品整理をする予定だ。お前も同行して、ペトラの遺品整理をしてくれねえか? ハンジには俺から頼んでおく。
ナマエもだ、ニファと一緒に来てペトラの遺品整理をしてくれ」
「はい、了解です」
「……承知しました」

ナマエの顔はまだ戸惑いの色が強かったが、一応は了承を取り付けた。




   

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