第十七章 女型の巨人
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遺体も積み終わったため、陣形を再展開し、壁へ向かって帰還する。
エレンはまだ目を覚まさないため、荷馬車に乗せて運ぶことになった。
エレンを護衛するリヴァイ班が壊滅したため、私達ナマエ班にエレンの護衛が任せられた。
私達は往路で対特定目標拘束兵器を運搬・護衛していたが、兵器は用済みのため森に捨ててきたのだ。
カールにエレンを乗せた荷馬車を運ばせ、私と、班員ではないがミカサ・アッカーマンが護衛をすることになった。
ダミアンとエーリヒは、初列索敵に回した。兵士が少なすぎるのだ。索敵担当の人員が足りないためである。優秀な二人なら索敵として十分機能するはずだ。
ミカサは自らエレンの護衛を申し出てきた。
彼女はエレンの友人であり、また訓練兵団を首席で卒業した優秀な新兵だ。
……だんだんと冷静になってきたので記憶をたどると、確か彼女の訓練兵時代の成績はとんでもないものだったはずだ。逸材中の逸材だ。
そんな彼女が自らエレンの護衛をしたいというのであれば、こんなに心強いことはない。
私はすぐにエルヴィン団長に許可を取り、彼女をエレンの荷馬車のすぐそばに配置した。
「出立!」
エルヴィン団長の声で、陣形が一回り…いや、二回り小さくなった調査兵団は、一斉に馬を走らせ始める。
私達はエレンの護衛のため、やはり陣形の最も安全な位置、中央後方に配置された。
その更に後方、陣形の最後尾には、遺体を山ほど積んだ荷馬車が数台。遺体の山の後ろには、忌々しい巨大樹の森と地平線が見える。
もうすぐ夕日が地平線にかかろうとしていた時。突然、後方で大声があがった。
「巨人だ!」
赤い信煙弾も上がる。後方から巨人がやって来たらしい。
しかし、ここは平地。大きな建物もなければ木もない。立体機動で戦うには条件が悪い。
エルヴィン団長は壁まで逃げ切ることを選択したようだ。前列の馬の速度がグンと上がる。エレンを運んでいるカールも馬に鞭を打ち、速度を上げた。
後方を見ると、巨人が二体……いや、その後ろにもっと大量にいる。
しかしなぜ急に巨人の群れがこちらへ向かってきたのか。出立時には近くに巨人はいなかったし、まだ森の中で女型の残骸に群がっていたはずだ。
私は見やった後方に違和感を覚える。
何だろう……陣形の最後尾であるはずの荷馬車の後ろに、馬が二頭……?
「……!!」
目を凝らしてよく見ると、それはイヴァンの遺体を抱えたディターとユルゲンだった。
「あいつら……!!」
命令を無視しイヴァンの遺体を回収したのだ。その結果、この巨人達を引き連れてきてしまったのだろう。
「カール! 全速力で前進! 最高速度を保て!」
「はっ!!」
カールに大声で指示を出し、エレンだけは前に進ませる。
私はエレンを守るために巨人の相手をするべく後方に下がった。ミカサもついてくる。
ディターとユルゲンは遺体を担いでいるせいもあり、馬を速く走らせられない。遺体さえ諦めればもう少し速度が出せるはずだ。
「ディター! ユルゲン! 遺体を諦めなさい!!」
私は怒鳴った。しかし彼らは言うことを聞かなかった。
いや、もしかしたらパニックになって聞こえていないのかもしれない。
私達が後方に下がるより先に、ユルゲンが巨人に捕えられ、その口の中へ放り込まれてしまった。
「ああああああっ!!」
「ユルゲンっ!!」
ユルゲンの断末魔の叫びが響き、その後すぐにパキパキと人間の骨が砕ける音がした。
「ひぃっ……」
ディターはイヴァンの遺体を抱えたまま悲鳴を上げ、ユルゲンを喰っている巨人を見上げている。
「ディター! 遺体を放しなさい!!」
もう一度そう叫ぶ。だがディタ―が指示に従う前に、ユルゲンを食べ終わった巨人はイヴァンの遺体ごとディターを掴んだ。
「うわっ、うわああああっ」
「ディター!」
私は飛ぼうとしたが、ミカサが一歩早かった。
ミカサは鮮やかな手さばきでトリガーを操り飛び立つと、一瞬の躊躇もなく一発で巨人の項を仕留めた。
ズン……という低い音と共にディターを握っていた巨人は倒れ、蒸発を始める。ディターは巨人から逃れられた。
私は急いでディターの元に駆け寄り自分の馬の後方に乗せ回収する。ミカサも無事に自分の馬に戻れたことを確認した。
しかし、もう一体の巨人がこちらへ向かって走ってきている。
「ダメだ! 追いつかれる!!」
荷馬車の荷台に乗っていた兵士が叫んだ。
私は今度こそ飛び仕留めようとすると、兵長が止めに入った。
「止めておけ」
エルヴィン団長のすぐ傍に配置されていたはずの兵長が、後方まで下がってきてくれていたのだ。
「でも兵長、このままでは追いつかれます!」
遺体を積んだ荷馬車は重い。通常の馬であれば全速力で巨人を振り切ることもできるが、これだけの荷物を積んだ荷馬車では、もうこれ以上のスピードは出ないだろう。
であれば、巨人を仕留める他ないではないか。
「一体やったところで無駄だ、キリがねえ。後ろを見ろ、何体いるかわからん。
この平地じゃ不利だ、全部始末するのは不可能だ」
「……」
ディターは私の後ろで跨ったまま無言だ。
自分が何をしでかしたのか、ようやく理解したのだろうか。
「それより遺体を捨てろ、追いつかれるぞ」
「えっ……」
荷台で遺体を管理していた兵士は声を震わせたが、兵長の声には迷いがなかった。
「……」
私は絶句し、声が出せなかった。
「遺体を持ち帰れなかった連中は過去にもごまんといる。そいつらだけが特別なわけじゃない」
――しかし、兵長の言うとおり、遺体を諦めることが一番自分達が生き残る可能性が高い道なのだ。
このまま遺体を積んだ荷馬車と共に、共倒れするわけにはいかない。遺体となった仲間のためにも。
「やるんですか……?」
荷台の兵士は躊躇いながら、もう一人の兵士に伺いを立てた。
「本当に、やるんですか!?」
「……」
荷台の兵士二人は、踏ん切りがつかない様子で固まっている。
「……クソ……」
兵長は自らの左足を忌々しげに睨んだ。
先ほどエレンを救出する時に負った傷のことだろう。
怪我をしなければ、自分ならばこの窮地を脱せられたと思っているのだろうか。
「……やるしかねえだろう!」
覚悟を決めた荷台の兵士は怒鳴り、麻布に包まれた遺体を一体、放り投げた。
「ぐっ……」
兵士は唇を噛みしめる。
遺体を投げ捨てることに何も感じないわけがない。
麻布に包まれ、顔も見えず、どの班の誰かはわからないが、共に命をかけて自由を追い求めた仲間なのだ。
私は、何も言えずに、何もできずに、ただそれを見ているだけだ。
この平地で後ろの巨人を全て始末することもできず、かと言って他に難局打開の妙案が浮かぶわけでもない。忸怩たる思いとはこのことだ。
もう一体。今度は追いかけてくる巨人の足元に命中した。
巨人は足元を邪魔され、少しよろけスピードを落とした。しかしまだ追いすがってくる。
更にもう一体。遺体が荷台から投げられる様は、あまりにも無残で、まるでスローモーションのように見える。
計三体、恐らく百五十キログラム以上にはなるであろう遺体を降ろした荷馬車は、徐々にスピードを上げ、巨人を少しずつ離していった。
「よし、いいぞ! そのまま前進!!」
荷台の兵士はぐっと拳を握った。
私達は、壁の中へ持ち帰れる筈だった遺体三体と、新たに巨人の犠牲となったユルゲンを失い、それと引き換えに他の損害を出さず一先ず巨人の群れから逃げ切ることができた。
巨人を振り切った調査兵団は、進行方向の確認のため、草原にて一時停止した。
私は無言で馬から降り、ディターも黙ったまま馬から静かに降りた。
遺体を捨てた荷馬車の兵士に、捨てた遺体が誰のものだったか確認するよう指示を出す。
兵士は、麻布の隙間から顔や腕章を少し覗き、残っている遺体が誰かを確認し、回収した遺体の名簿と照合を始めた。
進行方向の確認を終えた様子のエルヴィン団長、ミケさん、ハンジさんが、こちらへ向かってくる。
先ほどの走行中の騒ぎは耳に入っているだろう。リヴァイ兵長も後ろからついてきた。
「……団長、申し訳ありません」
私はまず謝罪から報告を始めようとした。そこへ、遺体と名簿の照合を終えた兵士が駆け寄ってきた。
「ナマエさん、わかりました。
放棄した遺体は、第一分隊マンフレート・ネッケ、同じく第一分隊オーラフ・パッヘルベル、そして特別作戦班ペトラ・ラルの三名です」
ミケさんの目が見開いた。
リヴァイ兵長はわかっていたのか、覚悟していたのか、表情に大きな変化は見られない。
しかしそれは悲しんでいないということではない。兵長の顔はさっきからずっと絶望を映している。
「ナマエ分隊長……」
ディターは謝罪をしようとしたのか口を開いた。
私は衝動的にディターの胸ぐらを両手で掴んだ。
ギッとしばらく睨み付け、そして地面に向かって放り出す。
ディターはドシンと派手な音を立てて尻餅をついた。
「……説教は壁に帰った後で」
そう言ってディターを見下ろすと、私はミケさんと兵長の前に歩み出る。
自然と膝がカクンと折れ、地面に跪いた。そして頭を地面に擦り付けた。土下座のような格好になる。
ハンジさんはぎょっとした顔をする。
「ミケさん……リヴァイ兵長……お詫びの言葉もありません……」
私の出した声は震えていた。
だめだ、絶対に泣くな。お前に泣く権利はない。
「ナマエ」
ミケさんが声を出したが、私はそれを遮って続けた。
「引き連れてきてしまった巨人から逃げるため……お二人の……大切な部下の遺体を……放棄しました。私の不始末です……。申し訳、ありません」
声に涙が混じらないよう、必死にこらえた。
「ナマエ、もういい、済んだことだ」
ミケさんはそう言って私を宥める。
それでも立ち上がらない、いや、膝に力が入らず立ち上がれない私の腕を、リヴァイ兵長が掴んだ。
「立て、ナマエ。遺体を投げ捨てるよう指示したのは俺だ」
ぐいと立ち上がらせると、私の額についた泥を自分の腕で拭った。
リヴァイ兵長は尻餅をついたままのディターもぐいと引き上げ立たせた。
「リヴァイ兵長……自分は……」
謝ろうとしたであろうディターを遮って、兵長は自分のポケットから自由の翼の紋章を一枚出した。
「これが奴らの生きた証だ。……俺にとってはな」
ディターはそれを見て、震えた。
「イヴァンの物だ」
そう言われたディターは自らの手の中の紋章を見つめ、両目から涙をボロボロとこぼした。
――兵長、それは違う。イヴァンの物じゃないはず。
それは、あなたがさっき回収したものでしょう? あなたの、部下の――
それでも、生存している兵士のために優しい嘘をつくあなたの意志を尊重する他ない。
私は黙って唇を噛みしめていた。
「兵長……」
泣きながら兵長を見つめるディターに、兵長は言った。
「忘れるな。奴らが命を賭して戦ったことを。
そして、お前という部下の為に、地面に頭を擦り付けることができる上官がいることもだ」
「……ぐっ……うっ……」
ディターは目を閉じ、奥歯を噛みしめ、泣き続けた。
ハンジさんが私の肩をそっと抱いた。
カラネス区へ戻った私達を迎えたのは、いつも通りの――いや、いつも以上の市民の否定的な声だった。
「早朝から叫びまわって出てったと思ったら、もう帰ってきやがった」
「何しに行ったんだ?」
「さぁな……」
「まぁしかし、こいつらのシケた面から察するにだな……俺らの税をドブに捨てに行くことには成功したらしいぜ」
血気盛んなエレンは、まだ自由の利かない身体をムクリと起こして怒りを表そうとしたようだが、ミカサに窘められる。
「リヴァイ兵士長殿! 娘が世話になってます!」
リヴァイ兵長の元には、ペトラの父と名乗る男性が駆け寄ってきた。
「娘が手紙を寄越してきましてね……あなたにすべてを捧げるつもりだとか……
まぁ……親の気苦労も知らねぇで惚気ていやがるワケですわ、ハハハ……」
兵長は無言のまま、ペトラの父親と目を合わせず前だけを見て歩き続けた。
不審に思ったのか、いや、元々娘の姿が見えないことに気づいていて敢えて兵長に声をかけたのだろうか。ペトラの父親は、まるで助けを求めるように周りの兵士を見やった。
兵長の後ろに位置していた兵士が、見かねてペトラの父親に説明したようだ。
ペトラの父親はその場に崩れ落ちた。
「エルヴィン団長!! 答えてください!!」
「今回の遠征でこの犠牲に見合う収穫があったのですか!?」
「死んだ兵士に悔いはないとお考えですか!?」
私の前方で馬を引いて歩くエルヴィン団長は、罵声に近い非難を浴び続けた。
無力な私は、無力な私達は、ただただ黙って兵舎への道を歩むしかなかった。