第一章 破落戸と尤物





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――八四四年――



それは、よく晴れた、いつもと変わらない日だった。いつもと違うのは、朝食を取るために向かった食堂が少しざわついていたくらい。

「ナマエ、おはよう!」

パンと野菜のスープが乗ったトレイを持って席に着いたところ、同期のアメリーも同様にトレイを持って向かいの席に座った。

「アメリー、おはよう」

私はアメリーに挨拶を返す。
窓から入る日の光のせいか、アメリーは眩しそうな顔をする。

「……なんか今日騒がしいね、何かあったっけ?」

そう私に尋ねると、パンをちぎって口に入れた。

「ああ、多分今日来る新団員の件だと思うわ」
「あっそうか、今日だったっけ。地下街のゴロツキ三人、だっけ?」
「そう」

短く返事を返し、私も硬いパンを口に入れた。
そう、食堂は、今日入団してくるという新団員の話題で持ちきりだった。

「訓練兵団も出ずにいきなり調査兵団とはね。そんなに力があるのかな、キース団長も何でそんなのを入団させようとしているんだか。どんな人達なんだろう」
「私が聞いたところだと、男二人女一人。入団を主導したのはキース団長じゃなくてエルヴィン分隊長らしいわよ。
実際に見てみないことにはわからないけど、相当な腕前を持っているみたい。ついでにいうと男の方は二人とも眉目秀麗とのことよ」
「……ねぇナマエ、毎度あんたには驚かされるんだけど、そういう情報どこでどうやって手に入れてくるの?」
「知りたい?」

にやりと笑った私を見てアメリーは

「……やめとく。その美貌と舌頭でどんな風に人を翻弄するか、具体的には知りたくないわね、友人としては」

と苦笑した。



私、ナマエ・ミョウジとアメリー・バッハマンは、二年前に訓練兵団を卒業し一緒に調査兵団に入団した九十六期生だ。
同期で調査兵団へ入団した者は、最初は十人以上いたが、入団してすぐの壁外調査で約半数が戦死、その後も一人、また一人と命を落とし、今では私とアメリーの二名のみになってしまった。
私は訓練兵団を八位で卒業、成績は上位だったがアメリーはそうではない。寧ろ下から数えたほうが早かったかもしれない。
でもアメリーは持前の精神力で、調査兵団に入団してからも少しずつ腕を上げ、今日まで生き延びてきた。茶色のやわらかな三つ編みとそばかすが可愛い、私が心を許せる数少ない友人だ。

私の方の容姿に言及すれば、控えめに言ってかなり目立つ方――端的に言って美人だと思う。
自賛しているわけではなく、十七年間生きてきて周りの態度や反応でわかる。艶のある金髪、白く滑らかな肌、大きくぱっちりとした碧眼……と、とにかく他人から褒められる。
見目が良かったからといって、得したことばかりではない。
幼い頃から同性の嫉妬を買うことも多かったし、兵団に入ってから、特に十代前半の訓練兵の頃は「あんたみたいな可愛い子ちゃんが巨人と戦えるのか?」と嘲笑されることも少なくなかった。

癪だったし、私の舌頭を以てすれば言い負かすこともできたと思うが、それは得策ではないと思い、実力で黙らせることにした。
結果、訓練兵団卒業時は上位十名に入った。
調査兵団に入ってからの戦績も討伐数八体、討伐補佐数二十三体、決して悪い数字ではないと思う。
今ではその戦績と、入団から二年以上生き残っている事実を以て、兵団内の人間から揶揄されることはなくなった。
だいたい新兵はともかく、歴戦の猛者達の中には人前で他人を貶めるようなことを言う者はほとんどいなかった。



* * *



屋外訓練場で朝礼は行われた。
地下街でエルヴィンに取引を持ちかけられた俺は、ファーラン、イザベルと共に調査兵団へ入団した――いや、入団というのはブラフで、真の目的は他にある。
エルヴィンの持つ書類を奪い、地上の居住権を獲得する。そして俺に泥水を啜らせたエルヴィンを殺す。

「全員注目!!」

団長のキースの声で、俺達三人に注目が集まったわけではない。
その前から――壇上に立った瞬間から俺達は団員達の注目を受け続けていた。挨拶をするよう指示され、癪だったが

「リヴァイだ……」

名前だけは述べた。

壇上からは団員達がよく見える。
好奇の眼差し、侮蔑の眼差し……自分に向けられている視線は大凡がその類のようだ。

そんなことはわかっている。正規の訓練も受けていないどころか、長く無法の世界で生きてきた俺達がクソみたいな目で見られることなど。そんなことは、俺にとっては重要なことではない。

ふと、一人の女性兵士が目に留まった。
金髪碧眼の尤物――兵士というよりは女優のようだ。美しさ故にあまりにも目立つ。
そいつの眼からは何の感情も読み取れないが……どのようなものであっても、それも重要なことではない。兵士の中にもこんな美人がいるのかというただの感想だ。
重要なのはファーラン、イザベルと共に目的を達成する、それだけだ。

同じく挨拶を終えたファーランとイザベルと一緒に、俺は壇上から降りた。



その日から俺達は、兵士としての訓練を受けることになった。
分隊長のフラゴンの下に配属され、サイラム、アメリーという若手の兵士男女一名ずつが同じ班だった。
同性同士ということもあるのか、俺とファーランにはフラゴンとサイラム、イザベルにはアメリーが訓練につくことが多かった。

俺達への視線は相変わらず胸糞悪い物が多かったが、イザベルは、アメリーについては打ち解けるまではいかなくとも、悪い印象は持っていないようだった。

「アメリーはさぁ、俺の乗馬も褒めてくれたし、地下街から来たからってあんまり悪く言わないんだよな」

イザベルは、俺達三人しかいない兵舎の談話室で、ぽろっとこぼした。

「この間なんかおすそ分けだってお菓子くれたし」
「おまえ、そうやって手懐けられんなよ。目的を忘れるな」
「わかってるよ!」

ファーランが小声で咎めると、イザベルは怒鳴り返す。

「まぁ……俺達のことを色眼鏡で見ないってのは、悪い気はしないけどな」

結局ファーランもイザベルに同意した。

俺は調査兵団へ来たその日から変わっていない。誰がどのような目で見てくるかなど、俺にとってはどうでもいいことだ。
だが、ファーランとイザベルが嫌な思いをしないのであれば……それは満更でもない。こいつらは俺にとって数少ない仲間だ。



俺達が参加した第二十三回壁外調査。
そこで俺は地上の居住権、そしてファーランとイザベルを失った。

ファーランとイザベルは、フラゴン、サイラム、アメリーと共に、巨人に喰われた。
俺は自分の選択を後悔し――そして殺そうとしたエルヴィンに諭された。

「後悔するな。後悔の記憶は次の決断を鈍らせる。そして決断を他人に委ねようとするだろう。
そうなれば後は死ぬだけだ」

膝をついたまま、俺はエルヴィンを見上げる。

「結果など誰にもわからない。ひとつの決断は次の決断の材料にして初めて意味を持つ」

エルヴィンは俺を見下ろしてそう言った。
こいつの目には……このエルヴィン・スミスという男の目には、何が見えているんだ? 



俺はエルヴィンに下ることに決めた。あいつには俺には見えない何かが見えている。
もう後悔しない。
俺は兵士として生きることを決めた。



壁外調査が終わると、遺体を回収できた兵士達を火葬し、弔う。
部下を亡くした幹部や班長達は、遺品を渡すために遺族を訪問していたようだが、ファーランとイザベルの上官であるフラゴンも戦死した。
もっとも、もともと俺達に家族はいなかったから訪問する遺族もいない。回収できた二人の腕章は、俺が持つことに決めた。
涙は出ない。あの日、壁外で置いてきた。



火葬も終わり、数日すると、沈んだ団内の空気も少しずつ元に戻ってきたように感じる。
壁外調査で犠牲が出るのは最初からわかっていることだ、いつまでも落ち込んでいても死者も浮かばれない、というのがこの団の考えらしい。
兵士として生きることを決めた俺も、日々の訓練に参加し続けていた。訓練といっても、どれも俺には訳無い物だったが、毎日身体を鍛えておかないと、壁外では生きられないことは前回の調査でよくわかった。

その日は、通常の隊の編成を解き、縦割りで古参兵士が新兵達を訓練する日だった。
一年目、二年目の兵士に三年目以降の兵士がついて訓練する。

休憩の合図が入った。
訓練場から水飲み場へ移動しようとしたところに、話し声が聞こえてきた。見ると、入団一年目と思われる新兵男二人と、壁外調査の時に俺に話しかけてきた、茶色頭のメガネ……確か、ハンジ・ゾエ。そいつともう一人……名前は知らないが、入団時に壇上から見えた、やたら美人の女がいた。

無視して通り過ぎようとしたが、聞こえてきた名前に足を止めた。
意図したわけではなかったが、塀の後ろ、結果的にあいつらから死角となる場所で立ち、盗み聞きするような形になってしまう。

「この間の壁外調査で……ナマエさんの同期だったアメリーさん……残念でしたね」
「ああ……アメリー……私の、最後の同期だったの。九十六期生は私一人になってしまった」

アメリー……イザベルについていた女兵士だ。イザベルの乗馬を褒め、出自で俺達を区別しなかった。
やたら美人の女は、ナマエという名前らしいが、アメリーと同期だったのか。

「そうだったんですか……ナマエさん……さぞお辛いでしょう」
「だいたい、あのイザベルとファーランっていうゴロツキどもが入ってこなければ……! あんな地下街の連中がいなければ、連携ももっと取れただろうし、アメリーさんやサイラムさん、フラゴン分隊長も命を落とすことはなかったのに!!」
「リヴァイもそうだ! あいつ……多少腕が立つとはいっても所詮は地下街の人間だ!! いつか俺達の足を引っ張るに決まってる!」

新兵二人は、ナマエとハンジに向かってそう吠えていた。



「……」

俺は何と言われても構わない。だがもう亡き者となったファーラン、イザベルのことを侮辱されるのは我慢ならなかった。
新兵二人の胸ぐらを掴みに出ようとしたが、それより先にナマエが口を開いた。

「君達、訓練兵への応募条件って知ってる?」
「えっ……? 満十二歳以上の健康な男女……ですか?」
「その通り」

ナマエはその美しい顔を冷たく凍らせ、新兵二人に鋭い視線を投げた。

「出自は兵士になるためには関係ない。関係あるのは健康な肉体と、志のみ」
「……」

新兵達は黙り込み、ハンジは静かにその様子を眺めていた。

「兵士である以上、自分の使命を全うして戦死を遂げた仲間を愚弄することは許されない。ファーランとイザベルは私達の仲間だった。
それに仲間や部下と共に戦い、命を賭したアメリー、サイラム、フラゴン分隊長が、君達の言葉を聞いてどう思うか、想像することもできないの?」

ナマエの冷酷な視線は新兵達を射抜き、二人は声も出ない。

「そして、前回の壁外調査時のリヴァイの戦績を知らないとは言わせない。彼は班内で唯一生き残り、五体の巨人を仕留めた。
君達は、彼に劣らない戦績をあげることができるの?」
「……」
「志を等しくする仲間をそのように侮辱するのは、兵士として恥ずべき行為だとわからないなら、今すぐ団から去りなさい」

ナマエの身長はそう高くないから、男性である新兵達を見上げるような形にはなっていたが、新兵達はまるで見下ろされているかのように縮こまっていた。

「……私トイレ行ってきます」

声色を明るく変えたナマエはそう言うと、その場を離れた。



胸ぐらを掴みに出て行こうとした俺は、完全に出鼻を挫かれたわけだが、もう出ていく気は失せた。
あいつが全部言ってくれたから、気は済んだ。

「あーあ、君達、ナマエを怒らせちゃったねぇ〜」

ハンジがおどけた口調で新兵達に声をかける。

「残念だね、そんなに深く考えてない発言だったんでしょ? ナマエが綺麗だから、ちょっとお近づきになりたくて、同期の死を悼んでみたりしたかっただけなんだよね〜。そうでしょ?」

相変わらず新兵達は黙り込んだままだ。ハンジは後頭部で両手を組み、新兵達に背を向けて続ける。
「でもね、ナマエは誇り高き兵士だ。名実ともにね。君達の軽率な発言は許せなかったと思うよ」

そしてハンジはゴーグルを額にずらすと、振り返り新兵達を一瞥して言った。

「私もナマエと同じ気持ちだね」

ナマエの向かった方向に歩き出すハンジ。
新兵達はとうとう一言も発さないまま、その場に立ち尽くしていた。





   

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