第十五章 旧調査兵団本部にて
02
その日、私はリヴァイ班と夕食を共にした。
食後、ペトラに案内された部屋はもちろん女子棟の個室だったが、荷物を片付けたり風呂に入ったりした後、リヴァイ兵長の部屋へ向かった。
昼間のうちに来るようにと言われていたのである。
ノックをすると、入れと中から短い返事があった。
部屋に入るなり、兵長はツカツカとこちらにやって来た。そして後頭部をガシっと掴まれる。
何事かとびっくりしたが、次にやってきたのは唇に唇の感触だった。そしてすぐに口内に舌の感触。
性急に口づけされたのだと後から認識が追い付いてきた。
いつもより少し乱暴な兵長の舌づかいに、こちらも一生懸命応えていたが、未だキスの途中の息継ぎは苦手だ。
数分互いの口内を貪りあったところで、私の方が先に音を上げ、ぷはっと息を吐きだし、はあはあと肩で息をしながら呼吸を整える。
「おいてめえ……」
ギロリとこちらを睨まれ、更にぐっと胸ぐらを掴まれる。
これが恋人に対する態度だと誰が信じようか。
「なんでさっさと来ねえんだ! まさか一週間もほっとかれるとは思わねえじゃねえか!」
これで愛情表現なのだ。素直なんだか素直じゃないんだかよくわからないが、ちょっと可愛いとすら思う。
私は苦笑しながら答えた。
「すみません兵長、でも兵長だって本部に来なかったじゃないですか。
私だってそう勝手に用事を作るなんて無理ですよ」
兵長はチッと舌打ちをして私の胸ぐらを離した。
「エルヴィン団長に感謝してください、大変に粋な計らいをしていただきました」
「まあ……それだけじゃねえだろ。エレンの精神状態が気になるのは俺も一緒だ。そしてお前がそれを探るのに最適な人材だってことも同意だな」
そう言って兵長はどっかりとベッドに腰を下ろす。
「エレンは地下室ですよね? 早速これから行って差しで話してこようと思うんですが」
「ああ……何もないとは思うが、何かあれば大声を出せよ。ここは響くから、本気の大声なら俺の部屋まで必ず聞こえる。他の班員の部屋にもな。
まああいつは一度もこの建物内で巨人化したことねえから問題ないと思うが、自分自身をコントロールできているわけじゃねえからな」
「わかりました」
そう言って、私は乱れた髪を手櫛で整え、部屋を出ようとした。
「おいナマエ」
兵長が声をかけた。
「終わったらお前の部屋じゃなく、俺の部屋に戻ってこいよ。
てめえ、今日は一週間分ひいひい言わせてやる」
ギラリとした目で下から睨まれ、私は恐れ戦いた。
* * *
エレンの寝室である地下室に向かう。
コツコツという足音が階段に響いた。
地下にはいくつか部屋があるが、エレンの部屋は一番手前と聞いている。明かりがついているのもその部屋だけだ。
私はドアをノックした。
「はい?」
と中から少年の返事があった。
「エレン、ナマエよ。ちょっと話がしたいんだけど、開けてもらえるかな」
「あっ、はい!」
中からすぐにそう返ってきて、エレンはガチャリとドアを開けた。
「お疲れ様です!」
エレンはそう言って右手の握り拳を左胸に当てた。私は慌てて顔の前で手を振る。
「いい、いい。今はそういうのは大丈夫。少し気を楽にして。入ってもいいかしら」
「あっ……ええ、どうぞ」
エレンはそう言うと、少し緊張した様子で私を室内に入れた。
何をしに来たのかと警戒しているのだろう。
部屋の中にはベッドと机と椅子、小さな棚のみ。部屋の広さに対して物が少ないせいもあり、かなり殺風景だ。
この古城は石造りだ。趣はあるが、感覚的に木造の温かみとは正反対の冷たい感じを人に与えやすいし、実際建物内の温度もひんやりとしている。
日中日の光が入り、また人の行き来が活発な食堂や居間などの共同スペースはまだマシで、もう少し雰囲気的にも体感温度も暖かく感じられた。
しかし二十四時間日光が入らず、エレン一人分の荷物しかないこの部屋は、寒々しい。
部屋に椅子が一つしかないので、私が椅子に座らせてもらい、エレンがベッドに腰掛けた。
「ここに拠点を移して一週間だけど、もう生活には慣れた?」
「はい」
「掃除はどう? 君の上官はえらい潔癖症だけど」
「はい、最初は本当に……全てやり直せって言われてばかりでしたけど、今はなんとか」
エレンは苦笑した。
「地下室は、寒くない?」
「ええ、やっぱり地上階と比べると少し冷えるのですが……」
エレンはそう言って、自分の尻の下の布団を撫でた。
「内緒だって言われたんですが、実は兵長が少し良い布団を用意してくれたんです。ここは寒いだろうからって」
「そう」
きっとあのぶっきらぼうな口調でこの布団を渡したのだろう。容易に想像がつく。
思わず笑みがこぼれた。
「私ね、エレンと話したかったんだ。審議所で会って以来よね。
新兵勧誘式の時は、エレンは既にリヴァイ班に入っていたから、エルド達四人と一緒にいたしね。私は私で、ステージ横で団長の手伝いをしていたから話す機会もなかったし」
そう言って私は足を組んだ。
「あなたが不自由なく生活を送れているか気になっていたの。なかなか今まで経験したことのない状況だと思うから」
「……心配してくださっているんですね。ありがとうございます……」
エレンはそう言って、両膝の上に握り拳を置いた。
その声は小さかった。
ベッド横に大きな鉄球のついた手枷と足枷がある。しかしそれは本来の用途に使われずゴロリと転がっているだけだ。
「これは、しないの?」
私はその鈍く光る無機質な物を指さして尋ねた。
「……本当はしなきゃいけないんだと思います。
でも……これも兵長から他言するなって言われてたんですけど、しなくていいって……こんなもん、してもしなくても、変わらないと」
「……そう」
エレンの綺麗な目が伏し目がちになり、顔も俯いた。
なんだか少し申し訳なさそうな顔。
整った顔立ちの美少年だが、こんな、まるで罪の意識を感じているような表情は、その美しさを曇らせる。何より、十五歳の少年にさせたい表情ではなかった。
そうは言っても、兵士を選んだ以上この子もいつまでも子供ではいられまい。
それでなくても、人類の希望を一身に背負ってしまう立場に立ってしまったのだから。
次の壁外調査まであと三週間ほどだ。
壁外調査では仲間の死も目にするだろうし、先日のトロスト区攻防戦以上の恐怖も体験するかもしれない。
しかし、可能であれば、大人になることを余儀なくされるまでのその僅かな時間は、少年らしくいて欲しい。
そう思うのは、もう子供であることを許されない二十三歳という年齢がそうさせるのだろうか。
「……ちょっとそっちに行ってもいいかな」
この少年は私に危害を与えないだろうと確信し、私は椅子からベッドに移動し、エレンの隣に腰かけた。
本来であれば、いかに少年と言えど、男性と並んでベッドに座るなど絶対にしないことではあるが、エレンの顔を見てこちらが切なくなってしまった。
少しでも、こちらの気持ちが伝われば良いと思い、隣に座ったのだ。