第十五章 旧調査兵団本部にて





01




「ほらっ! そこっ! 重心がずれてるっ!!」
「はっ……はい!」
「レオンっ! 集中しなさいっ!! そんなんじゃ壁外で間違いなく死ぬわよ!」
「ひぃっ……はいっ!! 分隊長!!」

屋外訓練場で私は分隊の部下に対して怒鳴っていた。
そんなに暑くもない日だが、しごかれている部下は汗だくだ。しごいているこちらも汗だくだ。一緒に飛びながら怒鳴っているのだから。



リヴァイ班が旧調査兵団本部へ拠点を移してから一週間。
まだ一か月のうちの四分の一しか経っていないのに、私はイライラしていた。

兵長と恋人同士になってから、一週間全く会わなかったことなど今までなかった。
兵長が王都に数日間出向いても、最長で四日間。
そろそろ声も聞きたいし肌にも触れたい。無理なら顔を見るだけでも良い。
そんな感情が常に頭の片隅にある自分に溜息が出る。自分で思っていた以上に、私は沼に嵌っているのだと再認識させられてしまう。

また、兵長がペトラと一つ屋根の下にいるということも私の神経に触る。
別に兵長とペトラが二人きりなわけではなく、リヴァイ班にはエルド、グンタ、オルオもいるし、エレンもいる。実験のためにハンジ班のメンバーもしょっちゅう向こうにいるし、泊りがけになることだってある。心配するような何かが起こるとも思えない。
が、自分の恋人に想いを寄せている女性が、自分不在の下その恋人と共同生活をしているという状況だ。好意的に捉えられる人間はそうはいないだろう。

私は、憤懣にも似たこの感情を、怒鳴り声に変えて発散しているのだから、部下へのしごきは半分以上八つ当たりのようなものだ。
少なくとも自分の分隊の部下とは、相互に信頼しあっていると自負しているが、彼らが私に心を開いていてくれる分、私も彼らに甘えているらしい。
本来なら部下に八つ当たりなど真っ当ではない。

「なあ、エーリヒ……ナマエ分隊長、日に日に荒れてくな……」
「ああ……なんか、いつも隙のない笑顔のナマエ分隊長がああいう風に荒れるのも珍しいよな、ダミアン」
「そうだな……原因、なんだろな」
「えっ、そんなのあれだろ? 月経だろ?」
「「お前は黙れカール」」

直属の部下である我がナマエ班の三人、ダミアン、エーリヒ、カールが無駄口を叩いている。
聞こえてないと思っているのだから、まだまだ詰めが甘い。

「そこっ!! 三羽ガラス!! 随分な余裕ね!? 次はあんた達よ! さあ飛べっ!!」
「……はっ!」

三人はビクッと肩が上がったが、すぐに敬礼をして木に飛び移り始めた。

「……地獄耳かよ」
「聞こえてるわよエーリヒ!!」

樹上でぼそりと言ったエーリヒに向かって私は叫んだ。



「ナマエ」

わんわんと怒鳴っていた私に向かって、よく通る声が投げかけられた。
声のするほうを見下ろすと、樹下にエルヴィン団長。私はダミアンに訓練の指揮を任せると、急いで下に降りた。

「団長、どうされましたか」

あまり木に近いと危険なので、私達は木より少し離れたところまで歩いた。

「訓練中すまない。ナマエ、明日旧調査兵団本部へ向かってくれ」
「えっ? なぜですか?」
「エレンの様子を見てきて欲しいんだ」
「エレンですか? 様子とは?」

団長は、うん、と頷き一呼吸おいてから話し始めた。

「特異な立場に立たされたが、彼は兵士になって間もない十五歳の少年だ。
彼の精神力が屈強な物か否かわからない今、彼が精神的ダメージを受けて不都合が発生することを避けねばならない。
一言で言えば、メンタルチェックというところだ。自身の所属している班の班員には言いづらいこともあるだろう」

まあ審議所での様子を見る限り、脆弱な精神力だとは考えにくいが、とエルヴィン団長は付け足した。私も同意だ。
しかし、ハンジ班が毎日のように実験のために旧調査兵団本部へ通いつめているが、ハンジ班のメンバーではダメということだろうか……まあ、ハンジさんにはあまり向いていなさそうな役柄だ。エルヴィン団長は私の顔色を素早く読み取って苦笑する。

「君が今思った通りだ。ハンジは今自分の実験のことしか考えられないし、エレンの精神状態よりも身体に興味が向いてしまうだろう?」

ええ、その通り。声には出さず表情にだけ出して、私も苦笑した。

そうは言っても、相談役兼メンタルチェックということなら、ペトラならかなり適役だと思うし、班員がダメだというならハンジ班のニファもいるのに……。
なぜ自分が? 兵長のいる旧調査兵団本部へ行くことは正直やぶさかではないが、自分である必要性があまり感じられない。
そんなことを思っていると、エルヴィン団長からとどめがきた。

「ナマエに行ってほしい。君が最も適役だと思うし、理由はもう一つ。
日に日に厳しくなる訓練にしごかれる、君の分隊の部下達のためにも」

エルヴィン団長の苦笑顔に閉口してしまった。八つ当たりはバレバレだ。

「いや、咎めているわけじゃないんだ。
誰しもにあることだし、少しぐらいそういうところがあったほうが人間らしい。……しかし、三羽ガラスとはよく言った物だな」

エルヴィン団長はくくっと笑った。

「まあ恋人の顔くらい見てきなさい。ついでに一泊して来るといい。向こうもやきもきしてるんじゃないか?」
「……」

何と答えたらよいかわからず閉口を続けていたが、エルヴィン団長は頼んだぞと肩にポンと手を置いて兵舎の方へ去って行った。
団長の粋な計らいということだろう。ならばありがたく頂戴することとする。
私は団長の背中に向かって、

「はっ、承知しました」

と声を出し、敬礼をした。
エルヴィン団長は歩みを止めないまま振り返り、にこりと頷いた。



次の日、私は分隊の指揮を全てダミアンに任せ、一人馬で旧調査兵団本部へ向かった。
ダミアンに訓練内容の引き継ぎをしてから出発したため、到着したのは夕刻近かった。

馬を止めようとまず厩舎に向かうと、兵長を除くリヴァイ班の面々が厩舎の掃除をしていた。

「あれっ? ナマエさん!」
「ナマエさん! お久しぶりです!」
「どうされたんですか?」

エルド、グンタ、オルオ、ペトラ、そしてエレンが手を止め、迎えてくれる。
ペトラの顔は、驚きの後にやはり少しだけ強張りが見られた。が、気づかなかったことにして私は通常営業を貫く。

「ええ、ちょっとエルヴィン団長から業務を指示されてね。今日はこちらに一泊させてもらうの。よろしくね」

そう言いながら、私は馬を繋いだ。

「しかし……掃除も大変よね……」

リヴァイ班の面々が箒、熊手、フォーク等を持って泥まみれになりながら厩舎の掃除をしていたのを見て、私は憐みの声をかけた。

「いや、まあ……我々リヴァイ班の仕事の半分は掃除ですから」

と笑ったエルド。

「それでも、だいぶ楽になったんですよ。エレンっていう一番下っ端が入ったので」

グンタも笑いながら言った。エレンは苦笑している。

……班の雰囲気としては、そう悪くは無いように感じるが、実際のところどうなのだろう。
まあ良い、今日の夜エレンと差しで話すと決めている。
それが一番、エルヴィン団長からの指示を全うできるだろう。

「リヴァイ兵長は?」
「中です、今はハンジさんもいらっしゃってますよ」

そう言ってエルドが私を旧本部内に案内してくれた。

ノックをして、エルドが案内してくれた部屋に入る。これがこの旧本部での兵長の執務室ということだ。

「兵長、ハンジさん」
「あれー!? ナマエ、どうしたの?」

声を掛けてドアを開けると、ハンジさんが笑顔で迎えてくれた。兵長は驚いた顔をしている。

「お疲れ様です、ちょっとエルヴィン団長より業務を指示されまして。今日はこちらで一泊お世話になります」

私は兵長に向かって会釈した。

一週間ぶりに見る兵長。柄ではないが、胸がキュンと鳴った。
兵長も、私に向ける視線が驚きから優しい物になった。少なくとも会えて喜んでくれているのは伝わった。

「なんだよ、リヴァイ? 嬉しそうな顔しちゃってさ!」
「うるせえなクソメガネ」
「一週間ぶりだもんね! 私は別に構わないよ、熱い抱擁でもキスでもしてくれて?」
「ちょっとハンジさん! ……声大きい……」
「あはは、ごめんごめん!」

この旧本部は、建物が古い上に今は人員が少なすぎる。人がいなければその分音が吸収されず響くのだ。人に聞かれたら面倒なことになる。

「それで、エルヴィンから何を頼まれたってんだ? ナマエ」
「ええ、エレンのメンタルチェック兼相談相手です。団長は、齢十五にして人類の希望となった少年の精神を案じてらっしゃいます」

ふーん、とハンジさん。

「まあ、確かにここ数日色々あったからな……」

兵長はそう言ってため息をついた。

この旧本部に来る前に、ハンジさんが(というかモブリットが)実験のたびに作成している報告書には一通り目を通してきた。

先日の実験で、エレンがスプーンを拾おうとして巨人化したことも、それを見たリヴァイ班の班員から剣を向けられたことも報告書に記載されていたから、私も知っている。
エレンは自らの意思で巨人化したわけではなかったようだが、班員から刃を向けられるというのはどんな気持ちなのだろう。
先ほどの厩舎での様子では、今は特に班内で不協和音が発生しているような感じは見受けられなかったが。

「じゃあ、今日の実験の結果もまとまったことだし、私達はそろそろ失礼するよ。早く出ないと兵舎に着くのが遅くなる」

とハンジさん。

「えっ、帰っちゃうんですか?」
「ナマエが来るって知ってたら、もう一泊するよう調整したよ〜! 
あ、でも久しぶりに会えたんだから、今日は二人水入らずの方が良いよね?」

私の問いにハンジさんはケラケラと笑った。

「ちょっとハンジさん、シーッ!」

慌ててハンジさんの口に人差し指を当てた。

「まあその通りだな、クソメガネ。お前はさっさと帰れ。邪魔者はなるべく少ないに越したことねえからな」

しれっとそんなことを言う兵長に、ハンジさんはあははとまた大声で笑った。




   

目次へ

小説TOPへ




- ナノ -