第十四章 巨人化する少年
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* * *
翌日、予定通りエレンの処遇を問う兵法会議が開かれた。
審議所でリヴァイ兵長は、発言通り『ボコボコにするだけの役目』を見事に演じ切った。
些かやりすぎかと思ったが、エルヴィン団長の最適なタイミングでの『提案』、そして鮮やかな口上によって、作戦通りエレンは調査兵団の――リヴァイ兵長の監視下にて監理をすることとなった。
エレンという人類の希望を手にする作戦は一先ず成功である。
会議終了後、私達幹部は拘束を外されたエレンと共に審議所の一室にいた。彼に状況を説明し、怪我の手当てをするためだ。
「イテテ!」
怪我がひどい筈だから、とりあえずソファに座るようにと促した。エレン・イェーガーは堪えきれず痛みを口に出しながら、ソファに腰かけた。
……この少年が、巨人化する? にわかには信じがたい。
意志を持った大きな瞳の少年だ。撤回。美少年だ。
「すまなかった……しかし君の偽りのない本心を総統や有力者に伝えることができた。君に敬意を……」
そう言ってエルヴィン団長はエレンに手を差し出した。
「よろしくお願いします」
エレンと団長は固い握手を交わす。
「なぁエレン、俺を憎んでいるか?」
エレンの隣にドサッと座ったリヴァイ兵長に、エレンは怯える様子を見せる。
「い……いえ、必要な演出として理解してます」
それでも一応は、その言葉を口から出した。
「しかし、兵長……やりすぎですよ」
「そうだよ、歯が折れちゃったんだよ」
私とハンジさんが代わる代わる言う。ハンジさんは兵長に折れた歯を見せた。
「エレン、手当てをするからちょっと傷を見せて……って……え?」
私はエレンの元に跪き、顔から腹部にできた傷を手当てしようとした。
が、傷が明らかに薄くなっている。
さっき法廷を出た時は、確かにもっと傷が深かった。出血も大量だった。
しかし今は、傷はほぼ修復され、皮膚についている血は乾き始めている。
「傷が治ってる……どういうこと……?」
「エレン、口の中見せてみてよ」
ハンジさんに言われ、エレンは口を開けた。
「……歯が生えてる」
その場にいたエルヴィン団長、リヴァイ兵長、ミケさん、ハンジさん、私、そしてエレン自身も驚き、誰も声を出せなかった。
部屋には一しきり沈黙が流れた。
その後、幹部会議にて今後の方針が決まった。
エレンはリヴァイ班と共に旧調査兵団本部にて生活すること。エレンの巨人化については、ハンジさんが実験を担当すること。一か月後行われる第五十七回壁外調査には、エレンと、明日の勧誘式で入団する新兵も参加させること。
全てエルヴィン団長が決めたのだった。
* * *
翌々日、新兵勧誘式も終えた私達は調査兵団本部へ戻った。
今戻ったばかりだが、リヴァイ班はもう明日には旧調査兵団本部に出立する。
私は自分の荷物の片づけもそこそこに、リヴァイ兵長の執務室へ向かった。
「兵長、ナマエ・ミョウジです」
「入れ」
許可を得て執務室に入ると、兵長は明日の出立のための準備をしていた。
「何だ」
荷物を鞄に詰める手を止めずに兵長はそう言った。
「……お手伝いすることはございませんか」
「……ねえな」
「ですよね」
そんなことはわかっている。荷造りなんてすぐに終わるし、リヴァイ班は戦闘能力が高いだけでなく部下としても優秀だ。何か出立に際し用事があれば、直属の部下に言い付けるだろう。
「一応、建前を申し上げただけです」
「だろうな。で、本音は?」
「……今は申し上げません。自分の士気に関わりますので」
「はっ……そうかよ」
兵長はそう言うと、荷物を詰めていた手を止め私に歩み寄り、私の頤に手を掛けた。
「じゃあ夜にベッドの中だったら言えるのか?
一か月も離れているのが寂しいから、今は一時も離れたくなくて執務室まで来たと」
「……」
私は返事をしなかった。澄ました顔を崩さないようにして。
せいぜい私にできる強がりはこのくらいだ。
仕事中に兵長の元に来たのが間違いだった。夜まで待つべきだった。
「……夜、お部屋に伺います」
顎の兵長の手を外し、そう言って踵を返すと、兵長に腕をぐっと掴まれた。
「ナマエ」
兵長の声に、私は後ろを振り向く。
目の前に兵長の顔があった。
「俺は寂しいぞ。一か月もお前と離れているのはな。
ハンジがエレンの実験をしにやって来る予定だ。お前も何か理由を見つけてついて来い。
俺も、一か月籠りきりというわけにはいかねえ、どうせこの本部に来なくちゃいけねえ用事もできるはずだ。全く会えなくなるわけじゃねえから……耐えろよ。
今夜は必ず俺の部屋に来い」
「……この、人たらし……」
私は声を絞り出してそう言った。顔が真っ赤なのはわかっている。
「お前にそう思われてるんだったら結構なことだな」
そう言って兵長は私の腕を解放し、頭をぐしゃっと撫でた。
兵長の執務室から出て自分の執務室に戻る途中、廊下でペトラとすれ違った。
ペトラは紅茶をお盆に乗せている。
「お疲れ様です、ナマエさん」
「お疲れ様、ペトラ」
私達は笑顔で挨拶を交わした。
ペトラの笑顔だけがすこしぎこちないのはいつもの事だ。
去年兵長の執務室でペトラと向き合ってから、私達は表面上穏やかに過ごしていた。交わす言葉も当たり障りのない物だ。他の兵士達は私達の間に何があったか知る由もないだろう。
だがペトラの笑顔はいつも少しだけ強張っている。
私達二人の間に流れる微妙な空気。それは二人だけが感じている物だ。
ペトラはあの日の言葉通り、私と兵長の関係を口外しなかった。
そして恐らくだが、兵長に気持ちを告げることもしていない。
兵長からペトラから告白されたという話は聞いていない。まあ仮に告げていたとして、兵長がわざわざ私に報告するとも考えにくいが。
だが、もし告げていたならばペトラの雰囲気はもう少し違う物になるのではないだろうか。
自分の気持ちを正直にぶつけたならば。
一か月……兵長とペトラは一つ屋根の下か……。
今、ペトラは何を思っているのだろう。
自分がペトラだったらどう思う?
――そりゃあ、嬉しい。一か月恋敵は不在。自分は想い人と一緒。絶好の――。
私は頭をぶんっと振った。
大丈夫。大丈夫、何も心配することはない。
このザワザワする感覚は一時の物だ。今夜兵長の部屋に行けば消える物だ。
未だ衰えることなく湧き上がる嫉妬心をそう言ってなんとか抑え、私は自分の執務室へと歩んだのだった。