第十四章 巨人化する少年





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――八五〇年――



それは、壁外調査中のことだった。

「退却だ」

エルヴィン団長から突然指示があった。

「巨人が街を目指して一斉に北上し始めた。五年前と同じだ。街に何かが起きている。
壁が……破壊されたのかも知れない」

その言葉に、朝トロスト区を出立したばかりだった調査兵団は、その日の午後にトロスト区へ急ぎ戻ったのである。

結果として、エルヴィン団長の判断は正しかった。
五年ぶりに超大型巨人が再来、トロスト区の門に穴が開けられ、そこから多数の巨人に侵入されていたのだ。



調査兵団がトロスト区へ到着した時には、決着がついていた。
私達の到着と同時に、「作戦成功」を知らせる黄色の煙弾が上がったのだ。
巨人化した人間が巨大岩を持ち上げ門の穴を塞ぐという、前代未聞の勝利の仕方ではあったが、巨人に対して人類が初めて勝利した瞬間を迎えたところであった。

しかしながら、その惨状と、人間が巨人化するなどという前代未聞の現象は、帰還した私達を混乱に陥れた。

「オイ……ガキ共……これは……どういう状況だ?」

リヴァイ兵長の見下ろす先に、少年少女達三人――。

とにもかくにも調査兵団は、駐屯兵団精鋭部隊の生き残りと、駆け付けた駐屯兵団工兵部と共に、トロスト区内の巨人の掃討に当たった。



「リコ……」
「……ナマエ!」

巨人掃討後、駐屯兵団本部にて、駐屯兵団精鋭部隊として活躍したリコ・ブレツェンスカに会えた。
私がリコの姿を見つけ声をかけると、リコは私に抱きつき、身長がほとんど違わない私達はひっしと互いの体を抱きしめあった。

リコは私の同期だ。
調査兵団の同期は私以外全員戦死したが、駐屯兵団、憲兵団にはまだ存命の同期がたくさんいた。

元々冷静沈着、現実主義、甘ったれたことを一切言わないリコに抱きつかれたことは、些かリコらしくない行動だとは思ったが、驚きではなかった。
あの惨状を目の当たりにすれば。

「……イアンと、ミタビが……」

涙声でリコが言う。

「……イアンと、ミタビ!?」

リコと並び、精鋭中の精鋭だった二人もまた同期だった。
まだ状況はよく把握できていないが、恐らくリコと共に最前線で戦ったのだろう。――亡くなったのか。
私は眼鏡の下で涙を流すリコの肩を抱きかかえ、人気の少ない廊下へ移動した。どうせ事態の把握には、しばらく時間がかかる。
私達には待機場所も指定されず「とりあえず待機」というよくわからない指示が駐屯兵団から出されていた。



二人並んで、廊下の窓にもたれた。
人通りは少ない。時々、駐屯兵や調査兵がぽろぽろと通りかかるが、皆が「待機」中だ。
私達に指示を仰ぎに来る者や話しかけてくる者はいなかった。

トロスト区での攻防戦に頭から参加していたリコの話を一通り聞いて、私は開いた口が塞がらなかった。
信じがたいが……事実なのだろう。この状況下で嘘をつける人間はそう多くない。
この後、きっとエルヴィン団長が情報を掴んで何かしらかの指示があるはずだ。少なくとも幹部クラスまでには……。

「イアンとミタビは、立派だったよ。捨て身で……任務を遂行した。心臓を捧げたんだ」

リコは泣き止み、だが赤く腫れている目で窓の外を見上げて言った。

「私達は駐屯兵だからさ……五年前のシガンシナ区陥落以来、大きな人的損失はなかった。
でも……今回は数えきれないほど死んだよ……。これから報告書の提出が指示されるだろうけど、こんなに辛い報告書は五年ぶりに書くことになるな……」

私は黙ったままリコと同じ方向を向き、窓の外を見上げる。
夕暮れの空は、まるで何事もなかったかのようにいつも通りのオレンジ色だ。

「ナマエ、調査兵は……もう同期はナマエだけなんだろ?」
「……うん……最後に残っていたアメリーは六年前に死んだ」
「……そうか……」

私達は視線を交わらせることなく、空を見上げつづけた。

「これから先、一体どうなるんだろうな……」
「……どうなるんだろうね……」

それは、誰も答えることのできない問いだった。
もちろん、私もリコもそんなことはわかっていて、でも口に出さずにはいられなかったのだ。



* * *



「一〇四期南方訓練兵団は……とんでもない辛酸を嘗めてしまいましたね」

ナマエは月明かりに照らされたベッドの中で――俺の隣で言った。

カーテンを開けていれば、俺の居室には月明かりが良く入る。
居室は三階だから窓から覗かれる心配はないし、蝋燭も節約できるため、夜でもカーテンを開けている事が多い。

超大型巨人のトロスト区襲来から六日。
俺は二日前にエルヴィンと共に、問題のエレン・イェーガーとやっと対面した。
この六日間、俺はエルヴィンと共にエレンへの面会を求めたり、面会が叶った後はエレンを調査兵団に引き入れ保護するための作戦をエルヴィンと擦り合わせたりするのに忙しかった。
こいつはこいつで遺体の回収に走り回ると共に、錯乱する訓練兵のガキ共を宥め落ち着かせることで必死だった。
ついでに言えばハンジは、トロスト区内に残った巨人を掃討する際に巨人二体の捕獲に成功し、その事後処理と実験に奔走していた。メガネはメガネで忙しかったらしい。

やっと調査兵団本部の自室に戻ってきて、ナマエも無事で隣にいて、今日は少しは落ち着いて眠れそうだ。それでも、明日には審議所でエレンの処遇を問う兵法会議が開かれる。また幹部揃って朝からシーナに向かわねばならない。
全く、クソな状況だが――やむを得ない。人類の未来が動こうとしているのだから。

「皆……十五、十六だっていうのに、解散式の翌日に巨人の襲撃に遭うなんて……。
遺体の回収、私達調査兵団は正直慣れてしまっている部分もありますが、あの子達、吐いて、錯乱して……自我を失っている子も多かったんですよ。
覚悟も固まっていないのに、いきなり地獄を突き付けられて……兵士になったことを後悔しているかもしれませんね」
「ああ、そうだな……だが、なっちまったもんはしょうがねえ。嫌だったら退団すんだろ」
「……私が心配しているのは、明後日の新兵勧誘式です。調査兵団に入団する新兵がいるのか……」
「……」

それは、その通りだった。既に巨人の恐怖を味わった上で調査兵団に入るような物好きなガキはそう多くはないだろう。

「まあ……一人は入団確定している」
「……エレン・イェーガーですか? 確定ではないでしょう、審議所でうまく事を進めないと、憲兵団に持ってかれますよ」

幹部会議で分隊長までにはこの作戦は周知した。
もっとも、審議所で動くのは俺とエルヴィンの役目だが。分隊長はエレンを地下から審議所の法廷まで連れ出すだけの役目だ。
エレンの保護と人類の未来は、まずは俺とエルヴィン、二人の挙動にかかっていると言って良いだろう。

「安心しろ、俺はタイミングを見計らってあいつをボコボコにするだけの役目だ。上手くやる」
「万事上手くいくよう祈っています」

ナマエはそう言って白い腕を伸ばし俺の髪を撫でた。
布団が少しだけ持ち上がり、鎖骨から下の部分がチラリと覗く。さっき飽くほど抱いたのに、そんなものが視界に入ればまた抱きたくなってしまう。
俺はナマエに覆いかぶさったが、

「ちょっと……!」

拒否の意を突き付けられた。

「なんだ……」
「なんだじゃないです、明日は早いんですから……朝からシーナまで行かなくちゃ」

ナマエの言うことはもっともだった。

「チッ……しかたねえな……」

俺は諦め、ナマエを胸の中に埋めるだけに留めた。
俺達は久々に互いの体温を感じながら眠りについた。




   

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