第十二章 Intermezzo 2 ――間奏曲 2――





01




昨日、壁外調査から帰った。

今回も私は生き延びた。
エルヴィン団長になってからというもの、生存率は飛躍的に向上したが、それでもやはり犠牲は発生する。
私は第三分隊から出た犠牲者を弔うために、遺品の整理や、親族の住所を調べたりしていた。

分隊長となって、業務の種類も量もとにかく増えたが、会議への参加や事務仕事、資料作成、あるいは矢面に立って市井の人の批判を受け止める、そんなことは些細な事に過ぎない。一番辛いのは、部下の遺品整理と遺族の訪問だ。

「……ふう」

最後の一人の住所を調べ終わり、地図に印をつけた。

犠牲者と同室だった兵士と直属の班長には遺品整理をお願いしてある。今回の犠牲者は全員男性だったため、私が直接遺品整理を行うより、そのほうが良いだろう。
遺品整理が終われば、遺族訪問に出発しなければならない。明日か、明後日か……。

気が滅入った私は、執務室を出て中庭へ向かった。



兵舎内は静かだった。幹部以外の兵士は皆調整日だ。
普段の調整日であれば、街へ向かう者達の浮かれた声や、兵舎内であっても楽しそうにおしゃべりをする声でもっと賑わっているものだが、帰還と火葬の翌日はやはり皆が騒ぐ気にはなれないものなのだろう。

「ナマエ分隊長!」

中庭のベンチに座ろうとしたところに、男の声で呼ばれた。振り返ると、第三分隊三班の兵士だった。

「どうしたの?」
「分隊長を探してたんです……執務室にいらっしゃらなかったので」
「ああ……ごめん、さっきまでいたんだけど、出てきちゃった」

彼は上がった息を落ち着けるようにふうっと大きく吐きだした。

「分隊長に、話があって」
「うん、どうした?」
「あの、俺……」

彼は顔をばっと上げ、私の両手を掴んで言った。

「……ナマエ分隊長のことが、好きなんです!」

大きな声だった。中庭中に声が響く。

彼が私の名前を呼んだあたりから予感はあった。

自分より四つほどか? 若い兵士である。
まだ幼さの残る眼差しが、自分を特別な目で見ていることには気づいていた。私の目から隠し通せるほど彼は大人ではなかった。

「……うん、そうか、ありがとう」

私はそう答えて、握られた手を握り返した。
そして、そっと離す。

彼は離された手が何を意味しているのか理解し、悲しそうな笑顔を浮かべた。

「……わかってます、ナマエ分隊長が俺の事を特別な目で見ていないということは、理解しています。付き合ってもらえるなんて思っていません」

彼はその笑顔のまま、私の目を見つめた。

もう夕方だ。日の光が温かなオレンジ色に変わり始めた。
すっかり春になったが、やはり夕方は少しだけ冷える。

「でも、昨日壁外調査から帰ってきて……どうしても伝えたかったんです。
今、生きてるうちに」
「……そっか」

彼の気持ちはわかる。
死を間際にして、実際に死にゆく仲間を見て、いつ自分にこれが降りかかってもおかしくないと再認識するのだ。

調査兵団に入団した時に誰もが覚悟はすることだ。
だが実際に死を目の当たりにして、私達は常にそれと隣り合わせであることを思い知らされる。

「あなたのことは、とっても大事に思う。大事な部下よ。
だから、明日からも生きて私の力になって。第三分隊の力に、調査兵団の力になって。
あなたが兵士として成長して一緒に戦い続けられたら、私はとても嬉しい」
「……はい」

そう答えた彼は涙目に見える。

「明日からも、よろしくね」

私がそう言って微笑むと彼は涙目のまま頷き、ドンと胸に手を当て敬礼をすると去って行った。



彼がドアを開け兵舎内に入ったのを確認してから、私は声を出した。

「……誰ですか?」

見えるところに人影はなかったが、私は気配を感じていた。彼が告白を始めたものだから出るに出られなくなったのだろう。大きな影が花木の陰からのそっと出てきた。

「……俺だ、すまん」
「ミケさん……」

優しい目の寡黙な男は、ぼそりと謝った。

「わざとじゃなかったんだが」

そう言って、先ほど私が座ろうとしたベンチに腰かけた。私も隣に腰かける。

「すみません、変なとこお見せしちゃいましたね」
「ナマエのせいじゃない」

ミケさんはそう言って、目線を空の向こうにやった。

「今のようなこと、増えたんじゃないのか」
「え?」

告白されることは、増えたような……増えていないような。数えているわけではないから正確にはわからない。

「増えた……のかな、そんな気はしていないのですが……」
「リヴァイと付き合っていることは公表しないのか?」
「ええ、騒がれるのが嫌なんです」
「そうか……。ナナバが言っていた。少し前から急に艶っぽくなったと」
「はは、美人のナナバさんに言われるのは素直に嬉しいですね」
「……俺も気づいたぞ」

ぎょっとして、ミケさんを見た。何に気づいたって――。

「匂いが変わったからな」

かっと顔に朱が混じったのがわかったが、努めて冷静を装う。
私が真の意味で兵長の女になったことを示唆しているのだろう。

「……リヴァイも変わった。匂いもだが、纏う空気が少し違う」

違うって? どう違うのか。
当事者は往々にして周りの者より鈍感だ。
黙っていた私に、ミケさんは続けた。

「柔らかくなったというか……。ナマエのことが大事で仕方ないんだろうな。
お前は知らんだろうが、時々、俺の見た事のない優しい目で訓練中のお前を見ている」
「……そうですか」

私もミケさんの向いている空を見つめた。
目の前をオレンジ色に染まった蝶がひらひらと横切った。

静かだ。



「ミケさんから見て、兵長は幸せそうですか」
「……ああ」
「……なら良かった。私達は、いつ命を落とすかわからないから……せめて生きている間は幸せでいて欲しいんです」
「……ああ、そうだな。その気持ちはよくわかる」

ミケさんはそう言ってスンと鼻を鳴らす。

「ナナバさんにもそう思いますか?」
「……ああ、思う。命ある間は……命が尽きても、あいつには幸せでいて欲しい」

静かなミケさんの声。
二人の間の穏やかな水流を垣間見た気がする。



ミケさんは徐に立ち上がった。私も一緒に立ち上がってベンチを後にする。
さて、と言って私はミケさんを見上げた。

「ミケさん、今日の夕食は何ですか?」

ミケさんは鼻をスンスンと鳴らす。

「シチューだな」

ふふふと私は笑い、それを見たミケさんも優しい目で小さく笑みを浮かべた。



* * *



「あれ、次はミケだよ」

ハンジが窓の下の中庭を見下ろしながらそう言った。

「部下に告白されたと思ったら、次はミケかあ〜」
「おいハンジ、てめえ俺にやらせといて無駄口叩いてんのか?」

書類で俺の確認がいる箇所があると執務室にやってきたハンジは、俺に書類を預けたまま窓の外を見続けている。

「ほらよ」

一通り目を通した俺は確認のサインを記入し、ハンジに書類を返した。

「ありがと。でも、心配にならないの? あんなにモテてんのに」
「あ? ミケはナナバだろ」
「ミケはそうだろうけどさ、さっきの大声聞こえなかったの? 『ナマエ分隊長のことが、好きなんです!』だってさ、可愛いよね」

俺は椅子から立ち上がり、ハンジの隣から中庭を見下ろした。
ベンチにナマエとミケが並んで座っている。外はもう夕焼けが近く、中庭はオレンジ色に染まり始めていた。

「ナマエが並はずれた美人だっていうのは前からだけど、最近更に色気が増したっていうかさ……見るやつが見ればわかっちゃうよね」
「……下世話な話をしてんじゃねえよ」
「あはは、ごめんごめん。でもその色香のせいか、前にも増して後輩達に人気みたいだけど? 
まあ告白してくる気概のあるやつは少数派かもしれないけど、一定数はいるからね。可愛い後輩に熱心に言い寄られてナマエが靡くかもとかさ、少しは心配しないわけ?」

ハンジは茶化したような口調でそう言ったが、言っている内容は事実だ。
俺は窓からナマエを見つめた。ミケと笑い合っている。

「……心配か。しねえな」
「……そう」

ちょっとくらい他の男から言い寄られたからといって、ナマエが受け入れるとは思えない。
元々あいつは一徹なところがあるし、俺のこともかなり思い悩んだ上で自分の気持ちを認め、今の関係を築いている。
正直言って、ぽっと出の野郎に掻っ攫われる気は全然しなかった。

「……信用、かな?」
「そうだな……信用している。あいつの想いは」

そして、俺自身のこの想いもだ。
ここまで来るまでに散々時間をかけた。
この気持ちは流行り病のような束の間の物ではないと確信している。

「全く、私の可愛いナマエを夢中にしてくれちゃって。羨ましいよ、その関係」
「あ? 何言ってる……ナマエはお前の事大好きじゃねえか、クソメガネ。
それにお前は……モブリットだろ?」

ハンジは俺の方をちらと見たが、すぐに視線を窓の外に戻した。

「さあね……どうかな」




   

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