第十章 結論





02




朝食後に団長室へ向かった。
夜間無断外出の報告が行っているだろうからその謝罪と、もう一つ。きちんと言わなければならないことがある。

許可を得て団長室に入ると、エルヴィン団長は仄かに笑顔を浮かべてこちらを見ていた。

「始末書は書いてきたか?」

台詞とは裏腹にその表情は優しく穏やかだ。嬉しそうにすら見える。

「はい。昨晩届け出を出さずに夜間に無断外出をしました。大変申し訳ありませんでした」

私は始末書を両手で差し出した。

「以後、このようなことがないよう……」
「いや、いいんだ、ナマエ」

反省の弁を続けようとした私に、団長は言葉を被せて制した。

「ずいぶんすっきりした顔をしているな。ここ一か月ほどは、君の美貌も曇ってしまうような、迷いのある顔しか見てなかった気がするが」
「そ、そうでしたか?」
「ああ。君がそういう顔に戻ってくれるのならば、多少の規律違反は目をつぶろう。せっかく書いてきてくれたのだから、この始末書は受け取るが」

そう言ってエルヴィン団長は笑顔で始末書を手にした。

「……それと、別件で団長にご報告とお詫びがあります」

次に私が差し出したのは、カイさんから渡されたあの小切手だ。
エルヴィン団長は小切手を見た。その額に驚いたように見える。

「ユルゲンス卿からは、退団して結婚するならば毎年この額を寄付すると言われました。
ですが団長、申し訳ありません。私はユルゲンス卿と結婚することはできません」

もう迷わない。私は団長の眼を見つめた。

「兵団が莫大な寄付金を得るチャンスを反故にすることは謝罪いたします。
ですが、その分、私のこの命が尽きるまで部下を育成し、調査兵団全体の戦闘力向上に尽力いたします。兵士を一人でも多く育て、一人でも多く生存させることに全力を尽くします」

私の眼と団長の眼がぶつかり、お互い外さない。
その時、突然ガチャリとドアが開いた。

「おいエルヴィン、規律違反の始末書だ」

ノックもせずに入ってきたのはリヴァイ兵長だった。

「リヴァイ、ノックをしろと再三言っている」

エルヴィン団長は口ではそう言っているが、恐らくもう諦めているような声色だ。
ずかずかと進み始末書を片手で差し出した兵長は、私が団長に示している小切手を見た。
状況を把握した兵長は

「エルヴィン、こいつの去就は俺の指示だ」

と言い出した。

「いえ、それは違います団長」

慌てて私も否定する。

「俺が団に留まれと言った。そうだなナマエ。こいつが退団しないことで得られない寄付金の分は、俺が今まで以上に資金獲得に動くことで帳尻を合わせるよう努める」
「いいえ、確かにご助言はいただきましたが、決断したのは私です! 全て私が考え、私が決めたことです!」

兵長にこれ以上何も言わせないつもりで声を張った。

エルヴィン団長はリヴァイ兵長の始末書を受け取りながら私達の様子を眺めていたが、フッと笑みをこぼした。

「いいんだ、どちらでも」

団長は右手で私が差し出した小切手を優しく押し返す。

「ナマエ、君が退団したとしたら寄付金は手に入っただろうが、もっと大きな物を失ったかもしれないな。
君という優秀な分隊長の他にも、例えばそうだな、君を慕っている多くの兵士の士気や、人類最強と名高い男の士気とかな」

エルヴィン団長は立ち上がり、私の頭にポンと手を置いた。私は団長を見上げるような形になる。
自身に言及された兵長は顔を顰めたが、否定の言葉は発しなかった。ちっと小さな舌打ちだけが聞こえた。

「ユルゲンス卿には俺から言うか?」
「いえ、団長。自分でお返事致します」
「そうか、そのほうが良いな」

そう言って団長は私の頭から手を外した。
その眼差しは、冷徹で冷酷と名高い男の物とは思えないほど慈愛に満ちていた。

「風邪は引かないようにしてくれよ」

恐らく夜間無断外出の報告と共に、私達がびしょびしょだったという報告も同時に受けていたのだろう。団長はそう言った。

「善処します」

私も笑顔を団長に返し、団長室を後にした。



* * *



その日の夕方、訓練が終わるとすぐに手配していた馬車に乗り街へ出た。
行き先は、ユルゲンス邸。
可及的速やかにお詫びとご説明に上がることが、兵団にとってもカイさんにとっても、そして私にとっても最善だと判断した。

初めて訪れたユルゲンス邸の広壮さには驚かされた。こんな豪邸に住む人間に求婚されていたのかとびっくりする。
侍女に案内され、花の咲き乱れる庭前を通り邸宅へ入ると、すぐに声がした。

「ナマエさん!?」

執事から私の訪問を知らされたらしいカイさんが、大階段を駆け下りて来た。

「申し訳ありません、突然参りまして」
「いえいえ、ナマエさんなら大歓迎です、……が……」

階段を下り私の前にやって来たカイさんは、駆け足だった歩みを徐々に緩め、私の顔と姿を見て悲しそうに微笑んだ。

「前言撤回です」

いつも会っていた時のような私服ではない、兵服を着た私を見てカイさんは言った。

「……その恰好とそのお顔を見たら、なぜこちらにいらしたのかわかってしまいました。できるなら、お越しいただきたくなかったですね」

彼もまた、聡い人間なのだろう。



通された客室で、小切手をテーブルの上に両手で差し出した。

「申し訳ありません」

カイさんは黙ってその小切手を見つめる。
テーブルの上の二つのティーカップから、白い湯気が静かに立っていた。

「カイさんのような素敵な男性からお申し出をいただき、本当に有難かったです。でも、ごめんなさい。私はカイさんと結婚することはできません」

カイさんは小切手から目を離さず、こちらを見ないまま言った。

「……兵士として生きることを曲げられないということですか?」
「はい」
「……その他に理由はありますか?」

正直に言おう。この方は真剣に私を好いていてくださったのだ。
この方の気持ちに対して誠実に向き合わねばならない。

「……愛する男性がいます。その人への想いに嘘を付けませんでした」

カイさんはしばらく小切手を見つめたまま動かなかったが、ふーっとため息を吐くと、ソファの上でふんぞり返り、目元に片手を当てた。

「この小切手は切り札だったんですけどね。調査兵団を大切に思っているあなたには、一番効果があるかと」

そして悲しそうな笑顔を私に向けて言った。

「リヴァイ兵士長ですか?」
「……はい」
「そうですか。それなら仕方ありません。彼もまたあなたを本気で愛しているようでしたから」
「……リヴァイ兵士長とお話しに?」
「ええ。あなたを僕と結婚させまいと必死でしたよ。全くいい面の皮だ」

カイさんは、ハハハと笑う。そんなことがあったとは知らなかった。

「僕もだいぶ挑発しましたけどね。焚き付けちゃいました」

そう言って、テーブルの上の小切手をビリリと破る。そして胸元の内ポケットから何かを取り出し――また、小切手だ。
何を書くかと思えば、破った小切手と同じ額。

「……カイさん?」

訝しんで聞いた私に、カイさんは答えた。

「勘違いしないで下さいよ。僕は、あなたが嫁いでくれたらこの額を十年間調査兵団に寄付すると言いました。
でもあなたは結婚を拒んだ。だから今回の資金援助の話はなしです」

そう言うと、小切手の名宛人欄にエルヴィン・スミスと記載し、それを持ち上げて私に示す。

「これは、僕からエルヴィン・スミス氏への個人的な贈り物です。調査兵団ではなく、ね」

確かに、破ったほうの小切手の名宛人は『エルヴィン・スミス』ではなく『調査兵団』になっていた。

「スミス氏には、僕をナマエさんと引き合わせてくれた恩があります。それに対する僕のお礼の気持ちです。スミス氏にお渡しください」

カイさんは敢えて『団長』と言わず、スミス氏と呼んでいるのだ。

「もちろん、スミス氏個人への贈り物であるこの小切手をどのように使うかは、彼の自由ですが」

カイさんは照れたように微笑み、小切手を私に握らせた。

「カイさん……」

ありがとうございます、と言いたかったが、それは違う。
カイさんは『エルヴィン・スミス氏に個人的な贈り物をし、それを私に預けた』だけなのだから。その建前は通すのが節義だ。

「必ず、お渡しします」

私はそう言って立ち上がり、右手の握り拳を左胸に当てた。

「ナマエさん」

カイさんも立ち上がり、左胸に当てていた私の手を取り、握った。

「お元気で。ユルゲンス家は今後も調査兵団の活躍を応援いたします。人類の自由のために心臓を捧げるあなた方を尊敬しています」

ああ、今度こそ言える。カイさんは私にこれをいうチャンスをくれたのだ。
私は精一杯の笑顔で、カイさんの手を握り返した。

「カイさん、ありがとうございます」

カイさんの手も、ぎゅっと私の手を握り返した。
この両手での固い握手が、私とカイさんの最後だった。



兵舎に戻った時には、とっぷりと日が暮れていた。昨日食べ損なった夕食、今日こそは食べようと思い食堂へ向かう途中で、私は急に眩暈を感じた。

――ああ、気が抜けたら来たか。

医務室へ向かい、熱を測ると三九・五度。急に咳が出て来たし、頭痛もする。

「風邪ですね、何か体調を崩すような事でも?」

医師に言われ、思い当たる節がありすぎる私は、処方された薬を飲み自室でおとなしくベッドに入った。
頭はガンガンするし咳はゴホゴホ出るが、それでも私は幸せな気持ちで眠りについた。




   

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