第十章 結論





01




パチパチパチ……。
焚火のオレンジ色があたりを照らす。

私は兵長に池から引き上げられた。ずぶ濡れになった私達は、兵長が作った焚火で暖をとっていた。

びしょびしょになった服は、兵長には一旦外してもらって全て脱いで絞った。髪の毛も絞った。
服は、着る物が他にないのでもう一度着た。私の体がハンガー代わりだ。
兵長も同様に服を絞った。私に何も言わず突然服を脱ぎ出したので、私は自ら後ろを向いて見ないようにした。

私達が何も喋らないので、焚火が燃える音しかしない。

「何とか言ったらどうだ」

兵長が先に口を開く。

「……兵長、無茶苦茶しますね……」

何とか言えと言われたので、とりあえず口を開けたらそんな言葉が出てきた。

「春めいてきたとはいえ、まだ二月ですよ……? 寒いです……絶対明日風邪引く……」

勢いに任せて、非難めいたことも言ってみた。すると兵長は、

「丁度いいじゃねえか。お前は風邪でも引いて寝込んでろ。
兵舎から一歩も出なけりゃ良いんだ。どこにも行くんじゃねえ」

しれっとそんなことを言う。

「……」

さっきの一連のやり取りも、キスも、全部夢じゃなかったのだ。

「兵長は、私の事が好きってことですか……?」
「そうだな」
「人を好きになるのは、怖くありませんか」

私が言うと、兵長は少しだけ顔を上げてちらとこちらを見た。

「私は恐ろしいです。私達は明日があるかもわからない。
誰かの事を好きになって、その誰かがもしも死んだら、私はどうやって生きて行けばいいんですか?」

兵長は何も言わないので、私は続けた。

「よしんば死ななくても、人間の心は移ろうものですから……明日も私の事が好きだって保証はないじゃないですか」

執務室でフィーネの喘ぎ声を聞いた時の事を思い出すとゾッとする。
自分が想いを寄せる誰かが、自分以外の人に想いを寄せる、自分以外の人と絡み合う。想像するだけで吐き気がする。
あんな思いを再びするくらいなら、誰も好きになんてなりたくない。

「だったら……愛がなくても結婚して、寄付金をもらって、それが調査兵団のためになれば……」
「はあ? お前はバカか? それが本当に調査兵団のためになるのか?」

兵長の口から、遠慮会釈もない声が飛び出した。眉間にはまた皺がたっぷりと寄っている。

「お前がユルゲンス卿のことを愛しているってんなら話は別だが、もしお前があいつのことを好きでもねえのに、寄付金のために身売りみたく嫁いだって知ったら、ハンジやナナバや、お前の事を慕っているガキ共はどう思うだろうな。士気が下がってしょうがねえ。
ハンジとナナバはともかく、若手のガキ共にとって士気の低下は命取りだ。調査兵団は頭数で言えばガキのほうが多いんだからな」

ああ……この人は兵士長だった。
兵士と兵団のことを考える思考は、やはり上に立つもののそれだ。

「だったら、お前の命の限り部下を教育し、使える兵士を一人でも多く育てろ。
お前は兵士として、幹部として、優秀だ。
資金の調達はエルヴィンができるが、人材の育成はお前のほうが適任だろ。資金があったって使える駒がなけりゃ、兵団はその体をなさない」

論破され、私は黙り込んだ。
またパチパチという焚火の音だけが響く。

「……それで……俺はまだ大事なことを聞いていねえな。兵士としての話じゃねえ。
お前個人は、本当は俺の事をどう思ってるんだ」

兵長は私を見据える。

「……言えません……言ったら、今まで我慢してきた物、全部台無しになる……」

本当は兵長のことをどう思っているかなんて、そんなのはわかっている。
心の奥底の瓶はさっきから大声で喚いて主張している。
兵長だってきっともうわかっている。しかし私は精一杯の抵抗をした。

「私は、怖いんです。兵長が明日も生きていて、私の事を好きでいる保証なんてない……」

そう言うと、兵長はしれっと返す。

「そうだな、明日も生きていてお前の事を好きでいる保証はできねえな。俺は調査兵だからな」

やっぱりそうですよね、とずきんと胸が痛む。
取り繕わず正直な分、誠実だ。

「だが」

兵長は私の肩を掴んだ。

「『約束』はできる。
俺は命が尽きるまで、お前の事だけを愛していよう。
命が尽きても、あの世でもお前を想っていよう。
お前が俺を選んでくれるなら。約束だ」

力強い声だった。
一切の迷いのない曇りのない声。

ああ、もう、降参だ。手遅れだ。
全て兵長が悪い。瓶は砕け散ってめちゃくちゃだ。
小さな瓶に入れたはずなのに、瓶の容積に見合わない量の感情がどくどくと湧き上がって、体中に溢れている。

私はこの人が好きで好きで好きで――愛しているし、これからも気持ちを捨てることなんてできないし、きっとそんなのもう一生できないし、全てなかったことにして誰か他の人と結婚することもできない。もう思い知った。

じわりと涙腺が緩んで涙が溢れそうになったが、すんでのところで堪える。正面にある兵長の顔が滲んだ。
それでも、自分の感情をどう表現したらいいかわからず、口を開けたまま声を出せずにいた私を見かね、兵長が助け舟を出してくれた。

「この手を、掴むだけでいい」

兵長は私の肩から手を外し、白く骨ばった左手を私の前に差し出す。

「そうしたら、俺は命の限り、絶対に離さない」

ゆっくりと私は震える右手を前に出した。



兵長の左手の指先に触れた瞬間、力いっぱい引き寄せられ、抱きしめられる。
いつか医務室でそうしてくれたように、筋肉質で固い胸の中に私を埋めた。

「……うっ……」

崩壊を耐えていた私の涙腺は、もう我慢できないと悲鳴を上げ――わああああんとまるで子供のように、私は大声で泣いた。

こんな風に泣いたのは、いつぶりだろう。
四歳の時に娼館に売られた時に、泣いても喚いても誰も助けてくれないということを学んでから、こんな泣き方はしたことなかったと思う。

「お前が泣くのを見るのは二回目だな」

兵長は大泣きする私を抱きしめたまま頭を撫で、優しい声でつぶやいた。



結局服は短時間では乾かず、濡れた服を着て震えながら兵舎へ馬を走らせた。
兵舎に着いたのは夜明けが近い四時前だった。

厩舎に馬を繋ぎ、兵舎入口へ回る。
出てくる時には見つからなかったため何も言われなかったが、今度は夜警を兼ねている男性事務員に見つかった。
規律違反を咎められるかと思っていたが、事務室から出てきた事務員は私達の姿を見て

「えっ? えっ? 兵長とナマエ分隊長? えっ? 何でびしょびしょなんですか? 何かあったんですか!?」

と慌てた。

「大事ない、騒ぐな」

兵長はしかめっ面で片手を上げ事務員を制す。

「風呂は開いているか」
「は、浴場は……五時頃清掃が終わりますが」
「そうか、わかった」

兵長はすたすたと歩きだしたが、私はそこに残った。

「すみません、規律違反は承知しています。のっぴきならない事情が発生しまして……」
「あの、一応夜間の外出届が出てなかったので、団長に報告だけ入れさせていただきますね……?」

詫びを入れると、事務員は兵長と私を交互に見ながら不思議そうに言った。

「ええ、団長には私からも規律違反のお詫びに上がります。それと」

私は男性事務員の両手を握り、目を見つめ、眉毛をハの字に下げ少し困ったような笑顔を作った。

「皆さんにいらぬ心配をかけるのは本意ではありませんので……。どうかこのことは他言無用でお願いしますね?」

瞳をわざと潤ませ事務員から逸らさず、両手にぎゅっと軽く圧をかける。手をきつく握られた男性事務員は照れたように顔を赤くし、

「はっ、はい! 団長以外に他言無用ですね、わかりました!」

と答えた。

「ありがとう」と最大級の笑顔を作り、兵長の後を追いかける。
追いつくと兵長は歩みを止めずにちらと私の方を見て、にやりと口角を少し上げて言った。

「口止め工作か? 抜かりないなお前は」
「だって兵長、騒がれるのは嫌いでしょう? それともこういう女だって知りませんでした?」
「はっ……知ってる」

私達は声を出さずに目を見合わせて静かに笑った。




   

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