第九章 溺れる





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その日の夕食時の食堂で、自分が一体どういう状態に置かれているのか、思い知った。

「ナマエさ――んっ!!」

席に着くなり、後輩の女性兵士――女性というよりは女の子と言った方がしっくりくる年齢だが――数人が私の席の周りを取り囲んだ。

「貴族の殿方から、プロポーズされたんですよね!?」
「すっごいハンサムだったとか!!」
「退団なさるんですか!? それも寂しいけど……」
「でも、ご結婚をされるんだったら、ねえ! おめでたいことですし!!」
「ナマエさん美人だから、ウェディングドレス似合うんでしょうねっ!」

数人から一度に捲し立てられ、耳がキーンとなる。

あのお茶出しした新兵、と心の中で舌打ちする。
情報の扱い方を知らないのであれば、盗み聞きなんてするもんじゃない。膝詰めで説教したい。
続いてその周りに群がったのは、同じ班の部下達だ。

「でも、ナマエさんいなくなったら、俺達どうしたらいいか……」
「いや、でもナマエさんの幸せのためだったら、しかたないっすよね! 俺達、結婚式には呼んでもらえるんですよね?」

半分べそをかきそうな声のエーリヒに、嬉しそうな声を出すダミアン。

「えっ、あれ、でもナマエさんって兵長とは……?」

空気が読めない『天然エアークラッシャー』と名高いカールの一言で、周りの空気がぴりっと強張った。

「……どんな勘違いしているか知らないけど、私と兵長はただの上官と部下よ。
時々お酒をご一緒させていただいているけれど、そういう間違った情報は兵長にもご迷惑がかかるからやめてね?」

にっこりと笑顔を振りまく。とりあえず兵長に迷惑をかけることは避けたい。

「はーいはい、どいてー」

そこに助け舟を出してくれたのは、ハンジさんとナナバさんだ。

「お子様達の出る幕じゃないの。私達がナマエにきちーんと状況聞いて、正しい事実だけを君達に教えてあげるから」
「それまで変な噂広げるんじゃないよ」

ハンジさんとナナバさんはそう言って、周りを取り囲んでいた後輩達を蹴散らしてくれた。

「ハンジさん……ナナバさん……」

拝むような目で二人を見上げる。

「ナマエ、今日はもう食堂良いでしょ、落ち着いて食べれないし。飲みに行こう」

ナナバさんの男らしい一言で、私達三人は食堂を後にした。



「まあ、飲みな」

ナナバさんのその一言が開始の合図だった。
兵舎の近場の酒場で、三人でジョッキをぶつける。

「で、とりあえず今兵団内に回っている話だとね。
えらいハンサムな貴族がナマエを見初めて求婚してきた。結婚するなら分隊長を退団させることになるんだから、せめてもの返報に、向こう十年は調査兵団に金銭的な援助をする。とりあえずお友達から始めましょう? って感じだけど」
「はあ、もうその通りです」

お手上げだ。あの新兵、 (くび) る。

「ふーん、美人は美人で大変だよね」

そう言ったナナバさんに、自分だって相当な美人でしょうがとぼやいたら無視された。

「ナマエはどうするつもりなの?」

ハンジさんの直球な質問に、私はあおっていたジョッキをどんと置いた。

「どうするもこうするも、自分がどうするべきなのかわかりませんよ」

二人は私の次の言葉を待っている様子なので、続けた。

「このまま兵団に残って、分隊長として部下を指導し、人類のために心臓を捧げるのか、それとも退団して、この貧乏兵団の金銭的負担を軽くするべきなのか……どちらが調査兵団のためになるのかと」

私はまたジョッキをあおった。やばい、今日は酔いが回るのが早いかもしれない。

「は? 調査兵団のため?」

ナナバさんもジョッキをどんと置いて言った。

「ナマエ、あんたは本当に兵士として優秀で、後輩ながら頭があがらないけどね。今大事なのは調査兵団の将来じゃなくって自分の将来じゃないの?」
「自分の……? いや、ナナバさんそれは違います。私は個を捨て公に心臓を捧げた兵士です。
私の将来ではなく、人類が自由を手に入れるために活動する調査兵団の将来が一番大事です」
「いやいやいや」

ハンジさんが遮った。

「ナマエ、自分の幸せを犠牲にすることが心臓を捧げることじゃない。
団に残るにしろ、結婚するにしろ、君が一番幸せで何の心配もなく活躍できることが、結果的に調査兵団のためになるんじゃないのかな」

……頭がパンクしそうだ。

「で、その貴族様にはいつ返事するの?」
「なんか、次は調整日に会いに来てくださるって……いつまでに返事とかは言われていないですけど、いつまでにすればいいんでしょう?」
「まあ、そんなに長くは引っ張れないだろうね、春までには……ってところ?」
「……」

ギブアップ。考えることを放棄したい。

「ナマエのこういうどうしたらいいかわからないって姿、多分初めて見るなあ」
「私も。ナマエは色恋沙汰に弱いってことね。あんたにも欠点があるってことか。
人間らしくて良いじゃない」

ハンジさんとナナバさんも笑って言った。

「本当に不甲斐なくて申し訳ありません……もう飲ませてください……私今日はもう…」
「飲め飲め飲め!」
二人は項垂れた私の肩を抱いて、ジョッキを高々と掲げた。



 * * *



翌週の調整日の午後、カイさんはやって来た。
一応こういうのはデートというのだろうな、と思い、何を着るか迷ったが、ニットとスカート、ヒールのある靴で出かけた。
カイさんは兵服でない私をものすごくスマートに褒めてくれた。

二人でお茶をして、街を歩く。
露店で見つけたピアスが可愛くてつい足を止めたら買ってくれた。
申し訳なくて遠慮していたら、こちらこそ安物で申し訳ない、と逆に恐縮された。でもナマエさんが欲しい物をあげたかったから、と言われ、素直に受け取った。

その次の週の調整日は、ランチを食べに出かけた。
貴族はどんな店で食事をするのかとドキドキしていたが、割とカジュアルな店に案内されてほっとした。私に合わせてくれているのだと思う。
デザートにチョコレートがたっぷりかかったパルフェをごちそうしてくれた。笑顔が見られるから、甘い物を食べている女性を見るのが好きなのだそうだ。
帰り際に花屋に寄るというので何かと思ったら、花束をプレゼントされた。

次の次の週は、夕方から出かけてディナーをし、芝居を観た。
芝居などという貴族の娯楽には一生縁がないものかと思っていたので、観ることができて素直に嬉しい。
ディナーにはもう久しく食べていない牛の肉がかたまりで出てきた。普段食堂で食べている食事と違い過ぎる上に、レストランも絢爛豪華で緊張していたが、カイさんが和ませようと冗談ばかり言ってくるので思わず笑ってしまい、緊張も解けた。
帰りに兵舎の入り口で、高そうなネックレスをプレゼントされた。



カイさんと別れ居室に戻り、あたりを見渡して気づいた。
この部屋の中に、カイさんが少しずつ入り込んでいる。

ピアスやネックレスが鏡台の上に転がり、もらった花束は枯れる前にドライフラワーにしようと思い窓際に吊るしてある。
他にも、勧められた本や、買ってくれたクッキーの缶が机に置かれ、よく似合っていると褒めてくれたスカートやワンピースがクロゼットの中で眠っている。

カイさんと話すのは、楽しい。
博識な上に、会話はウィットに富んでおり、上品な口調、女性の服装や髪形はスマートに褒め、決して人を嫌な気持ちにさせない。
毎週毎週、よく飽きもせず会いに来てくれるものだ。私の事を本気で娶ろうとしてくださっているのは、よくわかった。

それなら、私もカイさんに私の本当の姿を話さねばならないだろう。
お互いを知ろうと言って真剣に結婚を考えてくださっているカイさんに、本当のことを告げないのはフェアじゃないと思うから。




   

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