番外編 微熱ワルツ
【設定】
第3章と第4章の間、845年の話です。
夢主とリヴァイが付き合う前、夢主が分隊長になりしばらくした頃の話になります。
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01
――845年――
ウォール・マリアが崩壊し、人類の土地が三分の一減った年。
ウォール・マリアの崩壊を切っ掛けに、人類の暮らしは急激に苦しくなった。
命からがらウォール・ローゼ内に避難してきた元ウォール・マリアの住民や、突如大勢に押し掛けられる形となったウォール・ローゼの住民は、特にそうだ。限られた領土と限られた資源の中で急に人口が増えたわけだから、当然なのだが。
ローゼの民、そして元マリアの民が苦しい生活を強いられる中、生活がほとんど変わらない者達もいた。
ウォール・シーナ内に住む者、その中でも貴族達は、相変わらず優雅な生活を続けていた。壁の崩壊は民の経済的格差を更に大きくしたのである。
貴族達の生活は主に広大な領地と豪華な食事、そして貴族の嗜みによって構成されている。
貴族の嗜みとは色々あるが、そのうちの一つは、夜会だ。夜会は貴族同士のみならず、政治家、官僚、時には兵団幹部を招き、毎晩のように行われていた。
* * *
「夜会、ですか?」
私が分隊長になり数ヶ月が経った頃、団長室に幹部達が呼ばれた。エルヴィン団長から夜会に参加するよう指示を受けたのだ。
「ああ。リヴァイは兵士長に、ナマエは分隊長になってそろそろ半年近くなるだろう。そろそろ夜会のお供をしてくれると助かる」
団長が時々夜会に出向き、調査兵団への寄付金を獲得しているのは周知の事実だ。これからは、新たに幹部になった私達にもその仕事が回ってくるというわけである。
「なんで俺とナマエだけなんだ?幹部ってんなら、ミケとクソメガネも行くんだろうな?」
「ああ、今回はハンジもミケも連れて行く。リヴァイ、ハンジ、ナマエの三人が新たに幹部に就任したんだ。今回の夜会は顔見せの意味も込めて、私も含め幹部全員で向かうつもりだよ。
実は、夜会に行くのが初めてなのはリヴァイとナマエだけなんだ。以前から分隊長だったミケは出席したこともあるし、ハンジは幹部ではなかったが、女性要員が必要な時など今までにも時々同行してくれていた」
エルヴィン団長が肩を竦めてハンジさんを見やる。ハンジさんもそれに倣って、しかし団長より些かオーバーに肩を竦め私と兵長を見た。
「これでもハンジは育ちが悪くないから、ダンスやテーブルマナーは問題ないしな。それにハンジの巨人話は一部の貴族にウケが良くてね、何かと重宝している。
今後はミケとハンジに加え、リヴァイとナマエにも夜会に参加してもらう。資金獲得の一助を担ってもらいたい」
「ちょっと!『これでも』って失礼だって!」
笑うハンジさんを横目に、私は冷や汗を掻いていた。
そうだ、夜会に出るということは、ダンスをしなければいけないのだ。
「……つったって、俺はダンスなんて踊ったことねえし、習ったこともない。学校にも行ったことがねえからな。俺が夜会で役に立つとは思えねえが」
黙って冷や汗を掻いている私に対し、リヴァイ兵長は堂々と団長に反論する。
「リヴァイ、これは命令だ。夜会で役に立つようになれ。
もっともお前なら難しいことじゃない、まずは見ていろ。ミケ、ハンジ、頼む」
エルヴィン団長が合図を出すと、二人はすっとホールドを組む。長身の二人が組むとなかなかの迫力だ。
二人は呼吸を合わせると、無音の団長室で三拍子を刻み始めた。
「わ……!」
思わず感嘆を漏らしてしまう。ワルツだ。
音楽も流れていないのに、ワルツだと分かる。いや、音楽は私の脳内で流れていた。
彼らの舞を見ていれば、自然と流れたのだ。それほど二人のワルツは見事で、優雅に三拍子を舞っていた。
「すごい、ミケさんもハンジさんも……」
私が溜息を漏らしながら呟くと、それが終了の合図になった。二人はゆっくりとホールドを解く。
「大したことないよこんなの。学校で習ったステップの応用さ。
てかね、勿体ぶってるけどダンスだったらエルヴィンが一番上手いんだから」
ハンジさんは私に向かって手を振り、ケラケラと笑った。
「さあ、お手本はここまでだ。リヴァイ、ハンジと組んでみろ。ハンジ、君は女性側だが今回は多少リードしてやってくれ」
「オッケー」
チッと舌打ちが聞こえ、だが兵長はしぶしぶハンジさんとホールドを組んだ。ハンジさんのほうが10cmほど身長が高いため、どちらが男性か一瞬見紛いそうになる。
「……知ってたことだけど。リヴァイ、ちっちゃいね?」
「うるせえぶちとばすぞクソメガネ」
無邪気すぎるハンジさんの発言に、兵長は青筋を立て声にどすを利かせる。――それでも。
小さく「行くよ」とハンジさんが呟き、次に聞こえてきたのは、すうっという呼吸音。
二人は同時に息を吸い込むと、三拍子で動き始めた。
動き出すと素晴らしかった。
ハンジさんのダンスは先ほど見たが、驚いたのは兵長だ。
学校にも行っていないし、学んだ事もないと言っていた。だが兵長は、さきほどのミケさんのホールド、ステップ、それ以外の体の動きも、ほぼ完璧に模倣した。
私とミケさんはその様子に目を見開き、エルヴィン団長は満足そうに微笑みを浮かべる。
「おおお、すごいなリヴァイ」
「本当……学んだことないって言ってたじゃないですか」
二人は一頻り踊り、ホールドを解いたハンジさんが驚愕を素直に声に出した。私もそれに追随する。
「……いや……見たとおりに筋肉を動かしただけだ、俺は」
無愛想の中に不思議そうな表情がちらりと滲む。多分兵長は本当にミケさんのダンスを見様見真似しただけで、褒められていることが不思議なのだろう。
無意識だろうが、自在に自分の身体を操れるということだ。それは存外難しいことで、彼の身体能力の高さを窺わせた。
「さて、じゃあ次はナマエ。ミケと組んでくれ」
「……は、はい……」
エルヴィン団長の声にぎこちない返事をして、私はミケさんとホールドを組む。身体がガチガチなのは自覚があるし、ミケさんも気付いているのだろう。
「ナマエ、そう固くなるな。恐らく久しぶりなのだろうが。基本的なステップしか使わない。すぐに思い出すさ」
ミケさんはそう声を掛けてくださったが、私はこくりと頷くことしかできなかった。
呼吸を合わせて始めたはずのワルツは、大変に無様だった。ステップは覚束ないし、ミケさんのリードにもついていけない。
私のワルツはワルツと言うよりも、道化師の格好をした操り人形のようだっただろう。とにかくめちゃくちゃだった。団長室にいる私以外の四人の目が驚きで固まったことを空気だけで読み取った。
とうとうミケさんの足を思いっきり踏んでしまい、そこでワルツはストップした。
「す、すいません!足!!」
「いや、大丈夫だ……俺の足は」
ミケさんは優しい声で言うと、長い前髪の奥の優しい目をこちらに向けて苦笑する。
「大丈夫じゃないのはお前の方だな?ナマエ」
「……申し訳ありません!」
とてもとても夜会で披露できるようなダンスでなかったことは承知している。学校に行っていれば誰もが習う簡単なステップすら碌に踏めなかったのだ。
習ってから相当の年月が経っているといえども、踊っているうちに思い出して徐々に形になるようなものだが、私はそれすらできなかった。
「学校で習った簡単なステップで良いんだよ?……ナマエ、ダンス苦手なの?」
ハンジさんの気遣わしげな声が、ますます私を居たたまれなくさせる。私は小さくなって俯いてしまった。
「は、はい……すみません、ダンスは何故か本当に苦手で……学校の授業もなんとかやり過ごしていたぐらいで」
「意外だね、何でもそつなくこなしちゃうタイプなのに。ダンスだけは苦手なんだ」
私は娼館から旦那様に引き上げられた後、有り難くも学校へ通わせてもらった。だから基本的な読み書き計算はもちろん、ダンスだって授業で習っている。
だが当時から、音楽に合わせて身体を動かすというのがどうしてか苦手だった。幼い私は何故かダンスを壊滅的に不得手としていた。もっとも、他の運動は問題無く出来たし、別にダンスの出来が成績に大きく関わるようなこともなかったため、体育を含めて学校の成績が悪かったわけではない。
「しかし、どうするか……ナマエ、今回は止しておくか?
夜会は一週間後に開催なのだが……流石に君がダンスを申し込まれないということは考えにくいし、夜会の場でダンスを申し込まれたら踊らないわけにもいくまい」
エルヴィン団長は眉尻をほんの少し下げ、だが穏やかに紳士的に私へ問うた。
団長の中では、参加しないほうが良いという判断だ。貴族の足でも踏んで怒らせたら寄付金どころの話ではないし、逆に怒りを買って調査兵団への心証を下げて終わることも十分にあり得る。
だが、ここで夜会から逃げるという選択肢は私の中にはなかった。
「いえ!団長、待ってください。きちんと、踊れるようになりますから!」
声を張った私を、エルヴィン団長は気遣わしげに見やる。
「夜会への出席も、寄付金の調達も、幹部の勤めなのですよね?今回逃げたところで、ずっと逃げ回っているわけには行きませんから……」
しばらく碧い瞳がこちらを見定めていたが、数秒の後ふっと団長の気配が緩んだ。口元には微笑みを携えている。
「そうか?では、ナマエは参加と返信しておこう。
正直助かる、今回は新たに幹部に就任した君たちの周知も目的としていたから、ナマエがいないと始まらない。一週間でステップが踏めるくらいにはなっておいてくれ」
「は、励みます……!」
敬礼を返すと、団長は微笑んだまま小さく頷いた。
その日から、私の特訓が始まった。
「……肘を……水平に……」
「そう、そのままボックスだ」
一週間でダンスをものにしなければならない私は、通常の訓練後に一人で自主トレを行い、時にはハンジさんやミケさんに頼み込み練習に付き合ってもらった。彼らは親切にステップを一から教えてくれた。
「あれだけ立体機動で飛び回れるのにダンスのステップが踏めないなんて、そんなことあるわけないから!」
ハンジさんはそう笑い、ミケさんは寡黙ながらも、二人とも根気よくわたしに付き合ってくれた。