第三十六章 Ouverture ――序曲――





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 * * *



ペトラとオルオの結婚式と披露宴は、恙なく終了した。

帰り道はもう十七時に近かったが、ここフランクフルトの日の入りは六月ともなるとかなり遅く、午後九時を回る。空はまだ青かった。

私とリヴァイ部長は、川沿いの遊歩道を並んで歩いていた。
風が心地よく吹き、私のワンピースの裾を揺らす。

「ああ、いい天気。洗濯物よく乾いただろうな、帰ったら取り込まないと」

私は今日の為に新調したパンプスのヒールをこつこつと鳴らしながら言った。

お互い自分名義でマンションを借りてはいるが、金曜の夜から月曜の朝まで、私は部長の家へ泊まり込む習慣だった。
「洗濯物」というのも、自分の服だけでなく部長の服も混じっている。

こんな気楽な、半同棲のような恋人生活を続けてもう三年だ。
まあ、今日ペトラに「心配いらねえ」と言っていたからには、リヴァイ部長もいずれは結婚を、と考えてはいてくれるのだろう。
部長が私を好いていてくれるのはよくわかっているし、私も部長が好きだ。今はそれで十分だ。

「そうだ、夕ご飯どうします? 披露宴でたくさん食べたからお腹空いてないですよね? 何にも作らなくてもいいですか?」

事前に、今日は私の誕生日だからと、リヴァイ部長はレストランを予約するかと提案してくれていた。だがきっと披露宴でご馳走もお酒もたくさんいただくだろうと考え、別の日にしましょうと予め伝えてあった。バースデーケーキもいらないと伝えてある。
冷蔵庫に何があったかなー、チーズとハムは有ったな、でも全然お腹減らないなー、なんてぶつぶつ言いながら歩いている私の前に、突然部長が立ちはだかった。

「ナマエ」
「はい?」

本当に今日はいい天気だ。だがこの天気のせいで、逆光で部長の顔が良く見えない。
部長の後ろの太陽と、キラキラと光る川の水面が眩しくて、私は思わず目を細めた。

「手を出せ」
「はい」

ぶっきらぼうなその言葉に、素直に返事をする。
右手にバッグとペトラからもらったブーケを持っていた私は、左手の掌をリヴァイ部長に差し出した。

「誕生日プレゼントだ」

リヴァイ部長は私の左手を取ると、掌をひっくり返し手の甲を表に出す。
そして、薬指に小さな輪っかをはめた。



その行為は、あまりに突然で全く予兆がなかった。私はぽかんと口をあけて呆然としてしまった。
指輪をはめてもらったと認識したのは、もうそれが指にはまり、部長の手が私の手から離れた後だった。

私の左手の薬指にはめられたその指輪は、プラチナの輪の真ん中に小さなダイヤモンドが控えめに埋め込まれている。
ダイヤの両脇からはミル打ちで作られた美しいラインがまっすぐに伸びていた。
決して派手なデザインではないだろう。だが、一目でその優美なデザインが気に入った。

「……」

思いがけないプレゼントに声を失くし、ただただ部長と指輪を交互に見つめた。
部長も何も言わず、こちらを見続けている。私も左手を前に出したまま、立ち尽くしている。
しばらく二人の無言が続いたあと、やっと部長が口を開いた。

「……次の花嫁はお前だと、ペトラが言っていたな?」

私は立ち尽くしたまま、脚が震えた。
指輪がはまった左手もカタカタと震えている。

こんな、突然。
心の準備が何にもできていなかったから、嬉しさと驚きで心臓が口から飛び出しそうだ。

「……はい」

辛うじて絞り出した声は、掠れそうなほど小さかった。

「今は、平和な世の中だな?」
「……はい」
「俺達はもう、何の憂いもなく、家庭を築いて子供を持てるな?」
「……はい」
「ナマエ」

リヴァイ部長は、もう一度私の左手を取った。
そして、白く骨ばった両手で私の手を包む。

「今度はお前も……命が尽きるまで俺の事を愛すると、命が尽きても、あの世でも俺を想ってくれると、そして……何度生まれ変わっても、俺を想うと……約束してくれるか?」



初めて、部長に約束を求められた。

いつもいつも、前世でも今世でも、「約束する」と自分が私に誓うことは何度もしてくれたし、それを守ってくれた。
だが、私にはそれを強いなかった。

そのリヴァイ部長が、私に永遠を誓うことを求めている。
求められていることが嬉しくてたまらなかった。

「……はい、約束します」

そう声を出すと同時に、私の瞳からはぼろっと大粒の涙がこぼれた。

今日はよく泣く日だ。嬉しくて嬉しくて、泣いてばかりいる。
でも泣いたって構わないだろう。今はもう、仲間の死を悼み、それでも涙を我慢した時代ではない。
こんなに幸せな涙なら、いくら流したって誰も咎めはしない。

「いつまでも、死んでも……死んだって、何度でも……永遠に、あなたを想っています……」

私は、リヴァイ部長の両手に包まれた自分の左手に、薬指から熱が広がるのを感じていた。

嵌められた指輪は確かに初めて見た物のはずなのに、なぜか懐かしさを感じる。
よく覚えていないが、私の前世がそう感じさせているのかもしれない。でもそんなことはどうでもいい。
前世でも、今世でも、そして恐らく来世でも、その次だってそのまた次だって。
私達はきっと何度でも出会って、恋をして、愛し合える。

非現実的な話だ。他人に言っても誰も信じないだろう。
でも、私にはわかるのだ。
私にとっては、それが真実だ。

私は涙をぼろぼろとこぼしながらも、同時に今日一番の笑顔もこぼれた。
それを見たリヴァイ部長も、目を少しだけ細めたように見えた。



リヴァイ部長の腕が私の左手を引き、そのまま私の手を握る。
手をつないだまま私達は川沿いをまっすぐ歩み、家路を進んだ。

リヴァイ部長はほんの半歩分だけ私の前を歩いている。
部長は、私の左手を握っている右手に更にギュッと力を込めると、ちらりとこちらを振り返り言った。

「外すなよ、奥さん」
「……はい!」



カーン、カーン、カーン……。
十七時を知らせる鐘が高らかに鳴り響いた。

これは、「終曲」じゃない。
この先何十年と続く――いや、幾百年、幾千年と永遠に続く物語の、ほんの「序曲」だ。



何度でも、何度でも、記憶があっても無くても。
必ず出会って、あなたを愛します。
約束ですよ、リヴァイ兵長。



まだ日の高いフランクフルトの川沿いには、優しい風が吹き、時報の鐘をこの街の隅々まで運ぶ。
風は鐘の音を運ぶと共に、私達の髪や体をそっと撫ぜていった。
まるで私達の永遠を祝福してくれているような、優しくて温かな風だった。





【君に溺れる Fin.】




   

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