第三十六章 Ouverture ――序曲――





01




ゴーン……ゴーン……。
六月の晴れ渡った青空に、ゆったりとした教会の鐘の音が鳴り響く。
この地には梅雨がなく、この時期は雨も少なく暑くも寒くもない爽やかな気候の日が多い。
今日は、絶好の結婚式日和だ。

壮大な教会の扉が開いた。
教会の扉から続くのは白い大階段。その左右に道を作るように待ち受けていた列席者達は、花嫁と花婿の姿が見えるとわっと沸いた。

「おめでとうー!」
「おめでとう!」

先ほど教会内にて、牧師と列席者達の前で永遠の愛を誓い合った、新しい夫婦の登場である。
新郎新婦は、祝福の声と列席者から投げられた花びらを浴びながら、大階段を下りてきた。
白い豪奢なレースで飾られたドレスの裾が大階段を撫でる。
隣には、同じ白のフロックコート姿の花婿。
二人は口元に笑みを浮かべ、腕を組み、ゆっくりと大階段を進んだ。



大階段でのフラワーシャワーを終えた二人の前には、列席者が順々に押しかけ、口々に祝いの言葉を述べた。
私達も、お祝いの言葉を伝えるために主役の二人に近づく。

「おめでとう、ペトラ! すっごく、すっごく綺麗!!」
「本当だな、ウェディングドレスがよく似合っている。いつもにも増して美しいな」

私が興奮してペトラを褒めると、エルヴィン常務もそれに続いてスマートに新婦の美しさを讃えた。

「……オルオ、てめえも悪くねえぞ。なんだ……馬子にも衣装って感じだ」
「リヴァイ! それ褒めてないから!!」

ハンジさんがリヴァイ部長にツッコむと、私とエルヴィン常務、新婦のペトラは声を出して笑った。

「今日は……来てくれてありがとうございます、皆さん」
「本当に、ありがとうございます!」

一しきり笑うと、新婦のペトラと新郎のオルオは、二人揃って笑顔で私達にお礼の言葉を述べた。



オルオとペトラは、丁度一年前に営業部に配属になった若手社員だ。
オルオは若手のホープと呼ばれ(前世同様顔は老けているが年齢的には若手だ)、やり手の営業マンとして営業部で活躍している。
なんだか商談中によく舌を噛んでいるようだが、それも愛嬌があると先方に好意的に受け止められるらしく、営業成績はなかなかのものだ。
ペトラは私の部下として、営業事務チームで内勤業務をしている。

オルオもペトラも、前世で私達と関わりがあった人間だ。
あの時代、一緒に調査兵団として巨人に立ち向かった。

彼らは二人共、今世同様に前世でも私よりも若かった。
だが、前世では私よりも先に命を落としてしまった。今世で二人の幸せそうな顔が見れたことは本当に嬉しい。
多分、前世で彼ら二人を自分の配下に置いていたリヴァイ部長は、もっと嬉しいだろう。相変わらず表情には出ていないが、その瞳が今日はとても穏やかで優しいのが私にはわかる。

しかし、彼ら二人には前世の記憶が無いようだった。
前世で直属の上官だった、そして二人が心酔していたリヴァイ部長を見ても、ペトラもオルオも何も思い出さなかった。
リヴァイ部長で駄目なら私達は言わずもがなである。私を見てもハンジさんを見ても、団長であったエルヴィン常務を見ても何も思い出さなかった。

だが私達は、それならそれで良いと思ったのだ。
私達は彼らに敢えて辛い前世を思い出させるようなことはしなかった。私達が彼ら二人と出会った時には、もう二人は恋人同士で、今世を幸せに生きていたからだ。

「ナマエさん、今日誕生日だったんでしょう? ごめんなさい、私達知らなくてこの日に式を予約してしまって……。わざわざ誕生日に参列していただいて、ありがとうございます!」

ペトラは私に向き合ってそう言った。
そうなのだ、偶然なのだが今日は私の誕生日だ。

「何言ってるの、ペトラ! こんな素敵な式に出席できて、本当に嬉しい!」

それは本心だった。私はペトラに抱きついた。

今世で、私とペトラの関係は良好だった。
ペトラは私の頼れる部下だったし、きっとペトラも私を慕ってくれていると思う。
同じチームとして社内で一緒に仕事をすることはもちろんだったが、時々プライベートでも二人で食事をしたりお酒を飲んだりすることもあるくらいだ。
前世の記憶を持っている私としては、今世でペトラとこんな風に仲良くなれたことが本当に嬉しかった。

「……おい、オルオよ」

リヴァイ部長はオルオの肩を組み一方的に凭れると、どすの利いた声を出した。

「てめえ、上司を差し置いて先に結婚するとはなあ? 順序ってもんがあるだろうが」
「ひっ、すい、すいませんリヴァイ部長!」

声のひっくり返ったオルオを見て、あははとペトラは声を出して笑う。

部長と私が付き合っていることは、特に隠してはいない。社内では知っている人間も多く、オルオとペトラも知っていた。
私も部長も、まあいずれは多分結婚するのだろうと(少なくとも私の方は)思ってはいるが、なんとなくお互いのタイミングが合うのを見計らったり、お互いの出方を探り合ったりしているうちに、もう今世で交際三年目だ。
ぼやぼやしている間に、部下達に先を越されてしまったというわけである。
別にリヴァイ部長の愛を信じていないわけではないが、部長から具体的なプロポーズの言葉なんかが未だもらえていないのは、年頃の女性としては複雑なところである。

それでも、この世は幸いな事に平和だ。
いつ命を落とすかわからなかったあの時代のように、死を覚悟して急いで誓いを立てる必要もない。
来年や再来年の未来を希望的に、そして具体的に描ける世の中なのだ。
私達は「前世」なんて持たない他のカップルと同様に、この世での恋愛をごく一般的に楽しんでいた。

「すいません、リヴァイ部長。でもちょっと結婚を早くしないといけない事情ができてしまいまして」

ペトラはそう言って、私達を意味有りげな視線で見た。
ふふ、と笑うと自身のお腹にそっと手を当てる。

「えっ……ペトラ、もしかして」

ハンジさんが声を出した。

「うふふ、もう五か月になるんです。本当はこのドレスの下、少しお腹も出てきてるんですよ」

ペトラのドレスは、腹部を締め付けない胸下切替のエンパイアラインだった。
そういうことか、と私は合点がいくと同時に、急激に嬉しさがこみ上げてきた。

「お、おめでとう〜!! ペトラ!! オルオ!!」

私は嬉しくてペトラの手をぎゅっと握りしめる。

「本当に!? おめでとう!」
「それはすごい! おめでとう、ペトラ、オルオ」

ハンジさんは手を叩いて喜び、エルヴィン常務も嬉しそうな声を上げた。

「はは……そういうわけなんです、リヴァイ部長……すいません、順番守れなくて」

オルオは照れくさそうに頬をぼりぼりと掻いている。

「……良かったじゃねえか」

リヴァイ部長はぽんとオルオの左肩に自身の右手を置くと、しっかりとオルオの瞳に自分の瞳を合わせた。

「ペトラとガキを幸せにしろよ、オルオ」
「は、はい! 部長!」

前世に引き続き今世でもリヴァイ部長を崇拝しているオルオは、部長の言葉に目に涙を溜めて喜んだ。



「それでは、花嫁がブーケトスを行います! 女性の皆様、どうぞ前の方へおいでください!」

式場の係員がそう叫ぶと、大階段の下にはうら若い女性が群がった。
もう「うら若い」という歳ではないかもしれないが、私とハンジさんも参戦する。
ブーケトスを盛り上げるのは結婚式における未婚女性の大切な勤めである、というのは私の持論だ。まあ、単純に花嫁のブーケは私だって欲しい。

「では、行きますよー! せーの!」

係員の掛け声に合わせてペトラが投げたブーケは綺麗な弧を描いた。わあっという歓声があがる。

その弧の終着点は、なんと私の目の前だ。
思わず両手を差し出すと、ぽすっと音と共に私の両手の中に白いブーケが収まった。
おおお、という男性の歓声と、あーん欲しかったー、という女性達の声が混じり、次にパチパチパチという拍手が周りから起こった。

「やったじゃん、ナマエ!」

拍手の中、ハンジさんは私の肩をバンと叩いた。
そりゃブーケは欲しかったが、まさか本当にキャッチできるとは思っていなかったので、私はびっくりしてしまう。

「それではキャッチされた方、どうぞこちらに! 新郎新婦と記念のお写真を!」

私は係員に促され、照れ笑いしながらオルオとペトラの元へ進んだ。

「ナマエさん!」
「へへ……もらっちゃった。ペトラ、嬉しい誕生日プレゼントだよ」

私はオルオとペトラの真ん中に立たされ、幸せな二人に挟まれて記念撮影をされる。パシャッという小気味よいシャッターの音が響いた。

「はい、いい笑顔ですね! ではもう一枚……」
「あっ、ちょっと待って!」

カメラマンの言葉をペトラが遮った。
そしてリヴァイ部長の方を向くと、片手で手招きをし、片手は口元に添えて大声を出す。

「リヴァイ部長! 部長も一緒に!」
「そうだ、部長も!」

オルオも一緒になって部長を手招きして呼ぶ。

「ああ……?」

リヴァイ部長は顔を顰めたが、エルヴィン常務やハンジさんに背中を突き飛ばされ、半ばよろけるような形で前に出てきた。

「部長、部長こっち!」

ペトラは大声で呼び続けている。
リヴァイ部長はチッと舌打ちをしたが、今日の主役の新郎新婦に呼ばれて出てきた手前、もう引っ込めない。
ぼりぼりと頭を掻き不機嫌そうな顔をしたが、それでもペトラとオルオの間に納まった。

オルオ、部長、私、ペトラの順に並び、記念写真を取ってもらう。もう一度パシャッとシャッター音が響いた。

「ふふ、ブーケキャッチしたんだから、次の花嫁はナマエさんですね! 部長、よろしくお願いしますよ」

ペトラは茶目っ気たっぷりにそんな言葉を吐き、部長に向かってウインクする。

「心配いらねえ、お前に言われんでも大丈夫だ」

部長はふんと鼻を鳴らし、ペトラに向かって素っ気ない言葉を返した。

部長のその言葉に私はこっそりと胸をなでおろす。
微妙なお年頃なのだ、付き合っている相手に結婚の意志があるとわかればやはり安心してしまう。

うふふとペトラはにこにこ笑っていたが、どうしたのか、ふと笑みを引っ込め、真剣な顔をして私達二人を見た。

「ナマエさん、リヴァイ部長……いえ」

ペトラはそこで、ふう、と一呼吸置き、少しの間の後もう一度口を開いた。

「リヴァイ兵長」

ペトラの口から出たその言葉に、私達二人は目を見開いた。

「……? へーチョー?」

オルオは訳がわからないという様子でぽかんとしている。

ペトラは右手で握り拳を作ると、左胸に拳を当てた。
それは、あの時代の敬礼だった。

「……ペトラ、お前……いつから……」

目を見開いたままの部長の口から出たのは、絞り出したような声だった。
私はブーケを持ったまま両手で口を覆い、動けなかった。両目に涙が浮かぶ。

「リヴァイ兵長、ナマエさん。私、今……本当に、幸せなんです」

そう言ったペトラの両目にも涙が浮かび、それはぼろぼろとこぼれ、頬に水跡を引いた。

私はキャッチしたブーケを握りしめたまま、ペトラに抱きついた。
声が出ない。体中が震えた。
ペトラも無言のまま腕を私に回し、私達二人はきつく抱きしめあった。とうとう私の目からも耐えきれなくなった涙がこぼれてしまう。
私達二人の間に言葉はなかったが、互いの瞳を濡らしているのは喜びの涙だということは明らかだった。

あの時代、共に生きた仲間。
そして、互いを認め合っていながらも、一人の男性を巡ってお互いに少し気まずい思いをした恋敵。

この時代でまた仲間として巡り合え、そして、互いに幸せな生を享受している。
こんなに嬉しいことはなかった。




   

目次へ

小説TOPへ




- ナノ -