第三十四章 Intermezzo 6 ――間奏曲 6――





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ウォール・マリア最終奪還作戦の翌年。
兵団はウォール・マリア内の巨人は掃討されたと発表した。
シガンシナ区を拠点とする住民の入植も許可され、壁内人類は名実ともに領土を奪還した。

調査兵団は六年ぶりにウォール・マリア外への壁外調査を行い、俺達は海に辿り着いた。
海は、あった。
アルミンの言う通りだった。
だが、海の先に広がっていたのは、決して俺達の望んでいたものではなかった。



更にその翌年。
――八五二年――



この世界は、俺達が想像していたよりもずっと複雑らしい。

俺達の知っていた「世界」は、実は「世界」のほんの一部だった。
今このパラディ島には、「ユミルの民」である俺達エルディア人の他に、反マーレ派義勇兵と、捕虜となっているマーレ兵、それにヒィズル国から来た特使もいる。

この島には港ができ、鉄道も建設中だ。
どうやら俺達が住んでいるこの島は、閉鎖的であり過ぎたために、産業、教育、あらゆる面で他国に遅れを取っているらしい。
義勇兵から、他国では当たり前となっている技術を教授され、捕虜のマーレ兵の手も借り、この島のインフラは目覚ましい進歩を見せた。
この島は二年前とは比べ物にならないほど発展し、俺達の生活も様変わりした。

早いもので、エルヴィンやナマエら一九九名の調査兵が死んでもう二年以上経つ。
この島が技術的に目覚ましい発展を遂げているのは良いことだとしても、今の俺達が直面している現状は決して楽観視できるものではない。
この現実に向き合えば、胸糞悪くて反吐が出そうだ。

それでも、ナマエのことを思い返せば胸が温かくなる。
俺が発狂せずこうやって現実に向き合って生きていけるのは、このチビの身体には収まりきれねえほどの愛を与えてくれたナマエと、俺を対等な盟友として扱ってくれたエルヴィンのおかげなんだろうと思っている。

もちろん会いたいし、顔が見たい、触れたい、と思わないわけではないが――この現状を思えば、ナマエがいなくて良かったとも思う。
この先の見えない地獄のような世界、味わわせたいとは思わない。
エルヴィンもだ。
この世界にあいつが生きていたとしたら、更なる悪魔として走り続けなければならなかっただろう。

「あ、リヴァイ兵長! ここにいらっしゃいましたか!」
「……ああ」

兵舎の中庭のベンチに腰かけ、空を仰いでいた俺に声をかけたのは、オニャンコポンだった。



オニャンコポンは反マーレ派義勇兵として、イェレナと共にマーレの調査船団に紛れ込んでこの島に上陸した。
それ以来ずっと、インフラ整備の提案、技術の提供等、このパラディ島に助力している。

モブリット亡き今、ハンジの右腕としてこの調査兵団の中でも大きな力となっていた。尤も、真の意味でモブリットの代わりは務まらないのだが。

「ハンジさんからの伝達です。会議の開始時刻を一時間後ろにずらすことになりました。十六時からになりましたので!」
「そうか、わかった」

俺の前に立ち伝達をしたオニャンコポンの腕から、バサリと何かが落ちた。

「あっ……」

オニャンコポンはそう口に出したが、その両手はハンジから持たされたのであろう資料やら書類やらでいっぱいで、落ちた本をすぐには拾えなかった。
俺はオニャンコポンの代わりに落ちた本に手を伸ばす。

「すみません兵長、ありがとうございます……」

拾い上げたその本の、たまたま開かれたページに、俺は目を奪われた。

真っ赤な鬼のような生き物――巨人にも見えるが――が、円盤を持っている。
その円盤の中はいくつかに区切られており、その区切りの中一つ一つに人間や動物の姿が鮮やかな色彩で描かれていた。
人間達の様子は、雲上で幸せそうな者もあれば、業火にあぶられ死にそうな表情の者もいる。
見たことのない画風で、少し物恐ろしさを感じる物だった。

思わずそのページを食い入るように見てしまい、いつまでも本を返さない俺にオニャンコポンは不思議そうな声を上げた。

「……リヴァイ兵長?」

その声にはっと我に返る。

「すまん、見慣れない画風と色彩だったもんでな、つい」

そう言ってオニャンコポンに本を返す。

「……隣、少しよろしいでしょうか」

思いがけず、オニャンコポンはそう言い俺の隣に腰かけた。
大量の書類なんかを俺とは反対側の隣にどさりと置くと、先ほどの本を膝の上に乗せる。

「この本は、私がこの島に来る際に持ち込んだ本なんです。
もう何度も読んでいるのですが……世界の多様性を再認識できる本なので、折に触れて読み返しているんです」

オニャンコポンはその本を開いた。
中には文字の他に、様々な図案が描かれている。
先ほどの図案とはまた違う画風の物もある。
以前エルヴィンと見たことのある壁外の情報が書かれている禁書、その中でみた聖母マリアの絵――以前ナマエがこの絵にそっくりだと思ったことがあった――もあった。


「……俺は壁外の字が読めねえ。ハンジなんかはだいぶ読めるようになったみたいだけどな。
この本は何について書かれた本なんだ?」
「世界の様々な宗教です。このパラディ島にもウォール教がありますよね? まあ、信じる方と信じない方がいらっしゃるとは思いますが。
世界にはウォール教の他にももっと様々な、それこそ本当に無数の宗教があるんです。
何を信じるかは人それぞれで、自由です。もちろん、何も信じないという選択肢もあります。
絶対的に信じる物があるというのは、精神の大きな支えになる反面、信じる物が違う者同士の間では争いの火種となることがあります。この島の外の世界には、宗教が原因で何度も戦争が行われてきた歴史があるのです」

俺は、拷問されても最後まで口を割ることなく死んでいったニック司祭や、旧王制の中で王を神と信じ、そのニック司祭を殺害したジェル・サネスのことを思い出していた。

「私自身にも信じる神はありますが、それが他人の信じる神を迫害してはならないと……いつも戒めています。
この本はその戒めを思い出させてくれるのです」

オニャンコポンは喋りながらページをぱらぱらと捲り、途中で止める。
先ほど俺が見た、鮮やかな色の、だがおどろおどろしいとも言える図案が再び俺の前に現れた。

「先ほど兵長がご覧になったのはこれですね?
これは六道輪廻図と言います。仏教と言う宗教の教えの一つ、輪廻転生を図で表したものです。
輪廻転生とは、命あるものが死んだ後に、再び新しい肉体を持って現世に生を受けることを言います」
「……リンネ……テンセイ?
死んだ後に、新しく別の生を持って生まれ変わるということか?」
「そうです。
この円盤の中に描かれているのが、様々な世界に生まれ変わる人間の図、この円盤を持っているのが羅刹という、まあ悪魔のようなものです。
この世での行いが次の世での幸・不幸を定めるという考え方も、一部ではあるようですよ」
「……そうか……。じゃあ俺は、次の世では幸せにはなれねえだろうな。
この世で善行を積んだとはとても言えねえ。散々この手を汚してきたからな……」

両手を膝の上で開き、見つめた。

この手は血に塗れている。
巨人を屠り、人間を屠り、この後もこの手を汚し続けるのだろう。

「……それはどうでしょうか」

オニャンコポンは本をパタリと閉じて言った。

「これはあくまで一部の宗教での教えであり、普遍的な事実ではありません。
信じるか信じないかは人それぞれです。
……それに私は、あなた方はこの世では地獄を味わったと思っています。
本当に……目を背けたくなる現実と、長い間向き合ってきたのでしょう。そして、今も向き合っていらっしゃいます。
今世で苦しんだ分、来世では、今よりずっと生きやすい、幸せな世に生を受けられるのではないですか?」

オニャンコポンはそう言って俺に優しい目を向けた。

この男も、辛い人生を歩んできた筈なのだ。
そうでなければ、義勇兵になどなるだろうか。
ハンジから小耳に挟んだ話だが、どうやらその肌の色で随分と迫害を受けた過去があるらしい。

「……お前もな」

俺がそう言うと、オニャンコポンはにっこりと笑った。




   

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