第三十三章 幕切れ





02




 * * *



それから数日。団内は少し落ち着いてきた。
正確には、俺達が現状を受け止め始めた、という感じだ。
外から見たら何も変わっていないのだろう。落ち着いてきたのは、俺達自身の心持ということだ。

エレンとミカサはまだ懲罰房に入っているが、形だけの懲罰だ。
一応兵士長に刃を向けたということで懲罰房に入れたが、ただ組織の体面を守るためのその場しのぎの対応に過ぎない。
エレンもミカサも英雄の一人であることには変わりない。

俺は自室のベッドに腰掛けていた。
ここ数日執務室で寝泊まりしていたため、自室のベッドに腰掛けるなど久しぶりだ。
仕事が溢れていてずっと執務室に籠りきりで、自室には着替えを取りに戻るくらいのことしかしていなかった。
だが、今夜は自室に戻ってきた。ドアの鍵も掛けた。
執務室にいれば、ハンジなんかが夜でも構わず入って来てしまうだろう。毎日遅くまで仕事を手伝っているジャンやアルミンなんかも来てしまうかもしれない。

今夜は誰にも邪魔されたくない。
俺の手には、ナマエの遺書があった。



今日の夕方、ハンジがナマエの遺書を持ってきたのだ。
ナマエの遺品整理はハンジが行った。
俺も一緒にするかと尋ねられたが、いくらナマエとはいえ、下着や女特有の生活用品なんかを俺が勝手に触るのは気が引けたため、ハンジに任せた。

ナマエが遺書を書いていたことは知らなかった。
勿論あいつは本気で俺と一緒に生き延びるつもりだったとは思うが、その反面、覚悟もしていたということだろう。

数日前にナマエを抱いたベッドの上で、俺はゆっくりと封筒の封を切った。
恐怖はない。
もうお前は俺の中にいるし、お前の死とも向き合えている。



ナマエ。
お前が最後に俺に言いたかったこと、俺が全部聞いてやる。



 * * *



この手紙を手にされているということは、私は死んで、あなたは生き延びたということだと思います。
あなたと一緒に生きていくつもりでしたが、私の力不足です。
一緒に生還できなくて、ごめんなさい。
でも、あなたは生きているのですね。それが本当に嬉しい。

私は、私の命よりもあなたの命のほうが大事なんです。
あのクーデターの時、牢の中であなたが指名手配されていると知り、それに気づきました。
自分の事よりもあなたのことを心配しました。
例え自分が命を失っても、あなただけには生きていて欲しいと思いました。
今、あなたがウォール・マリア最終奪還作戦から生還しているのであれば、こんなに嬉しいことはありません。

実は以前にも、遺書を書こうとしたことがあります。
あれはストヘス区で行われた女型の巨人捕獲作戦の前夜でした。
その時は書けませんでした。書いたら本当に死にそうで怖かったのです。
死そのものが怖いわけではありませんでした。
死ぬことが怖いのではなく、死んで兵長と離れるのが怖かったのです。

でも、今はもう怖くありません。
勿論私は兵長と生きて帰るつもりですが、私が死ぬことを想像してももう怖くないのです。
だって、死んで肉体は兵長と離れても、私の魂はずっと兵長と共にあります。

兵長、私はずっと幸せでした。
あなたは、この三年間、私をずーっとずーっと愛してくれました。
あの池でした約束を守ってくれました。
あなたの愛を疑ったことはありません。
私もあなたをずーっとずーっと愛していました。
私、幸せでした。今も幸せです。
死後の世界のことはわかりませんが、この先も私はずっと幸せでしょう。
この世であなたから、私がこれからも動けるだけの十分な愛をもらいましたから。

兵長、最後にお願いがあります。

「俺は命が尽きるまで、お前の事だけを愛していよう。
命が尽きても、あの世でもお前を想っていよう」

あなたはそう約束してくれましたね。
そしてあなたは、約束した日から今日まで一度もその約束を違わなかった。

でも、この約束は今日ここまでです。

今まで私の事をずっと愛してくれて、ありがとうございました。
でも今日ここからは、私に囚われないでください。

あなたには幸せになって欲しい。
もし今後、あなたの前に心惹かれる素敵な女性が現れたら、どうか私に構わないで幸せになってください。

私の魂はずっと兵長と共にありますが、兵長はどうかそれに構わないで。
恨んだり、化けて出たりしませんから。

私には、あなたの幸せが一番大事なんです。
あなたなら、この気持ちきっとわかってくれますよね?
それが私のお願いです。

親愛なる兵長へ。
ナマエより。



 * * *



「クソが……」

俺は歯を食いしばり、瞼を閉じる。
涙がこぼれないよう顔を上に向けたが、無駄だった。
頬を涙が線になって伝った。
嗚咽を堪えるために、全身が震えている。喉からぐっという変な音が出た。



わかるさ。ナマエ。
俺だって同じことを考えたんだ。

もし俺が先に死んで、お前が生き残るようなことがあれば、お前には俺に構わず幸せになって欲しいと思っていた。
ああ、わかった。約束はここまでだ。
俺は今後、お前との約束を盾に、お前に操を立てることはしない。

だがな……お前の願いは、俺が幸せになることなんだろう?
だったら、お前との約束は関係なく、俺は勝手にお前を想うことにする。
多分……お前を想うことが、俺にとって一番幸せなんだ。



嗚咽を耐え続けている俺の頬を、涙が次から次へ流れていく。
少しでも力を抜くと、きっと泣き喚いてしまう。
誰も見ていないとは言え、誰かに聞こえたらコトだ。俺は全身に力を入れ続けた。



ナマエ、お前幸せだったんだな。
俺もだ。幸せだ。
今でも幸せだ。
俺だって、お前からもう十分すぎる物をもらっているからな。



その日、俺は久しぶりに自室のベッドで眠った。
ナマエの瓶と、手紙を抱いて。




   

目次へ

小説TOPへ




- ナノ -