第三十二章 ウォール・マリア最終奪還作戦





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 * * *



俺は息を引き取ったエルヴィンを担ぎ、廃墟となった家屋のベッドに運んだ。

この辺の家屋は比較的爆発の被害が浅かったようだ。まだ家々は形を留めている。比較的まともな、崩壊の危険のない家屋を選んだ。

エルヴィンを寝かせたその家は、五年前の超大型の襲来から無人だったはずだが中も割と綺麗だった。
経年により埃は積もっていたがそれには目を瞑る。
エルヴィンだって、風呂も入れない壁外調査を何度も乗り越えてきたのだ。埃くらいでガタガタいうケツの穴の小さい男じゃない。

――自分で決めた事だ。
俺がエルヴィンを眠らせ、アルミンを巨人化させることを選んだ。
後悔はしない。



ウォール・マリア最終奪還作戦は、一先ず終結した。

エレンの硬質化によりシガンシナ区の壁の封鎖には成功した。
鎧の巨人、獣の巨人、超大型巨人らと戦闘を行ったが、結果として、命と巨人の力を奪うことができたのは超大型巨人であるベルトルトだけだった。
鎧の巨人であるライナーについては、ハンジ班、ナマエ班、そしてリヴァイ班である一〇四期生の働きによって瀕死まで追い込んだ。しかし、命までは奪えなかった。
今回初めて見た四足歩行型の巨人に、ライナーと、同じく瀕死まで追い込んだが命を奪えなかった獣の巨人を攫われ、敵三名は逃亡したと思われる。
獣の中身――ヒゲ面のあいつは「痛み分け」と言っていた。撤退したのだろう。

一本しかない、人間を巨人化させる薬液の入った注射。
それを瀕死のアルミンとエルヴィン、どちらに使うか揉めた。
だが、俺が最終的に選んだのはアルミンだった。

「エルヴィン……楽になったか?」

エルヴィンの顔は穏やかだった。



自らに重い枷を科して前進し続けたこの男。
最後に人間らしい個人の希望を口にしたが、恐らく俺だけに見せた姿なのだろう。他のやつらはきっと知らない。

フロックはエルヴィンを悪魔だと言った。そうかもしれない。
だがもう悪魔はいない。ここにいるのは、ただの中年の男だ。



ドアが控えめに二回ノックされる。
ゆっくりとドアを開けて入ってきたのは、ミカサだった。
右手には白い花が二本。左手にはどこから探してきたのか、花瓶に水が入っていた。

「……あの、これを……」

そう言って花と花瓶を差し出したミカサは顔を俯かせていた。

アルミンの命を救うために俺に刃まで向けたミカサだったが、恐らく今になって自分のしたことの重大さに気づいたのだろう。
別に構わない。俺に刃を向けたことぐらいなんてことない。
結局のところ、俺だってこいつやエレンと変わらないのだ。
こいつらは私情でアルミンの命を救おうとし、俺は私情でエルヴィンを地獄から解放したかったのだ。

「……よく見つけてきたな」
「この辺は爆風の被害をあまり受けていなかったので……まだ咲いている場所が……」

俺はミカサから白い花と水の入った花瓶を受け取った。
花瓶に花を挿し、枕元にあるサイドテーブルの上に置いた。

「俺は……お前の臣として、十分な働きができただろうか」

エルヴィンの顔を見て問う。
もちろん答えはない。

俺はエルヴィンの外套を広げ、エルヴィンの顔に被せた。
いつまででも、ここでやっと穏やかな顔になったエルヴィンを見ていたい気持ちもあるが、そうも言っていられない。

俺とミカサは、エルヴィンの眠る寝室を後にした。



ウォール・マリア壁上に戻り、ハンジ達と合流する。
巨人化して一旦は無知性の巨人となったアルミンだが、ベルトルトを捕食して人間の姿に戻り、穏やかな顔で眠っていた。
アルミンは、一時人間とは思えないような姿で黒焦げになったが、今はもう大火傷の痕はない。ただ眠りから目覚めないだけだ。
アルミンの隣で横になっているのはサシャだ。こちらもひどい重傷だが、幸い命に別状はなかった。

今ウォール・マリア壁上にいる調査兵は、ハンジ、エレン、ミカサ、アルミン、ジャン、コニー、サシャ、フロック、そして俺。
たったの九名だ。出立時には二〇八名だったはずだが。
――そして、ここにナマエの姿はない。だが俺はまだ諦めていなかった。

「さて」

ハンジは声を出す。

「まずは……生き残った君達に、敬意を」

ハンジの顔は硬かった。

ベルトルトの爆風を受けたハンジ班とナマエ班は、ハンジ以外生死不明だ。
ハンジは爆発の直前に、隣にいたモブリットに井戸に突き落とされたのだという。そのおかげで爆風をもろに受けず、目立つ負傷は左目のみだ。
左目だってこの後もし視力が回復しないとなれば大きな損失だが、命を失うよりはよっぽどマシだ。

ハンジに想いを寄せていたモブリットは、最期までハンジの副官としての任を全うした。
これは完全に俺の個人的見解だが――好きな女の命を守って死ねたのであれば、きっとモブリットも本望だったのではないだろうか。

「エルヴィン亡き今、作戦の指揮権は私に移った。これから生存者を捜索しに壁の下に降りる。
ジャン、コニー、フロックは、マリア領内の草原を中心に。獣の巨人の投石を受けた兵士で、他に生き残りがいないかの確認を。フロック、投石を受けたあたりをジャンとコニーに案内してくれ。
私とリヴァイはシガンシナ区内だ。ベルトルトの爆風を私のように運良く免れ、まだ生存している兵士がいるかもしれない。
エレンとミカサは、アルミンとサシャが目を覚ました時に誰もいないと困るから、君達はここで二人の様子を見ていてくれ。同時に四方を確認し、周囲の警戒も怠らないように。
何か発生した場合は各々信煙弾で知らせること」

表情が硬いままのハンジの指示で、俺達は三手に分かれた。



シガンシナ区内をハンジと一緒に捜索する。
ベルトルトの爆発による被害は甚大だった。熱風で跡形もなく消失した人間も恐らくいたはずだ。
だが、もしかしたらその方がまだ幸せなのかもしれない。あちこちに人「だった」と思われる欠片が散っている。黒く焦げ、もう肉片としか呼べなくなってしまったものだ。
とてもこれらを回収することはできなかったし、回収したところでどこの所属の誰だかもわからない。辺りには嫌な異臭も漂っている。

「……モブリットのさ」

歩きながらハンジがぽつりと口を開いた。

「最期の顔が、頭から離れないんだ」

俺は歩きながら、ハンジの横顔を見る。
気丈な顔と声は、可哀想になるくらいだった。

「……ちょっと、泣き言言っていい? 一〇四期の前じゃとっても言えないからさあ」

ハンジはへらっと笑い、こちらを見た。

「……いいぞ。聞いてやる」

俺はハンジの顔から目を逸らし、前方だけを見た。
もしハンジが涙を流しても、直視しないように。涙を直視されるのを好むやつではない。

「モブリット……何で私を……助けちゃったのかな。何であんな場所に井戸があったのかな……。
こんなこと、絶対に他の人間の前じゃ言わないよ。でも今だけ勘弁してくれ。
――一緒に逝けたほうが、よっぽど救われた」

ハンジの声はわなわなと震えていた。

ハンジの気持ちはわかる。わかりすぎるほどに。
だが、モブリットの気持ちも、わかりすぎるほどわかるのだ。

「そりゃあてめえ……モブリットは……お前の事が大切だったからだろ。
俺だって、ナマエがお前と同じ立場なら、モブリットと同じ行動を取るだろうな。間違いなく」
「……そう」

ハンジは力なく返事をした。

「リヴァイがモブリットを執務室から連れてった日があっただろ?
あの日、やっと……モブリットに私の素直な気持ちを伝えられたんだ。
モブリットも答えてくれてね……。私達が恋人同士だったのは、わずか二日間だったなあ……」

俺はハンジに返す言葉を失った。
何も言えずに、ザッザッという足音のみが響く。

「……この辺……」

ハンジが足を止めた。

「どうした?」
「鎧がいた辺りなんだ。ナマエ班は、多分このあたりで爆発に遭遇したと思われるんだけど……」

俺達二人は、辺りをぐるりと見回した。人影らしいものはない。
人間の腕だったと思われるものや、首だったと思われるものはその辺に転がっていたが。

俺は、地面に転がっていた一つの腕に目を向けた。
腕だったと思われるものに、兵服のジャケットだったと思われるものが巻き付いている。
奇跡的に、腕章が読み取れた。

「……!」

そこには、ナマエの直属の部下、ダミアンの名があった。
ダミアンの腕を持つ手が震えた。

ダミアン、エーリヒ、カールとナマエは今回、作戦上常に一緒に行動していた。
中でもダミアンはナマエの腹心中の腹心で、常にナマエの一歩後ろに付いてまわっていた。
ナマエもこの辺で爆風を受けたのだろうか。

「……」
「……リヴァイ」

無言でダミアンの腕を抱え片膝を付く俺を、ハンジが気遣わしげに見やる。

「――ハンジ、俺はまだナマエを諦めてねえ」

情けないことに声が少し震えた。

「あいつに命令したんだ。第三分隊長の損害は許さない、必ず生還しろと。
あいつは敬礼をして返事をした。
あいつは優秀な兵士だ。兵士の基本、上意下達を忠実に守る。今まであいつは、返事した命令に背いたことねえんだ」

ハンジは返事をせず、ただ俺を見るだけだった。

ハンジの言いたいことはわかる。
状況は絶望的だ。生存者がいるなんてとても考えられない状況なのは、俺にだって理解できる。
だが俺は、まだ諦められない。
ダミアンの腕をそっと地面に置いて、俺は立ち上がった。




   

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