第三十二章 ウォール・マリア最終奪還作戦





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兵長の部屋で目覚めると、既に日が高く昇っていた。この日光の入り方だと、きっともう朝早い時間ではないだろう。

私はのっそりと動いた。兵長はもう起きていたようで、ベッドの上で頬杖をついて私を見下ろしている。

「……おはようございます」
「……おはよう。もう昼だが」

言われて時計を見れば、十一時を過ぎていた。
昨晩無茶苦茶な抱かれ方をしたが、ぐっすり眠ったお陰で倦怠感はない。むしろすっきりしている。

「寝すぎちゃった……でも、丁度いいくらいですよね」
「ああ、そうだな」

今日のウォール・マリア奪還作戦は、日没直前に出立し、夜を徹してシガンシナ区へ進行する。昼食を一日の一番初めの食事とすることで、夕方から夜にかけて頭も体もピークを迎えるよう調整することができるだろう。
私も兵長もベッドから起き上がり、衣類を身に着けた。
着替え終わったところで、兵長に声をかけられる。

「ナマエ」
「はい?」

兵長が私の正面に立ち向かい合う。
何かと思い、私も姿勢を正した。

「よく聞け。
今回の作戦、第三分隊長の損害は許さない。
調査兵団の今後を思えば、お前は失っていい人材じゃない。必ず生還しろ。
これは上官命令だ」

この命令が全く私情を挟んでいないかと言ったら、それは怪しいところだ。
ただ、兵長はギリギリのラインで上官としての体を保った。今、兵長の立場でできる最大限で、私の身を案じてくれているのだ。

「はっ! 承知しました」

私は敬礼で答えた。

その後私達は食堂でハンジさんやモブリット、エルヴィン団長とも合流し、昼食をとった。
昨日の宴席が嘘のような、いつも通りの食事だった。
味の薄いスープに固いパン。お世辞にも豪華とは言えない食事だ。ただ、この食事が私達を冷静にさせてくれていた。
私達は食卓で、いつも通りの会話を繰り広げた。いつも通りの会話を繰り広げられることが、一番幸せだと、ベテランの私達は知っている。



いよいよ日没直前。
兵士達はトロスト区の壁をリフトで登っていた。

トロスト区の門扉は、エレンによって巨大な岩で塞がれたままなので、開閉することはできない。まずはリフトで馬を越えさせる。その後同様にリフトで全調査兵が壁の上に上り、順に下りていく手筈だ。

壁に上ったところで、私は沈みゆく太陽を遠目に眺めた。
雨が降らなくて良かった。快晴だ。オレンジ色の夕日が美しい。
この分なら夜間も天候が崩れる心配はないだろう。

そこに、壁の下から野太い声が聞こえてきた。

「うおおおおい! ハンジああああん!」

見ると、トロスト区の住民達が壁の下に集まっている。
先ほどの野太い声はリーブス商会の新会長、フレーゲルだ。

「フレーゲル……?」

ハンジさんが呟くと、次に響いたのは思いも寄らぬ言葉だった。

「がんばれえええ!!」

全く予想していなかった声援に私達は固まった。
フレーゲルの声を皮切りに、集まった住民達から次々と声が上がる。

「ウォール・マリアを取り返してくれええ!!」
「人類の未来を任せたぞおおお!!」

こんな――こんな声援、受けたことない。

「リヴァイ兵長!!」

兵長を呼ぶ声が聞こえた。

「この街を救ってくれて、ありがとお!! 全員無事に帰ってきてくれよ!!」
「でも領土は取り戻してくれええ!!」

一時、指名手配までされていた兵長。
今や正真正銘の英雄だ。
トロスト区を、いやこの壁の中の世界を救ったのだから。

「勝手を言いやがる」

兵長は無愛想な声を出したが、私にはわかる。
今兵長の胸はとても温かくなっているはずだ。表情が少しだけ柔らかい。

「まあ……あんだけ騒いだらバレるよね」

ハンジさんがぼそりと言った。住民に秘密裏に出発するという計画は総崩れだ。

「それが……リーブス商会から肉を取り寄せたもので……」
「フレーゲルめ……」

そこへ、住民の歓声の中に私を呼ぶ声が聞こえた。

「ナマエさ――ん!!」

聞き間違いかと思ったが、住民の方に目を凝らす。
隣にいたダミアン、エーリヒ、カールもその声が聞こえたようで、住民の方を見やる。私より先に、ダミアン達が先に声の主を見つけた。

「ナマエ分隊長! あそこです!」

ダミアン達の指さす方を見ると、フレーゲルの後方に見覚えのある男性が立っていた。

「カ……カイさん!?」

間違いない、三年前に私に求婚してきた貴族、カイ・ユルゲンスだ。
求婚をお断りして以来一度も会っていなかったが、全く年老いず風貌の変わらない彼の姿を、私はすぐにわかった。
内地に住んでいる彼が何故トロスト区にいるのだろうか。

「私は運が良い!! たまたま仕事でリーブス商会に来ていたお陰で、あなたの出立に立ち会えました!!」

カイさんはそう大声で叫んだ。

私が求婚を断っても、結局カイさんは調査兵団に多額の寄付をしてくださった。
それも一回のみならず、翌年も、その翌年も続いてだ。調査兵団にとっての恩人である。
それにカイさんがきっかけでリヴァイ兵長と付き合えたのだから、私にとっても特別な人であることは間違いない。

「ナマエさん!! 必ず!! 戻ってきてくださいねー!! 戻ってきたら、お茶でもしましょう!!」

カイさんは両手を高くあげて、大きく左右に振っている。

「くくく、お茶しましょうだってさ」

ハンジさんが笑い、兵長を肘で小突く。

「うるせえな」

兵長はハンジさんのその腕をペッと払いのけた。

胸が震えた。
見知った顔が、名指しで応援してくれるというのはそれだけでも心強いことだ。

私はカイさんを見据えた。視線は合ったと確信する。
カイさんに向かって大きく頷き、ドンと音を立てて胸を叩き、敬礼する。
どうやら伝わったようで、カイさんは何度もうん、うん、と頷いた。

「調査兵団がこれだけ歓迎されるのは、いつ以来だ?」
「さてなぁ……」
「そんな時があったのか?」

クラースやディルク達、ベテラン兵がそんなことを言っている。
私も入団して八年だが、こんな声援を受けた記憶はない。

「私が知る限りでは……初めてだ」

エルヴィン団長の低い声が聞こえた。

その高揚は如何ばかりか。
エルヴィン団長の顔はみるみるうちに、私の見たことない表情に変化していく。
感情の高ぶりを抑えきれない顔だ。武者震いもしている。

「――うおおおおおおおお!!」

突然エルヴィン団長は左手を突き上げ、住民に向かって吠えた。
その喊声に呼応して、住民からも声が上がる。

「うおおおおおおお!!」
「うおおおおおおお!!」

エルヴィン団長と住民達の呼応が続いた。
兵長も、私も、ハンジさんも、他の兵士達も、皆見たことないエルヴィン団長の表情とその雄叫びに驚いた。

そして、これがエルヴィン団長の団長たる所以だが、私達兵士一人一人に、その興奮と武者震いが伝染した。

――やってやる。
作戦を成功させて、必ず、この壁に戻る!!

「ウォール・マリア最終奪還作戦!! 開始!!」

団長の勇ましいその声と、勢いよく振り下ろされた剣を合図に、私達は壁の外へ下りる。

「進めええええ!!」

百人以上の兵士が、シガンシナ区へ向かって馬を走らせた。
ドドッドドッという馬の駆ける勇ましい音が、ウォール・マリア内に響いた。




   

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