第三十章 Intermezzo 5 ――間奏曲 5――
02
エルヴィンから聞いた店は、トロスト区の東端にあった。
あまり大きいとはいえない店だが、エルヴィンの言葉を信じて店内に入る。カランコロンとドアに付けられているベルが鳴り響いた。
「はい、いらっしゃい」
中から出てきたのは、細身の中年の女性だ。
細身といっても、このトロスト区には中年といえども肥えた奴はほとんどいない。
食糧事情が悪すぎて、内地の豚共のように肥えることもできないのだ。リーブス商会のフレーゲルなんかは例外だが。
「……指輪を見せて欲しいんだが」
俺は努めて平静を装い声を、絞り出した。
――なんだこれは。このむずがゆさは。こっぱずかしい。
「はいはい、指輪……おや、お客さん、調査兵団のリヴァイ兵士長かい?」
俺が黙っていると、店主と思われる女性はペラペラと勝手にしゃべりだした。
「お宅のエルヴィン・スミス団長にはいつもご贔屓にしていただいておりまして!
何度も何度もネックレスやらイヤリングやらお買い求めいただくもんですからね、どれだけ女をとっかえひっかえしてるのかと思ってたんですよ。何しろあの風貌でしょう、おモテになることは違いありませんからね。
それが聞いたら、調査兵団の資金を集めるための貴族への貢物に使うって仰るから、びっくりしましたよ!
お宅もなかなか大変なんですねえ、今度は団長だけじゃなくてリヴァイ兵士長まで接待に駆り出されるんですか? 本当、色男はご苦労なことですわ。
あれ、でも、今は兵団が実質この壁の政権を握ってるんだから、財政状況は少しはマシになったんじゃありませんの?」
……よく喋る店主だ。本当に大丈夫なんだろうな? エルヴィン。
一先ず誤解を解いて、必要な物を調達しなければならない。
「俺が今日買いたいのは貢物じゃねえ」
「あら、じゃあ貴族様へじゃなくて、個人的なプレゼントですか?
あらあらあら、人類最強と名高い兵士長殿が女性へ指輪の贈り物! おめでたい話ですわ本当に!
あらそうだ、ご結婚とかされても兵士長は続けられるんですよね? まだまだ兵士長殿にはこの壁を守ってもらわなきゃ!」
この店主は俺が一つ口を開くと十倍になって返ってくる。
少々うんざりしたが、店主は指輪をごそごそと広げ始めたので、俺はそれを見定めようとした。
だが、指輪なんて選んだことは当然ない。選び方もわからない。
並べられた複数の指輪をじっと見つめ、俺は黙り込んでしまった。
俺が指輪の列を前に固まっているのを見て、お喋りな店主は腕まくりをし、さあ出番とばかりに口を開く。
「まず」
そこで一区切りすると、俺と目を合わせて尋ねた。
「これは貢物ではなく、恋人へ求婚の意味を含む真剣なプレゼントということで間違いないかしら?」
「……ああ」
的を射過ぎた質問に、一体これは何かの拷問かと思うほど居た堪れなかったが、辛うじて返事を絞り出す。
「承知しましたわ、兵士長殿。この道三十五年の私がご助言しますので、ご安心下さいましね」
ほほほと店主は笑った。
「お相手のお歳は? ご職業は?」
「歳は、二十三歳。職業は……兵士だ」
あら兵士さん、それはそれは……と言いながら、店主は並べられた指輪の列に手をやる。
「兵士さん、となると激しく身体を動かすでしょうし、過酷な環境に身を置くこともあるでしょうね。となれば」
店主は、石が大きい物や、小さくても石が立て爪でつけられている形状の物を弾いていった。
「ずっとつけていて欲しいのでしたら、指輪がお仕事の邪魔をするようなことがあってはなりません。
立て爪タイプですと、出っ張った爪と石が何かに引っかかってしまうことがありますし、石が大きすぎるのも邪魔になります。
それに、税金で食べているご職業の方は、目立ちすぎる装飾品を好まない傾向もありますよ」
……なるほど、エルヴィンの言うことは間違いなさそうだ。
ペラペラと喋る店主ではあるが、指輪など選んだことのない俺にとっては多分良い助言者になる。
「それから、柔らかい金属もダメ。少しぶつけただけで傷がついてしまいますからね。だから二十四金は除いておきましょう。
あと……ホワイトゴールドも避けたほうが良いかもしれませんね。これはロジウムという金属でメッキ加工をしてある材質で、普通の生活を送っている人でも、長期間使用するとメッキが剥げて地金が見えてしまうこともあるんです」
店主は口を休めないまま、ポイポイといくつかの指輪を弾いてゆき、俺の前に残った指輪は当初並べられた物の半分ほどになった。
「後は、お相手のイメージに合うデザインの物をお選びいただけばよろしいかと」
店主はそう言ってニコニコ笑ったが、それでも俺は指輪に手を出せずにいた。
イメージ? イメージってどういうことだ。
俺の眉間の皺がどんどん深くなっているのを見て、店主はまたホホホと笑い、助け舟を出す。
「お相手のご容姿は? 特徴を仰ってみてください。ご性格も」
「……容姿は……とにかく美人だ。金髪碧眼。肌は真っ白。俺より少し小柄で……性格は……」
再び拷問のような時間が訪れたが、これもナマエの指輪を手に入れるためだ。
俺の顔は多分般若のように顰め面だったと思うが、店主は全く意に介していないようでずっとニコニコとしている。
「頑固。一徹。腹黒い。……だが、聡明で頭がキレる。
肝が据わっていて、ちょっとやそっとのことじゃ動じない。本当はすごく優しくて、部下思いの子供好き。
それから……自分の考えに一本筋が通っていて、ブレない女だ」
店主は、あらあらご馳走様ですこと、と言いながらまた指輪の列に手をやる。そしてまたいくつかを弾いていった。
「恐らくですが、華美過ぎるものよりも、こういったデザインのほうがイメージかしら?
それに色が白い方なら、金よりプラチナのほうが肌に映えるでしょうね」
俺の前に残った数個の指輪は、どれも銀色の優美な物だった。
決して派手なデザインではないと思う。石もほんの小さなものしかついていない。それも主張せず、埋め込まれたような形で。
だが、ナマエらしいと思った。この店主の言うことは多分間違いない。
残った数個のうち、一つが自然と俺の目に留まった。
輪の形は、ウェーブはかかっておらずストレート。
だが、地金そのものは平面的ではなく、柔らかく丸みがかった形状になっている。
本体の真ん中には控えめに埋め込まれた小さな石。ダイヤモンドだろうか。その石の両脇から、飾り彫りのようなラインがまっすぐにのびている。
女の装飾品のことなど全くわからないが、その指輪は美しいと思った。
目についたその指輪を思わず手に取ると、店主は満足気な顔をして、またペラペラと離しだした。
「お相手は、美しいお方のようなのに、頑固でいらっしゃるのでしょう? そのストレートのラインがぴったりですね。
埋め込まれている石はダイヤモンドです、この世で最も硬い鉱物とされています。その硬さから『固い絆を結ぶ』という意味があり、永遠の愛を誓う場にはふさわしい宝石でしょうね。
ダイヤの両脇から伸びる線は、ミル打ちという装飾技法でできています。小さな丸い粒を連続して打刻していく技法です。『ミル』には『千の粒』という意味があり、その『千』から転じて縁起の良い『子宝』『永遠』『長寿』などの意味も含むようになったのですよ」
――これだ。これをあいつに贈りたい。
きっと似合う。
俺は口元が綻ばないよう必死に平静を保ち
「これを頼む」
と店主に言った。
「かしこまりました。おサイズは?」
「……サイズ……?」
言われてみれば当然だ、洋服と一緒でサイズもあるはずだ。
さーっと血の気が引いた俺の顔を見て、店主は苦笑する。
「身長は、兵士長殿より少し小柄でいらっしゃいましたね? 体型は?」
「……ほ、細身だ……」
「でしたらきっと、こんなもんでしょうか」
と、店主は小さな輪っかを俺に渡す。
あいつの身体は隅々まで知っているつもりだったが、指の太さなど意識していなかった。
全くわからんから困っていると、店主がにっこり笑う。
「おサイズはお直しできますから、ご安心くださいませね。
もし合わなかったら、今度は素敵な彼女さんと一緒にご来店くださいまし」
丁寧に包装された小さな包みをもち、俺は馬で兵舎まで戻った。
昼食も食べ損ねたが、なんとか間に合った。これで、今日中にナマエに渡せる。
柄にもないことをするというのは、疲れるものだ。どっと肩が重くなった。
だが、確かに俺の気分は晴れやかだった。