第三十章 Intermezzo 5 ――間奏曲 5――





01




ウォール・マリア奪還作戦、前日。

今日は夜から奪還の前祝として宴席が予定されている。肉を手配するとクラースやディルクが盛り上がっていた。
宴席に出ないわけにはいかない。残された時間は今日の夕方までだ。
俺は、執務室で頭を抱えていた。

明日はウォール・マリア奪還作戦当日だ。今更処理しなけりゃいけない仕事なんてない。
今俺が考えているのは、ナマエへの贈り物だ。

ナマエに諭され、あいつを壁の中に残すことはもう諦めた。壁外で最後まで兵士として戦うことをあいつ自身も望んでいる。
正直……壁の中にいて欲しいという気持ちがもう無くなったというわけではないが、これで良いと思っている。
だが、何か形に――俺の想いと決意を形にしたいと思っていた。

俺は、例えあいつがこの作戦で半身不随になろうと、顔がぐちゃぐちゃに潰れようと、四肢が全て無くなった達磨になろうと、あいつを娶ると決めている。
あの美しい顔と身体はナマエの十分な魅力だが、それがなくても俺はあいつをずっと愛していると思う。
ナマエがどんな姿になろうと……あいつの生殖機能さえ無事であれば、あいつが望むなら子供も持ちたい。多分、どんな姿のナマエでも俺は抱ける。
俺も、あいつも、明日壁を越えたら、帰ってこられるかわからない。その前に……何か俺の想いが証明できるものを、と考えていた。

もっと早くに気づいていれば良かった。昨晩ナマエに諭され、贈り物をしたいと思いついたのが今朝の話だ。
女に贈り物なんてしたことがないから、何をやれば喜ぶのかが全然わからない。
毎年のナマエの誕生日は、少し良い店で食事を一緒に取ることで落ち着いていた。
ナマエが、二人でゆっくり食事を取るのを喜んでくれていた、というのも理由だが、それだけではない。ナマエに何を贈れば喜ぶのか、皆目見当がつかなかったから食事に逃げているというのが最大の理由だ。

自分で考えてわからないことは人に聞けば良いのだが、適当な人間が見当たらない。
エルドが存命なら、間違いなくエルドに聞く。あいつはやたら女にモテていたし、女の扱いも上手かった。彼女もいたようだった。一番参考になっただろうな。
次に思い浮かんだのはミケだ。ミケもナナバと付き合いが長かった。ミケならまあ、そつのない意見をくれただろう。

「……ミケ、てめえ俺のところには出てこねえのかよ」

ナマエやエルヴィンのところには化けて出たっていうのに俺のところに来ないなんて、薄情な奴だ。
俺は今……まあ、ナマエやエルヴィンのように命に危険はないかもしれねえが、かなり困ってるんだぞ……助けてくれたっていいだろうが。
心の中で悪態づくと、ミケがフンと意地悪い顔で笑った気がした。チッと舌打ちをする。

あいつ……前ナマエに求婚してきた、ユルゲンス卿。
あいつは毎週調整日のデートのたびに、ナマエに贈り物をしていたようだった。何を贈っていたのだろう。
窓から見た時に外観からわかる物としては、花束なんかをもらったりしていたようだ。
花じゃない日は、なんか小さい包みや紙袋を持って帰ってきたりしていたが、中身までは知らない。
今更聞けないが、それとなく聞いておくべきだった。参考にしたかったし、これから俺が贈る物とかぶったりしたら胸糞悪い。

俺は立ち上がり、モブリットを求めてハンジの執務室へ向かった。
調査兵団の中で唯一の常識人。調査兵団の中じゃマイノリティだが、世間からみたら多分あいつの方がマジョリティだ。

俺はバンとハンジの執務室をノックなしに開ける。

「おい、モブリット借りるぞ」
「えっ? えっ!?」

資料の整理でもしていたのか、本棚の前で立っていたモブリットを引っ掴むと、モブリットは戸惑った声を出した。

「良いけど、早めに返してよ?」

ハンジは本が山積みになった机上の隙間から、顔を覗かせて俺に言う。

「ああ? 作戦の決行はもう明日だぞ? 今更する仕事なんてねえだろが」
「そりゃあ、ね?」

ハンジはそう言うと、ふうと一息ついてから再び口を開いた。

「仕事なんてないさ。でも、仕事じゃなきゃ一緒にいちゃいけないの?」

その言葉に、俺もモブリットも目を丸くし、更にモブリットはかあっと顔を赤くした。

「リヴァイなら、仕事以外でも大切な人と一緒にいたい気持ち、わかると思うけど」

ハンジはにやりとした笑いと共にそう言うと、また本の山の後ろに顔を隠した。

――ああ、わかるさ。仕事じゃなくたって一緒にいたいよな。
特に、こんな大きな作戦の前は尚更だ。

「……悪いな、すぐ返す」

俺はそう言って、真っ赤になり口も利けなくなったモブリットと一緒にハンジの執務室を出た。



俺の執務室にモブリットを引きずり込み、ソファに座らせる。
……ナマエへの贈り物について意見を聞こうと思っていたのに、思わぬ爆弾投下のせいで、俺の口からは本題から外れた質問が出た。

「……なんだ、ハンジとはそういう仲になったのか? 知らなかったが」
「な、なってませんっ!」

モブリットは真っ赤な顔の前で、両手をぶんぶんと音がしそうな勢いで振った。

「……あんな、あんなこと言われたのは初めてで……」
「……そうか」

ハンジの気持ちはなんとなくだがわかっていた。
以前本人に尋ねた時には否定もせず、だが肯定もされなかったが、否定しないということは恐らくそうなのだろうと思っていた。

あのメガネも、明日の作戦を前に素直になったのだろうか。
そして、この反応を見れば、いや見なくたって今までの事を思えば明らかだが、モブリットの方もハンジを想っているのだろう。

「悪い、そのことを聞きに呼んだわけじゃねえんだ」

俺は本題に入ろうとした。メガネとモブリットの時間を無駄にしたくはない。

「お前……ハンジに贈り物をするとしたら、何を贈る?」
「え? ハンジさんに……ですか? そりゃあ……本人の一番喜ぶ物を贈りたいと思いますが……」

モブリットは顎に手を当て、少し思案した。

「……生け捕りにした巨人?」

大真面目なのが救われない。眉間の皺がぐっと深くなったのが自分でもわかった。

「……わかった。じゃあ、毎年お前はハンジの誕生日に何をやってるんだ」

うーん、とモブリットは再び思案を始める。

「そうですね、だいたい毎年書籍か……実験器具でしょうか」
「もういいわかった」

俺はモブリットの答えをぶった切った。

「お前は……何であんな奇行種に惚れてんだ? 全く参考にならねえだろうが……もっとこう、一般論を俺は求めているんだが」

はあ、とモブリットは相槌を打つ。

「……ナマエさんですか?」
「……おい、ハンジに余計な事を言うんじゃねえぞ。どうなるかわかってるな?」

モブリットをギッと睨み付けると、ひっとその喉の奥から声が上がりコクコクと頷いた。

「そ、そうですね、一般論でしたら」

モブリットは額の冷汗を手の甲で拭いながら、ソファに座りなおす。

「花か……チョコレートでしょうか」
「……そうか……」

モブリットの口から出た選択肢はどちらも俺は思いつかなかったことだが、この場合は好ましい案ではなかった。
花もチョコレートもダメだ。今日は夜宴席があって、明日の日没前に出発だ。
花は活けたとしても次に戻って来れるのがいつになるかわからない。枯れてしまうかもしれない。
チョコレートは多分ナマエの好物だ、だが宴席で肉を腹いっぱい食ったなら食べる気分にはならないだろう。
何より、どちらも消えてしまう物だ。できれば形に残る物を贈りたいというのが本音だった。

「……ありがとうな、モブリット。参考にさせてもらう。ハンジの元へ戻ってやれ」

俺はモブリットを解放した。

執務室の入り口でモブリットを見送る時、ついモブリットを引き留めてしまった。

「モブリット」
「はい?」

意図していなかったことなのだが――俺の口からするりと本心がこぼれ出た。
俺は明日の作戦を前に少しおかしくなっているのだろうか。

「あのメガネはとんでもない変人だが、俺にとってもまあ……数少ない友人だ。大事にしてやってくれよ」
「……はい」

モブリットは優しい顔で笑うと、ドアをぱたんと閉めて出て行った。

しかしナマエに何を贈るのか、決められなかった。
――畜生。あいつには頼りたくなかったが……。

俺は執務室を出て、最終手段となる男の部屋を目指した。



いつもはノックしないが、今日はノックをしてから入室した。

「どうした、リヴァイ。お前がノックするなんて、何か頼み事でもあるのか」

この執務室の主、エルヴィンは机の上の書類に向けていた顔を上げて俺に微笑んだ。
本当に癪に障るが、正解だからぐうの音も出ない。

「てめえも仕事か? 作戦は明日なんだから、もうやる仕事なんてねえだろうが」

俺はエルヴィンの質問には答えず別の質問を振ってやった。

「ああ……もちろん、急ぎの仕事なんてないんだが……なんだろうな、いつもと同じことをしていないと落ち着かないんだろうな」

エルヴィンはそう言って、はは、と笑った。

俺を含めてだが、どいつもこいつも、明日の作戦にビビってるのだ。
――今日はきっと、誰にとっても特別な夜になる。

「エルヴィン」

どうせこいつには誤魔化しは通用しない。さっさと本題に入るほうが賢明だ。

「てめえは……今まで特別な女に贈り物をしたことは? ……あれば、何を贈ったか教えてくれねえか」

エルヴィンはきょとんとした顔をしたあと、ふはっと破顔した。

「最後に女性を愛したのは多分十五年くらい前になるだろうね。よって、人よりそういった経験は少ないと思うよ。
だが、ゼロというわけではない。私の古い経験で良ければ披露させてもらうが、参考になるかどうか」
「御託は良い、いいから教えろ。時間がねえ」

エルヴィンはにこにこしながら俺に向かって口を開いた。

「異性への贈り物として定番なのは、花とかチョコレートだろうな。子供の頃、家にいた女中のばあやがそう言っていたから、私も送った経験が数度ある」

こいつも花とチョコレートという。俺は顔を顰めてしまった。

「まあ、今のお前に必要なのは花やチョコレートじゃないだろうな。装飾品だろう。
例えば、永遠に途切れないものの象徴、指輪とかな」

指輪。言われて気が付いた。

永遠の愛の象徴とされるそれ。男女間において特別な意味を持つ装飾品であることは、流石に学のない俺でもわかる常識だ。
なぜ今まで気づかなかったのか。――今までそんな物を贈るような機会に遇ったことがないからだ。
指輪しかない。それを贈ることに決めた。

「おい、どこに行けば買えるんだ? やっぱりシーナまで行かないとだめか?」

あまり時間がないが、今から馬を飛ばしてシーナに……いや、夜までに帰って来られるのか?
ほぼとんぼ帰りになってしまう、じっくり選んでいる時間はないだろうか。
顎に手を当て考え込んでいると、エルヴィンはカリカリと机上で何か書きはじめた。そのメモ用紙をピッと切り取ると、俺に手渡す。

「リヴァイ、貸し一つだ」

見ると、トロスト区内の住所、そして宝石屋と思われる店名が記されていた。

「特別な女性への贈り物はここ最近めっきりしていないが、貴族のご婦人方のご機嫌取りなら俺の十八番だ。ご婦人方への貢物を何度もそこで調達しているが、この店は間違いない。こんな最南端のトロスト区でも品揃えは悪くないし、店主は博識で宝石や装飾品に関する事なら何でも答えてくれる。俺も重宝しているんだ」

俺はメモを丁寧に二つに折り畳み、胸ポケットへ入れる。

「……でけえ借りを作っちまったな。恩に着る」
「ナマエは私にとっても大事な部下だからな。首尾良くやれよ」

エルヴィンは片手で頬杖を付き微笑み、俺は踵を返しエルヴィンの執務室を後にした。




   

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