第二十九章 一人と一人





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団長室でウォール・マリア奪還作戦前最後の幹部会議を終えた後、俺はハンジやナマエ達が部屋から出て行くのを待ち、一人団長室に残った。
エルヴィンと対峙する。

「現場の指揮はハンジに託せ。お荷物抱えんのはまっぴらだ。お前はここで果報を待て」

俺は、エルヴィンに進言した。
右腕を失ったエルヴィンが待機するのは不自然ではないし、寧ろ当然のことだ。

「連中には俺がそうゴネたと説明する……イヤ実際そうするつもりだ。それでいいな?」
「ダメだ」

エルヴィンは俺の進言を一蹴する。

「エサで構わない、囮に使え。指揮権の序列もこれまで通り、私がダメならハンジ、ハンジがダメなら次だ。
確かに困難な作戦になると予想されるが、人類にとってもっとも重要な作戦になる。そのために手は尽くしている。全て私の発案だ。私がやらなければ成功率も下がる」

正論らしきものを吐き俺の進言を潰してくるエルヴィンに、俺は苛立った。
だがこちらも大義名分はある。正論には正論で対抗するまでだ。

「そうだ、作戦は失敗するかもしれねえ。その上お前がくたばったら後がねえ。
お前は椅子に座って頭を動かすだけで十分だ。巨人にとっちゃそれが一番迷惑な話で、人類にとっちゃそれが一番いい選択のハズだ」

俺が口にしたことは、事実だった。
これこそ正論だ。

エルヴィンを失うことはこの壁の中の指針を失うことに等しい。
エレンは人類の希望だが、エルヴィンも調査兵団にとって失ってはならない羅針盤だ。
羅針盤を失えば俺達はどこへ進んでいいかわからず、深い闇の中で迷い、最後は散り散りバラバラとなるだろう。この大義名分があるからこそ、俺は強気で進言できた。

「いいや違う……一番はこの作戦にすべてを賭けることに――」
「オイオイオイオイ待て待て、これ以上俺に建て前を使うなら、お前の両脚の骨を折る」

いつまでも正論らしきものを吐き続けるエルヴィンに俺はとうとう業を煮やし、その言葉を遮った。

「ちゃんと後で繋がりやすいようにしてみせる。だがウォール・マリア奪還作戦は確実にお留守番しねえとな。しばらくは便所に行くのも苦労するぜ?」

――お前が心配なんだ。

腕を失ったお前が、前線で兵士として使い物にならないことは火を見るより明らかだ。
だからこそ、お前も囮なんて言いやがるんだろうが。

お前は調査兵団の羅針盤であると共に、俺の羅針盤でもある。
お前を俺の主と認め、お前の判断を信じ、お前についてきた。
お前を失えば俺は誰についていけば良い?

大義名分の裏側の俺の私的な想いを表現する必要はない。
この場合は大義名分に筋が通っているのだから、それで十分だ。筋が通っていないのはエルヴィンの方だ。

「ハハ……それは困るな……」

エルヴィンは正論の裏側の俺の想いを知ってか知らずか、笑いをこぼした。

「確かにお前の言う通り……手負いの兵士は現場を退く頃かもしれない。……でもな」

そこで言葉を切り、軽薄な笑いを引っ込め俺を見据える。

「この世の真実が明らかになる瞬間には、私が立ち会わなければならない」

エルヴィンの後ろの窓から日の光が入り、逆光でエルヴィンの顔には影がかかっている。
だがその影の中でも、瞳は強い意志を持って光っていた。

「それが……そんなに大事か? てめえの脚より?」
「ああ」
「人類の勝利より?」
「ああ」

とうとう最後にエルヴィンは、正論を吐くのを止めたのだ。
人類の勝利より、自分の目で真実を見ることを優先すると――個人的な想いを優先するというのだ。

俺に建て前を使うなら両脚の骨を折ると言ったが、建て前を引っ込めたため、脚の骨を折って作戦に参加させないわけにもいかない。

「エルヴィン……お前の判断を信じよう」

そう言って立ち去るしかなかった。
俺の主がそう判断したのだから。

「クソが……」

俺にできることなど、せいぜい団長室を出たところでそうやって悪態づくことぐらいだった。



充分な大義名分を以って臨んだ、エルヴィンの説得は失敗した。
エルヴィンでこれなら、大義名分などまるでないナマエの説得が成功するとはとても思えなかった。

だが、言わなくてはならない。
俺はあいつを作戦に参加させたくねえんだ。
あいつも……エルヴィンと同じく俺の言うことを聞かないんだろうか。
それとも、あの池の畔で、俺と離れたくないと泣き喚いたお前なら、俺の気持ちを汲んでくれるのだろうか。



エルヴィンに一蹴されてすぐ、俺はナマエの元へ向かった。
廊下でナマエがハンジと話しているところを見つけ、これは好機だと声をかける。

「ナマエ、話がある。今夜俺の執務室に来い」

俺は素っ気なく用件のみを伝えた。

「……はい……?」

ナマエは突然の俺の指示に疑問を持った様子で、だが返事をした。ハンジもきょとんとした顔をしていた。

ただ恋人としての時間を共に過ごすだけなら、それはいつも通りの事で、わざわざ執務室に来いなどとは言わない。勝手に俺がナマエの部屋に押し掛けるか、居室に来いと二人きりの時に言うだけだ。
ハンジがいるのにわざわざその前で呼びつけ、それも居室でなく執務室に呼びつけたのは、「仕事」の意味合いをできるだけ大きく持たせるためだった。
それは、これからひどく勝手で個人的な思いを通そうとしていると、俺自身がよく理解していて、後ろめたいことの表れだった。
だが、後ろめたいのどうのこうのも、もう言っていられない。
ちんたらしているうちに、ウォール・マリア奪還作戦はもう二日後に決行されることが決まってしまった。
この一月、何も言い出せないままただただナマエとの逢瀬を重ね、向き合いたくないことから逃げ続けてきたが、もう時間的にリミットだ。
ここでナマエを止めなければ手遅れになる。

夕食後、ナマエは指示通り俺の執務室に来た。兵服だ。まだ風呂も入っていないようである。
仕事の体で命令をしたのだから当然と言えば当然だが。

「ナマエ、座れ」

執務室に入ったナマエに、ソファに座るよう命令する。
ナマエは返事をしておとなしく座り、俺も隣に腰かけた。

「あの……兵長……私、今日何かまずいことしましたか?
今日の新兵の訓練……どこか至らない点でもありましたでしょうか。すみません、自分では気づかず……ご指摘いただければありがたいのですが」

ナマエはおずおずとそう申し出る。
なぜ俺にこんな呼び出され方をしているのかわからないナマエは、今日自身が担当していた編入団員の訓練について、俺から指摘があると勘違いしているらしい。

「いや違う。お前の訓練はいつもながら良かった。特段問題があるわけじゃねえ」

そこまで言って俺は、意志を強く持った。
今日言わなければ手遅れだ。

「……いや、お前の訓練はいつも素晴らしいと俺は思っている。
今の調査兵団内で、新兵を教育させたら右に出るものはいないだろう」
「……? ありがとうございます……」

不自然に続いた俺の賛辞に、ナマエの返事はますます疑問の色が濃くなっていく。

「ナマエ」

そこで一呼吸置いた。

「お前は、ウォール・マリア奪還作戦には参加するな。壁の中に残れ」

ナマエの目が丸く見開いた。

後ろめたさからナマエの目を見続けることはできず、その大きく見開かれた瞳から思わず目を逸らした。

「……は? 何を……言って」

ナマエは小さくつぶやき、その声には動揺の色が含まれていたが、すぐに体勢を立て直した。
そしてはっきりと明瞭な口調で俺に返す。

「何故ですか? 理由を教えてください」

ナマエの態度は堂々としたものだった。
公明正大な態度だ。当然だ、疾しいのはこっちなのだから。

「……お前は、新兵の教育係として優秀だ。今ベテランがいなくなった調査兵団において、新兵の教育が何よりも重要だ。
ウォール・マリア奪還作戦では多くの損害が見込まれる。これからも調査兵団は新兵を補充し存続させていかなければならない……お前にはその一翼を担ってほしいと」
「それはエルヴィン団長の指示ですか?」

俺の言葉を遮ったナマエの声は、変わらず明瞭な物だった。
それに対して、俺がぐずぐずと繰り広げていた詭弁にもならない屁理屈は、みっともないものだった。
俺はナマエの質問に答えず、もとい、答えられず、黙っていた。

「……違いますよね? エルヴィン団長がそんな指示を出すわけがありません」

ナマエは俺に向き合い、穏やかに、だが淀みなく弁を振るう。

「新兵を教育し、調査兵団を存続させるのはもちろん大切ですが、それはこの世界を平和にするためですよね?
そして世界を平和にするためには、ウォール・マリアの奪還が必須ですよね?
失われた領土を取り返し、人類の領土を確保する。そして私達の領土を脅かす巨人の謎を解明し、討伐する。そのために私達は兵士をしているのではないのですか?」

論破される。
当たり前だ、あんな付け焼刃の屁理屈でこいつを説き伏せることなんて不可能だ。

「人類が今後平和に生存するための必須条件であるウォール・マリア奪還に、調査兵が参加しないなど、本末転倒です。
兵長、些末に囚われ大義をお忘れですか?
――それとも、私はウォール・マリア奪還作戦に参加するには力不足でしょうか。足手まといであれば、正直にそう仰ってください」

ナマエの方は変わらず見られなかったが、その強い目は俺を捕らえていることがよくわかった。視線を感じる。

俺は観念した。

「わかった、ナマエ。俺が悪かった。
お前をこんな陳腐な言い訳で説得できると思っていたわけじゃない。
これから言う言葉は、兵士としての俺からじゃねえ。だが聞け」

俺はナマエの両肩に手を乗せ、ようやくナマエと目を合わせた。

「ナマエ、ウォール・マリア奪還作戦に参加しないでくれ」
「……聞けません。何故そんなことを言うのですか?」
「お前が、大事だからだ」

今までずっと堂々としていたナマエは、そこで初めて瞳を揺らす。
ほんの少しの動揺が見て取れた。

「自分がしょうもないことを言っているのはわかっている。だが聞くんだ」

俺はここで一つ深呼吸をした。

「あの政変で……俺は捕えた中央憲兵に、『あんたはまともじゃない』と言われた。
その通りだ。俺はまともじゃない。
兵士としては……誰にも負けない働きをしてきたと自負している。いかなる時も最悪を想定してきたし、俺達の頭のためなら、頭が目指す大義のためならなんでもしてきた。拷問も、人殺しも。
だが、それ故に俺は普通じゃねえ、異常な奴だ」

俺はなるべく自分を落ちつけようと、落ち着いて喋ろうとしたが――どうやら無理そうだ。
アドレナリンが出て、血圧が上がっているのが自分でもわかる。

「だがな、その俺が今……普通の、まともな人間らしい感情を持っている。
普通の人間が望むようなことを望んでいる。
お前を失いたくない、無事でいて欲しいんだ」
「……兵長」

ナマエの声が震える。
俺は感情的になる声を抑えられなかった。

「お前、子供も欲しいんだろ? 平和な世の中になったら、子供を作ればいい。お前の子供だったら、男だろうが女だろうが、美人で聡明に違いねえ。
だがな、それには大前提としてお前が無事じゃなきゃいけねえだろ!?」
「兵長、待って……どうしちゃったんですか、そんなこと言うなんて兵長らしく」
「ああ、どうかしちまったんだろうな。今までの俺なら作戦に参加するななんて言わなかっただろう。
だが、俺がいなければ生きていけないと泣き喚いたお前なら、俺の気持ちがわかるだろ!?」
「……」

口を挟んだナマエは、俺が振り立てたのを聞いて、黙った。

何を言っているんだ、と自分でも思う。
兵士失格だ。ガキじゃあるまいし我儘を言っても仕方ないことだと――そんなことはわかっている。

それでも、お前には生きていて欲しいんだ。
お前がいないと生きていけないのは、俺の方だ。





   

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